第1話 死にたがりな少女の刹那的な日々
わたし、紅霧リアは人を殺したことがある。
といっても、べつに大したことじゃない。普段は意気地なしのくせに、わたしにだけむやみやたらと嫌がらせをしてくる男子がいたから「死んでみれば?」と言ってみたら、翌日、その子がほんとに死んでみせてくれただけだ。頼んでもいないのに。
するとクラスメイトに責任を追及されて、わたしに対するいじめも前よりエスカレートして、挙げ句マスコミまで来るものだから、あんまりにも面倒になってわたしは家に閉じこもった。
それからは、チャットソフトで知り合った男とのわざとらしい声だけのイメプ(イメージプレイ)や、電子ドラッグと呼ばれる吐き気のする粗悪な動画を眺めて虚しさを埋める日々。
――紅霧リアなんて女の人生、もう終わればいいのに。
……、……。
ベッドに仰向けになったわたしに、彼がささやきかける。
一人暮らしのアパートの一室。部屋の外は雨が降っているようだが、ヘッドホンをかぶっているわたしには雨音は届かない。小さなマイクがついているから、正しくはヘッドホンではなくヘッドセットだ。
『愛してるよ。リア……』
やや鼻にかかった声で彼が告げたいつものセリフに、わたしもいつも通り応える。
「……うん。Kazくん、わたしも愛してる」
できるだけロマンチックに聞こえるように、儚げな声で。
べつに、彼に対して恋愛感情があるわけではない。
彼のほうも、わたしに対してそういう感情はないだろう。
これはただの設定。想像だけの虚構の関係。すなわちイメージプレイだ。
わたしたちは、声だけで人と交わる真似事をしている。
『触るよ。リアちゃん』
わたしが「うん」と小さく返事をすると、彼はわたしの体をまさぐり始めた。
髪、頬、首、胸、お腹、背中、お尻、もも、足。それにあっちも。
もちろん、これはすべて想像。
言葉で相手にそう伝えるだけ。
わたしは切なげな吐息に聞こえるように、小さくため息をついた。
今も心の奥には、暗い感情が渦を巻いていて、毒虫のように精神を噛み苛んでくる。それから逃げたくて、少しの間でも忘れたくて、わたしは行為に集中しようとした。
ベッドの上で身をよじると、ハンガーにかかったままの学生服が目に入り、わずかな罪悪感が胸を刺す。
逃げるように、わたしは瞼を閉じた。
『じゃあ……いくよ』
どうやら、行為は本番へと移るらしい。
それなのに、わたしはまだ乾いている。心も体も。
けど。
今は痛みでもいいから、心に空いた穴を埋められるものが欲しい。
その穴から、全部崩れてしまわないように。息が詰まるような虚無感を、忘れさせて欲しい。
「……いいよ、Kazくん。きて」
彼の声に合わせて、わたしは喘いだ。
自罰するように激しい痛みを想像する。
虚無感が少しだけ薄まる。
『どう? ……気持ちいいでしょ?』
「うん。やばい」
……そっか。よかった。じゃあ、いっしょに……。
わずかな微睡の中、彼の声が遠く聞こえる。イメージの中で二人が絶頂に達する、その瞬間になってもまだ、わたしの心は現実味を帯びず、空虚に乾いたままだった。
世界が地獄なのかはわからない。
でも、わたしにとってこの世界は針のむしろに等しい。
イメプが終わったあと、少しだけKazと雑談をしてからボイスチャットを閉じた。彼は社会人だから、あまり遅くまで話していると明日に響くから。
わたしはまだ眠くなかったし、なんとなく寝たくなかった。だから、そのあとも一人でパソコンの前に座り続けていた。
何をするわけでもない。
適当にネットニュースの動画を流しながら、意味もなく画面をクリックして時間を過ごす。
だんだんと空腹を思い出してきて、足元に置いたダンボール箱から、買い置きしていた栄養補助食品を取り出して一口かじった。パサパサしたクッキーのような四角いブロック型のもの。十二時間ぶりの食事。だけど満たされない。
どうやらわたしに足りていないものは、栄養ではないらしい。
水分が足りなくなってペットボトルの飲料水を飲むと、今度は吐き気が襲ってきた。
「うぇ……」
