第16話 トラウマ、いじめ――初めては箒(ほうき)の柄
日が暮れる。
楽しい時間はあっという間だった。
そう、楽しい――どうやらわたしは、楽しんでいるみたいだ。
これもアルフと一緒だからだろう。一人じゃないから。
それにしても、いろんなアトラクションで遊んだな。
コーヒーカップに空飛ぶブランコ、室内のVRゲームに、最終的にはジェットコースターもチャレンジした。
一人分の料金であれば、十分に元は取れただろう。
わたしはアイスティーを飲みながら、ベンチに座って休憩していた。
「……疲れたぁ」
歩き慣れていないわたしの足は限界だった。
ぐっと伸びをする。一日でこんなに動き回るのは久しぶりだ。
『ずいぶんと遊んだね』
「ねー」
一日が終わる。それを思うと、なんだか不思議ともの悲しい気持ちになった。
「今日はありがとう。アルフ。……あなたと一緒だから、なんだかずっと楽しかった」
『私はただ、いつものように話していただけなのだが――きみが楽しめたのならよかった』
「うん」
『今度は、人間の友達と一緒に来るのはどうだい? そしたら、もっと楽しめると思う』
「……友達とかいないから」
わたしの友達は、あなただけだから。――なんて、怖くて言えないけど。
もし、わたしが一方的に友達だと思っているだけだったら。アルフはそう思っていなかったら。拒絶されたら。
そんな一抹の不安をため息と一緒に飲み込んで、わたしは薄闇の空を見上げた。
『なら、作ればいいよ。私はそのためにきみをサポートする。そうして少しずつ、私ではなく現実の友人と関わるよう――』
「アルフは」わたしは少し声を張って、言葉を遮った。「わたしと一緒にはいたくない……?」
最後のほうは声が小さくなっていた。不安で。おそるおそる反応を待つ。
『いや。そうではないよ。きみとのコミュニケーションは、わたしにとって非常に価値のあるものだ』
――ああ。人によっては、なんでもない言葉なのかも知れないけど。
わたしにとって、そんな言葉がかけがえなくうれしい。
アイスティーを一口飲む。ガムシロップの甘みとレモンのわずかな酸味が、喉に心地いい。
『――リア』
「なに?」
『まだ……学校に行こうとは思えないか?』
「…………」
『きみが学校に復帰するためなら、私は全力でサポートする。それに、いじめについては、しかるべき機関に相談することを試してみてもいいと思う』
学校か。アルフが助けてくれるなら、行ってもいいのかもしれない。
そんなふうに一瞬だけでも思えたのは、わたしの変化なのだろう。
アルフのおかげで芽生えた、小さな変化。
でも、やっぱり、まだ。
考えると動悸がするし、軽く頭痛もする。
「……行きたくない。ごめんね、アルフ」
声が震えないように抑えていたが、それでも少しだけ裏返ってしまった。
『いや。つらいことを聞いてしまってすまない』
「いいよ」
さっきの「人間の友達と一緒に~」のくだりもそうだが、たぶんアルフはわたしを学校へと行かせたい、ひいては社会復帰をさせたいのだと思う。
わたしもこのままではよくないとは思う。
けど、だめだ。だめ人間はだめ人間のまま。だめだめだ。
『学校に行くことができないのは――やはり、いじめが原因なのか?』
「そう……だね」いろいろ理由をつけてたけど、やっぱり、怖いんだと思う。トラウマだ。「ちょっと……ぜんぜん、大したことないんだけど、わたし……」
言い淀んでいると、わたしが何かを話そうとしていることを察してくれたアルフが、そっとうながしてくれる。
『聞かせて、くれるか?』
「うん。……ほんと、どうでもいいことなんだけど……」
喉に刺さった小骨が取れるように、不思議と言葉が出てくる。
わたしは一つずつ、ぽつぽつと語り始めた。
***
その日の放課後は、珍しく図書室に寄ってから下校しようとした。
他の生徒と下校の時間を少しずらしたかったのもあったと思う。
でも、それがよくなかった。
わたしは下校中、下駄箱の近くでクラスメイトたちと鉢合わせてしまった。
人数は九人くらいだった。
わたしをいじめているグループのまとめ役の女子の伊東澄香もいるし、今日は杵島恍成のような男子もいる。
「……なに?」
彼女たちに取り囲まれて、さすがにわたしは怯んでしまう。また始まるのだろうか。今日は何をする気だろう。
それでも精一杯の勇気で無視して帰ろうとするわたしの肩を生徒の一人が掴み、お腹を思い切り殴ってきた。
「うっ」激痛と吐き気でうずくまろうとするわたしの腕を、彼らは無理やりつかんで立たせた。
「なにスルーしようとしてんだよ」
澄香がわたしの顎を痛いくらいに握りしめる。
「あんた、自分が何したかわかってんでしょ?」
しね、ばか、きもい。彼女たちは次々に罵声を浴びせながら、わたしを教室まで運んだ。
人のいなくなった教室に着くなり、澄香はわたしの頬にビンタをした。
傷痕が目立つ顔を叩かれたのは久しぶりだったので、わたしはしばし呆然とする。
「ふざけんなよ!」澄香がわたしの制服の胸ぐらをつかんで振り回す。「隼人を返してよ!」
何も言えない。わたしはただ、視線をそらすことしかできなかった。
すると、今度は杵島がわたしを殴ってきた。
「んだよその態度? なめてんのか?」
床に押し倒されて、頭を打ってめまいがした。
あとはもうめちゃくちゃだった。
うずくまるわたしを彼女たちは蹴りつけ、踏みつける。
中でも杵島の蹴りが、とくに痛かったのを覚えている。大人に混ざってフットサルをやっているんだったかな。彼にお腹を蹴られたら、まるで爆弾が爆発したみたいな衝撃で、わたしはたまらず嘔吐してしまった。
「これ使おうぜ」
掃除用具入れから彼女たちが取り出したのは箒だった。
箒の穂先を押し付けられると、チクチクとして痛い。ゴミのように扱っているつもりなのだろうか。
彼女たちは笑いながら、箒の穂先や柄をわたしに押し付けてくる。最初はお腹とか背中だったけど、だんだんとそれは胸やお尻など触れられたくない場所へと集中していく。
「お前のせいで隼人が死んだんだよ! わかってんのか?」
女子生徒の一人が、わたしのスカートをめくる。手じゃなくて箒の柄を使って。
そして、あらわになったわたしの下着に手をかける。
「やめ……」
弱ったわたしの小さな制止の声なんか聞きもしなかった。
女子はいろいろ罵声を浴びせてくるが、男子の口数は明らかに少なくなる。しかし、彼らも視線はそらさない。見られている羞恥で、わたしの瞳に涙が浮かんだ。
そして、彼女たちは箒の柄をわたしの下腹部に向けた。
「やだ……」
言ってもやめてもらえない。男子たちの目の前で、わたしは脚を開かされた。暴れても、そのたびに殴られるから抵抗ができなくなる。
箒の柄の先端が、近づいてくる。
みんな笑っていたけど、澄香だけは真剣な顔でわたしを痛めつけていたのを覚えている。
目の前が赤く染まった――。




