05. Pillow Diaryの海堂
週が明けて、月曜日の夜。
ほのかが仕事帰り、いつも通りに円居屋を訪れると、果たして、海堂はいた。
先に来店していた彼は、神妙な面持ちでほのかを迎えた。
突然、姿勢を正して、深々と頭を下げる。
「ほのかちゃん! 先日は、本当に、すみませんでしたぁぁぁっ!」
土下座せんばかりの勢いだ。
「えっ? いえいえいえ! そんな! ちょっと!」
「みっともないやら、恥ずかしいやら、申し訳ないやら……初対面なのに、介抱までさせてしまって……!」
「いえ、そんな、気にしてないですから! あの、顔を上げてください!」
慌てるほのかに構わず、海堂は頭を下げ続ける。
「それであの……これでお詫びと言っては、何なのですが……」
海堂が差し出したのは、紙袋の包みだった。
「これは……?」
ほのかは戸惑いつつ紙袋を受け取り、開けて中を見てみた。そこには、何枚ものCDが入っていた。
「それ……俺がやってるバンドの音源なんですけど、良かったら、もらってください!」
「ええっ! いいんですか!? 本当に!? 嬉しい!!」
予想外の反応に海堂が思わず顔を上げると、ほのかは目をキラキラと輝かせて彼を見つめていた。
「え……そんなに……?」
「だって、海堂さん! 海堂さんがバンドマンだなんて知らなくて! 土曜日に行ったフェスで偶然見つけて、びっくりしたんです!」
「へっ?」
海堂はしばらくポカンとしていたが、ようやく理解が追いついてきたようだ。
「土曜のフェス……? と、いうことは、アーリー・サマー・フェス……?」
「はい! たまたま、駅前のステージにふらりと行ってみたら、海堂さんのバンドがステージに上ってきて」
「……あの場に、いたんだ……? 俺たちのライブ、見た……?」
「はい! すごかったです! あんなに素敵な歌が聞けるなんて、思いもしなかったです。どの曲も良かったですけど、最後の曲なんか泣けてきちゃって……。私、すっかりファンになっちゃいました」
ほのかは少し照れくさそうに、率直な感動を伝えた。
海堂の表情は驚きのまま固まっていたが、頬はみるみる紅潮していった。
「あ……ありがとう。そっか、嬉しいな……ほんと、ありがとね」
そして、とても嬉しそうにはにかんだ。
「おふたりさん、注文は?」
ふたりの会話が区切れたところで、荒井がにこやかに声をかけてきた。
「あっ、すみません荒井さん! ビールと……生姜焼き定食で。海堂さんは?」
「ええと、俺も同じで」
「あいよー」
まもなく、荒井が瓶ビールとグラスを運んできた。
互いに酌をして、グラスを合わせる。
「かんぱーい!」
「乾杯!」
飲みながら、ほのかは再びライブの感想を熱っぽく語り始めた。
海堂も嬉しそうに耳を傾ける。
「それにしても、ベースのあの子! すっごい美少女で! あんな可愛い女の子だけどテクニックもすごくて、かっこよかったー! 高校生くらいですか?」
「ああ、坂本瑠璃っていうんだけど、ああ見えても俺の1個下だよ。今、27」
ほのかがビールを噴き出した。
「……27……!? 私より年上……え、見えないですね……!?」
「童顔だからねぇ。あんなだけど、ベース専門誌なんかではよく取り上げられていて、界隈だと有名なんだよ。めちゃくちゃ上手いしね」
「業界が認める実力派……! で、27で、あのビジュアル……」
ほのかの脳裏には、坂本瑠璃の可憐な容姿と卓越したベースプレイのギャップが鮮烈に焼き付いていた。
そのインパクトを軽々超える実年齢の情報を、脳がうまく処理できない。
「えっと、じゃあ、ドラムのかたは……?」
「あいつは星野寛樹っていって、バンドのリーダーだよ。28歳。俺と同い年で、高校の同級生だったんだ」
「へえ。長い付き合いなんですね」
「そうだね。坂本も同じ高校の後輩で、俺ら3人、その時から一緒にやってるんだ。星野は今、社長でもあってさ。バンド運営のために会社を立ち上げたんだ。と言っても、社員はメンバーしかいないけどね」
「ベースが、坂本さん。ドラムが……リーダー、兼、社長の星野さん」
「で、ボーカルは俺、海堂章啓です!」
海堂はおどけた調子で軽く胸を叩き、ニッと笑った。
「あはは、もう知ってますよ!」
ほのかも笑い返す。ふたりは顔を見合わせて笑った。
「私、Pillow Diaryって知らなかったんですけど、1曲だけどこかで聴いたことありました。『ホシアカリ』っていう曲」
「ああ……、あれは前に一度メジャーデビューしたときのデビュー曲で、多少売れたから……あれだけ知ってるって人は、多いよ」
海堂の表情が、少しだけ曇る。
「あ……メジャーで出してたんですね……」
「でも、それ以降は鳴かず飛ばずでね。だから今はインディーズなんだ」
「そうだったんですね……」
「でも、ずっと地道にやってきたライブ活動が実を結んで、少しずつまたファンも増えてきてる。いけるかなって、まあ、なんとか、実感できるようになってきたところだよ」
海堂が明るい表情に戻ったので、ほのかも微笑み返した。
「すごい、頑張ってるんですね。……そっかぁ。あんないい曲ばかりなのに、知らないなんてもったいなかったな……」
ほのかは、先ほど海堂からもらったCDを1枚1枚手に取りながら、しみじみと言った。
それを見ながら海堂は、あの日背中をさすってくれた、ほのかの手の感触を思い出していた。気持ち悪さと情けなさで消え入りたくなっていた自分の背中を、優しくさすってくれた彼女の手――。
「もっと色んな曲聴いてみたかったんです。だからCDいただけて嬉しいです! ありがとうございます!」
ほのかはCDを大事そうに袋にしまい直して、満面の笑顔を向けた。
その笑顔に、思わず海堂は、しばし見とれてしまった。
「あの……海堂さん?」
「えっ、ああ。ごめん。……あっ、何も考えずにCDあげちゃったけど、プレイヤー、ある?」
「持ってますよ! 最近はCDで聴く人も少ないですもんね。でも、やっぱりお気に入りの音楽は、こうやって形あるもので手元に持っておきたいですから」
「そ、そっか。良かった、配信してない曲もあるし」
ふたりの目の前に、荒井が生姜焼き定食を運んできた。
いただきます、と手を合わせて、ほのかは美味しそうに生姜焼きを食べ始めた。
一方、箸もつけずにそれを見つめていた海堂だったが、思い切った様子で切り出した。
「あの……ほのかちゃん、もし良かったら……、また俺たちのライブ、観に来ない?」
「えっ!? ぜひ行きたいです!」
「本当に? やった! じゃあ、今度の土曜日なんだけど……これ、チケット。来てもらえたら嬉しいな」
海堂は1枚のチケットをほのかに手渡した。
「うわぁ、楽しみです! ありがとうございます! 絶対行きます!」
嬉しそうな笑顔でチケットを受け取る彼女を見て、海堂の心臓がドクンと高鳴った。
(ああ……やっぱり可愛い……)
海堂は、自分が恋に落ちたことを、強く自覚したのだった。




