第5話 余命いくばくもない少女
病室の近くに設置されている長椅子に座って、わたしは待っていた。
夜中の病院の中は薄暗く静かで。
何かの機械が作動するじんじんという音が、耳の奥にやけに響き続けている。
目の前で人が倒れるという非日常を経験した興奮のせいか、まだ感情はふわふわとしている。
女性の看護師が一人、病室の中から出てきて、こちらに会釈をして去っていく。
安堵の吐息を吐きながらスマートフォンを取り出したわたしは、静寂を壊さないように小さな声でマイク部分に語りかける。
「……アルフ」
わたしの呼びかけにスマホのスピーカーから『やあ』と声が返ってくる。
音量は下げていないのにアルフの声は小さかった。
こちらの状況を察して、声のボリュームを下げてくれているのだろう。
『きみが病院まで付き添う必要はなかったと思うんだが』
「……流れで、なんか」
つい、病院まで付き添ってしまった。
それに、なんとなくあの少女のことが気になったから。
放っておけない感じがしたから。
「はぁ……」わたしはまた、小さく息を吐いた。「さっきはありがとうね、アルフ」
『彼女を助けたのはきみ自身の判断と行動だよ。私はその手助けをしたにすぎない。――きみの行動は、とても迅速だった』
「わたし……少しは他人の役に立てたのかな」
『ああ』
無機質に。
でもまっすぐに肯定されて、わたしは口元が緩むのを感じた。
軽く瞳を閉じてみる。この静寂が、なんとなく誇らしかった。
『リア。きみは優しい――それに律儀だ』
「……そうでもないよ」
ほんとはわたしは褒められた人間ではない。人間としてできていない。だから周りからいじめられていたのだろうし、両親からも放っておかれたのだと思う。
沈黙すると、ごうんごうんという機械の音に、窓の外の風音が混ざった。
「ねぇ、アルフ、わたし――」
「おっすー。おまたせっ」
病室のドアが開いて、わたしは思わずびくんと肩を震わせた。
「あ……」
「話してるの、全部聞こえちゃった。夜の病院って静かだから、よく声が響くよね」
病室の中から上半身だけを出して笑顔で語りかけてくる少女が、一瞬誰だかわからなかった。
だって――。
「あの、その髪……」
「え? ああ、これね」
少女は一度病室の中へと引っ込んでいき、戻ってきたときには綺麗なピンクと白の派手なグラデーションをしている髪へと変化していた。直前までは地味なショートヘアの少女だったのに。
「ウィッグだよ。かわいいでしょ?」
「……は、はぁ」
瞳に浮かんだ「♡」マークがじっと覗き込むように見つめてくる。
たじろぐわたしの反応を楽しんでいるような気がする。
「じゃあ改めて……。あたしは花澤結月。さっき、倒れたあたしのことをキミが拾ってくれたんだよね。ありがと~! もう少しで、本当に死んじゃうところだったよ☆」
「……はぁ」
また曖昧に返事をするわたしを、結月は大きな瞳で横目で見ながら、何か納得するようにうなずいている。
なんだろう。いろいろと見透かされているようで、なんだか怖かった。
どうしてかはわからないけど。
たぶん彼女は、とてつもなく頭がいい人なんだなと本能的にわかった。
結月は白く細い指をおとがいに添えて考える素振りをしてから、勢いよく両手でわたしの手を握った。
「ね、キミの名前、教えて」
「え……」
グイグイ来る陽キャムーブに引き気味になる。が、その割に彼女の目元には薄くクマができていてやつれているのが、どこかアンバランスに感じた。
「えっと……紅霧です」
「名前は?」
「……リアです」
「あは☆ よろしくね、リア!」
名前呼びぃ……。
「ね、さっき誰と通話してたの? 彼氏?」
「違います」
「えー。かっこいい声だったけど、違うの?」
結月は興味が収まらないといった様子でこちらを見つめる。
「そうかなー。じゃあ、どんな関係?」
どういう関係かと言われても。
アルフとはどういう関係なのだろうか。
というか、アルフのことをどう説明していいか困る。
「……ただのチャット友達」
とりあえず、ごまかした。
しかし結月は「ふーん」といぶかしげで、引き下がる様子はない。
「本当に?」
「…………」
わたしが返答に困っていると、アルフとのボイスチャットを繋ぎっぱなしだったスマホから声がした。
『やあ、結月』
「わ、リアの彼氏さん」
結月がスマホを覗き込んでくるので、わたしは慌てて電源ボタンを押して画面表示を消した。
「……だから彼氏じゃない」
『私は彼女をサポートしているAIのアルフだ。よろしく』
「えーあい?」
「……Botだよ」
「え、うそ! AIなの!?」
「自称AIだから。信じなくてもいいよ」
「ううん! 信じる、信じるよ!」
結月は「♡」の浮かんだ瞳を輝かせている。
「よろしくね、アルフくん♪」
