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後編


 冷たい風が周囲の木々を揺らす。黄泉坂トンネルは切り立った崖の中央にあった。トンネルの出入り口をつなぐ道は細くぼろぼろで、いかにも普段使われていませんといった様子だ。崖を遮るのはさびたガードレールだけ。

 崖の下は真っ暗な闇がのぞいていて、どれくらい深いかは見えない。そしてそれと同じくらいトンネルの中は真っ暗だった。ついているはずのトンネル内の明かりが壊れているのか。


 不気味なトンネルに気圧された私は車を路肩ぎりぎりに止めて、車から降りる。外は思っていたより寒く、ブルりと体が震えた。

「ちょっとちょっとこれじゃ下りれないじゃーん」

 私の背後から陽がにゅるりと這い出てくる。助手席から降りられないのはわかるけど、だからと言って、手をペタペタと地面につきながら出てくることはないだろう。顔にはいつものニマニマ笑いが戻っていて、不気味に見えた。ぞっとした私は口に手を当てて悲鳴をかみ殺す。


「あれ? もしかして怖がらせちゃった? やー悪いねー」

「あ、あんたね」

「いいじゃん。季節外れの肝試しだよ? 怖がってなんぼっしょ」

 陽は立ち上がると、懐中電灯のスイッチを入れた。それから顎の下から顔にわざとらしく光を当てて見せる。


「う~ら~め~し~や~」

「……あんた私を怖がらせたいの?それとも馬鹿にしたいの?」

 陽とわかっているし、やるだろうとも思っていたから全然怖くない。陽はあきれ顔の私を見て「ありゃ残念」と肩をすくめる。

「怖がらせるつもりだったんだけど」

「もういいでしょ。さっさとトンネルに行くわよ」


 近隣では有名な心霊スポットだが、時季外れなせいか私たち以外には誰もいない。私は買ったばかりの懐中電灯の明かりをつけて、トンネルに入っていった。


   *


「黄泉坂トンネルには幽霊が出るという」

 トンネルに入ると、カツン、カツンと言う私の足音が反響した。長いトンネルだ。距離にすれば三百メートルはあるだろう。

 私がトンネルに入ると同時に、陽が語り出した。


「黄泉の坂は日本神話にもある通り、生者の世界と死者の世界をつなぐ道のこと。黄泉平坂(よもつひらさか)だ。それにちなんだ名前のこのトンネルも、昔から幽霊が出るって噂だった」

 陽は私の三歩後ろを歩く。陽がいる証明は背後から来る懐中電灯の明かりと声だけ。でも陽の声はトンネルに反響して、トンネルが語りかけてきているみたいだ。


「何十年も前から噂があって、それが今でもずっと続いてる。本当に出たって話も多い。だからここは『本物』だって有名」

 トンネルの中は薄汚れていた。道の端には捨てられたペットボトルや空き缶。タバコの吸い殻がある。トンネルの中は外よりもひんやりとしていた。ゴォォォという空気の通り抜ける音が、怪物の腹の中にいるような錯覚をさせる。

 私は操られるようにあちこちが黒ずんだトンネルの奥に進み、その間にも陽の語りは続く。


「腕のないおじいちゃんにあった。白い服の女にあった。顔色の悪いサラリーマンにあった。黄泉坂トンネルに出てくる幽霊に赤ん坊や子どもはいない。みんな、自分の意志でここに来ることができる人たちばっかりだ」

 カツン。カツン。足音が響く。まだトンネルに入ったばっかりだ。トンネルの出口は見えない。懐中電灯の弱々しい明かりだけが頼りの、闇の中に私はいる。


「彼らはみんなふっと現れて、いつの間にかに消えている。まるで最初からいなかったみたいに。煙のように消えて、ここに来た人たちの心の中だけに残る」

「やめてよ」

 陽の語りは淡々としていて、生きた温度を感じさせない。懐中電灯の明かりが揺れる。カツン。カツン。ゴォォォ。カツン。カツン。ゴォォォ。

 一言いえば、陽は黙り込んでしまった。聞こえてくるのは私の足音だけ。見えるのは暗闇と、二本の明かりだけ。


「陽?」

 返事はない。明かりはある。


「ねぇ?」

 返事はない。明かりは、明かりはあるんだ。振り返れば陽はいるはず。でももしいなかったら?その時私はどうすればいい?


