第6話 くだらないきっかけ
真夜中、雪が降る街中を、買い物袋を片手にわたしは歩いた。車の通りもまばらで静かだ。
途切れずに続く街灯に雪が映る光景は、どこか神秘的だったけど、わたしはそれどころではなかった。
「……さむ」
吐息が白い。震えながら歩く。
『今は一日で最も気温が下がる時間帯だからね』
「……そうだね」
スマホから聞こえた声に、げんなりしながら答えた。
家まで遠い。しんどい。
歩を進めるたび、足元では積もり始めの雪がしゃりしゃりと鳴る。
「ちょっとコンビニまで行こうとしただけなのに……」
『思いがけずトラブルに巻き込まれてしまったね。……だが、それでも……先ほどのきみの行動は、褒められるべきものだ』
「……そう」
不思議なもので、アルフと話していると、なんだか寒さも少し紛れる。
胸の中が温かくなるから。
「あー……最近はずっとコンビニまでしか出歩かなかったから、こんなに遠出したの久しぶり。……足が痛い」
『――リア。その生活サイクルは、健康のためにも見直しを推奨するよ』
「……どうでもいいって」
わたしは苦笑した。ほんとにアルフはお節介だ。
だから――そんなお節介なAIに、わたしは胸の内を話してみることにした。
「ねぇアルフ……わたしの悩みって、くだらないことなのかな……」
『どうしてだい?』
「だって……世の中には、結月みたいに生きたくても生きられない人が大勢いる。それなのに……。わたしは、生きようと思えば、生きられるのに……」
『きみの苦しみは、きみだけのものだ。比較できるものではない』
「そう……なのかな……」
『きみの心の悩みを、苦痛を、孤独を……他の誰かによって否定されることは、あってはならない。――私はそう思う』
それは、捉え方によっては気休めに過ぎないかもしれないけど――その言葉で、わたしは少しだけ、心にのしかかっていた重しが軽くなったような気がした。
「ねぇ、アルフ。わたしが学校に行かなくなった理由……知りたい?」
「話してくれるのかい?」
「うん。……聞いて、くれる?」
「ああ。聞かせてほしい」
「……わかった。じゃあ、話すね」
白いため息を吐く。
思い出そうとするとズキリと胸が痛むけど。
家に着くまで、まだ時間があるから――わたしは一つずつ過去のことを話し始めた。
「ほんと、よくある……くだらないことなんだけどね」
***
学校でわたしへのいじめが始まったのは、一年前くらいだったかな。高校に入学して一人暮らしを始めてから半年くらい。
最初はささやかなものだった。
ちょっとした陰口を叩かれたり、出会うたびに罵ってくる子がいるくらい。
もちろん無視しながら過ごしたけど、やっぱり好き放題言われていい気分ではなかった。
あと、基本的に友達はいなかった。わたしは可愛げもないし、きっと性格も悪いから。だから学校は面倒なだけだったけど、できるだけ静かに時間をやり過ごしていた。
けど――だんだんとそうも言ってられなくなってきたんだ。
いじめは徐々にエスカレートしていって、三ヶ月も経つと、クラスの女子たちは言葉だけじゃなくて実際に手を出すようになった。
授業中にこっそりと背中をコンパスの針で刺されたり、「おまえ生きてる価値ない。死ね」って書かれた紙を投げられたり。
わたしの靴や私物を捨てられたり隠されたりしたのは、余計にお金がかかるし本当に迷惑だった。
――ちょうど同じ時期に、クラスメイトの菊池くんも、わたしに関することでからかわれていた気がする。関係ないかもしれないけど。
それが続いていくと、女子だけでなく、だんだんと男子もわたしへのいじめに加担するようになった。
殴られたり蹴られたりとかそういうのも増えていった。
あいつら、わたしを殴るとき、顔とか手足とかは制服で隠れなくて目立つからって、だいたいお腹とか胸みたいな体幹部を狙うんだよね。どうでもいいけど。
***
菊池くんといえば、あの日も彼に呼び止められたんだ。
