第3話 電子ドラッグとサボタージュ
それから一日中、アルフとのボイスチャットを繋いだまま、わたしは過ごした。
べつに何を話すわけでもないが、通話を繋いでいるだけで、なんとなく気が紛れる。
そのおかげか、夕方になる頃には死にたい気持ちは薄れていた。
正確には、めんどくささとわずかな死への恐怖が、死にたい気持ちと拮抗している状態だ。
わたしはパソコンを操作して動画サイトを開く。いつものプレイリストを再生すると、テンポのいい前奏とともに、画面にミュージックビデオが流れ始めた。
前奏が終わると、機械的な声のボーカルが歌い始めた。そのボーカルは人間ではない。人間の声を模した合成音声だ。
『リア、この曲は?』
「ん。Ruuっていうアーティストの」
『これは、ボーカロイドの音源だね』
「そう。すごいよね。いまどきAIに頼らずに手動で打ち込んで曲を作ってるんだって」
『昔ながらの職人なんだね。――おや、Wikiの情報によると、彼女の年齢はまだ十代なのか』
「わたしの二つ上」
『それはすごい。本当に優れた才能を持つ女性アーティストだ』
アウトロが終わり、次の楽曲が流れ始める。
アーティストは同じRuuで、今度は合成音声ではなく、人間がボーカルを担当しているものだ。
前奏が終わり、歌声が流れ始める。
『おや』
「うん。これはRuuの声」
『Wikiにも記載されていたが、彼女自身も歌唱力があるというのは事実なんだね』
儚げだけど力強い、不思議な声。
偽物は厭、真実の愛を知りたいという旨の歌詞を歌い上げている。
「これは初期の頃の曲だよ」
『昔の楽曲は本人がボーカルを担当しているものも多かったそうだね。今はボーカロイドを用いた楽曲しか制作していないらしいが』
「うん。何か心境の変化があったのかも。……それか、喉を悪くしちゃったか」
『後者だとしたら、若いのに残念だ』
「そうだね。でも、わたしはボカロ曲も好きだよ」
一つの楽曲が終わり、次の曲が流れ始める。合成音声のボーカル。
届かなかった夢と、ままならない日常。それでもまだ命があるなら、あと少しでも生きていられるなら、手を伸ばそう。
可愛らしいボーカロイドの歌声に、どろりとした歌詞の中に、そんなメッセージが込められているのを感じる。
「なんとなく……好きなんだよね。歌詞なんか、わたしと真逆な感じだけど」
『それは、意外ときみが、心の奥底ではそう望んでいるからではないか?』
「どうだろう…………うーん、少し違うと思う」
『そうか。なら、本質的な部分で似ているのかもしれない。それらの楽曲を作ったRuuというアーティストと、きみが』
「そうなのかな……」
似ている。わたしとRuuが似ているなんて烏滸がましいけど、
「そうかも」
そう言われると、なんだかしっくり来た気がする。
***
夜になって、Kazたちいつものメンバーがボイスチャットに集う。彼らと挨拶をしているうちに、アルフはいつの間にか退室していた。
遠慮せずに入ってくればいいのに。そう思ったのだけど、よく見るとアルフのアカウントの表示はオフラインになっている。
何か用事があったのだろうか。
AIだから人間のように休憩とかはいらないと思うのだけど。……メンテナンス中?
