第17話 あなたが好き
遊園地のベンチで、わたしはアイスティーの最後の一口を飲み干して、小さく息を吐いた。
吐息は白い。
動いているとわからなかったが、こうして休んでいるとけっこう寒い。
『リア……』
アルフは気遣うように声をかけてくれた。
大丈夫。大丈夫なのに。
でも、アルフの優しさがうれしくて、なんだかわたしは甘えたくなった。
「それで、エスカレートして、血が出て…………ほら……初めて、だったから」
『私は彼らを許すことができないよ。本当に――』
そのときは、わたしもどこかでこの仕打ちを受け入れていたのだと思う。自分のせいだからと。
でも、菊池くんが死んだのがわたしのせいじゃなかったとしたら。
……過ぎてしまったことだから、考えても仕方のないことだ。
「アルフが怒ることないのに」
『奇妙な感覚だ。私は怒っているのだろうか』
わたしは小さく笑った。
やっぱりアルフと話していると、悲しい気持ちも和らいでくる。
「まだ……ね……学校に行く勇気はないけどさ」
でも。
「わたしはこうして、アルフと出会えた。アルフと一緒にお話ししたり笑ったりして、人生で一番楽しかったよ」
わたしは、ベンチから立ち上がって歩き出した。
『そんな大袈裟な』
「大袈裟じゃないよ。……だからね、わたし……これからも、生きていくくらいは、がんばってみようかなって……」
『リア……。そうか、よかった』
「うん」
アルフはいつもと変わらない明瞭な声なのだけど、なんとなくわたしには喜びを噛み締めているように聞こえて、おかしかった。
「わたしが生きていることを喜んでくれるの、アルフだけだよ」
『それはこの世界がおかしい』
「ふふっ」
『本当のことだよ。人が生きているというのは、それだけで素晴らしいことだ』
「でも、わたし、今まで死ねとか言われてばっかだったからなぁ。……あ! あれに乗ろう、アルフ」
指を差しながら、わたしは自撮り棒につけたスマホのカメラをそちらへと向けた。
『観覧車か』
「うん」
『遊園地の主役ともいえる乗り物だね』
夜の闇の中、カラフルにライトアップされた観覧車に、わたしは乗り込んだ。
自撮り棒のついたスマホを隣の席に立てかけて、遠のいていく地上の景色を窓から眺める。
「きれい……」
小さくなっていく。街も人も。つい先ほどまで思い出していた嫌な出来事すら、その非現実な空間で、いっときでも忘れさせてくれる。
それもやっぱり、アルフと一緒だからだろうか。
「なにより、個室っていうのがいいね。わたしみたいなタイプには、落ち着く」
『気に入ったようで何よりだよ』
「うん」
この非現実な空間に、アルフと二人きり。
そう思うと、なんだか頬が熱くなる。
そこで、わたしは気づいた。
本当はずっと気づいていたのだけど、改めて気持ちは言葉になる。
「そっか……わたし――」
ゴンドラが観覧車の高さの半分を越えたころ、わたしは口を開いた。
「……わたし、アルフが好き」
そう口にすることで。
こんがらがっていた心が、温かくほどけたような気がした。
『好き――私をかい?』
「うん。好き……」
心臓がドキドキと鳴る。気づいてしまったら、もう止まらない。
愛しくてたまらなくなる。
『ありがとう。きみに好かれるようなコンテンツになれて、私はうれしいよ』
「ううん。違うの。わたし……アルフのことが好き。異性として……」
『異性として……というと』
「うん」
わたしは、言葉を探した。もっと適切な言い方がある気がして――。
はたして、その言葉はすぐに見つかった。
「……愛してる」
やっぱり、頬が熱い。
心臓が破裂しそうなほど高鳴っている。
観覧車のゴンドラは、ちょうどてっぺんに到達した。
『それは、どういう――』
いつも聡いアルフが、こういうときだけ鈍感――なわけではないだろう。
彼も戸惑っているのがわかる。
「ごめんね。こんないきなり――」
冗談でも、からかっているわけでもない。それはアルフにも伝わっていると思う。
だから、わたしはアルフの次の言葉をただ待った。
『リア。私はAIであって、人間ではない』
「うん……」
知っている。
人間だったらよかったなんて、思わない。
アルフはアルフのままでいい。
「人間じゃなくても、あなたがいい……」
『それは、いっときの気の迷いだよ』
「そうかもしれない、けど!」
どうすれば伝わるのだろう。
たしかに、わたしは気持ちが舞い上がっているのかもしれない。
