前編
何気なしに来たラインの通知。メッセージの送り主を確認して、私は思わずしかめっ面になった。
「どうしたの?」
「あ……ううん。ちょっと嫌な奴から連絡が来て」
彼氏の心配そうな声に、私はスマホを胸に寄せながら答える。彼氏は「そっか」と言うと、卒業論文の作成に戻った。
まるで隠し事をしてしまったようで、心苦しい。私はスマホの画面を見る。画面には「大沢陽」の名前。
連絡が来るのは四年ぶりで、できればもう二度と見たくなかった名前だ。しかも要件が要件である。
『久しぶり( *´艸`) 肝試し行こうぜ(‘ω’)ノ 明日の夕方四時にA駐車場に集合な。あと車で来てくれ。ヨロ!(^^)!』
指定の場所は実家の近所の駐車場。文面だけで私の神経を逆なでしてくる。無視してやりたい。でも無視すれば余計面倒くさいだろう。あの男はそういうやつだ。
「はぁ……」
「やっぱり聞こうかな。佳代。誰からの連絡なの?」
私のため息はよほどだったらしい。彼氏はキーボードをたたく手を止める。彼の笑みを見ていると、不要な罪悪感が募ってくる。私は彼氏にスマホを手渡した。
「ええと……オオサワヨウからで、ってなにこれ?」
「ヨウ、あーまぁいいや」
彼氏はラインの文面を見て、目を丸くしていた。当たり前か。常識人の彼にとってみれば、こんな私の事情など全く考えていない誘いなんて、考えられないはずだから。
「昔馴染みからの連絡。こんな真冬に肝試しとかありえないし、明日だし。ほんとありえない」
はぁと、私はもう一度深いため息をつく。彼氏は画面に触れないまま、私にスマホを返して口を開いた。
「断る気はないの?」
「断るともっと面倒。昔からの付き合いで、それははっきりわかっちゃうから辛い」
もはや諦めの境地だ。私が高校生の時、一度陽との約束を無視したら、ラインに大量のスタンプが送られたことは今でも覚えている。少しスマホから目を離した隙に未読が千を超えてた時にはぞっとした。
それでもまだ優しい方で、あいつはもっとたちの悪いことを当たり前みたいにやってしまう男だ。
大沢陽は私の幼馴染だ。幼稚園から高校までずっと一緒で、クラスも半分くらい同じだった。でも私と陽の間に何か浮ついた話があったわけではない。
私は陽にずっといじめられていた。というよりも、いいからかいのネタにされていたというべきか。
幼稚園の時には、クレヨンで描いた絵をびりびりに破られた。
小学生の時には、悪戯でバケツで上から水をかけられた。虫を服の中に入れられたこともあったし、集めていた漫画を取られたことも何度もある。小学生の私が泣いた理由のほとんどは陽にあった。
中学生の時になると、小学生の時ほどひどくはなくなったが、やれ宿題を写させろだの、やれ自転車を貸せだのと無理矢理を言ってきた。高校生の時は昼夜平日休日を問わずあちこちに連れ回され、ろくな青春時代を送ることができなかった。
自己中心的なクソ野郎。大沢陽を語るにはこの一言に尽きる。
そのことを彼氏に話すと、彼は腕を組んで深刻そうな顔をした。
「話を聞くと随分とひどい人なんだね」
「そうね。だから家族とも仲が悪くて、高校卒業と同時に家を出て就職したって聞いてたんだけど」
卒業と共に、陽からの連絡も長らく途絶えていた。それが今になってなぜ? 私が首を傾げていると、彼氏が私の肩を優しく抱いた。
「俺としては行くなって言いたいけど、言っても無駄なんでしょ」
「うん。何か不安だし」
唐突な連絡だ。不安にもなる。私は彼氏の腕にそっと触れた。