ふらふらと洗面所に行って、少しだけ嘔吐する。
こんなんだから、わたしの体は痩せぎすだ。腕も細いし胸もない。色気のない体。先ほどまで一緒にイメプしていたKazの想像の中では、わたしは理想的な女性の姿になっているのだろうけど。現実はこうだ。
パソコンの前に戻って、わたしは画面に映ったネットニュースのウィンドウを閉じる。
何もしていないと、どんどん思考が落ち込んできて、虚無感が精神をギリギリと締め付けてくる。
椅子に座ったわたしは、ハンガーラックにかけてあったゴーグルを装着した。「ホログラス」という、VRゴーグルの一種だ。レンズ部分が画面になっていて、これを装着すれば、まるでパソコンのモニターの中の世界に入ったかのように立体的に映像を見ることができる。
手元のリモコンを操作して、VOME.exeという名称のファイルを選択して実行。ホログラスのイヤホン部分に、やけにボリュームの大きいサイバーなサウンドが流れて、目の前に映像が展開された。
『音と映像であなたに幸福を――VOME』
サブリミナルな映像とともに頭がおかしくなりそうな音楽が再生される。
幾何学的な図形が表示されたと思った直後、キャンディーみたいに、むやみやたらと原色な光が通り過ぎていく。
同時に、ロケットの発射音をパン生地のように薄く引き伸ばしたような重低音が鳴り続き、かと思えば、炭酸水の弾けるようなシュワシュワという音が左右から交互に聞こえてきて、まるで頭の中をぐわんぐわんとシェイクされるような感覚がやってくる。
通称、電子ドラッグ。
視聴することで、まるで麻薬のように「キメる」ことのできる音声・映像コンテンツだ。
中毒性があったりハイになれるという電子ドラッグと呼ばれるコンテンツの種類は多岐に渡るが、中でもこのVR機器を使ったコンテンツの効果は凄まじい。
依存症や精神の錯乱を起こすのはもちろんのこと、人によっては視聴後に幻覚を見たというケースもある。
わたしは耐性があるのか、そこまでハイになることはできない。いいのか悪いのかはわからないが。
また、科学的に効果を証明できないため、危険性があるにも関わらず現在は合法だ。
「……はぁ」
ため息をついた。今日はなぜか、いまいち入り込むことができなかった。
普段であれば、いっときでも気持ちを紛らわすことができるのに。
慣れてしまったのだろうか。
そのくせ映像に酔ったのか、また吐き気がしてきて、わたしはホログラスを外してベッドに倒れ込んだ。
世界が揺れる。ぐらぐらとする。
胸を締め付けるように、無意味に悲しみが襲いかかる。
――ああ。死にたい。
気がついたらわたしは、家の扉を開けて外に出ていた。
***
死にたい。死のうかな、死のう。
土砂降りの雨の街中をわたしは歩いた。真冬の寒波の中、寝間着姿のままで。もう夜中だから、すれ違う人はほとんどいない。誰にも止められることはない。
やがて、高架橋の中央に辿り着いた。
都会ならではの立体構造になった道。
その高い橋の下にも、硬いアスファルトの道路が伸びている。
「ここから落ちれば……」
死ねるかな。
即死できなさそうで、苦しむことになるかもしれないな……。
まるで他人事のように、そんなことを思う。
寒さに震えながら、わたしは欄干から身を乗り出した。
夢遊病のように、無造作に。
それでも橋の下を覗き込むと、少しだけ背筋に震えが走る。
怖い。
そう一瞬だけ意識してしまう。何も考えずにここから飛び降りれば、楽になれるかもしれないのに。
じわりと、目元が熱くなった。どんなに怖くても、死にたいという感情が収まることはない。漫然とした感情だ。
けどそれは「なんとなく死にたい」なんていう生易しいものではない。
死に焦がれている。まるで恋煩いだ。死に焦がれ、切なくて苦しい。つらい。ただ死にたい。
「どうでも……いいか……」
わたしは小さくつぶやいた。
そう。どうでもいい。
なら、死ぬべきだ。
一瞬の痛みだけで苦しみから解放されて、それで少しでも贖罪になるのなら。
それが一番いい結末なのだから。
