第12話 ノイズ&トリップ
暗い。わずかな光が流星のように通り過ぎていくだけの黒の空間に、わたしは一人でたたずんでいた。
頭がぼんやりとする。
まるで夢の中にいるようだ。
もしかして、本当に明晰夢を見ているのだろうか。
「ここは……」
果ての見えない広い空間のはずなのに、自分の発した声がやけに反響する。
孤独――。ここにいると、無性に寂しく、悲しくなってくる。
わたしは闇の中を手で探るように伸ばしながら、一歩だけ足を踏み出してみる。
すると、視界に、ざーっという砂嵐のようなノイズが走った。
空間が揺れる。
細かい銀色の光がわたしの体を通り抜けていき、それに触れた部分がビリビリと痺れた。
「うっ」とっさに腕で目元をかばう。火花のようなノイズが晴れてまぶたを開くと、目の前には一匹の獣がいた。
赤い狼。
見上げるくらい大きい。
紅の体毛の生えたその体は、壊れかけのディスプレイのようにブレながら、ちらついていた。
「あなたは……」まるで夢の中のようなその場所では、思っていることが自然と言葉になって発せられ、反響する声となる。「ずっと、ここにいたの?」
なんでそう感じたのか、自分でもわからなかった。
「ずっと、一人で……」
わたしは赤い狼のほうへと手を伸ばした。おずおずと。
赤い狼の姿が、ビリビリと音を立てながら激しくブレる。
ノイズが走る。
そのノイズの細かい塵が、わたしにぶつかって通り抜けていく。
意識の外で、だれかに呼ばれた気がした。
赤い狼が近づいてくる。いや、わたしが引き寄せられているの? 大きくなるその姿に、ちっぽけなわたしが飲み込まれていく。
かすかに、呼び声が聞こえる――。
***
『――リア!』
意識が急激に引き戻されるような感覚に襲われ、気がつくとわたしは菊池くんの部屋の中で、パソコン机の前の椅子に座っていた。
「アル……フ……?」
『リア、大丈夫か?』
やけに体が重い。
なのに、なんだかフワフワとしている。
ずっとモニターを凝視していたからか、あるいは何かの感情が働いたのか、わたしの瞳から涙が一雫こぼれた。
「わたし……夢を見てたの?」
『夢というよりは、幻覚症状のようなものかもしれない。ずっとうわごとを繰り返していたよ』
電子ドラッグによるトリップだろうか。それにしては、リアルで没入感のある幻覚だった。
『危険だと判断してVOMEを終了しようとしたのだが、操作を受け付けなかった。コンピューターのシステムごと強制終了することで、なんとか映像を止めることができた』
「そう……」
どうやらアルフに助けられたみたいだ。
わたしは夢のような幻覚の中にいたから声は聞こえなかったが、アルフが何度もわたしに呼びかけてくれたのは、なんとなくわかる。
心配してくれていたのだろうか。
それを思うと、やっぱり不思議な気持ちになる。
そのとき、部屋の外の廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
「紅霧さん、音がしたけど大丈夫?」
扉が開く。わたしはまだ力の入らない体に鞭打って、椅子から立ち上がって振り返る。
菊池くんの母親が部屋の入り口に立っていた。
「はい。すこし眩暈がして……騒がしくて、すみません」
「紅霧さん……」
わたしの顔を見た途端、菊池くんの母は泣きそうになって瞳を揺らしていた。
ふと、わたしは自分が涙を流していることに気づいて、慌てて目元を拭った。
「……すみません」
「いいのよ……紅霧さん」
何か勘違いさせてしまっている気がして、わたしは罪悪感で本当に泣きたくなってくる。
スマホにCobalTの通知音が鳴った。
ちらりと画面を見ると、アルフからのテキストメッセージだった。
――今日のところは、ここまでにして帰ろう。
アルフがそう言うのなら。
わたしはその指示に従って、鞄に荷物をまとめ始めた。
「もういいの?」
「はい。……今日はありがとうございました」
「こちらこそ……あなたが来てくれて、よかった」
またチクリと胸が痛む。わたしは部屋を元通りに片付けてから、最後に菊池の母に「お世話になりました」とお辞儀をして、マンションを後にした。