温かい。大学に入ってすぐにできた彼氏は、私にはもったいないくらいの人だ。優しくて、私のことをいつも考えてくれている。ひどいことも言わないし、暴力も振るったことがない。陽とは正反対だ。付き合い始めてそろそろ四年。今では半同棲しているし、卒業後の就職先も同じ県だ。
この人と私は結婚するんだろうと、何となく思っていた。
「わかった。なら明日は温かくして行ってきなよ。今週、急に冷え込んだから」
「ありがと」
彼は私を強く止めなかった。これでも強情なところのある私だ。言っても無駄だとわかっているのだろう。
だから私は、彼の頬に短くキスをした。
*
翌日。私は陽の指定してきた駐車場にいた。体を預けるのは、来年度の通勤のために中古で買った軽の自動車。
「さむ……」
時間は過ぎたのに陽はまだ来ない。私はマフラーを首に当て、コートのポケットに入れたカイロで手を温めた。
「何やってんだろ私」
時計を確認するともう四時三十分。いい加減遅すぎる。今週から来た寒波の影響で急に冷え込んだせいか、夕方の駐車場は人通りが少ない。誰もいない駐車場で一人待っていると、馬鹿馬鹿しい気分になる。
どうしてこんなことをしているんだろう。相手はあの陽だ。友達なんて一人もいなかったクソ野郎だ。あいつのために寒い中待ってやる義理なんてないのに。
「帰ろうかな」
時間の無駄だった。陽が私に連絡してきたのだって、気まぐれか嫌がらせだったのだろう。スマホに連絡が来ていないことを確認し、帰路につくため車に乗り込もうと扉に手をかけた時、生ぬるい風が吹いた。
「Kayo Hunt!」
「は?」
「だからKayo Huntだよ。カヨ ハント。佳代。つっかまーえた」
後ろから声をかけられる。振り返ると、そこにいたのは昔よりも体格がよくなった軽薄そうな男がいた。陽だ。会わない四年間の間に顔つきは大人びていたが、へらへらと笑う表情と口調は昔と何も変わらない。
「久しぶり」
「なんだよそんなぶすっとして~なんか嫌なことでもあった?」
苛立ちを込めて言うと、陽はへらへらした口調で返した。陽はお前に会ったことが嫌なんだよ。という言葉をぐっとこらえて、私は陽をにらみつける。
「遅刻。そっちから呼んだくせに何様なの」
「メンゴメンゴ~ちょっとここまで来るのに時間がかかりすぎちゃってさー。Sorry Sorry」
「中途半端に英語挟むのやめてくれない?イライラする」
「Oh but I can’t speak Japanese!」
「もう黙れ」
「あ痛て」
無駄にいい発音にカチンと来て、私は後部座席を開けて、陽を蹴り入れた。
*
「あ、とりあえず国道に向かって……いや~佳代も大人になったなぁ」
車にエンジンをかけていると、陽が後ろから図々しく声をかけてくる。陽は乗り込んだ車をじろじろと見回すと、感慨深そうにした。
「車に乗って、きれいなおべべも着て、化粧もしてるし、まじ大人って感じだわ~」
「四月から就職なんだし、もう二十歳超えてるんだから、車だって必要だし服だってきちんとした買うわよ。それに化粧は前から」
「えー俺は車持ってないし、服も何着かしか持ってないよー。化粧は全然しない」
「知るか。死ね」
「あはは」
思わず口をついて出た悪態に、陽は苦笑して、座席に寄りかかった。その姿が意外だった。昔、私にこんなことを言われたらひどい仕返しをしたのに、陽も内面は大人になったということだろうか。
「俺は死なないよ~ん」
なったのだろうか?