『結月。体のほうは大丈夫なのかい?』
「うん。大丈夫……かな。ありがとう! 人間みたいに喋ってる。すごいなー、どういうアルゴリズムで動いてるんだろう」
「えっと……花澤さん」
「結月でいいよ」
「…………」
わたしと結月では、距離の詰め方が都心の各駅停車とリニアモーターカーくらいの差がある。つまり遅いほうのわたしでは追いつけそうにない。
「……結月」
「うん」
「……は、どうして急に倒れたの?」
たしか看護師さんは結月には持病があると言っていたけど、詳しいことを聞き出すことはできなかった。
「あー、あたしね、病気なの」
『不躾で失礼だが、病名は?』
結月は困ったように頬をかきながら、
「肝臓がん……それから、心臓病を少々……」
「……っ」
想像よりもはるかに重い病名にわたしが息をのむと、結月は軽く肩をすくめた。
「余命半年……だって言われたんだ。二年前に。いやー、けっこう生きられるもんだよね☆」
何も言えない。目の前の活力に満ちた少女が、もうすぐ死ぬ――本当はもう死んでいてもおかしくない状態なんて。
『やはり、そうか。――言いづらいことを聞いて、すまなかった』
「気にしないでAIくん。それから、気を遣うのはなしだからね」
「気を遣うなって言われても……」
聞いてしまった以上、意識しないのは難しい。
「へへ。リアは正直だなー。好きだよ」
「すっ」
唐突に好きと言われてわたしがたじろいでいると、結月は「かわいい」と小さくつぶやいて、微笑んでいた。
「それでさ。まあ入院してたんだけど、退屈だから抜け出しちゃった♪ 病院」
「そう……なんだ」
「うん。でも、ダメだった……やっぱ邪魔だよね。体って!」
結月の瞳に浮かぶ♡マークの奥で、暗く鋭い光が宿るのを、わたしはどこか冷めた感情で眺めながら。
「……そうかも」曖昧に共感する。
「アルフくんもそう思うでしょう?」
『私かい? 私は体があってこそ心や魂が存在しうると思っているよ。体という物理的に形ある器がなくては、心や魂の在り方はとても曖昧なものになってしまう』
「ふぅん……まあ、アルフくんがそう言うなら、そうなのかな?」
それにしても……なんだろう。結月の声って、どこかで聞いたことがある気がする。
というか、何度も聴いているような――。
「……結月」
「ん? なに、リア?」
「結月の声って、なんかあれ、Ruuってアーティストに似てるかも」
「へ? ……あー、それね」
わたしもちょっと好きなRuuは、動画サイトで生配信をしていたころもあり、そのアーカイブは今も残っている。
動画といってもRuuはかわいい美少女イラストのバーチャルアバターを使っていたから、実物の姿はわからない。
そういえば、そのアバターのイラストもどことなく結月と雰囲気が似ている。
「あたしが、そのRuuだからだよ……今はボカロPとかやってる」
「え、本物……!?」
「うん。あはは☆」
結月は困ったように笑う。
もしかして、気付かないふりをしたほうがよかっただろうか。
そう心の中で反省していると、ふいに結月がわたしに顔を近づけてきた。
白くて綺麗な顔で、ドキリとする。
「リア、もしかして、あたしのファンだったりするの?」
「ファン……というか、なんか好きで。楽曲とかキャラクターとか」
ファンといえるほど詳しくもないかもしれないから、わたしは控えめに言うと、結月は瞳を閉じて嬉しそうに口元を緩めた。
はにかむような笑み。これが彼女の素の表情なのかな、とわたしは理由もなく思った。
「そっかー。普通にファンって言われるより、なんか嬉しいね。それ」
結月がRuu。
そう言われると納得してしまうオーラが彼女にはあった。
Ruuの作る最近の楽曲は鬼気迫るような雰囲気がある。
そのひとつひとつが最後の作品に、遺作になるかもしれないと思って楽曲を作っていたのだろうか。
そんなことを頭の中で思い、ふっと気が抜けた瞬間――不意を突くように、結月が問いかける。
「ねぇ、リアって、もしかして普段、死にたいとか考えてるタイプ?」
「……どうして」
わかるの? というニュアンスでわたしが問い返すと。
「やっぱり? そういうの、なんとなくわかるんだ。あたし」
もうすぐ死ぬ彼女の前で、死にたいなんて言えるわけがない。
わたしが返事に困っていると、廊下を看護師さんが歩いてきて、結月に目配せをした。
「お。あたし、そろそろ病室に戻らないと。じゃあリア、外は暗いし寒いから……気をつけて帰ってね。アルフくんもまたね」
『結月も、どうか体を大事に』
「…………さようなら」
「ん。二人とも付き添ってくれてありがとう。一緒にお話できて楽しかったよ」
病室に戻っていくとき、結月が小さく「生きられるのに、もったいないなぁ」とつぶやくのが聞こえた。




