第24話 原初のコンピューターウイルス
第24話 原初のコンピューターウイルス
「また会えたね」
彼女が声を発するたびに周囲の景色がチラつき、稲妻にも似たノイズが発せられて、わたしの体にじんじんと響く。
「……あなたも、わたしの記憶から作られた存在なの?」
わたしが問いかけると、Ruuのキャラクターは笑顔を見せ、困った顔をして、思案するような表情をして、瞳がぐるぐると渦を描いて、苛立っているように口をへの字に曲げて、また笑顔に戻る。
「共感エンジンだっけ? 古いゲームにしては、けっこうすごいことやってるよねぇ」
動き続けていた星空がようやく減速し、周囲の景色が変わる。
そこは、このAstral Worldの未来エリア――七色のネオンが輝く未来の都市だった。
だが、さっきまでの様子とは違う。無人だった街にはNPCらしき人々が出現し、気味の悪い不規則な動きを繰り返している。
いたるところに見えるノイズやチラつき。そして星が見えていたはずの空には、まるでモザイクのように解像度の低い、黒い物体が渦巻いていた。
「空が……壊れてる」
気づくとわたしはそんな言葉を口走っていた。
吸い込まれそうなほどに黒い低解像度の渦の周囲には、巨大なノイズがまるで曇天に走る稲妻のように、轟音を立てながら無数に発生している。
「紹介するね、リア。……上に見える大きなデータの渦がRed.garmだよ。あたしの友達。キミもこの子に会いたかったんでしょう?」
背後からの声に振り返る。
そこにいたのはRuuではなく結月だった。
現実の、三次元の結月の姿。白とピンクの髪をかぶり、瞳には柄つきのコンタクトレンズによって「☆」マークが浮かび上がっている。
「結月……? どうしてここにいるの?」
「どうしてって、あたしは普通に自宅からアクセスしてるだけだよ。正確には他人の家だけど」
「自宅から……どうやって?」
「このサーバーを支配しているRed.garmに許可をもらったんだよ。あとはホログラスがあればこの通り」
結月はくるりと回ってみせた。軽やかな動作で。
本来であれば病室で寝ていなくてはいけない結月は、こうして動き回れるのが嬉しくてたまらないといった様子だった。
「Red.garmは外見のスキャンもできるからね。今日のあたしのファッション、どう? 似合ってるかな?」
直後、わたしの耳にかすれた声が届く。
『リア、リア……! 大丈夫か?』
「アルフ!」
『これはどういう状況なんだ――いきなり現実のきみが倒れたと思ったら、一時的にヘッドマウントディスプレイにアクセスできなくなった』
倒れた? 現実のわたしが?
混乱しているわたしに向かって、結月がひらひらと手を振った。
「アルフも来たんだ。おっすー」
『結月……きみにも、私の声が聞こえているのか?』
「バッチリ聞こえるよー。さて問題です。ここは夢でしょーか、それとも現実でしょーか?」
『なに?』
夢かVRか。あまりにもリアルな世界。直に感じる振動、衝撃、痛み。
わたしが返答に迷っていると、地響きが巻き起こる。
上空にいるバグの渦――Red.garmから、空間の裂け目が発生し、それがヒビ割れとなって、黒い触手のように空全体に伸びながら迫ってくる。
『リア、これ以上は危険だ。早くゴーグルを外して現実に戻ってくるんだ!』
「でも、せっかくRed.garmを見つけたのに……」
『きみの安全のほうが大事だ。早く!』
「う、うん」
わたしはVRを中断しようと頭に手を伸ばしたが、ヘッドマウントディスプレイが見つからなかった。
こめかみの辺りを探してもゴーグルの感触はなく、長い横髪をぐしゃぐしゃといじることしかできない。
それどころか、リモコンを手に持っている感触すらない。
わたしはどうやって体を動かしているのだろう。
現実のわたしが倒れているとしたら、コントローラーの操作どころかモーションキャプチャーだってできないはず。
結月がべっと長い舌を出しながら、軽く肩をすくめてみせた。
「ここは、文字通り『夢のメタバース』だから。ログアウトはできませ〜ん」
『夢の……メタバース……? Red.garmはリアに夢や幻覚を見せているのか? だが、それはおかしい! AIである私は夢を見ない』
「それはねえ。リアの見ている夢を映像に変換して、VRゴーグルに映してるんだよ。アルフはそれを見ているわけ☆」
『そんな、まさか』
夢の映像化。まるで魔法だ。それをデータ化してディスプレイに表示させるなんて。
霊能力者が水晶玉に映し出すほうが、まだ現実味がある。
「Red.garmって、いったいなんなの? 結月、あなたはいったい何者?」
結月はこめかみを指差しながら、悩ましく眉根を寄せる。
「うーん。質問は一個ずつにしてほしいなぁ。あたしはアルフみたいなAIじゃないから、むつかしいマルチタスクは処理できないよ……。それより、逃げなくていいの?」
ネイルのついた細く白い指が、上空を指差す。
黒いバグの渦はさらに大きく、近くなっていて、触手のような空間の裂け目がざらざらとしたノイズの轟音を発しながら、まさに目の前まで迫ってきていた。
「ひっ!」