「あ、そう。で、なんでそんなに薄着なのよ」
私は車を国道の方に走らせながら、バックミラー越しに陽の服装を見る。黄色の薄いトレーナー一枚は寒いだろう。私だって、コートの下に何枚か着ているというのに。
「ん?そりゃ俺は心が熱い男だからね。こんくらいの寒さはなんてことないのよん」
はぐらかしやがった。大方服を着る金もないということだろう。今着ているトレーナーだって、何年も着ているようなぼろいのだし、まともな職に就いていないに違いない。
このクソ野郎にできる職業なんてあるとは思えないし。
「で?今日はどこに行くの」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ。下ろすぞ」
「わ~やめてよー。ええと、肝試しするって連絡はしてたよね」
されていた。でもそれだけ連絡があったっきり、ラインを返しても連絡が来なかったのだ。
「そうね。ちゃんと返信見た?」
「見た見た。返そうとは思ったんだけどちょうど充電きれちゃって」
「充電しろ」
「だから途中でコンビニ寄ってちょーだい! 懐中電灯買おう」
「金はあるの?」
「あるじゃん」
陽はまっすぐ私を指さす。こいつ。私を足扱いしただけではなく、財布扱いするつもりか。
本気でこいつをたたき出してしまおうか。思いはしても、子どもの頃から積み重ねてきた経験が、行動に移すことをためらわせる。
私はよくしつけのされた犬か。
「ああっ! もういいや。今日はどこに行くつもりなの」
車は道なりに国道を走らせている。陽はふっふっふと笑った。きもい。
「黄泉坂トンネルって知ってるかい?」
黄泉坂トンネル。聞いたことはあった。隣の県にある幽霊が出ると噂のトンネルだ。私は信号にひっかった隙に、カーナビに手早く「黄泉坂トンネル」と入力する。
「は?五時間!?」
「うんよろよろ~」
黄泉坂トンネルまでかかる時間に目を丸くする。ありえないだろ。しかもこのトンネル山道の途中だぞ。きつい。きつい。運転がきつい。
「ねぇ。帰っていい?」
「だぁめ」
本気でこいつを下ろしてしまおうか。青に変わった信号を見て、私はこっそりと思った。
*
それから黙々と車を走らせること三時間。私は後ろから延々と話しかけ続ける陽のことをひたすら無視した。ただでさえ大嫌いな陽にいきなり呼び出されたというのに、どうでもいいような話を聞かされると、むかむかしてくる。
しかも聞いてもいない怖い話をしてくるものだから、なおのことたちが悪い。雰囲気作りにしてもやりすぎだ。
「――それで、タクシー運転手は後ろを振り返ったらさ。乗ってたはずの女の人はどこにもいなかったんだって……あ、あそこのコンビニで懐中電灯」
「はいはい」
時刻はもう七時半。太陽はとっくの昔に落ちて、空は真っ暗になってしまった。今夜は曇りで月明かりもない。
私たちは国道を抜けて、県道の二車線の道に入っていた。建物もまばらになり、田舎っぽさが増している。ちょうど休憩もしたかったところだ。百メートルくらい先にあるコンビニに車を止めて、車を降りる。
「いや~三時間も小さな車に閉じ込められてると、息がつまるねー」
「三時間運転させられた私の身にもなれよ。ほんとに」
さっさと歩いてコンビニに向かっていると、後ろから陽が追い付いてきた。車のキーのボタンを押して鍵を閉める。私を先頭に、二人でコンビニに入った。
聞き慣れた入店のメロディーをバックに、私は店内を見回す。田舎特有の広々とした店内には、私たちと店員以外の他には誰もいない。店員はやる気のない声で「いらっしゃっやせー」といっただけで、カウンターに突っ立ったままだった。
「んで懐中電灯だっけ」
「そそ。あるかなあるかな~」
「知るかよ。いいから探せ」
「あいあいさー!」
間抜けな陽のせいで、店員が私に怪訝な目を向けている。罰が悪くなって、ぱっぱと店内を探す。
