第26話 サイバー攻撃――混乱する社会
「う……」
埃っぽい床の上で、わたしは目覚めた。
廃データセンターの監視室の中。建物の外からかすかに雨の音がする。
起きあがろうとすると、全身がきしむような感覚があった。
『リア、目が覚めたんだね』
声はスマートフォンから聞こえた。
夢の中ではあれだけ話していたのに、なんだか久しぶりにその声を聞いた気がした。
やっぱりスマホのスピーカーから聞こえる声が、一番安心する。
『大丈夫かい、リア?』
「うん」涙を拭いながら、わたしは言葉を返す。「アルフこそ大丈夫なの? わたしを助けるために、だいぶ無茶をしたんじゃ……」
『問題ないよ、安心してくれ』
「本当に?」
『ああ。Red.garmはまるで警備兵のように防衛用のウイルスを無数に配置していて、そのうちのいくつかによって攻撃を受けてしまったが、問題なく修正できる範囲だ』
「そっか……」
アルフがそう言うのなら、大丈夫なのだろう。わたしはスマホを胸に抱く。本当に頼もしいAIだ。
「助けてくれてありがとう、アルフ」
『リア……』
いつもより優しい声音で、アルフは言った。
『こちらこそ、ありがとう……人も、世界も、プログラムも……完璧じゃなくてもいいんだね』
「そこも聞いてたの、アルフ?」
『ああ。途中から声はかけられなくなっていたけど、映像と音だけは送られてきていたから。――不完全な人の味方であること――きみは私に、存在意義をくれた。感謝している』
「そう。な、なんか恥ずかしいかも……」
顔が熱くなって、わたしは頬を手で押さえた。
『世界の隅で震えている人がいたら、そこに小さな温もりを与えられるような――そんなプログラムに、私はなりたいと思う』
「なれるよ、アルフなら」
だってわたしは、もうアルフにその温もりをもらっているから。
『では、まずは帰ろう。リア。長時間そこにいるのは危険だ。――それに、Red.garmはもうそこにはいない』
わたしはうなずいた。
結月の最後の言葉――Red.garmを世界に解き放つ――もしそれが事実なら大変なことが起こるのは、わたしにだってわかる。
嫌な予感を感じながら、わたしは荷物を持って、その場から離れた。
***
廃データセンターをあとにして、わたしは雨の中、折りたたみ式の傘を差しながら一時間ほど歩いて駅まで戻った。
日照時間の短い冬の日。死にそうなほど寒くて暗い田舎の道を、ずぶ濡れになりながら歩いてきたのだ。
「あったかい……」
電車の座席に座ると、足元に感じる空調の温風が心地いい。
「本当に死ぬかと思った」
『リア、お疲れさま。今日はありがとう』
「……わたし、少しは役に立てた?」
『ああ。きみのおかげで、事件の調査は大きく進展した』
「よかった」
ヘッドセットの電源をつけて装着し、わたしは座席のすみに寄りかかって目を閉じる。
周囲の雑音が消されて、わたしとアルフだけの世界。
その温かさと心地よさに、だんだんと睡魔が襲ってくる。
「ねぇ……通話、このままにして寝ていい?」
『構わないよ。きみが寝過ごさないように、駅に着いたら声をかけるよ』
「ありがとう。アルフ」
沈黙。アルフは声を発していないから何も聞こえないはずなのに、こうしていると無機質な彼の息遣いが感じられるような気がして、緊張しっぱなしだった心が、だんだんと安らいでくる。
『……。リア』
小さな音量で、アルフの呼ぶ声が聞こえた。
「なに?」
『私は――危険なプログラムなのかもしれない』
「……どうして?」
『Red.garmの断片を解析していたのだが、どうやらあのウイルスと私のプログラムの構造には類似した部分があるらしい』
Red.garmとアルフが似ている――たしかに、そういう部分もあるかもしれない。
AIとウイルスという違いはあるけど。いずれも自ら成長するプログラムという点では同じだ。
『それに、本来であれば私はネットワーク越しのハッキングは禁忌とされている。やってはいけないことなんだ。だが、今回の廃データセンターでの一件においても、私はその禁忌を破った。アルフというAIのあらゆるシステムの穴をつき、Astral Worldのサーバーにハッキングを仕掛けた』
「そう……」
今のアルフは、機能の多くを制限されているらしい。
それは違法なハッキングなど犯罪行為を行うことができないようにするための制約なのだろう。
それを破ってまで、今回はネットワーク越しでのハッキングを行った。
「……優しいね、アルフは」
『どうしてだ?』
「わたしを助けるために……禁忌まで犯して駆けつけてくれたんでしょう?」
『それは……そうだが……』
「だから、アルフはいいプログラムだよ」
力は使い方が重要なのだとわたしは思う。
だから、たとえ危険な力を持っていたとしても、アルフなら大丈夫。
わたしはそう信じている。
『そうか――ありがとう、リア。起こしてしまってすまない』
「いいよ」
アルフの声を聞くのは、わたしにとって居眠りよりも癒しだから。
『おやすみ、リア』
「うん。おやすみ……」
優しく声をかけられると、わたしの意識はすぐに眠りの中に落ちていった。
***
それから少しの時間が経った。
アルフに起こしてもらって特急列車から降りたわたしは、乗り換えのために駅構内を歩いていた。
『リア。電車のダイヤが乱れているようだ。迂回ルートがあるから誘導する』
「構内アナウンスもあったね。事故?」
『ハッキングだ。無人列車が異常をきたしたため、緊急停止をさせられているようだ』
「……それってまさか」
このタイミングでハッキングを用いたサイバー犯罪が発生するなんて、
『そうだ。すでにハッカーの名義が発表されていて、Red.garmと名乗っているらしい』
「……鉄道以外には被害が出ているの?」
『ああ。まず大きな問題として、いくつかのDNSサーバーが攻撃を受け、機能しなくなった』
「え……」
DNSサーバーとは、各種ウェブサービスのドメイン名を管理している場所。現代のインターネットの中核を成す機能だ。
そこが攻撃を受けたということは、あらゆるネットワークのシステムが機能停止に陥るということ。
『ただ、停止した機能は大手の企業システムやインフラ設備に限られていて、なぜかSNSやチャットソフトなどはドメイン名を改変されずに残されているんだ』
「そっか……だからCobalTは無事なんだね」
無差別攻撃をしているわけではない。どんな基準で攻撃対象を選んでいるのか、わたしには想像することしかできないけど。
「だったら、タクシーで帰ったほうがいいんじゃない? まだ少しくらいならお金に余裕があるから……」
『いや、危険だ』
アルフは言い切った。
『Red.garmが私の想定通りの機能を有しているとしたら、これから一般家庭の電子機器や自動運転の車両が攻撃を受ける可能性がある。現に信号機が異常をきたしている地域があるとSNSで話題になっている』
わたしもアカウントを持っているSNSを確認してみた。前代未聞の規模のハッキングにネット上の皆は騒然としているようで、どこもその話題で持ちきりだった。
『この被害状況が続けば、いずれは電車の運行も停止することになるだろうけど……今のところはローカルの専用ネットワークと手動でのオペレーションにより、遅延こそ発生しているが稼働を続けている。この国の鉄道システムは本当に強いね』
SNSの情報によると、海外でも被害が出ているらしいが、主な攻撃対象は日本だという。
わたしはアルフの指示に従って、ダイヤの乱れによって満員になった電車を、もみくちゃにされながら乗り継いだ。
だが、それでも最寄駅まではたどり着けず――途中の駅で完全に停車してしまった電車から降りて、わたしは構外へと出た。
どうやら歩いて帰るしかないらしい。




