第二章 黒い獣(けもの)の襲来(しゅうらい)
次の日――。
鳥たちのさえずりと共に、スターウェア家に朝が訪れた。
早起きなプリセムは今日も朝から上機嫌で、鼻歌を歌いながら朝食の準備をしている。
ロイザは外で、朝食の調理に使う薪を用意していた。
自分の部屋で着替えを済ませたクロエは、一階へ降りると、そのまま台所へ向かった。
そんなクロエに気づいたプリセムが、料理をしながら笑顔を向ける。
「おはよ~! 今日も早いのね‼」
「おはよう! 今日も朝から訓練しないといけないからね~」
するとプリセムは、何かを思い出したようにクロエへ顔を向けた。
「クロエちゃん‼ お兄ちゃんを起こしてきて!」
「やだよ~‼ お母さん起こしてきてよ~!」
クロエは露骨に嫌そうな顔をする。
だが、料理の手を止められないプリセムは、困ったように笑った。
「今、手が離せないの。お願い‼」
「もう……」
渋々といった様子で、クロエは階段へ向かう。
「兄さんはホントに朝が苦手なんだから‼」
そう文句を言いながら階段を上がっていくクロエ。
――だが、その本心はまったく違っていた。
(やっぱり、朝からお兄様を起こせる幸せ‼ これで今日も一日頑張れる‼)
自然と頬が緩む。
廊下を歩き、クロロの部屋の前までやって来ると、クロエはドアノブを握った。
「兄さ~ん、朝だよ! 起きて~」
返事はない。
ドアを開けて中を見ると、クロロはベッドの上で気持ちよさそうに眠っていた。
「……まったく」
クロエはベッドへ近づき、眠っている兄の顔をじっと見つめる。
しばらくその寝顔を眺めていたクロエは、ふと周囲をきょろきょろと見回した。
「今なら……お兄様の顔にキスしてもバレないよね~」
小さく呟き、そっと顔を近づけていく。
あと少し。
クロロの頬に唇が触れようとした――その瞬間。
ぱちり。
クロロの目が開いた。
「何やってんの?」
「――っ⁉」
寝ぼけ眼で尋ねるクロロ。
クロエの顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、ななな……‼」
そして次の瞬間――。
ドゴッ‼
「ごぅほ‼」
恥ずかしさのあまり放たれた重たい一撃が、クロロの腹へ突き刺さった。
「さっさと起きろ‼ 馬鹿兄さん‼」
そう言い残すと、クロエは勢いよく部屋を飛び出し、力任せにドアを閉めた。
取り残されたクロロは、ベッドの上で腹を抱える。
「朝から俺が何したって言うんだよ……」
一方、部屋の外では――。
クロエが両手で顔を覆い、耳まで真っ赤にしながら、その場にしゃがみ込んでいた。
「はぁ~……私は何であんなことを~……」
こうしてクロロは、朝から少々過激なモーニングコールを浴びることとなった。
着替えを済ませたクロロが食卓へ向かうと、ちょうどプリセムとロイザが席に着くところだった。
クロエはすでに朝食を食べ始めている。
「ふぁ~……おはよ~」
「おはよ~」
眠そうにあくびをするクロロへ、プリセムとロイザが声を返す。
クロロが席に着いて間もなく、クロエは朝食を食べ終えた。
「行ってきま~す‼」
「あら、もう行くの? いってらっしゃ~い!」
慌ただしく家を出ていくクロエを見送りながら、クロロは朝食を口に運ぶ。
「あいつも朝から本当に忙しいんだな」
「騎士長も大変なんだろうな」
ロイザがそう言ったところで、プリセムがクロロへ尋ねた。
「クロロ、昨日お願いしたこと覚えてる?」
「レイスさんのところに行って、新しい針をお願いして来るんでしょ? ご飯食べたら行ってくるよ!」
「ありがとう‼ お願いね‼」
プリセムが嬉しそうに笑う。
朝食を食べ終えたクロロはすぐに出かける支度を済ませ、針職人のレイスが営む店へ向かった。
その頃――。
クロエは街の中央にそびえる城、その中にある訓練場へ来ていた。
いつものように朝の訓練を始めようと、腰の短剣へ手を伸ばした、その時だった。
「クロエ騎士長‼」
一人の兵士が慌ただしく駆け寄ってくる。
「朝の訓練を始めようとしているところ、申し訳ありません! 今すぐにご報告したいことがありまして!」
