第34話 ただ、彼のために……
Kazのいる病院は、以前、わたしが結月を救急車で送って、そのまま徒歩で帰ってきたところだった。
GPSもあてになるかわからない今の状況では、Kazが迷わずにわたしの家までたどり着けるかわからない。
アルフに案内してもらえば問題ないだろうが、今は彼に無駄な負荷をかけるわけにはいかない。
だから、わたしは着替えもそこそこに家を飛び出した。
「Kazくん、わたし、すぐ病院まで行くから待ってて!」
『う、うん……リアちゃん、本当に大丈夫――』
瞬間、ブツリとKazとの通話が途絶えた。CobalTの表示を見ると、登録した連絡先の全員がオフラインになっている。
『どうやらCobalTもやられたらしい。チャットソフトはほぼ全滅だ』
アルフはわたしのスマホに直接アクセスを仕掛けているから会話ができるが、これでKazとは実際に会うしかコンタクトを取る方法がなくなった。
『Kazと回線を繋ごうか?』
「いい。わたしが直接行くから、アルフはとにかく攻撃への対処を」
『了解』
「ナビゲートもいらない。……集中して」
わたしの言葉を聞き入れたように、アルフはそれ以上、声をかけてこなかった。
病院までの決して短くない道のり。
記憶を頼りに、雪の中をわたしは走る。
「はぁ、はぁ……」
だけどわたしの貧弱な体は、二十秒も走ったら息が上がってしまった。
当然、目的地まではこの何倍も距離がある。
昼から歩きっぱなしだったこともあり、すでに足の筋肉が悲鳴をあげている。
それでも走るのはやめなかった。
およそ三百メートルくらい走っただろうか。
病院までの距離はおよそ三キロ。
まだ先は長いのに、足がもつれて転びそうになる。
脇腹が痛くなり、心臓がバクバクと鳴る。
前のめりに倒れるようにして、わたしは全力で駆けていった。
「わああああッ!!」
いつの間にか、わたしは叫んでいた。
周囲には車の通りこそ少なくなったが、まだ事故の後処理などが頻繁に行われている。
Kazの車が問題なく通行できるのか不安になったが、今はそんなこと考えていても仕方ない。
走って、走った。
顔が熱い。胸が苦しい。フードを脱ぎ捨てて、コートのボタンを外す。
酸欠でわけがわからなくなる。
それでも、鉛のように重い足を前に運び続けた。
凍った地面で滑って転び、痛みの中、気力だけで起き上がって走り続ける。
永遠とも思える十数分が過ぎ、ようやく見えてきた病院。
その入り口には、車椅子に座った一人の男性がいた。
「わっ。きみ、大丈夫?」
声をかけようとした瞬間、わたしは力尽きて前のめりに転びそうになった。
すると男は素早く車椅子を動かして、わたしのことを両手で受け止めてくれた。
「すみません……」
なんとか自分の足で立とうと思ったけど、力が入らない。
乱れた呼吸はぜんぜん収まらない。
抱き止められた体勢のままで恥ずかしい。
それでもまずは用件を伝えないと。そうわたしが焦っていると。
「もしかして……リアちゃん?」
関西訛りの入った、少し鼻にかかった声で尋ねられて、わたしは顔を上げた。
スーツを子綺麗に着こなした男は、顔が片側にやや傾いていて、鼻から口元が少しだけ歪んでいた。
「Kazくん……?」
「やっぱりリアちゃんや。初めまして、ていうのもなんかおかしいな」
そう言ってKazは人当たりのいい笑みを浮かべた。
「ムチャするなぁ。顔真っ赤やん」
「Kazくん、その脚……」
「ああ、せやねん。自分な、ちょっと病気で足が悪いねん。……ごめんなぁ、こんなナリで。想像してたのとちゃうやろ?」
「うん……」
たしかにイメージとはぜんぜん違う。でも――。
「わたしは、けっこう好みだよ」
「ほんま?」
「ほんま」
そう言うと、Kazはもう一度うれしそうにニカッと笑った。
白く生えそろった歯が覗く。
障がいを持つ彼だが、それに負けないという矜持を感じさせるような、清潔感のある印象の男の人だった。
「うれしいわぁ。本物のリアちゃん、べっぴんさんやな。それに優しい」
イメージプレイでは、互いに理想のパートナーを想像して楽しむものだ。
イメージより現実のほうがいいなんて、そうそうない。だからお世辞だと思うのだけど。
それでも、Kazにそう言ってもらえると、現実の自分を少しだけ受け入れてくれたようでうれしかった。
わたしが自分で立てるようになったことを確認すると、彼はそっと腕を離した。
車椅子を反転させて、駐車場があるほうへと体を向け、頭だけでこちらへと振り返る。
「時間もないことやし、さっそく車に乗りながら情報共有しよか」
「うん。……Kazくん、車運転できるの?」
ちょっと失礼な物言いだったかもしれないけど、オブラートに包めるようなコミュ力はわたしにはない。
自動運転が使えない今、手動で運転するしかない状況。
脚の不自由なKazでも大丈夫なのだろうか。
「福祉車両やからな。手だけで運転できるよ」
それから、わたしたちは移動しながら、互いに持っている情報を共有した。
Kazはリアと話した直後に警察に連絡をしようとしたが、繋がらなかったらしい。
電話回線はおそらく無事だから、単純に人手が足りてないのだろう。
ネット犯罪の専門組織であるサイバーフォースも回線が混み合っていて繋がらず。今の不確かな状況ではどこも頼ることができない。
Red.garmによる被害は世界中に広がっていて、一晩も経たないうちに社会が機能しなくなっているという。
車にたどり着いたら、続いてわたしのほうから廃データセンターでのRed.garmとのやりとりや、結月のことを話したところで、スマホのスピーカーからアルフの声が聞こえた。
『リア』
「アルフ!」
『結月の居場所がわかった。地図アプリを開いてくれ』
アルフの言うとおりにアプリを開くと、先ほどまで表示できなかったはずの地図が表示されていた。
『リアの端末の地図アプリを、ドメインを使用しなくても機能するように改造しておいた。対象の座標も地図にマーク。場所は高尾工科大学だ』
その学校名には聞き覚えがある。
たしか日本で唯一、スーパーコンピューターを有する情報・工業系の大学。
「遠い……Kazくん、ここまで行ける?」
「んー、今道路はカオスになっとるから、アルフのナビゲートが欲しいなぁ」
『了解だ。渋滞や封鎖された道路を避けるルートを割り出したから、地図の表示通りに進んでくれ』
さすがアルフ、仕事が早い。でもこちらにばかり気を取られて大丈夫なのか心配になる。
「アルフ、そっちの状況は?」
『防戦一方だが、持ちこたえている』
「そう……がんばって、アルフ」
『ああ。リアも事故を起こさないように』
「運転するのはKazくんだけどね」
「せやね。こら急がなあかんな。出発するから、シートベルトを」
アルフの状況が切迫しているのは口調から伝わってきた。
Kazは急いでエンジンをかけると、左手でレバーを操作して車を発進させた。




