14. プロジェクト
株式会社MFライフケア——。
医療・介護分野の施設運営や、人材派遣などを幅広く行う企業である。
昼から降り出した雨が、都内にある本社オフィスの窓を濡らしていた。
(これを16時までに片付けられれば、今日の集まりには間に合いそうだけど……)
バラバラの資料から、Excelのリストにデータをまとめていく。
計算式が間違いなく反映されていることを確認すると、ほのかは上書き保存をして、チャットにファイルへのリンクを送信した。
「えっ、もう出来たの。さすが須東さん。早ーい」
隣席の先輩社員・天音理央が、胸の前で小さく拍手しながら感心している。
「それなんですけど、天音先輩。人事が出してきた資料だと、人員の項目で規定されている人数に足りないんです。おそらく辞退のあった分が補完されていないので、人事に確認を取って新たな内定者を確保してもらう必要があるかと思います」
ほのかは、資料のデータを指差しながら天音に説明した。
「ほんと。ちょっと私から、人事に確認してみるわ。ありがとう」
メモを取りながら答える天音。
ほのかは、天音の手の中で動くペンに目をやった。子猫のチャームが付いた、Kittensの公式グッズである。
色はピンク。ショウを象徴する色らしい。そう言えば、天音の持ち物は何かとピンク色が多い。
そのまま彼女のデスクのモニターに視線を移す。モニターの足元にはそれぞれ異なる衣装をまとったKittensメンバーのアクリルスタンドが、ひとりにつき2体ずつ。
さらにモニター上のラックに視線を移すと、こちらにはショウのみのアクリルスタンドが7体、それぞれ違う衣装とポーズで並んでいる。
(……今まで、風景の一部として受け入れていたけど……。あれ全部、鈴木くんだと思うと、すごいな……)
キーボードを叩いていた天音が、ほのかの視線に気づいて、嬉しそうに顔を上げた。
「あ、気づいちゃった? アクスタ、1セット入れ替えたの。新曲のMVのビジュアルなのよ。格好良いでしょお?」
「え? あ、ええ、そうですね……」
「そうそう、須東さん、『ヒミツの卒業アルバム』好きだって言ってたわよね? あの番組に、今度ショウくんが出るんだって! 楽しみーっ」
「そ、それは本当に楽しみですね」
(知ってます。知ってますとも。今日はそのために旧友が集まるんです……!)
天音のPC画面に通知バナーが表示された。
「……あ、人事から返事が来た。補完分の人員情報を載せ忘れていただけみたい。追加のデータが送られてきたわ」
「良かったです。じゃあ、このあとのミーティングが終わってから、改めて集計し直しますね」
「明日でも大丈夫よ? このあとのミーティングって、例のプロジェクトのキックオフ? 須東さん、選ばれるなんてすごいじゃない」
「たまたま条件に合っただけですって。じゃ、行ってきます」
ほのかは苦笑すると、ノートPCと数枚の資料を持って席を立った。
直属の上司である子安弘課長から、プロジェクト担当の打診を受けたのは先月末。
同社の執行役員・山原光助専務は、入社4年以内の若手社員を育成する目的で、自身の直轄プロジェクトを担当させる取り組みを毎年1案件ずつ行っていた。
そこに、今年はほのかが選ばれたのだ。
プロジェクト担当者の人選は、これまでの人事評価を参考にしているというが、ほのかにとって自分が選ばれたこと以上に意外だったのが、そのプロジェクト内容だった。
「音楽フェスへの協賛……ですか? 当社が……」
「そう。クリスマスにお台場で大々的に開催されるらしいよ。若年層への認知向上を狙って、専務が持ち帰ってきた案件なんだ。須東さんの仕事ぶりは上層部も把握してるし、活躍を期待してもらえてる。通常業務もこれまで通りに行いながらになるから、少し忙しくなるけど……どうだろう、やってもらえるかな?」
「承知しました。頑張ります!」
普段からフェスに足を運んでいることは、課内でも知られている。選ばれたのはむしろそれが理由ではないかとほのかは思ったが、期待されるのは素直に嬉しかった。
ミーティングルームでひとり待機していると、間もなく山原専務がやってきた。社外の女性をひとり連れている。
「やあ、須東くん、待たせたね。これからよろしく頼むよ」
「専務、お疲れ様です。よろしくお願いします」
「今日は、広告代理店のかたが説明に来てくださってるんだ。川瀬さん、よろしくお願いします」
山原に促され、女性が自己紹介する。
「傳聞堂の川瀬と申します。今回のフェスの協賛企業様関係を担当させていただきます。よろしくお願いいたします」
名刺交換が済んだところで、さっそく説明が始まった。
「今回のイベントは『スパークリング*クリスマスフェス』と銘打った大型野外フェスとなります。主催は大手音楽プロダクションの『フェイマス・ミュージック』さん。えー……まだ発表前ですのでご内密に願いたいのですが、現時点で出演が内々定しているのが、Let's Beat Roots、麦沖清徒さん、Kittens……」
思わず声を上げそうになったほのかだったが、すんでのところで飲み込んだ。ここへ来て妙に翔と縁がある。
「……所属は様々ですが、このあたりが目玉ですね。その他30組ほどのアーティストに順次出演オファーがなされる予定です」
ほのかは川瀬の説明を聞きながら、資料をめくった。CGで描かれた豪華なステージセットのイメージ画が目に入る。
(こんなステージで演奏するPillow Diaryが観られたら、最高だろうな……)
「ここまで、イメージ湧いていますでしょうか? ご担当の須東様、いかがです?」
不意に川瀬が話を振ってきた。
「えっ? あ、はい、そうですね……。中堅のバンドに、新進気鋭のシンガーソングライター、さらに人気アイドル……と、多種多様ですね」
「須東様、詳しいですね」
「あ、いえ、フェスは色々行っているもので」
川瀬が「そうですか」と微笑んだ。
「そのラインナップですと、相当な集客が見込まれますね。……なるほど、どのくらいの温度感のイベントか、掴めてきた気がします」
全くピンときていない様子の山原を横に、ほのかは納得顔で頷いた。
「ありがとうございます。ご説明を続けますね。音楽ステージはメインステージとサブステージの2ヶ所。その他、飲食エリアではクリスマスマーケットを開催します。協賛企業様のPRブースエリアは屋内ホールです。ブースの大きさは協賛プラン毎に異なりまして……」
川瀬の説明は、協賛費用ごとのプラン内容に移っていった。
ミーティングが終わり、エレベーター前で川瀬を見送ったところで、山原が口を開いた。
「まあ、今期の予算には組んでいなかった企画だからな。選べるプランは、1番少額の基本プランだけだな」
大掛かりなPR展開を仕切ることになるのかと身構えていたほのかは、肩透かしを食らったような気分になった。
「承知しました。そうなりますと、ロゴ掲載と、最小サイズのブース、後はノベルティを配布するくらいですね。……あの、専務」
「ん?」
ほのかは少し気になることがあった。
「このプロジェクト、他のメンバーはどなたか……」
「この規模なら君ひとりで充分だろう」
「え……」
山原はほのかを促し、ゆっくりと歩き出した。
「なに、そんな不安になることはないよ。各部門の協力が必要なら、いくらでも私を通してくれればいい。だから思う存分力を発揮してくれ。試験的なものだから、自由にやってくれていいんだ。期待しているよ」
山原の手がポン、ポン、とほのかの肩を叩き、滑るように離れる。その感触に、ぞわりと肌が粟立った。
このとき意識の片隅で確かに生じていた違和感の正体を、ほのかは後になって知ることになるのだった。




