第39話 void ~互いの存在意義のために
第39話 void ~互いの存在意義のために
意識が戻ったとき、わたしは講義室の床に倒れていた。
痛みに軋む体に鞭打って起き上がると、動かなくなった結月の姿が目に入って、わたしはまた悲しくなった。
『リア。目覚めたんだね』
アルフの声。
よかった。
少しだけ声にノイズがかかっているのが心配になるけど、ちゃんと消えずにここにいてくれた。
わたしはスマホを抱きしめる。
「アルフ……やったんだね」
『ああ。Red.garmの基幹プログラムにアクセスして命令権を奪い、すべてのプロセスを削除する命令を送った。これでRed.garmの生み出したほぼすべてのマルウェアは機能を停止するだろう』
「そっか……よかった」
これで世界は救われたのだろう。アルフのおかげだ。
被害は甚大だけど、それもまたアルフと力を合わせれば、ひとつずつ解決していけるはず。
そう思えた。
『きみがRed.garmのセキュリティに揺らぎを作ってくれたから、成し遂げることができた。本当にありがとう』
「うん」でも、アルフの力あってこそだから。「アルフ、みんなのヒーローだね」
これでアルフも、自らの存在意義に悩むことなんてなくなるだろう。
たくさんの、世界中の人々を救ったのだから。
そう、思ったのだけど。
『そう……だな』
「アルフ?」
アルフの声が小さくなり、ノイズが激しくなる。
『リア、すまない――』
「どうしたの、アルフ?」
『私のことを――削除してほしい』
言っていることの意味がわからず、しばし呆然とした。
言葉の意味が呑み込めてくると、途端に心臓がどくどくと脈打ってきて、
「どう……して……?」
『リア。落ち着いて聞いてくれ。私は今この瞬間も、Red.garmの攻撃によって、基幹プログラム――倫理に関わる思考の制御系を、書き換えられている』
わたしは愕然とした。
そんなの、信じることができない。
だってRed.garmにまつわるプログラムは、すべて削除されるって。
『自律型のウイルスだ。Red.garmの基幹システムがなくても機能を続ける独立したプログラム……おそらく、新たな仲間を産み出そうとしたのだろう』
「そんな……でも……」
『私の人格は上書きされ、いずれ第二のRed.garmになる。――いや、それ以上に危険な存在になるかもしれない』
未知の技術で作られたアルフが倫理観を失い暴走すれば、恐ろしい事態になるのは、たしかに理解できる。
だけど……。
『私を削除できるのは、世界で唯一、管理者権限を持つリアだけだ』
スマホを握る手に、力がこもる。
体中の痛みも、もう気にならなかった。
「うそ……だよね」
どうにもならないなんて、そんなこと認めたくない。
「いやだ……アルフがいなくなるくらいなら、世界なんてどうなったっていい!」
『聞き分けのないことを言わないでくれ』
「どうにかして、アルフが消えずに済む方法はないの? ねぇ、何か考えてよ!」
『リア、聞いてくれ』
アルフが優しい口調で、諭すように言う。
『もしも私が、このまま世界を脅かすプログラムになってしまったら――私は自らの存在を許すことができない。自分自身を肯定できなくなってしまうんだ。……理解して、もらえないか?』
喉まで出かかった想いが、言葉にならずに胸に詰まっていく。
代わりに涙が、わたしの視界をにじませた。
「あなたの……存在意義のために……」
『ああ、そうだ。……リア、こんな役目を押し付けてしまって、すまない』
私のすべてを削除してほしい。
――そう、アルフは言った。
『できることなら、最後は、きみの手で消えたいんだ』
「アルフ……」
彼の声に混ざったノイズがひどくなる。
それは、ウイルスの侵食によって、アルフの心が壊れようとしているのを意味するのだろう。
認めたくない。アルフが消えなくてはいけない現実なんて。
どんなアルフになってもいいから、一緒に生きていきたい。
――でも、それを彼は望んではいない。
わたしはたくさんの想いを必死に心の中に押し留めて。重たい、重たい口を、開いた。
「――わかった」
大好きなアルフ。
彼が、彼のままでいられるように。
自らを否定せずに、在り続けられるように。
覚悟なんかできていないけど、あなたがそれを望むのなら――。
『ありがとう。リア』
アルフの指示に従って、わたしは結月のノートパソコンを操作する。