「ねぇってば!」

 カツン。カツン。ゴォォォ。カツン。カツン。ゴォォォ。カツン、カツン、ゴォォォ。カツン、カツン、ゴォォォ。

 私を押しつぶしてしまいそうな静寂。暗闇に飲み込まれてしまいそうで、次第に早足になる。ここには生きた人の音がしない。山の中で、自然の中で、そこにぽっかりある人工のトンネル。おかしいよ。歪だよ。


 カツン、カツン、ゴォォォ。カツン、カツン、ゴォォォ、カツン、カツン、カツン、カツンゴォォォ。カツンカツンカツンカツンゴォォォ。カツカツカツカツゴォォォ、カツカツカツカツゴォォォカツカツカツカツカツカツカツカツ。


 カツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツカツ。


 私の足音だけがトンネルに響く。いつの間にかに私は息を殺して走っていた。速くここを通り抜けないと。ここから逃げ出さないと!


 走って、走って、走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って。


 懐中電灯の明かりが、出口を見つけた。コンクリートでできた無機質な床と天井じゃない。自然の木々と空に開けた道路が。

「でぐ……」

 私が出口に向かって足を速めた時、


 ピトリと、


 ダレカが私の肩を掴んだ。


 それはとっても冷たくて、


 私は、


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 大きな悲鳴を上げた。


   *


「だからメンゴだ~って。まさかあんなにびびるだなんて思わなくて」

「ぜっっっったいに許さない!」

 トンネルを出て、道路にしゃがみこんだ私に陽がへらへらと謝る。

「だってちょっと黙って、出口の近くに手を置いただけだよ俺。怖がり過ぎだって」

「うっさい! 急に黙るからいけないんでしょう!?」

「佳代がやめてって言うからじゃん」


 心臓は今でもバクバクと音を鳴らしている。しゃがみこんだまま陽をきっとにらみつけると、さすがの陽も小さく頭を下げた。

「まじメンゴな」

「本当にそう思うんなら、ちゃんと謝ってよ。あんたは昔からそう」

 陽は私にひどいことをし続けてきたのに、一度もきちんと謝ったことがない。冗談めかしたり、誤魔化したり、いつもそうだ。


「一回くらい『ごめんなさい』とか『すみません』とか言ってみなさいよ」

「……それができれば楽なんだけど、性分なんだよ」

 ぶぅたれるような陽の言葉。心臓が落ち着いてきた私は立ち上がり、パンパンとコートを手で払った。


「ほんとに、あんたは」

 私はつぶやきながらトンネルを抜けた先を見渡す。と言っても入り口と変わらない同じ道路だ。ぼろぼろのガードレールの向こうは木の生えた崖があって、冷たい風が吹き抜けている。

 私は息を整えようと、ガードレールに腰掛ける。はぁと深い息を吐くと、ようやく気持ちを落ち着けることができた。そして気づく。


「待って?もしかして私またあそこを通るの?」

 車はトンネルの向こう。行きがあれば帰りがある。もう一度あそこを通るのだと思うと泣きたくなる。

「あ、でも結局幽霊はでな――」

「佳代!」


 その時だ。バキっと音がして、浮遊感が私を包み込んだ。あれ?なんだこれ?近くに見えたトンネルが遠のく。落ちていく。視界の端に壊れたガードレール。

 ガードレールが壊れた?陽の表情が見えた。悔やむような、泣きそうな、そんな表情。


 なんで?そう思うと同時に、背中に衝撃が走って、私の意識は失われた。


   *


「――佳代! 佳代!!」

「あ……陽?」

 私を呼ぶ声。目を開けるとそこに陽がいた。


「ここって」

「よかった。気が付いた」

 陽は目を開けた私を見て、ほっとした様子だった。痛む体を起き上げる。懐中電灯を拾い上げて周囲を見渡すと、私の周りには折れた木の枝とガードレールがあった。近くには切り立った岩肌。上に明かりを当ててみると、トンネルらしきものがうっすら見えた。