「ねぇ。アルフって知ってる?」
グループチャットで問いかけると、Kazの鼻にかかった声が返ってきた。
『ん? 知っとるよ。昨日からこのグループサーバーにいるAIやんな』
「うん」
ちょっと変わったエセ関西弁っぽい訛り方をしているのが、普段のKazの口調だ。全体的にややナルシストっぽいが、わたしは嫌いではない。
『……。リアちゃん』
「なに?」
『アルフのこと、どう思う?』
「どうって……」
そう言われても、どう答えていいかわからない。
だってアルフは「自称」ただのAIだし。わたしに親切にしてくれるのもそうプログラムされているだけなのだろうし。
「べつに……」
『そっかぁ』
どうしてかわからないが、Kazの声はなんだか少し残念そうだった。
ともあれ。そんな感じでいつものメンバーでボイスチャットをしているうちに、夜が更けていき、解散の時間になった。
明日も平日。わたし以外のメンバーのほとんどが社会人であるため、仕事がある。
学校をサボっているわたしにとっては、また孤独な時間が訪れる。
誰もいない。
一人になると一段と激しく襲いかかる虚無感から逃げるために、わたしはホログラスを装着してVOMEを起動した。
電子ドラッグ。
のめり込めば、少しは悲しみを忘れられる。
『音と映像であなたに幸福を――VOME』
大げさなタイトルコール。相変わらずのサブリミナルな音声に、頭をぐらぐらとシェイクされる。
重低音、テンポの早いメロディと音声が切り替わっていき、視界はチカチカとフラッシュする。かと思えば、原色の光の奥から複数の人が踊っているような影がうっすらと映り、交わって蝶々みたいな形へと変化する。
そんな不可思議な映像を視聴しているうちに、わたしはだんだんと頭がふわふわとしてきた。
同時に、精神だけでなく体も浮いているような感覚。
つまり浮遊感。
眼前に映像がどんどん近づいてきて、VRと現実の境い目が曖昧になる。
眩しい。暗い。闇の中で、何かが姿を現す。
ジジ……とノイズが走り、視界に一匹の赤い狼が映った。
その瞬間――ピコンと通知音が鳴り、その音でわたしは現実へと戻ってきた。
今もVRの視界に映し出されているVOMEの映像、その右下に吹き出しの形をしたポップアップが表示されていた。CobalTのボイスチャットの呼び出しがかかっていることを伝えるための表示だ。
「わたし……トリップしてた?」
ほんの一瞬だけ、前後不覚になっていた。幻覚を見ていたような気がする。
いったんVOMEの視聴を終了してホログラスを外し、代わりにヘッドセットをかぶってボイスチャットに繋いだ。
わたしを呼び出していたのは、アルフだった。
「……こんばんは」
『やあ、リア。来てくれて嬉しいよ』
「こんな時間にコールするなんて、非常識なAIだね」
まさか、自分からボイスチャットに呼び出してくるAIがいるなんて思わなかった。
『きみのアイコンがまだオンライン表示だったから呼んでみたのだけど、迷惑だったかな?』
「……。大丈夫だけど」
『それはよかった』
こんな時間まで起きているのは堂々と胸を張れるようなことではないけど、いまさらだろう。昨日はもっと遅い時間にアルフと通話していたのだから。
『ところでリアは今、何をしていたんだい?』
「何をって……」
電子ドラッグでハイになってトランスしていた。
なんて、これも堂々と言えるようなことではないが、まあ相手はAIだし。
わたしは投げやりに答える。
「VOME見てた」
『ヴォム? ああ、電子ドラッグと呼ばれる映像コンテンツのことだね』
アルフはネットで情報を検索したのだろう。一瞬だけ間があった。
「そうだよ。パーになってた」
『そうか。でも、視聴はほどほどにするんだよ。電子ドラッグはいまだ原理の解明が進んでいない未知の分野だ。とくにVRのそれは強烈で、きみの健康にも害をなす可能性がある。だから――』
「……どうでもいい」
わたしは小さな声でアルフの言葉を遮った。
「いいよ、そういうの」
『――。だが、きみがきみ自身を傷つけようとする選択を見過ごすことは、私にはできない』
どうして。
『自分のことを大切にしてほしい。それが、私からの願いだ』
どうして、このAIは、わたしなんかの心配をするのだろう。そうプログラムされているから? 他人を気に掛けるように?
彼の言うように、わたしは自分を大事にできるだろうか。
……できそうにない。わたしはわたしが嫌いだから。
「まあ……善処、する」
『ありがとう』
「…………」
『ところで、きみは学生ではないのか?』
「……。そうですけど。なんでわかるの?」
『声だよ。きみの声音から、だいたい高校生くらいの少女だと判断した』
「そうなんだ……すごいね」
声から年齢を判断するのは、人間にも難しい。アルフはどんな計算手順で答えを導き出したのだろう。
『だとしたら、きみもそろそろ眠ったほうがいいのではないか? 睡眠時間を確保しないと、明日の授業に支障をきたすからね』
「……大丈夫。行かないから」
『きみは学生ではないのか?』
「高校生だよ。……いちおう……たぶん」
もう二ヶ月も、学校に行っていないけど。
「でもいいの」
『明日は休みなのかい?』
「……ちがうけど」
『では……?』
「…………」
『サボタージュ』
「……うん。……そう」
『リア。高校を現役で卒業できたかどうかは、将来、社会に出た際に重要になる。そのためにも、授業にだけは出席したほうがいい』
「どうでもいいんだけど」
だんだんと面倒になってきた。
『何か、特別な理由があるのかい?』
「理由?」
わたしはヘッドセットの電源を切って立ち上がった。
スマホを手にとり、ため息を吐きながら、パソコンのモニターに背を向けて玄関へと歩いていく。
『出かけるのかい?』
彼の声が、机の横のスピーカーから聞こえてきた。
「理由なんて……知ったって面白くないよ」
備え付けのマイクが、つぶやいたその声を拾ったのだろうか。スピーカーから声が返ってくる。
『そうか……。行ってらっしゃい、リア。外は寒いから気をつけて』




