13. 海堂と翔
海堂が思うに、バンドマンは芸能人に含まれない。
邦楽ロックに詳しい一部の人には、楽曲『ホシアカリ』を知られているが、世の中の大多数にしてみれば、自分は無名の存在だと感じている。
買い物をしていても声をかけられたことなど一切ないし、電車もバスも普通に乗れる。そもそもペーパードライバーなので、乗れなかったら困るのだが。
音楽活動においてはプロの自覚はあるが、事務所を独立して以降、音楽以外の雑務も全て自分たちで行っているので、自営業のような認識だ。いや、会社法人になっているから、一応零細企業の社員ということにはなる。事務作業もSNS運用も苦手なため、「カイちゃんは曲書いてて」と星野に言われてしまっているが——。
とにかくそんな一般人の自分に、超人気アイドルが声をかけてきた。ただでさえ人見知りだというのに、これで動揺するなというのは無理な話である。
「Pillow Diaryの、海堂さんですか?」
「は、はい、そうですけど……?」
「よかった! 本物だ! お顔は昔のMVでしか見たことなかったですけど、絶対そうだと思って! 僕、ファンなんです!」
「え……、え?」
ぱぁっと表情を輝かせて、翔は握手を求めてきた。海堂は戸惑いながらもそれに応じる。
「このお店によく来てるって、奈良さんから聞いてたんですが、まさか本当に会えるとは……いやぁ、嬉しいな」
声を弾ませてはしゃぐ翔に、海堂は心の奥で、密かに意地悪な気持ちが湧き始めているのを感じた。その気持ちに後押しされるように、さり気なく尋ねてみる。
「ちなみに、何の曲が好き?」
仕事で顔を合わせた業界関係者に、好きだのファンだのと言われることは、時々ある。しかし、その場のお世辞でそういうことを言う人間からは、大抵デビュー曲の『ホシアカリ』しか出てこない。ひどい時は、それすら知らないことだってある。
無名、あるいは一発屋のバンドマンを何年もやっていると、こんな卑屈にもなるんだなと、彼は内心自嘲した。しかし。
「全曲好きです! でも、『太陽がまた昇るから』とか『幻想都市』は特に切なくて泣けます。『勝利の花』は聴いているだけで元気が出るんです。あと、『地球を指差せ』! 歌詞がすごく深くて、名曲ですよね! それから『パラダイム・シフト』は力強く立ち上がる感じで、聴いてると勇気が湧きます!」
翔は食い気味かつ早口で、新旧様々な楽曲への想いを、熱く語り始めた。この熱量は本物だ。
「たくさん聴いてくれてるんだね。ありがとう」
少々圧倒されつつ、海堂は素直に嬉しくなっていた。
「まさか、ショウくんみたいなトップアイドルが、俺たちの曲を聴いてくれているとはね」
「そうは言いますけど……初めて『ホシアカリ』を聴いた時は、僕は事務所に入ったばかりの研修生だったんです。アイドルという道を決めたけれど、本当にデビューできるかもわからなくて。その上、学校も転校したばかりでしたからね。正直、孤独でした。それまでどれだけ良い友達に恵まれていたか、初めて思い知らされたと言うか……。そんな時、Pillow Diaryの音楽にはたくさん支えてもらいました」
しみじみと語る翔。
それまで彼を、キラキラ堂々とした別の人種のように感じていた海堂だったが、初めて親近感を抱いた。
「そっか……転校前は、バンドやったりする友達がいたんだもんな。……えっと、『ヘモグロビン』……だっけ?」
海堂が控えめに名前を出すと、翔は顔を赤らめた。
「やだなぁ……聞かれてたんですか?」
「そりゃ、あれだけ大騒ぎしてりゃね」
翔は眉を下げて苦笑する。
「山路さんと須東さんには、ホント参りましたよ。でも、びっくりしたけど、ここで会えて嬉しかったな。転校以来会ってなかったから」
懐かしそうに、柔らかな笑みを浮かべる翔。それを見て、海堂は焦燥感を刺激されていた。
どうしても確かめずにはいられないことがあった。だが、翔の返答如何では、訊いたことを激しく後悔することになるかもしれない。
だが、しかし……。
「俺も、気になってることがあるんだけど……」
「はい?」
「あのさ……」
少し間をおいてから、海堂は翔をまっすぐ見据えた。
「……『トニー&スターズ』の社長さんがめちゃくちゃクセ強キャラだって噂、マジ?」
しばし、沈黙が流れた。
「……はい?」
「いや、普段着が紋付袴とか、スカウトするときに叫ぶとか、よく言われてるじゃん」
「あ、ああ……うちの戸新社長のアレですね。……マジですよ」
「やっぱそうなんだ!? 翔くんも叫ばれた? なんて言って叫ぶの?」
「遠くから、『彼はぁぁ! すーごーいーぞぉぉ!!』って。他にも色々」
アイドル専門の芸能事務所『トニー&スターズ』社長、戸新源五郎。
自らの足と独自の嗅覚で逸材を探し出すという彼の、型破りなスカウトのエピソードは、所属タレントがトーク番組で語ったのを発端に、世間の語り草となっていた。
かつて日本舞踊「戸新流」の宗家家元だった戸新だが、突如としてアイドルに魅了され、宗家を退くとともに事務所を立ち上げたという。
そんな逸話も含めて、彼の「クセの強さ」は伝説の領域に入りつつあった。
自社の社長をモノマネで再現する翔に、海堂は手を叩いて笑う。
「何だそれ! 面白すぎる! どこで? どんなシチュエーションで?」
「それが、『ヘモグロビン』として出た、ライブハウスでですよ。僕たちのライブも見てたみたいです。ひとりになった瞬間を狙って、『お主は何という少年じゃぁッ! そのような攻撃的なファッションをしていても! 無垢な輝きがズキズキと突き刺さってきよるっ! 少年時代の光と影じゃぁぁッ!!』……とかなんとか、いきなり叫びながら近寄ってくるから、正直怖かったです」
「そりゃこえーわ! そもそもアイドル事務所の社長が、なんでパンクバンドのライブを見に来てんだよ」
「同じ日の夜の部にあった地下アイドルの合同イベントを見に来るつもりが、時間を間違えたらしいです」
翔が語る社長エピソードに、海堂は笑いが止まらない。翔も気を良くして、次々とネタを披露していく。
海堂は涙を流して大笑いした。
その様子を、座敷の襖の隙間から、大宮たち常連勢が覗いていた。
「……カイ坊のやつ……、気になってたことって、絶対それじゃねえだろ」
「だな。ほのかちゃんのこと聞けっつの」
「ったく。臆病風に吹かれやがって。ヘタレめ」
大宮はやれやれと呟くと、そっと襖を閉めた。