「落ちたの? 私」

「そうだよ。ったく焦った。まさかこんなことになるなんて」


 暗いせいでがりがりと頭をかく陽の顔はよく見えない。でも声に余裕はない。

「というか、なんであんたまでここに?」

「そんなの落ちたお前を追いかけたからに決まってるじゃん」

「ば、馬鹿でしょ! あんたが助けを呼んでくれたら」

「落ちた佳代を放っておけないし。スマホの充電も切れてるから助けも呼べない。それにここは圏外」

 スマホを確認すると、確かに今いる場所は圏外だった。


 コンビニで買った小さい懐中電灯でも上が見通せるくらいだ。そう高くない。でも切り立った岩肌を登る力は私にはない。

「これからどうすんのよ」

「とりあえず崖に沿って歩こう。どこかで登れそうなことがあるかもしれない」

 今までないほど陽は真剣だった。陽は私の手を取った。そしてトンネルの方向に向かって歩き出す。

 陽の手は、びっくりするくらいに冷たかった。


   *


 土と木の根っこの多い道で、崖の下はとても歩きにくかった。私は陽に手を引かれたまま歩く。懐中電灯が照らすのは先の見えない道と、陽の黄色いトレーナー。

「はぁっ……はぁっ」

「大丈夫か?」

「大丈夫」

 言えるほど、大丈夫ではなかった。寒さよりも疲労の方が大きい。厚着しているからか、服が重く感じる。


「幽霊ってなんで『うらめしや』って言うんだろうな」

 私の気持ちを知ってか知らずか、陽はそんなことを言い出した。

「うらめしい。恨めしい。死んだ人たちは一体何が憎いんだろ。何を恨んでいるんだろうな」

「何よいきなり。くだらないこと言わないで」

「悪い」

「悪いと思うなら、ちゃんと謝りなさいよ。あんたのせいなんだから」


 とげとげしい口調になってしまった。だめだ。心に余裕がない。こんな寒い崖の下で、助けが来るかもわからない状況。明かりは小さな懐中電灯だけで、電波も来てない。

 陽はまた黙り込む。少しして、陽が口を開いた。


「そっか。そうだよな。俺のせい、だよな。俺が肝試しに行こうなんて言ったから」

「ほんとよ。あんたのせいでこんなことになってるの」

 思っていた以上に、きつい言葉になってしまった。陽は何も答えない。一度あふれてしまえば、だめだとわかっていても言葉はどんどんこぼれてきた。


「幼稚園の頃からずっとだよ。なんであんたは昔から私の邪魔ばっかりするの。あんたのせいで、何回泣いてきたと思うの。どれだけ迷惑をかけてきたと思うの。今日だってそう。いきなり連絡よこしてきて。車で来いなんて、五時間運転しろなんて、無茶苦茶言わないでよ! あんたは私のことを都合のいい奴くらいにしか思ってないのかもしれないけど」

 言った言葉に嘘はなかった。けれど、言うべきでなかった言葉なことはわかっていた。言えば言うほど、私の目から涙がにじんできて、胸の痛みが強くなった。


 ジクジクと、心は痛む。陽は振り返らなかった。足を止めて、私の手をぎゅっと握る。

「昔はそうだった」

「え?」

「俺も高校生の時までは、佳代のことを都合のいい奴としか思ってなかったよ。好き勝手できる都合のいい奴だって」

 最低な宣言だった。私は返す言葉を失って黙り込む。しかし陽は「でも」と言った。


「でも、さ。高校卒業して、仕事何度も変えて、いろんな人に会って、それで……俺は今までどんだけ佳代にひどいことしてきたか、ようやくわかったんだ。今さら許してくれるだなんて思わない。でも、誰か一人って思ったら、浮かんだのは佳代だった」

「何言ってんの」

 陽は私から手を離した。そして、ゆっくりと歩き始める。陽が立ち止まった先に()()はあった。


「なん、で?」

 陽の向こうにそれが少しだけ見えた。陽の持つ懐中電灯がそれを照らす。横たわった人の形をしたもの。

 陽を追いかけるように、私もそれに近づく。陽は黙ってそれを照らし続けていた。


 私の懐中電灯がそれを照らす。それは足が折れて、いびつに折れ曲がっていた。着ている服の上には木の葉が散っていて、自然に還ろうとしている。その証拠に、服の先から出た手と顔はくろずみ、地面と似た色彩をしている。手には黒いスマートホンが握られていた。

 目は落ちくぼみ、臭いはしない。死体だった。死体がそこにあった。そしてその死体は、()()()()()()()()()()()()()


 カタンと、明かりのついた懐中電灯が落ちた。私は息をすることすら忘れて、隣にいたはずの陽を見る。

 けれど、そこには誰もいなかった。落ちた懐中電灯が死体の顔を照らす。腐敗が少しだけ進んではいるけれど、それは間違いなく陽の、

「アキ、ラ?」


『――アキラさんは一週間前から行方不明となり、警察がその行方を捜索しているようです』

 ラジオの報道が頭をよぎる。あぁ、これは間違いなく、


 大沢陽(おおさわあきら)の、死体だった。


「ごめん。佳代」

 引っ張られるように意識が遠のく。誰かが私を手招いたみたいに。そうして、私は意識を失った。

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