エピローグ
目覚めた私がいたのは病院だった。私が目覚めたという連絡を聞いて駆け付けた警察によれば、私は翌日、崖の下で、陽の死体と一緒に発見されたらしい。
どうやら定期連絡以降、朝になっても連絡のない私のことを不安に思った彼氏が、トンネルの近くまで探しに来て、路駐されたままの私の車と壊れたガードレールを見つけたらしい。
それで警察を呼んで崖の下を探してもらったら、私と、陽の死体を発見したそうだ。
彼氏を随分泣かせてしまったし、両親にも心配をかけた。
私は警察に陽と会っていたことを正直に話したが、信じてもらえなかった。道中立ち寄ったコンビニの店員も、あの夜、陽の姿は見ていないらしい。見えていたのは私だけ。誰もいないところに話しかけていて、気味が悪かったという。
陽の死体は検査の結果、事故死だということが分かった。おそらく私のように、ガードレールが壊れて落ちて、足を折ってしまった。死因は衰弱死というから、苦しかったに違いない。
陽の死体を見つける前に、陽に言った暴言を後悔した。
そしてもう一つ、胸にしこりが残ったこと。それは陽の両親が葬式や遺体の引き取りを拒否したことだ。陽は私が思っていた以上に、家族から嫌われていたらしい。
だから遺体は職場の人たちが引き取り、葬式も今の職場の人たちが主体となって行われた。退院した私はすぐに、その葬式に向かうことにした。
陽は隣の県の小さな工務店に勤めていたようで、真面目な働きぶりで愛想もよく、上司たちから可愛がられていたらしい。私の知る陽とは全く違って、困惑した。
小中高と、まともな友達を作って来ず、家族からも拒絶された陽の葬式は物寂しいものになると思っていたけれど、斎場には、思っていたよりもたくさんの人が訪れていた。工務店の人たちを始め、陽の友人や顧客。みんなが陽の死を悲しんでいた。
陽は陽で、新しい居場所を作っていたのだ。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
お坊さんの念仏を聞きながら、私は陽のことに思いをはせていた。どうして陽は私の前に現れたのか。斎場の一番後ろに座って、手に持ったスマートホンを握りしめる。
あの日、私に届いたラインのメッセージ。あれも幻のように消えていた。代わりにあったのは短い二つのメッセージ。
『今までごめん』
『Kayo Hunt』
湧いてきたのは怒りだった。私はこんな風に謝って欲しかったわけじゃない。こんな訳の分からないメッセージが欲しかったわけじゃない。
自分でも、陽のことを怒ればいいのか、笑えばいいのか分からなかった。
「あなたが、佳代さんですか?」
葬式が終わり、陽は火葬場に運ばれていった。それを見送った後、帰ろうとした私を引き留める人がいた。長い黒髪のきれいな女性。彼女は目元を真っ赤にはらしてそこに立っていた。
「あなたは」
「大沢陽と付き合っていた、戸塚灯と申します」
灯さんは私に深く頭を下げると、言った。
「少し、お話しませんか?」
*
冬の空はきれいに晴れていた。私は灯さんと二人、喪服姿のまま陽の家へと向かっていた。
「陽の遺骨は拾わなくていいんですか?」
「いいんです。あそこに彼はいないんですから」
灯さんの声は力弱くとも、芯が通っていた。
「それで、お話って何ですか?」
「彼が、陽くんがどんな人だったのかを教えてほしいんです。そして、あなたがどうして陽くんを見つけることができたのかも」
「……あなたにとって面白くない話かもしれませんよ?」
私の中にある陽の思い出にはろくなものがない。陽の恋人であった灯が聞いて、気持ちのいい話はないはずだ。
「知ってます。それでも、お願いします」
灯さんは私を強い瞳で見つめる。私は息を飲み、そしてぽつぽつと陽との思い出を語り始めた。
幼稚園。陽にクレヨンで描いた絵を破られた。服を無理やり脱がされたこともあるし、叩かれたこともある。
小学校。陽は私にバケツで水をかけてきた。勝手も物は取るわ、返さないわ、服に虫を放りこんでくるわ、散々だった。自分が苦手な野菜は必ず私の皿に入れてきたし、朝早くから虫取りに付き合わされたこともあった。
中学校。私を叩いたりすることはなくなったけど、宿題をいつも写せと言ってきたり、テスト勉強に付き合わされた。文句を言えば、スカートをめくってきたり、顔に落書きしたりしてきた。陽と話をするのは私くらいのものだった。
高校。原付の免許をとった陽は一層私をあちこち連れまわすようになった。ある時は山だったり、海だったり、遊園地だったりした。親と喧嘩したらしい時は、家出に付き合わされることになった。そういえば家出先の山の中で食べたカレーはおいしかったっけ。
思い返してみれば、嫌な思い出はたくさんあったけど、そうでない思い出もあったんだ。灯さんは取り留めのない話をずっと黙って聞いてくれた。一通り話終えて、私の話はあの夜のことに移る。
死んでいたはずの陽から連絡が来て、彼と一緒に黄泉坂トンネルに行った。そこで私は崖から落ちて、陽の死体を見つけた。到底信じられないような話だけれど、灯さんは最後まで聞いてくれた。そして私が全ての話を終えたくらいに、私たちは陽の家に到着した。
*
「ここが彼の部屋です」
「そうなんだ」