「あった」
さすがはコンビニ。ちょうど二本、小さな懐中電灯が見つかった。陽は私の手にある懐中電灯を見て「ラッキー」と言うと、先に戻ると店内を出て行った。出る時、ちょうど仕事終わりのサラリーマンが、陽を横切る。
スキップする陽にサラリーマンは目もくれなかった。サラリーマンの顔は疲れ切っている。私も将来あんな風になるのだろうかと思いながら、店員に二つの懐中電灯を渡す。
「二千四百円になります」
やる気のない店員に三千円を渡してお釣りを受け取る。高い。こんな小さな懐中電灯がどうして千円くらいするんだろう。損した気分だ。
レジ袋に入れられた懐中電灯を手に、車に戻ると、陽は車の助手席に座っていた。彼は退屈そうに頬杖をついていたが、私がコンビニから出てきたことに気がつくと、嬉しそうに手を振った。
「高かったんだけど」
「ありゃ。コンビニは強気の価格設定だからな~しょうがないなぁ~」
袋から懐中電灯を取り出して、片方陽に放る。
「くれるの?」
「あとで金は返してよ」
「ははっ」
私は車のエンジンをかけて、彼氏に定期連絡を入れる。そして陽が無駄話を始める前にラジオをつけて、車を出した。
『日本とアメリカの協力体制は今後も続いていくと――』
『――アキラさんは一週間前から行方不明となり、警察がその行方を捜索しているようです』
『今週の日経株価は――』
『――で○○県の天気は明日は雨になるようです』
ラジオからは雑多なニュースが流れてくる。私はそれらを聞き流しながら夜の道を走らせる。長距離運転は慣れていない。疲労のせいで少し眠い。意外と陽の話は眠気覚ましには役立っていたらしい。
「ねぇ。まぶしいんだけど」
助手席に座る陽は懐中電灯をつけたり、消したりして遊んでいた。眉をひそめて注意すると、陽はペロリと舌を出して自分の頭をこつんと叩いた。
うざい。
「めんごめんご」
存外陽は素直に懐中電灯の明かりを消した。しばらくの間、ラジオの音だけが車内に響く。
「最近佳代はどんな感じ?」
「どんな感じってまた抽象的な」
車が山道に入る。一車線で、道も整備があんまりされていない。対向車も来なくなった。照らす明かりが私の車のライトだけ。そんなタイミングで陽が口を開いた。山の中に入ったせいか、ラジオにノイズが増える。ザザザと鳴る音が不快で、私はラジオを消した。
「や、ほら。四年会ってなかったわけじゃん。四年間で佳代がどんな風に変わったのかなって思ってさ」
今までとは違う陽の真剣な声。私は口の中で言葉を選んでから、それを吐き出す。
「特別変わったことはないと思うよ。大学に入っていろいろ勉強して、友達もたくさんできたし、バイトもした。嫌な教授がいて、いい教授もいた。就職も決まったし……彼氏もできた」
「え。佳代、彼氏できたの」
「当たり前でしょ」
陽は驚いた様子だった。街灯の少ない、暗い山道を運転しているから、陽の顔を見る余裕はない。彼は今どんな顔をしているのだろうか。
「結婚だって、考えてるんだから」
「そ……っか。そいつはいい奴?」
「あんたとは違ってね。優しくて、かっこよくて、素敵な人よ」
「ならよかった」
陽の声は安心していた。てっきり茶化してくるものだと思っていたから意外だ。いや、茶化してくるに違いないと思っていたのに。
「佳代の未来は安泰だ」
こいつがこんなことを言うなんて、調子が狂う。
「そ、それであんたはどうなのよ。四年間で、もう就職とかしたんでしょ?」
「まぁな。あちこち職を転々として、今は……うん。どうにかやってるよ」
歯切れの悪い返答だ。沈黙が車に満ちる。
「でもよかったよ。俺も佳代も」
*
『目的地に到着しました』
「ついたな」
車を走らせ続けて五時間。カーナビの無機質な音声と同時に、陽がつぶやいた。私たちの目の前には、車のライトに照らされた不気味なトンネルがあった。