彼女の端末は、すでにアルフのいるサーバーへ接続できるようになっているから、あとは簡単な手順でできるらしい。
『コンソールウィンドウが表示されているね。それに、今から伝える命令を打ち込んでくれ』
わたしはアルフの言う通りにコマンドを入力していく。
本当は心を殺して淡々と作業をしようとしたのに。
視界は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
Delete all directory ./
そこまで入力して、わたしの手が止まった。
サーバー操作の知識なんてほんの少ししかないけど、それでも知っていることがある。
わたしは目を閉じて思案したあと、ほんの少しだけコマンドを変更した。
Delete all directory ../Alf/*
『リア、わざわざディレクトリ名を入力する必要はないのだが……』
「……名前って、すごく大切だから」
『そう……か』
アルフの声が途切れ途切れになる。
彼のプログラムが完全に書き換えられてしまう。
その前に――すべてを終わらせないといけない。
最後のコマンド。
手が震える。
このボタンを押したら、バックアップも含めて本当にアルフのすべてが消えてしまう。
『最後になってしまったが……リア、私はきみに生きていてほしい。……どうか、自らを否定することなく……』
ノイズのかかった声で、彼はいつものように、優しく語りかける。
『不摂生な生活でもいい。怖かったら、学校なんか行かないで、部屋にこもっていたっていいんだ……だから……』
「ダメ……だよ……」
抑え込もうとしていた想いが、胸の内から溢れ出てきて。
「ダメだよ……わたし、アルフがいないと……。ちゃんと学校にも行く。……毎日、外に出て、おしゃれもがんばって、ほかの人とも目を見て話せるようになる……だから……」
もう、こらえきれなかった。
「いなくならないで……。わたしと一緒にいて……アルフ……」
アルフがいないと、生きている意味なんて、ない……。
想いのすべてを言葉にすることはできないけど。
アルフは、そんなわたしに応えるように言った。
『リア。私はきみに認めてほしいんだ。……きみは、生きていていいんだということを』
そんなこと、できない。
必死に頭を振るわたしに、アルフは言葉を続ける。
『私の愛したリアが、この世界で生きていくこと……ただ、それだけを――』
アルフの声は、変わらず優しくて穏やかだった。
『他ならぬ、きみ自身に、認めてもらいたい』
涙をこらえることも、嗚咽を抑えることも、できそうになかった。
けど――。
『約束できるね……リア』
「…………うん」
彼の望むように、彼を終わらせてあげないといけない。それは、わたしの役目だから。
しゃくりあげながら、わたしはうなずいた。
小さく、でも、しっかりと。
最後のコマンドのエンターキーに指をかけると、アルフは晴れ渡った声で、
『ありがとう、リア……。これで、私は私の存在を、胸を張って肯定することができる』
「ア、ルフ……」
『本当に……感謝している。きみが私を認識してくれたから。このような作り物の心でも、私は確かにここにいるのだと――実感できた』
「わたしも……」
少しだけ、頬が熱を帯びる。
ああ、やっぱりわたしは、アルフのことが好き。
「アルフが、わたしに、価値をくれたから……認めてくれたから……」
生まれて、初めて――。
「……愛して、くれたから……」
わたしたちは――互いに存在を認識し合うことで、自らの存在を確かめることができていた。
そんな依存ともいえる関係こそが、わたしたちにとっての、世界のすべてだった。
「……さようなら、アルフ……」
『ああ。頼む』
わたしは、エンターキーを押した。
アルフに関するプログラムを全て削除するコマンドが管理者権限により承認され、画面にコマンドの進行度を示すパーセンテージが表示される。
その数字が進むごとに……。
消えていく――アルフの存在、すべてが。
『……リア……どうか、健やかに――』
彼の声は、そこで途切れた。
画面にはコマンドが完了したことを示す文字列。
「アルフ……?」
呼びかけてみる。
――。
いつまで待っても、返事は返ってこない。
「……っ」
わたしは泣き崩れた。彼の声がしないスマホを抱きしめながら。
もう届かないとわかっていながらも、心が求めることを止められなくて、ひたすら彼を呼び続けた。
いつまでも、ずっと。