六畳一間のワンルーム。それが陽の家だった。ベッドとテレビ。あとはタンスと数冊の本があるくらいの小さな部屋。陽がもともと整頓好きだったのか、それとも灯さんが整理したのか。部屋はきれいに片付いていた。
物の少ない部屋は、何となく陽らしくなかった。
「私は、陽くんと結婚するつもりでした」
電気のついていない部屋で、灯さんはベッドに座り込んだ。
「私が陽くんと出会ったのは二年くらい前です。別れた彼氏がストーカーになって、困っていた時に、たまたま助けてくれたのが陽くんだったんです」
その時はすでに工務店に働いて、生活の基盤がしっかりしていた頃らしい。灯さんから見た陽は、ユーモアのある、魅力的な人だったのだという。
「単純ですよね。ストーカーに言い寄られてたところを助けてくれた陽くんはかっこよくて、ころっと行っちゃいました」
「想像できないなぁ。私の知るあいつなら、むしろストーカーの方に手助けしそう」
「本人もあとで言ってました。『らしくないことをした』って」
出会ってほどなくして付き合い始めた灯さんと陽。陽はよく自分はひどい人間だと言っていたらしい。
「友達もいなくて、家族からも見放されて、唯一話せる相手にもわがままにふるまって、俺はクズなやつなんだって、言ってました。でも、でもですね」
灯さんはベッドに乗っていた毛布を抱き寄せた。声が涙に濡れている。灯さんは泣いていた。嗚咽を上げることなく、話しながら、泣いていた。
「私にとっては、大切な人だったんです。私の知る陽くんの知り合いは、みんな彼のことをいい人だって言うんです。惜しい奴を無くしたって。なのに、なんで!」
灯さんは大きく息を吸い込んだ。
「どうして彼が死なないといけなかったんですか! どうして私の前に現れてくれなかったんですか!」
私は何も言えなかった。灯さんは毛布に顔をうずめて、肩を震わせていた。カーテンを閉めた部屋は薄暗い。数少ない本棚の背表紙が目に入った。
『結婚のすすめ~後悔しないための前準備~』
『大事な言葉をこっそり伝えたいときの言葉遊び』
『お金を貯めるために必要な十二のこと』
「あの馬鹿」
なんで死んでしまったんだ。あんな、誰もいないところで。結婚のことを考えていたなら、灯さんのことが大事だったんなら、ちゃんとそばにいてあげないとダメだったはずなのに!
陽へ思う感情はやっぱり怒りだった。私ははっきりと陽に怒っていた。
「……ごめんなさい。取り乱しました」
しばらくすると灯さんは泣き止んだようで、毛布から顔を上げた。陽が見つかった時から、何度も泣いているんだろうなと思う。
「陽くんと結婚するって話になってから、よくあなたの話が出てきました」
「私の?」
灯さんは力なく頷く。
「クズだった俺に付き合ってくれたたった一人の友達のために、最高のサプライズをしたいんだって。そのためにいろいろ準備もしてたみたいです。佳代は実は怖いものが苦手だから、怖い話でせめて、それからいろんなことを伝えるんだって、話してました」
「なら、陽があの崖で死んだのは」
私のせい?けれど灯さんは首を横に振った。
「わかりません。でも確かなことは一つだけあります。陽くんにとって、あなたは大事な人でした。それだけは信じてあげてください」
「……私は」
*** ***
*** ***
煮え切らない気持ちのまま、それからの毎日を過ごした。陽のことはずっと頭に残っていたけれど、次第に消えていく。陽は私にとって、もう過ぎ去った人間だったから。
二年が立ち、私は彼氏と結婚することとなった。両親も友達もそのことを祝福してくれた。だからだろう。私は久しぶりに陽のことを思い出した。
結婚式場の帰り道。彼氏の運転する車の中で、私はスマホに残っている陽からのメッセージを見ていた。
『今までごめん』
『Kayo Hunt』
この『Kayo Hunt』はどういう意味なんだろう。あとで知ったことだが、陽は崖から落ちた後、圏外と知りつつ、知り合いの全員に、長々とメッセージを送っていたらしい。感謝だったり、謝罪だったり。陽の両親含め、全員にだ。でも私のように、暗号めいたメッセージを受け取った人はいないらしい。
灯さんもこの暗号の答えは知らなかった。じっと眺めていると、信号待ちでスマホの画面に目を向けた彼氏が口を開いた。
「もしかしたら、アナグラムとかじゃない?それ」
「アナグラム?」
「そう。文字を入れ替えて、全く別の言葉にする言葉遊びのこと」
「そんなのあるんだ」
そういえば、陽の家にも言葉遊びの本があった気がする。家に帰った私は、パソコンを立ち上げて、アナグラムを作るサイトを開いた。
『Kayo Hunt』という言葉を打ち込んで、エンターキーを押す。一覧の一番上に出てきた言葉を見て、私は言葉を失った。
『Thank you』
「ばっかじゃないの?こんな……こんなくだらない」
ありがとう。それを伝えるためだけにこんな回りくどいこと。
馬鹿だ。陽は大馬鹿野郎だ。私の知る大沢陽は大馬鹿野郎のクソ野郎だ。でも、
「この……馬鹿」
私の目からとめどなく、涙がこぼれて止まらなかった。
これにて完結となります。ここまで読んでいただきありがとうございました。ジャンルホラーなのに、ホラー要素が少なくてごめんなさい。
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