その様子から、ただ事ではないことを察したクロエは表情を引き締めた。
「構わない。要件を話せ!」
「はっ!」
兵士は息を整えると、報告を始めた。
「昨晩、街の外を偵察していた兵士二名が、行方不明になっています」
「行方不明?」
クロエの眉がわずかに動く。
「何か手掛かりは?」
「はい。今回は珍しく、行方不明になった兵士が所持していたと思われるランプが発見されています」
兵士は続ける。
「さらに、その近くにあった木から……大きな爪痕らしきものが見つかったとのことです」
「爪痕……」
クロエは腕を組み、考え込んだ。
「他には? ここ最近、街の近辺で何か変わったことはなかった?」
「変わったこと……ですか」
兵士は少し考えた後、思い出したように口を開く。
「そういえば、ここ数日……街の周辺にいたモンスターや大型の動物を見かけなくなった、という話を耳にしています」
「……」
クロエの表情が険しくなった。
偵察兵の失踪。
木に残された爪痕。
そして、姿を消した動物やモンスターたち。
偶然とは思えない。
「何かが近くに潜んでいるかもしれない」
クロエは兵士を真っ直ぐ見据えた。
「私はこのことを国王に報告する。お前たちはすぐに城壁の警戒を強化しろ‼」
「はっ‼」
兵士は敬礼すると、すぐにその場を立ち去った。
クロエは遠ざかる兵士の背中を見つめる。
胸の奥に、言いようのない嫌な感覚が残っていた。
(何も起きなければいいけど……)
そう願いながら、クロエも国王のもとへ急いだ。
その頃、クロロは針職人レイスの店で用事を済ませたところだった。
「レイスさん! ありがとうね、また来るよ!」
店の中へ手を振り、そのまま通りへ出る。
頼まれていた用事も終わった。
あとは家に帰るだけだ。
今日も街は賑やかだった。
子供たちは楽しそうに道を走り回り、通りでは商人たちが野菜や果物を並べ、大きな声で客を呼び込んでいる。
いつもと変わらない光景。
(クロエは今頃、兵士たちと訓練してるのかな)
クロロは歩きながらそんなことを考える。
(父さんと母さんも、そろそろ店を開けてる頃か)
ふと足を止めた。
見上げた先には、雲一つない青空が広がっている。
「こんな平和が、ずっと続けばいいな~」
クロロは小さく笑い、再び歩き出そうとした。
――その瞬間だった。
ゴォォォォン――‼
「っ⁉」
街中に巨大な鐘の音が響き渡った。
城壁に設置された警鐘。
それが鳴るということは――。
「危険を知らせる鐘……?」
街を歩いていた人々が一斉に立ち止まり、ざわつき始める。
次の瞬間――。
ドォォォォン‼
城壁の方角から、凄まじい爆発音が響いた。
巨大な砂煙が空へ舞い上がる。
「な、何だ⁉」
「逃げろ‼」
「早く‼」
一瞬にして、街は混乱に包まれた。
人々が悲鳴を上げながら逃げ出す。
クロロも人の流れに交ざり、一旦広い場所へ出ようと広場を目指した。
その時。
「……?」
突然、周囲が暗くなった。
まるで巨大な何かが太陽を遮ったかのように。
クロロは足を止め、恐る恐る空を見上げる。
「なんだ……あれ……」
そこにいたのは――巨大なオオカミ。
いや、ただのオオカミではない。
巨大な体。
鋭い牙と爪。
そして背中からは、コウモリのような巨大な翼が生えていた。
「モンスター……⁉」
獣は翼を大きく広げる。
次の瞬間――。
ズドォォォン‼
地面を揺らしながら、街へ降り立った。
「グオオオオオオオッ‼」
耳をつんざくような雄叫びが街中に響く。
モンスターは建物へ爪を振るい、次々と破壊していった。
逃げ惑う人々へも容赦なく襲いかかる。
「ここにいたら危ない……!」
クロロは別の道へ逃げようとした。
しかし――。
「うわぁぁん‼」
「!」
泣き声が聞こえた。
振り向くと、一人の子供が恐怖で動けずに立ち尽くしている。
その頭上では、壊れた建物の瓦礫が崩れ落ちようとしていた。
「あぶない‼」
クロロは考えるより先に走り出した。
子供へ飛びつき、そのまま地面を転がる。
直後――。
ドガァン‼
先ほどまで子供がいた場所へ、瓦礫が落下した。
