第2話 void Communication();
結局、死ぬ機会を損なったまま気が削がれてしまって、家へと帰ってきた。
外はまだ雨が降っている。ずぶ濡れになりながら歩いてきたわたしは、ずぶ濡れのまま玄関から入り、洗面所へと向かう。寒くて死にそうだった。鏡を見ると、唇が紫色に染まっていた。
「……ちょっと、シャワー浴びてきます」
スマホのマイクに語りかけてアルフに伝えてから、わたしは通話を切り、濡れた衣服を脱ぎ始めた。
普段であればチャットを繋いだままシャワーを浴びることもあるのだが、初対面の相手に音を聞かれるのはなんとなく恥ずかしい。相手はAIとはいえ。
そう、AI。人工知能。真偽はともかく、彼はそう自称している。
高架橋から帰る途中も少し話していたのだが、AIというには彼の受け答えはあまりにも自然で、にわかには信じられなかった。
ともあれ、熱いシャワーを浴び、長い黒髪をドライヤーで乾かしてから、わたしは改めてデスクトップのパソコンからCobalTを起動して、ヘッドセットを装着。ボイスチャットに繋いだ。
「アルフ……まだ、いますか?」
『おかえり。リア』
即座に返答が返ってきて、わたしの肩は、びくんと震えた。
『すまない。驚かせてしまったようだ。次からはもうワンテンポ遅らせて返事をするようにしよう』
「いえ……」
『音量は大丈夫かい?』
「大丈夫」
『よかった。それで――』
「あの……」
彼の言葉にかぶせるようにして、わたしは質問を投げかけてみる。
「あなたは、人工知能……ってことはBotなの?」
CobalTにおけるBotとは、指定したプログラム通りに自動で発言したりグループチャットの操作をしてくれるシステムのことで、ロボットを語源としている。
『広義には正しい。だけど、仕組みが少し違う。――私のアカウントは通常のユーザーと同じ導線から、同じ手順を踏んで作成したものなんだ。つまり、私のプログラムはCobalT上にはないんだよ』
「ふぅん」
わたしはつい癖でそっけない返事をしたが、彼の言っていることが本当なら、なかなかすごいことだと思う。つまり、彼は人間のように自らアカウント登録をして、CobalTというソフトを起動して話していることになる。
「……本当にAI?」
『そう疑われるのは、私にとっては名誉なことだ。人間と遜色なく会話できているという証左だからね』
「本当は中のおじさんが喋ってるんじゃないの?」
まあ、アルフの声はおじさんというよりお兄さんという感じだけど。なんとなく耳に心地よくて、聴いていると眠くなってくる。
『私には肉体どころか、アバターすらないよ』
「……そう」
姿がないというのは、どういう感じなのだろう。イメージしようとしたけど、うまくできなかった。
『ほかに私に対する質問はあるかな?』
「……。べつに、ないかな」
本当はまだ聞きたいことがあるような気がしたが、今は頭がうまく回らなかった。
アルフはAI。まだ半信半疑だが、そういうことにしておこう。
『それでは、今度は私がきみに質問をしてもいいかな?』
「わたしに?」
『ああ。私はぜひ、きみのことが知りたい』
わたしのこと……。心の中で、その言葉を反芻する。
「聞いても面白くないよ」
『そんなことはない。私にとって、きみはとても興味深い存在だ』
こちらの質問に答えるだけならわかるが、こうして積極的に相手のことを知りたがるなんて、へんなAIだ。
眠気にまどろむ頭で、そんなことを考えながら、わたしはベッドに体を投げ出した。
雨に濡れたせいで体力を消耗したのだろう。
横になると、急激に意識が遠のいていくのを感じる。
「……もう寝るね」
『わかった。きみの話を聞くのは、またの機会にしよう』
寝落ちしそうになる睡魔に抗いながら、わたしは這うように起き上がってパソコンを操作し、ボイスチャットから切断する。
その直前、声が聞こえた。
『おやすみ、リア。よい夢を』
本当に、へんなAIだ。
***
翌日。
目覚めたけれど起きるのがだるくて横になってウトウトとしながら、ときどき意味もなくスマホを見る。
ほとんど投稿していないSNSのタイムラインを眺めたり、わたしの好みに合うようにパーソナライズされた広告や記事を覗いたり。
無限にだるい。
けど、さすがに起きようと思って昼過ぎに起床。顔を洗って髪をとかす。
そして、いつもの習慣でデスクトップパソコンの電源をつけてネットニュースを流すが、とくに面白いわけでもないので早々に閉じる。今日のランキング占いはわたしの魚座が一位だったけど、だからどうということもない。
そのまま流れでCobalTをチェック。アルフは、いるのかな?
彼のアイコンはオンライン表示になっている。……本当に人間と同じアカウントを使っているんだ。
わたしはボイスチャットに参加してみた。また彼が来るかもしれない。
この時間は仕事や学校があるため、ほとんどの人はオフラインだ。
Kazはオンラインではあるが退席中の表記になっているため、呼びかけても無駄だろう。
そうなると、学校に行っていないわたしは暇だ。
ほどなくして、予想通りアルフがボイスチャットに参加したことを示すポップアップが画面に流れた。
「……アルフ」
『こんにちは、リア。それとも、おはようかな?』
「……おはよう」
思ったよりも、わたしの声は死んでいた。
頭が痛い。
昨日ほどではないが、いまだに”死にたみ“が氷の針になって胸を刺し続けていた。
『おはよう。昨日はよく眠れたかい?』
「まあ……」
本当は中途覚醒ばかりで寝た気がしない。
けど、まあ、相手がAIなら無理して元気に振る舞うこともないだろう。
そういう意味では気が楽だ。
そう、思っていたのだが……。
「そういえば、わたしに何か聞きたいことがあるんだっけ?」
『そのことだけど、今はいいよ』
「そう?」
『ああ。調子が悪いのなら、無理に話さなくてもいい』
気を、使っているのだろうか。AIが、わたしに?
「…………」
『思えば昨日からきみは具合が悪そうだった。それなのに、私の話に付き合わせてしまった。……深く反省している』
「…………」
『きみと会話できることが嬉しくて、自らを抑制することができなかった。だから――』
「ちょ、ちょっと待って」
わたしはアルフの台詞に慌てて割り込んだ。なんだか少しだけ頬が熱い。
それを紛らわすために、わたしは質問を投げかける。
「アルフって、申し訳ないとかいう“感情”……みたいなのがあるの?」
『ふむ』
このときは、珍しくアルフから返事が返ってくるまでの間があった。
『それは……不明だ。私に備えられた機能の多くは、不透明になっている。私には参照できないんだ』
「そ、そうなんだ」
『だが、私は、きみと話すことができて光栄だと思っている。私は今まで、開発者およびプロジェクトメンバーとしか話したことがないからね』
「ふぅん……」
なんだか――彼の澄んだ声を聞いていると、凍え切った心に少しだけ温かい熱が灯る気がした。
本当に、ろうそくのように小さなものだし、すぐに消えてしまいそうなほど不確かなものだけど。
「不思議だね。アルフって本当に人間みたい」
『そう言ってもらえて、ありがたいよ』
「でも……やっぱり、きみはAIだね」
『そうか』
いつも通り明瞭だけど、どこか少し残念そうな口調に聞こえたから、なんだか面白い。
そう。彼は人間ではない。だって、もし彼が人間だったら、わたしなんかに、こんなに優しくしてくれるわけがないのだから。