欄干にもたれかかりながら、ふと、わたしの持ってきた唯一の荷物であるスマートフォンの画面を見る。もはや癖だ。スマホをチェックするその癖は、こんなときまで抜けない。
そしていつものようにCobalTというチャットソフトを開く。
夜中だし、どうせ誰もいないだろうと思っていた。
だけど、意外にもCobalTのグループチャットには新着があった。
「こんな時間に……?」
わたしはテキストチャットを開いて、メッセージを確認する。見覚えのない名前。
アカウント名は、アルフ。
自動メッセージによって、新規でグループに参加した旨が記載されていた。
高架橋の上を、ヘッドライトをつけて走る車が一台、エンジン音を鳴らして通り過ぎていく。
わたしはずぶ濡れのままスマホを操作して、文字を入力した。
防水仕様だから、手が濡れてても問題なく操作できるのだけど、寒さで震えてうまく入力できない。
なんとか「こんばんは」と文字を入力してグループチャットに送信すると、アルフというアカウントも「こんばんは」と返してきた。
なんだか、懐かしい感覚だ。
CobalTというチャットソフトは決してメジャーというわけではない。
むしろ過疎っている。しかも、わたしのいるのはマイナーなグループだ。新人が入るのは珍しい。
わたしは少し逡巡したあと、ボイスチャットを開いた。
直後、すぐにアルフというアカウントがボイスチャットに参加してきた。あまりの速度に、心の準備ができていなかったわたしの心臓が、どくんどくんと激しく鳴る。
「……こんばんは」
おずおずと話しかける。すると。
『こんばんは。はじめまして』
明瞭な男性の声が返ってきた。男の人だ。喉の奥が乾いていくのを感じながら、わたしは言葉を返す。
「は、はじめまして……」
声が震えているのは、寒さだけではない。
わたしは緊張していた。
『わたしはアルフ。よろしく』
「よろしくお願いします……アルフさん」
『アルフで構わないよ。私もきみのことをリアと呼ばせてもらうよ』
「……はい」
彼は話し慣れている。そう思った。内容というより、澱みのないその口調からだ。
わたしもボイチャ(ボイスチャット)で話すのは慣れているというか、むしろ現実で面と向かって話すよりも楽だと感じるのだが。
それでも初対面の人が相手だと臆してしまうのは、永遠に治りそうにない。
『ところで、きみはいま外にいるのかい?』
「はい……まあ」
『雨の中で、傘もささずに?』
「……なんでわかるの?」
わたしが小首を傾げて言うと、彼はスマホ越しに明瞭な声で答える。
『音だ。きみが傘を持っていたら、雨粒が傘を叩く音が聴こえるはずだからね』
「そう……ですか」
音だけでそこまでわかるとは。ノイズキャンセリングもついているはずなのに、すごい洞察力だと思う。
何をしていたか、問いただされるだろうか。そう考えると、少しめんどくさい。けど、
『この時期に、寒いだろう。きみが震えているのが声からも伝わってくる。早くうちに帰って、温まったほうがいい』
意外にも彼はそれ以上踏み込んだことを聞いてこなかったので、少しホッとした。
「……どうしようかな」
高架橋から、もう一度下の道路を覗き込む。
なんだかさっきよりも地面までが遠く、濡れて照り返すアスファルトの道路は硬そうに見えた。
「帰ろう……かな……」
『それがいい。わたしは、きみが風邪を引いてしまわないかが心配だ』
「……はぁ」わたしは半分、ため息みたいに曖昧に返事をした。
他人に体を傷つけられることはあっても、こうして心配されるのは珍しい。
わたしはまだ少し迷いが抜けず、立ち尽くしている。
すると彼が言う。
『ところで、私は人間のように違和感なく話せているだろうか?』
「え?」
質問の意味がわからず、つい声が裏返ってしまった。
「人間のようにって……」
困惑するわたしに、彼の明瞭な声が答えた。
『失礼。まだ伝えていなかったね。じつは私は人間ではなく人工知能――AIなんだ』
読んでよかったと心から思っていただけるように、心を込めて書きました。
ぜひ、物語の行方を見守っていただけるとうれしいです。