「はぁ……はぁ……」
クロロはすぐに子供の身体を確認する。
「大丈夫か? ケガとかしてないか?」
子供は恐怖に震えながらも、小さく頷いた。
「大丈夫……ありがとう……」
「よかった」
だが、安心している暇はない。
クロロは子供を抱きかかえ、その場から走り出した。
その時だった。
「グルルルル……」
「……っ!」
背後から低いうなり声が聞こえた。
恐る恐る振り返る。
先ほどのモンスターが、こちらを見ていた。
「まずい……!」
クロロは子供を強く抱きしめ、全力で走る。
しかし――速さが違いすぎた。
巨大な獣が一気に距離を詰める。
「くっ……!」
モンスターが巨大な前足を振り上げた。
鋭い爪が、クロロと子供へ振り下ろされる。
「――っ!」
もう駄目だ。
クロロがそう思った瞬間――。
キィン‼
金属音が響いた。
振り下ろされた爪が、何者かによって弾き飛ばされる。
「え……?」
クロロが振り返る。
そこに立っていたのは――。
「兄さん‼ 大丈夫⁉」
「クロエ‼」
短剣を構えたクロエだった。
その直後、クロロたちの横を何人もの兵士が駆け抜け、巨大なモンスターへ向かっていく。
クロロは目の前の状況が理解できず、クロエへ叫んだ。
「クロエ‼ こいつ一体何なんだ⁉」
「わからない!」
クロエはモンスターを警戒しながら答える。
「でも今、この街には同じモンスターが三体侵入して暴れ回ってる! 今わかっているのはそれだけ!」
「三体も……⁉」
「兄さん、とにかく街の中心を目指して!」
クロエが振り返る。
「その子を連れて避難して! 早く‼」
「わかった!」
クロロは子供を抱え直し、走り出そうとした。
その瞬間――。
「グオオオオオッ‼」
巨大なモンスターが前足を地面へ叩きつけた。
ドォォォン‼
激しい衝撃が辺りを襲う。
「うわっ⁉」
地面に巨大な亀裂が走った。
そして――。
クロロの足元が崩れた。
「兄さんっ‼」
「クロエ‼」
クロロの身体が宙へ投げ出される。
クロエは必死に手を伸ばした。
クロロも片手を伸ばす。
だが――。
届かない。
しかも、クロロの腕にはまだ子供が抱かれていた。
「くっ……!」
クロロは咄嗟に子供の身体を持ち上げた。
「クロエ‼」
そして最後の力を振り絞り、子供をクロエの方へ押し出す。
「っ!」
クロエが必死に手を伸ばし、子供の腕を掴んだ。
そのまま自分の方へ引き寄せる。
クロロの目に、クロエに抱きとめられた子供の姿が映った。
「……よかった」
安堵した、その直後。
クロロの身体は完全に足場を失った。
「兄さんっ‼」
クロエがもう一度手を伸ばす。
だが、その指先がクロロへ届くことはなかった。
クロロはそのまま、底の見えない暗闇へと落ちていった。
「お兄様ぁぁぁぁぁ‼」
クロエの叫び声が響く。
だが――。
返事はない。
「お兄様‼ お兄様ぁ‼」
何度呼んでも、暗闇から声は返ってこなかった。
「……っ」
クロエは唇を強く噛みしめた。
抱きかかえていた子供を近くの兵士へ預ける。
「この子を……安全な場所へ」
「は、はい!」
兵士へ子供を託したクロエは、ゆっくりと振り返った。
その視線の先には――兄を落とした巨大なモンスター。
クロエの手が震えていた。
恐怖ではない。
怒りだ。
「よくも……」
腰から短剣を抜く。
「よくも、お兄様を~‼」
クロエは怒りを爆発させ、モンスターへ向かって駆け出した。
一方その頃――。
クロロが落ちていった、その遥か先。
どこかもわからない薄暗い部屋で――。
バーミリオン色の髪。
そして、それと同じ色の瞳を持つ一人の女がいた。
女は何かを感じ取ったかのように顔を上げる。
そして――。
静かに笑みを浮かべた
崖下へと落ちてしまったクロロ。
そこで彼を待っていたのは、白い鳥に導かれた先に眠る謎の少女だった――。
次回、第三章「星の契約」。クロロの運命が、大きく動き始める。
第二章まで読んでくださりありがとうございます!
バットウルフとの戦い、楽しんでもらえたでしょうか?
戦闘シーンについての感想もいただけると嬉しいです!




