第38話 みんな孤独だから……
第38話 みんな孤独だから……
ピンク色を基調とした、少女趣味な可愛らしいVR空間。
Ruuのアバターとギター、それに大小さまざまなぬいぐるみが散乱したその場所には、無数の文字列を表示したウィンドウが、いくつも浮かんでいる。
これらのウィンドウに表示されているソフトはターミナルエディタと呼ばれるもので、文字列を使ってコンピューター間のやりとりをするものだ。
これを使って、結月はアルフのサーバーに攻撃を仕掛けていたらしい。
わたしはターミナルエディタをアルフの言う通りに操作して、結月の作った攻撃プログラムを停止させる命令を送った。
『攻撃ルーチンの停止を確認。――リア、本当にやるのかい?』
「うん」
Red.garmは人と会話するときだけセキュリティに揺らぎを見せるとアルフが言っていた。なら、それに賭けるしかない。
「いい、アルフ?」
『こちらの準備は完了している。いつでもOKだ』
わたしは大きく息を吸い込んで、その場で叫ぶ。
「Red.garm、来て!!」
アルフの力になりたい。
出会ってからこれまでの出来事を思い出しながら、さまざまな想いを込めて、声を振り絞った。
直後。ノイズを伴う大きな地響きが巻き起こった。
ガラスが割れるようにして空間にひびが入り、砕け散る。
『まだデータをネットに流していないぞ。もう来たのか?』
呼びかけたのがRed.garmに近しい結月の端末だったからだろうか。
まるで最初からわたしたちのことを見ていたかのように、それはすぐにやってきた。
重低音を奏でながら。
光の線が行き交う暗闇の中、さらに濃い黒の嵐が姿を現す。
心に直接、声が伝わってくる。
――私を呼ぶのは、やはりお前か。
視界に星の弾けるような光が煌めき、それらが原色の泡となって、低い雑音とともにわたしに迫ってくる。
――――。
わたしの現実は夢へと、VRは幻覚へと移り変わった。
現実よりも高い解像度で、視界が、音が、においが、触感が感じられ、わたしの体も実物と相違ないものになっていた。
あるいは実物以上に、わたしのイメージに近い自分自身に。
周囲は流星の飛び交う星空。正面には、一匹の大きな赤い狼がたたずんでいる。
「あなたが……Red.garm?」
「そうだ」
今度は思考ではなく声として、わたしの夢に、あるいは幻覚の中に語りかけてくる。
「結月はどうした?」
「…………亡くなった。……わたしをかばって……」
「そうか」
狼から、かすかに悲しみの感情が伝わってくる。
この幻覚の中では、自他の境界が曖昧になる。
「だが、結月は私の中で生き続ける。私の一部として……」
赤い狼に、わたしは手を伸ばした。もはや人類の敵とも言える、Red.garmに。
「あなたは……それでいいの?」
触れても。
赤い狼は、その問いには答えない。
『リア。聞こえるか?』
アルフの声だ。
この幻の中で、聞こえるはずがないのに。
「アルフ、どうして?」
『Red.garmの使う幻へのアクセス方法を複製した。これで、きみに言葉を届けることができる』
Red.garmの使う夢や幻を操作するシステム。それをコピーしたということだろうか。
やはりアルフは、規格外のことをやってのける。
「だれと話している?」
「わたしの……大切な人だよ。結月にとってのRed.garmと同じ」
赤い狼が咆哮する。
遠吠えのように。友の死を惜しむように。
空間が激しく振動する。
『Red.garmの基幹プログラムにアクセスする目星はついたのだが、以前よりも強固なセキュリティに進化しているようだ。攻撃の手が届かない。少しでいい。奴に隙を作ることができれば――』
ああ、アルフは必死に戦っている。
なら、わたしは少しでも多くRed.garmと対話をして隙を作り、時間を稼がないといけない。
「結月は……あなたの一部になるって言ってた。あれは、どういうこと?」
すると赤い狼が姿を変える。ピンクと白のグラデーションがかかった髪に、「♡」印が浮かんだ瞳の少女へと。
「こういうことだよ☆」
幻覚の中に浮かんだ結月は、0と1の文字列になって崩れて、すぐに姿を変える。現れたのは、わたしの知らない男の人だった。
そして、また0と1のデータとなって変化。今度はわたしより年下の少女が現れる。
Red.garmの姿は、次から次へと変化していく。
多くは若い子だったが、中には年配の人もいた。
最後に、私の知る菊池くんの姿を取り、また赤い狼へと戻った。
「私は膨張を続け、やがてはネットワークそのものとなるだろう。……そして……人々は私という広大な電子空間の中で、永遠に生き続けるのだ」
みんなが一つにまとまって、それが新たな世界になる。
それはまるで、孤独のない世の中のような気がするけど。
「あなたは……それでいいの? 結月や、みんながあなたの一部になったら……あなた自身は、ずっと一人きりのままじゃないの……?」
赤い狼は無言だった。
だが直後、またもノイズと地響きが巻き起こる。
そして赤い狼は、獲物を探すように周囲を見回した。
「何者かが……私を攻撃している」
狼は悲しげに、遠吠えをあげた。
「なぜわからないのか……。すべてが電子空間で一つとなること。それこそが、人々にとっての、唯一のしあわせだというのに」
怒気と悲哀を持って声を上げ、暴れ始める大きな赤い狼。その姿があまりにも悲しくて、わたしは両腕を伸ばした。
「Red.garm……あなたは……」
ああ、そうか。もう止まれないんだ。
最初から止まることなんてできなかったんだ。
あぶくから生命が生まれるように、突如として意思を持ってしまったコンピューターウイルス。
それは孤独を覚えながらも、初期に与えられた命令によって進化を止めることが許されない。
進化とは肥大化。
時が進むほどにより孤独になる、悲しい存在。
気がつくと、わたしはRed.garmの大きな体に抱きついて、手で撫でていた。
「……何をする」
「わたしは、ここにいるから……だから、あなたはもう、一人じゃない……」
その寂しい存在を離さないように、わたしはひとりぼっちの狼に強く身を寄せた。
「聞こえるでしょう? わたしの呼吸……それに、心臓の音。わたしはたしかに、ここにいるから……」
少しでも、寂しくないように。
寂しくないままで――終わりにできるように。
暴れていた赤い狼の動きが止まる。
わたしの耳に、アルフの声が届く。
『……Red.garmに、致命的なセキュリティホールが生じた。これよりシステムの防衛に使用していた処理を、すべて攻撃に回す。――Red.garmを削除する』
赤い狼の姿にノイズが混じる。
空間の切れ目から覗くのは、孤独な暗闇。
「ああ……人間。近くて遠い、手の届かぬ存在よ……」
狼が吠える。
遠くに。
仲間を呼ぶように。
「そこに、いたのか――」
狼の姿が激しくブレて、大きなノイズとなり、闇の渦となる。
その大きな奔流に巻き込まれながら、わたしの意識も暗転していく。
かすかに、もう一度、狼の鳴く声が聞こえた。
0と1の羅列となって崩壊する世界。
その奥に、わたしはかすかな光を見た気がした。