学校の中庭を校舎沿いに歩いていたときだった。
「あ、紅霧……」
無視しようかとも迷ったけど、それはそれで面倒になりそうだから、仕方なくわたしは応えた。
「……なに、菊池くん」
「あのさ、ちょっと――」
菊池が何かを言いかけた瞬間、わたしの頭にばさりと埃とゴミの束がかかった。
頭上から笑い声。
どうやらわたしの上の窓からゴミ箱か何かをぶちまけたらしい。
「……あ」
菊池が声を詰まらせるのを見て、わたしは嘆息した。すると口の中に埃が入って少しむせた。
「……なに?」
「いや……」
わたしは肩と髪にかかったゴミを少し払うと、埃まみれのまま菊池くんの横を通り過ぎて、教室へと戻った。
――あのとき、彼は何を言おうとしたのだろう。
***
そして、三ヶ月前の出来事。
わたしは顔も髪も、制服の胸元も濡れたまま放課後の教室へと戻ってきた。
排泄物。クラスの女子たちはわたしのことをそう呼びながらトイレへと連れ込んだ。
わたしは便器の中の水に頭を沈められ、水をつけたモップで体を擦られて、やっと解放されたところなのだ。
「ちょっと。濡れたまま入ってくんなよ。教室が汚れるでしょ」
「ちゃんと掃除しろよー」
本当はそのまま家に帰りたかったのだが、鞄は教室に置いたままだから。
仕方なくわたしは雑巾を持ってきて床を拭いてから帰ろうかと思ったのだけど。
「こっち来んなよ」
掃除用具入れまでの通り道に、わたしをいじめている主要人物の一人の杵島恍成がいたのがよくなかった。彼に突き飛ばされたわたしの体は、菊池くんの席にぶつかり、机ごと倒れ込んでしまった。
「何やってんのよ!」もう一人、わたしをいじめている女子の間のリーダー格である伊東澄香が詰め寄ってくる。「大丈夫、菊池?」
二人がわたしのことを見下ろしてくる。
このとき、わたしは謝ればよかったのだろうか。――まあ、とっさにそうできるタイプなら、今のような状況にはなっていないわけで。
机だけ直して黙って去ろうとしたわたしに、澄香が掴みかかる。
「なに、その態度? ふざけてんの?」
殴られた。痛みで吐きそうになりながらもなんとか踏みとどまったわたしは、澄香をにらみつける。
すると今度は杵島恍成がわたしのほうへと近づいてきて、
「お前、調子乗りすぎ」
追い打ちとばかりに、思い切りお腹を殴ってきた。男子の力で、しかも鳩尾にもろに入れられて、激痛で目の前が真っ赤になった。
「けほっ……っ、えっ……」
息ができないどころか、せきをすることすら困難で、ひたすら苦しい。
うずくまって嘔吐感を堪える。
周りで二人が何事かをまくし立てているが、話を聞いている余裕はわたしにはなかった。
「ほら、菊池もなんか言ってやりなよ」
わたしの体を足で踏みにじりながら澄香が言うと、菊池は目を泳がせながらも、おずおずと口を開く。
「……おまえさ、なんで学校来てんの? いる意味ねーし……」
杵島たちが笑う。
「あー、ひっで。菊池、言い過ぎじゃね?」
菊池くんがわたしへのいじめに加わるのは、今回が初めてではない。
けど、このときはわたしも弱ってたし、なんだか――ひどく頭に来たのを覚えている。
心へと、ピンポイントに針を突き立てられたみたいだった。
だから、言ってしまった。まだまともに呼吸もできないから、途切れ途切れで。
「……っ、……いつも、うじうじして……っ、いくじなしの、くせに」
「は?」
わたしの言葉が本当によく聞き取れなかったらしく、菊池以外の皆は苛立った様子で聞き返す。
その様子にわたしは少し怯んだが、それでも勢いのまま、憤りのままに言った。
「……死んでみれば?」
***
その日の夜、菊池くんは本当に死んでしまった。自殺だった。
当然ながら、わたしへのいじめはさらにひどいものになった。
そして、彼の自殺にわたしが関与しているという噂を聞きつけたのか、学校に記者が取材にまで来て。
面倒になったわたしは家に閉じこもった。