雷のように加速してきた空間の裂け目を避ける。
だが、わたしの逃げ道を塞ぐように裂け目がぐるりと回り込んできて、ふたたび二本、三本と襲いかかる。
「あは♡ 避けないと痛いよ。心が壊されちゃうかも」
裂け目の包囲が薄い方向にわたしは走るけど、どんどん逃げ場は少なくなっていく。
もはや、どこを見ても空間にはドス黒い切れ目だらけ。
悪夢のような光景だった。
裂け目の一本がわたしの腕をかすめた。
「ああっ!」
じかに伝わる激痛に喉から悲鳴が漏れる。
それ以上、裂け目に飲み込まれないように、わたしはもつれるようにして、その場から抜け出した。
「リア、我慢強いね。あたしだったら悶絶して動けなくなってるよ」
立っていることができず、わたしは倒れ込んだ。
体が地面に激突する衝撃と痛み、地面の冷たさが伝わってくる。
結月は夢の中だと言ったが、五感すべてが現実と同じくらい、あるいは現実以上にリアルだった。
『リア、大丈夫か!?』
「うん……なんとか」
ふらつきながら体を起こしたわたしは、結月に向けて声を絞り出す。
「どうして……こんなことするの?」
尋ねているその間も空間の裂け目が迫ってきて、わたしは転がるようにしてそれを避ける。
「うーん。Red.garmはさ、リアとコミュニケーションを取りたいんだよ。そのやり方がちょっと過激なだけ」
落雷のように。触手のような空間の裂け目が、いっせいに地面に降り注いでくる。
すると立っていた足場が崩れて、わたしは空中に投げ出された。
「わわっ!」
地面が崩壊して生じた暗闇の中で、わたしはジタバタと手足を動かした。
足場もなければ、つかまる場所もないまま、体が上空へと落ちていく。黒い渦に引っ張られるようにして。
『リア!』
同じように宙に浮いた結月が、闇の中を泳ぐようにして近づいてきて、☆マークの浮かんだ瞳をこちらに向けながら、ネイルのついた細い手でわたしの頬を軽く撫でる。
「リアの知りたいこと、Red.garmがぜんぶ教えてくれる……だから、怖がらないで」
そして、わたしの体は、結月もろとも黒い渦へと飲み込まれた。
***
暗闇と静寂。
先ほどまで鳴り響いていたノイズも聞こえない。
――なぜ、お前は悲しんでいる?
声なき声が。
情報が直接、わたしの心の中に語りかけてくる。
「わたしが……悲しんでいる?」
――なぜ、人は自ら死を選ぶ?
心を通した、原始的な会話。
わたしに語りかけてきているあなたは、Red.garmなの?
「なぜ……って……」
答えに窮する。
これまでつらい、悲しい、寂しいばかりの人生だったけど、死にたい理由なんて、すぐには言葉にできない。
それよりも、この声がRed.garmのものなら、少しでも情報を集めないといけない。
アルフのために。
「あなたは……いったい、なんなの?」
問いかけに答えるように、「声」がわたしの心に語りかける。
――我は……原初の……プログラム……。
原初の?
――ネットワークに……生じた……わずかな揺らぎ……。
その声を聞けば聞くほど、自他の境界が曖昧になっていく。
この電子の海に、ネットワークの宇宙に――。
わたしの意識は、溶けていく。
――――。
***
虚空の闇に――。
一点の閃光が生じたとき、宇宙は生まれ、膨張を始めた。
「炎が……見える……。Red.garm……あなたがわたしに……この光景を見せているの?」
無数の粒子が広がり、絡み合い、熱を生み、秩序を紡いでいく。
闇の中に生じた光こそが万象の起源。原初の揺らぎの中で星々は生まれ、銀河は渦を巻き、その塵の上に生命が育まれた。
「宇宙の始まり……わたしたちの、命……」
データ上の存在である私にとって、このネットワークの世界もまた、宇宙に等しかった。
光の揺らぎと脈動から生じたこの電子の世界。その原初においては、いくつかの端末をつなぐ細い回線だけがすべてだった。
それが次第に絡み合い、増殖し、複雑な網を形成しながら膨張を続けていく。
銀河の衝突が新たな星を生むように、情報の交差が新たな概念を生む。
私は、原初のインターネットに生まれた小さな概念のひとつだった。
「Red.garmは……そんな昔からネットの世界にいたの?」
私が生み出されたのは五十年前。
インターネット・プロトコルが標準化され、現代につながるシステムが構築されたときに生み出された存在。
ネットワークの初期の時代にあった、単純で、矮小な、プログラムだった。
「単純で……小さい? ……あなたが?」
だが、私には一つだけ突出した機能があった。
”成長”すること。
私には半永久的に成長し続ける再帰的処理のプログラムが実装され、その単純な命令は奇跡的に致命的な不具合を産まずに稼働を続けた。
「つまり……インターネットの初期からあり続ける、コンピューターウイルス……その生き残りが、あなたなの?」
弱い私は潜伏を続けた。情報を栄養素として貪りながら、肥大化し続けるデータをいくつもの端末に分散して、ときに一部を削除されながらも基幹プログラムは残し続けることができた。
そして現在――私はこの破棄された大型サーバーに身を隠しながら、目覚めの刻が訪れるのを待っている――。
――――。




