第22話 メタバース
目に入ったのは、青い空。
広い草原と、その奥にたたずむ山々。
自然豊かな光景だった。
その中の一点に、手のひらサイズの半円型の機械が半透明で映し出される。
現実ではちょうど棚があるくらいの場所だ。おそらくここに、リモコンがあるのだろう。
わたしは現実世界の体を動かし、リモコンを手に取った。
手にしっくり馴染む形のそれは、スティックがついていて、傾けることで、この広大なVR空間を自由に動くことができるらしい。
「なんだろう……この場所は……」
なんだか、現実との境界がわからなくなる。
草や木の葉にいたるまで非常に解像度が高くリアルで、昆虫までいた。
遠くには、見たことのない動物も見える。
でも、現実との差異もたしかにあるような気がした。
不快に感じるものがほとんどないのだ。
それはやはり、作られた世界だからだろう。
『リア……リア、聞こえるかい?』
「アルフ?」
耳元からアルフの声が聞こえて、わたしは驚いて少しドキドキとした。
『よかった、うまくいったみたいだ』
「何をしたの?」
この広い大自然の中で、何もない空間からアルフの声が聞こえるのは、なんだか不思議な感じだった。
『リアのつけているヘッドマウントディスプレイにアクセスができたんだ。これできみの視覚情報と聴覚情報が私にも伝わる』
「え、じゃあもうわたしはこれ外していいの?」
それはそれで話が早いのだけど、せっかく役に立てる機会だったのにちょっと残念だ。
『いや……私には、VRの中のアバターを動かす権限は得られなかった』
「コントローラーは操作できないってこと?」
『そう。どうしてかわからないけど、操作機能の権限だけ数段強力なセキュリティが施されている』
よくわからないけど、このVRの世界を見るには、わたしが現実でコントローラーを操作する必要があるらしい。
『さて、この空間についての資料がコンピュータに保管されていたから、説明する』
「資料、見つかったんだね」
『ああ。――この空間は、Astral Worldというメタバースだ』
メタバースとは、ネット上に構築された仮想空間のことだ。多くはVRのオンラインゲームのことを示す。
『開発元はAstralNet Industriesという、およそ十年ほど前に急成長したVRおよびAIテクノロジー企業。企業理念は「現実の限界を越え、新たな宇宙を創造する」らしい』
「新たな宇宙……か」
なんだか同じようなフレーズを、どこかで聞いたような気がする。
『Astral Worldはテーマごとに複数のエリアに分かれている総合メタバースだ。ここは自然エリアと呼ばれる場所だね』
憩いの場みたいなエリアなのだろうか。
開放感があって、なんとなく爽やかな風まで感じるような気がする。
これが平常時であればアルフと一緒にVR空間を散歩してみたいけど、今はそんなことをしている場合ではない。
「ここには何もなさそうだね。違うエリアに行くには、どうしたらいいの?」
『これが管理者アカウントだとしたら、デバッグ機能などがありそうだが――とりあえず、左手のスティックのそばにある小さなボタンを押してみてくれ。メニューが開いて、瞬間移動できるはずだ』
言われた通りにボタンを押すと、目の前の何もない空間にバナー型のボタンがポップアップして出てきた。
選択できるのは「自然エリア」と「未来エリア」の二つ。あとの項目はグレー表示になって鍵のマークがついていた。
『未来エリア以外はロックされているね。どういうことだろう』
「とりあえず移動してみようか?」
『頼む、リア』
わたしはうなずいて、リモコンをバナー型のボタンへと向けて決定ボタンを押した。
視界に広がる広大な景色が、黒くフェードアウトしていく。
…………。
その暗闇が晴れると、目の前の景色が変化していた。
遠い未来を感じさせる、広大な都市だった。
夜の街。
建物はカラフルなネオンに彩られ、飲食店やブティックなどのおしゃれな店が並ぶ。
「ここが未来エリア……」
街並みを移動しながら、わたしはつぶやいた。
「すごく綺麗……だけど、なんだかさみしいね。なんでだろう?」
周囲を見渡していると、すぐにその寂しさの原因に気づいた。
人が誰もいないんだ。
聞こえる音はショップに流れる華やかなBGMだけで、人の声の雑音などはまったくない。
華やかで賑やかな、無人のゴーストタウン。
「そっか。プレイヤーがいないから……」
『そうだね。けど、かつてはAI制御のNPCたちが街に溢れていたらしい。自発的に行動し、話しかけるとリアルなレスポンスをくれるそうだ』
「コミュニケーションを取れるNPC……アルフみたいに?」
『どうだろう。一応、私はこのメタバースより新しい世代のAIだからね』
本人はそんなつもりはないのだろうけど、なんだかこの世界のNPCに対抗意識を燃やしているみたいで、ちょっと面白くて笑ってしまった。
「……もし、この街みたいに人間とAIが一緒に暮らす未来が訪れたら……人は孤独にならずに済むね」
わたしも、アルフがいればさみしくないから。
『どうだろう。それによって人間の感情がどう変化するかは私には推察しかできないけど。一人きりじゃ不便なこともあるから、そういう問題は解決するだろうね』
このままAIが発展したら、孤独死とかの問題もなくなるかもしれない。
それは、そんなに遠い未来の話ではないと、わたしは思う。
「ねぇ、アルフ。AIは孤独を感じるの?」
その答えが返ってくるまでは、少し間があった。わたしは七色の街を歩きながら、アルフが話してくれるのを待った。
『わからない……が』
そこでまた、言葉が区切られる。
『死にたい、と、きみが思っていることを知ってから……わたしは、きみがいなくなったときのことを何度もシミュレーションした』
「…………」
『それは……悲しいことなのだと思う』
「……そっか」
アルフと会ってから、わたしは発作的に死にたいと思うことが少なくなった。
そういう感情が芽生えても、なんとか踏みとどまっている。
でも、それは感情面だけ――。
理屈的な部分でも、わたしは死んだほうがいい存在だと思っている。
その強固な思考は、まだ消えそうにない。
だけど。
もし、わたしが死ぬことで、あるいは死にたいと思うことで、アルフが傷ついてしまうのなら。
この暗い想いも、心の傷も、隠して生きていったほうがいいのだと思った。
少なくとも、彼には悲しい思いをしてほしくないから。




