15. ヘモグロビン集合
雨は夕方を過ぎて、本降りになっていた。
円居屋のカウンターで海堂がいつも通り飲みながら入口を気にしていると、ガラガラッと勢いよく戸が開けられた。
「こんばんは!」
「ほのかちゃん、いらっしゃい」
「遅くなってすみません、幹事なのに! みんなもう、来てますよね?」
駅から小走りでやってきたほのかは、息を切らしながら荒井に尋ねた。
「大丈夫、他のみんなもついさっき揃ったところだから。花乃ちゃんがまとめてくれてるよ」
「ありがとうございます!」
荒井が指差す座敷の方へ、急いで向かうほのか。
「あ、待って、ほのかちゃん」
「えっ?」
海堂に呼び止められて振り返ると、スポーツタオルが投げ渡された。
「濡れてるじゃん。それ、洗ってあるやつだから使って。ジムにでも行こうと思って持って出たけど、結局使わなかったから」
「あっ、ありがとう……! 洗濯して返すね!」
折りたたみ傘を差してはいたものの、雨の中を急いで来たため、ほのかの服はそこそこ濡れていた。
受け取ったタオルで、慌ただしく髪や服の水気を拭き取る。
濡れた肩に、乾いたタオルの感触が温かい。微かに海堂と同じ柔軟剤の香りがした。
「いつでもいいよ。それより、楽しんで」
少し遠慮がちに言いながら、海堂はほのかの背中を見送った。
今日は彼女と過ごす時間はなさそうだ。仕方がないとはいえ、やはり寂しさは感じる。
座敷には、高校時代の仲間たちが勢揃いしていた。
『ヘモグロビン』でギターを担当していた、現在は研修医の皆川。ベース担当で工務店勤務の浜村。ドラム担当で家業の八百屋を手伝っている中野。キーボード担当で市役所職員の野村。
そして、ボーカル担当で現在はアイドルの翔と、花乃の姿があった。
「ごめん! 遅くなった!」
「まだ飲み物頼んだばっかだよ。ほのか、ビールでいいよね?」
「うん! ありがと、花乃。皆川くん、久しぶり! 浜村くんと中野くんと野村くんは、卒業式以来じゃない!?」
「須東さん、大人っぽくなったよな。すっかりOLさんって感じ」
「『OLさん』って、古くね? てか、鈴木の豹変ぶりに比べたら、みんな誤差みたいなもんだよ。それより、座って座って」
ほのかが腰を落ち着けたところで、荒井がビールを運んできた。全員にグラスが行き渡ると、皆川が音頭を取った。
「よし、みんな揃ったな。じゃあ、『ヘモグロビン』と愉快な仲間たちに! 乾杯!」
「乾杯!!」
飲みながら盛り上がる話題は、当然高校時代の思い出だ。
「今思うと、須東さんには世話になったよなぁ。『ヘモグロビン』で何かやりたいって言うと、学級委員として先生と交渉して話を通してくれて」
「だって、皆川くんたち、すぐ無茶しようとするんだもん。停学にでもなったら元も子もないでしょ」
「いや、ほんと感謝してます」
「そうだよ、感謝しなさいよ。あの頃のほのか、ほとんどあんたたちのマネージャーみたいな扱いだったんだから」
花乃がビールを煽りながら言う。
「花乃だって手伝ってくれたじゃん。でも、楽しかったからね。バンドの生演奏を間近で見るのなんて初めてだったし」
「あれで私ら、ライブ参戦に目覚めたよね」
「たしかに!」
ほのかが楽しそうに頷いた。
そこへ、襖を開けて荒井が入ってきた。会話を邪魔しないようにしながら、座卓に枝豆やサラダなどを並べていく。
「でも、須東さんに一番世話になってたのって、鈴木だよなぁ」
「そうかもね。クラスに馴染めないでいたら、須東さんが声をかけてくれて。僕がロック好きだって知ったら、それなら話が合うかもって皆川たちに繋げてくれて。まさかその流れから、パンクバンドをやることになるとは思わなかったけど」
翔は恥ずかしそうに苦笑いした。
「ぶっちゃけ、好きだったろ?」
(……は?)
開いた襖から会話が聞こえ、海堂がカウンター席で固まっていた。つい、そっと耳をそばだててしまう。
「何言ってんだよ、皆川。当時もそんなこと言われた気がするけど、そういうんじゃないから。でも、須東さんみたいな社交性が欲しいなとは思ってたな。そういう意味では、憧れていたかもしれない」
翔は呆れたように笑ってから、しみじみと語った。
「恩はすごく感じてるよ。須東さんが声をかけてくれたから、皆川たちとバンドが組めたし。きっと今、僕が人前に立つ仕事ができているのは、そのおかげだと思う」
「そんな……大層なことは、私してないし」
ほのかが照れていると、皆川がヘラヘラと笑って言った。
「なーんだ、そんな感じか。俺は、ワンチャン須東さんと付き合えたらラッキーとか思ってたけどね!」
「……は?」
声に出したのは、海堂ではない。
花乃が、皆川の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっと待て皆川。仮に昔そうだったとしても、今言うことじゃないでしょ。少なくとも、私の目の前で本人に言うことじゃないでしょ、皆川。墓場まで持ってけや、そういうことはさぁ」
物凄い形相で皆川に凄む花乃。
「え、えっ、何……?」
翔が戸惑っていると、ほのかが説明をした。
「花乃と皆川くんって、高校卒業したあたりから付き合ってるの。まあ、別れたりよりを戻したりを5回くらい繰り返してるけど……」
「花乃、落ち着け。今はお前を愛してるよ」
「いちいち軽いんだよ! あんた、あのナースとは本当に切れたんでしょうね!?」
「な、なんで今それを……!? 切れたよ! 切れた! 花乃だけ! 花乃だけだから!」
唖然とする翔、浜村、中野、野村を尻目に、ほのかは全く気にしていない様子でサラダを取り分けていく。
「あのくらいなら、すぐ収まるから大丈夫だよ」
「そう、なんだ……」
ほのかの言葉通り、痴話喧嘩は間もなく沈静化した。
「で、今日の本題だけど……『ヒミツの卒業アルバム』だったな」
気を取り直して、皆川が切り出した。
「俺、出てもいいよ? 一応、医局には相談する必要があるけど、うちの病院、メディア露出には積極的だから。OKもらえるはず」
「俺も、多分大丈夫」
「俺、全然問題なし」
「ノーギャラ前提なら、俺も大丈夫なはず」
皆川に続いて、浜村、中野、野村も出演OKの意思を表明する。
「ごめん、私は……」
申し訳なさそうなほのかに、翔が言った。
「須東さんと山路さんは大丈夫。無理って最初から言ってたもんね。事務所からも、女性の友達の出演は避ける方向でって言われたから、気にしないでいいよ」
ほのかはほっと一安心した。
「そっか、良かった……。じゃあ、その分、協力はさせてね。邪魔にならなければ、収録にも立ち会えたら嬉しいな」
「もちろん、それはいいけど……協力、って……?」
「資料提供なら任せて! 今週末、実家でお宝探してくるから!」
自信たっぷりにほのかが言うと、花乃もそれに続く。
「私も! 探せば何か出てくるはず!」
「それなら俺もだ」
「何かしらはあるだろ」
他の面々も口々に乗ってくるので、翔は笑顔を引き攣らせた。
「……お手柔らかに頼むよ……」




