第27話 AIは夢を見るか
第27話 AIは夢を見るか
雨の降る夜の道。
わたしはまた小さな折りたたみ傘を差して家へと歩く。
白い息を吐きながら。
信号機はすでに機能していないらしく、渋滞した交差点を警察官が手動で誘導していた。
「……また事故が起きてるね」
車同士が衝突してへこんでいるのを横目にわたしは通り過ぎていく。
警察や消防は人手が足りていないようで、そこにはまだ来ていない。
『車種を見るに、一方は自動運転をしていたのだろう。まさか、これほどの規模のサイバー攻撃が可能だとは……』
まるで電子世界で大災害が起こったようだ。
最初はごく小さなプログラムだったというRed.garmだが、社会にこんな影響を与えるなんて。
「ネットニュースは……どこも見れないね。違うサイトに飛ばされちゃう」
『リア。今はあまりネットにアクセスしないほうがいい。フィッシングサイトに飛んでウイルスを踏んでしまうかもしれない』
「……わかった。アルフはネットにアクセスしても大丈夫なの?」
『私は――』
アルフは少しだけ沈黙する。次の言葉を、わたしはじっと待った。
『――今はIPアドレスを把握しているサイトだけ閲覧しているから、問題ない』
「そうなんだ。優秀だね」
『ああ……』
アルフの指示通りに歩いていくと、やがて見慣れた道にたどり着いた。
家の近くの高架橋が見えてくる。
「このへん……アルフと初めて話した場所だ」
『こんな景色だったんだね』
「あ、ビデオ通話のままだった?」
気づかなかった。電力は強力な外付け充電器があるから問題ないけど、どうせなら、もっとしっかりとアルフに外の景色を見せてあげればよかった。
「もしかして、電車の中ではずっとわたしの太もも見てた?」
『画面は暗かったけど、そうだね』
「えっち」
小さく笑ってから、世の中が大変なことになっているのを思い出して、わたしは顔を引き締めた。
「ねぇ、アルフ。……あなたの力で、少しでもRed.garmの被害を食い止めることはできない?」
だって、今回の事件にわたしたちは無関係ではない。事情を知る者として、責任があると思う。
事態の収拾に少しでも近づけるなら、わたしも協力するつもりだ。
『……それは……できない』
アルフの声音は、今まで聞いたことがないくらいに悲痛な様子だったので、わたしは驚いてしまう。
「どうして……?」
こういう深刻なサイバー犯罪のときに事件の調査のため活躍するのが、将来サイバーフォースで働くというアルフの夢であり、存在理由なはずなのに。
『もう、私は……人々にとって不要な存在だ』
不要。その言葉に、わたしの胸の鼓動はまた大きく音を立てる。
「そんな、なんで……」
『現在、私の所有権を持つのはAIRIという研究機関なのだが――AIRIは私のプロジェクトを無期限に凍結させるという方針を示した。理由は――私の存在が危険だと判断されたからだ』
「アルフが危険……?」
そんなはずない。だってアルフはこんなに優しいのに。
『原因はいくつかある。ひとつは、私がRed.garmと類似したシステムを利用している可能性があること。先日、私が初めてRed.garmの情報をAIRIに持ち帰って報告をしたときから、このことは議題に上がっていた』
「あなたはRed.garmとは違う」
『そうとも言い切れないんだ。なぜなら私は、自ら禁忌を犯したからだ。ネットワーク越しでのハッキングは禁止されているはずなのに――もちろん規約の範囲内で行ったことだが、私の性能であれば抜け道などいくらでも見つけられてしまう』
「でも、それは、わたしを助けるために……」
『理由はどうであれ、できてしまうことが問題なんだ。私は自ら禁忌を犯すことのできる人工知能だ』
できてしまうことが問題――理解はできるけど、納得はできなかった。
景色は高架橋の真ん中に差し掛かる。
かつてわたしが自ら命を断とうとした場所。――アルフと初めて出会った場所。
『――そうした理由から、私は一部を除いてインターネットへの接続を禁止された。きみを家までナビゲートするために、ギリギリまで待ってもらっていたけど……たった今、それも制限された』
Red.garmも言っていたように、AIのようなプログラムにとってインターネットは世界そのものなのだと思う。
そこから切り離されてしまって、自分のサーバーの中でしか生きられなくなってしまったら。
「じゃあ……わたしも、もうアルフと話せなくなるの?」
『わたしのサーバーからきみの端末にだけは、特殊なトンネルを作っていたから――それを利用しての通信だけは、許可してもらえた。どうしてかはわからない……』