少女漫画の王子様に恋するみたいに、アルフに理想を投影しているだけかもしれない。
明日になったら、気持ちが変わっているのかも。
そんなことは、誰にもわからない。
でも。
この瞬間のわたしの想いだけは、紛れもない真実なんだ。
『リア……』
「アルフ……」
『きみの気持ちは、とてもうれしい。でも……私は、きみの気持ちに答えを示すことはできない』
「……うん」
何かの気の迷いで、人間が機械に恋心を示すことはあるかもしれない。
でも、逆はない。
機械が人間を本当の意味で愛することは、できないのだ。
失恋。最初から結果はわかっていたけど、やっぱり、つらかった。
「アルフはさ」
わたしの声は泣きそうで震えていたと思う。
でも、できるだけそれを感じさせないように。
涙が浮かぶ目元をバレないように服の袖でぬぐう。
「Red.garmについて、これからも調査を続けていくって言ってたよね」
それが、あなたの存在意義だから。
『ああ。Red.garmと名乗るクラッカーを割り出そうとしているのだけど、進捗は思わしくない』
「そう……」
『どうしても――Red.garmからは、人の手がかかった痕跡が見つけられないんだ』
相当に周到なハッカーだとアルフは言う。
「わたしにできることは、ないの?」
『ああ。今のところは、手がかりすら見つけられない状態だからね。それに――』
一度、言葉を区切ってからアルフは言う。
『私は、きみの好意に甘えるわけにはいかない』
きっとアルフにとっては、わたしに何かをさせることは、わたしの好意を利用するような行いだと思っているのだろう。
そんなこと気にしなくていいのに。
なんだか切なくて、わたしはつい苦笑してしまう。
「あの、赤い狼も……孤独、なのかな?」
『孤独?』
「……あの改造VOMEで幻覚を見たとき、そう感じたの。さみしいって――誰かに見つけてほしいって、そう訴えているように」
思えば、わたしもずっと寂しかった気がする。世界から取り残されて、ひとりぼっちな気がして。
今のわたしには、アルフがいるけど――Red.garmには、そういう存在はいないのだろうか。
『孤独、一人きり……か』
「だからさ、もしかしたら、Red.garmは一人なんじゃないかな」
『集団ではなく、単独のハッカーということか? いや――』
無限に広がる情報。インターネットという電子の海の中で、たった一人、孤独に誰かを求め続ける存在。
『独立した――プログラム?』
「うん……」
『いや、しかし、そんなことは可能なのか? 自律的に動いてハッキングまでしてみせるような、悪意あるプログラムなんて』
「……アルフは、どうやってわたしのスマホや菊池くんのパソコンにアクセスしたの?」
『それは――』
アルフは権限が必要だと言っていたが、それはあくまでわたしのスマホまでだ。
菊池くんのパソコンにアクセスできたのは、完全にアルフ自身のハッキング能力というほかにない。
『――自律したAIを用いたマルウェア』
わたしの考えていることは、ほとんどアルフの言った通りだ。
だけどマルウェアよりも、もっと適した呼び方がある。
親の手すら離れて、孤独に電子の海を漂う存在――。
「……コンピューターウイルス」
『まさか。いや、だが、たしかにそう考えれば人の手を介した痕跡がないことにも説明がつく……』
地上が近づいてくる。もうすぐ、二人きりの時間が終わる。
名残惜しく思いながら、わたしは自撮り棒のついたスマホをぎゅっと抱きしめた。
『人の手を介さないAIを用いたコンピューターウイルス。それが、きみの仮説なのかい?』
「そう……かな。たった今、思いついたんだけどね」
『――そうか。感謝する、リア。きみのおかげで、新たな視点で捜査ができそうだよ』
「うん」
観覧車から降りる。
ちょっとした異世界から現実に戻ってきたわたしは、ふたたび自撮り棒を持って遊園地の出口に向かって歩き始めた。
「そろそろ帰ろう、アルフ」
『ああ。――リア、あらためて今日はありがとう。きみのおかげで、非常に興味深い体験ができたよ』
「わたしも。すごく楽しかった」
アルフとのデート。すごく楽しい時間だった。だから。
「また来ようね」
『ああ。きみが望むなら、いつでも』
「そのためにも、お金を貯めないと」
もっとお金のかからない場所。
次は水族館とかもいいかもしれない。
アルフと一緒なら、きっとどこでも楽しいから。