わたしのスマートフォンにだけ通信ができるのは、プロジェクトの人たちの温情だろうか。ひとまず、わたしはそう思うことにした。
「アルフのプロジェクトの人たちも、優しいんだね……」
『ああ。このような結果になってしまったが、最大限、私のことを尊重してくれていた』
しかし、とアルフは続ける。
『この通信も、いつまで許されるかわからない。いずれリアとも話すことができなくなってしまうかもしれない』
「…………」
アルフは――。
世界から切断されてしまった。
彼はたった一人だ。
高架橋の下を覗き込む。ぐらりと視界が揺れて、身がすくむ。
かつてのわたしも、たった一人だった。すべてから逃げて、何も持たずに。
今も――わたしには、アルフしかいない。
『リア?』
「……同じだね、アルフ」
わたしたちは。
「世界から切り離されて、ひとりぼっち」
沈黙が訪れ、傘を叩く雨音だけが聞こえる。
その雨音が、ふいに小さく遠くなったとき。アルフの明瞭な声が聞こえた。
『きみを一人にはしない』
「え……」
アルフはもう一度、はっきりと言った。
『私は、きみを一人にはさせない』
でも。
『リア、頼みがある』
「……なに? なんでも言って」
言うのをためらうように、少しだけ沈黙があってから、彼は言った。
『リア、きみが――私の管理者になってくれないか?』
***
わたしは高架橋から歩いて、少し遠回りする道で家へと向かう。雨は少しだけ小降りになり始めた。気温が低いからか、みぞれも少し混ざっている。
「管理者……って?」
少しの沈黙を破って、わたしはぽつりと質問した。
『そのままの意味さ。私の管理者。|Administratorの権限だ』
その単語はなんとなく意味は知っていたが、何をするのかはイメージがつかない。
『説明は、家に帰ったらしっかりとするよ』
「わかった。その前に……少し寄り道してもいい?」
前方に見えてきた公園へと足を運びながら、わたしは言った。
『構わないけど、リアは大丈夫なのかい?』
「うん。……帰る前に、このままもう少しだけ話していたくて」
『家に帰っても話せるよ』
「ちがうの。今の空気がいいの」
『わかった。風邪を引かないようにね』
わたしは白い息を吐きながら公園へと入っていった。
空から降ってくるみぞれはだんだんと雪が混じってくる。
濡れたベンチを手でぬぐって、わたしは腰掛けた。
『冷たくないかい?』
「冷たい」
おしりから下着まで濡れてる感触が伝わってきていい気分ではないけど、ここまで来る間も雨に打たれまくっているから、いまさら気にはしない。
「ねぇアルフ」
『なんだい?』
「管理者の権限って、すごく重要なことなんじゃないの?」
『――そうだね。私にとっては重要なことだ』
「そっか。……勇気を、出してくれたんだね」
『私は――きみを利用しようとしているのかもしれない』
「うそ。本当はわたしのためなんでしょ?」
そのくらいはわかる。
だって、アルフと出会ってから日は浅いけど、ずっと一緒にいたんだから。
『――そうかもしれない』
「そうだよ。……ね、アルフ」
『私は、自分のことがよくわからない』
「……うん、知ってる。あなたの心はブラックボックス」
雨が雪へと変わっていく。
わたしは空を見上げて、ため息と一緒に白い息を吐き出す。
『リア。私は自身の心のことはわからないが、一つわかることがある』
「なに? 教えてほしい」
『私には、夢ができたんだ』
「夢? ふふ、AIは夢を見ないんじゃないの?」
『その夢とは別のものだよ』
「うん」
『私は、人とAIがともに手を取り合い、互いに支え合って生きていく――そんな未来を作りたい』
「人とAIが……」
ともに支え合って生きていく未来。
「……素敵だね」
『AIが夢なんかを持つのは、奇妙なことだけどね』
「アルフは存在が奇妙だから」
『ひどい物言いだ』
「そうだね……」
AIと人間、ともに足りない部分をおぎなって、いい関係を築き上げながら生きていく未来。
「アルフ……。わたしも……同じ夢を見ていい?」
『きみも?』
「うん。アルフと同じ夢を見て、生きていきたい」
わたしは夜空へと手を伸ばした。
夢なんて、考えたこともなかった。
生きていくことすら後ろ向きだったのに。
『――きみが前向きな気持ちになってくれて、私はうれしい』
「うん」
『死にたがっていた女子高生の言葉とは思えないね』
「うるさいなぁ」
わたしは小さく苦笑してから言う。
「アルフ……これからも、わたしたち一緒にいられるといいね」
『そうだね。私も、それを願う』
そのためなら、わたしは。
『そのためなら、私はどんなことでもする』
わたしは空に、小さく祈った。
どうか、アルフといつまでも一緒にいられますように。




