09. 恩師
「奈良さん! 来てくれたんですね! お待ちしてました!」
星野が慌てて立ち上がり、笑顔で駆け寄った。訪問者はニカッと豪快な笑顔を見せた。
「ライブお疲れ! 打ち上げに呼んでくれてありがとな!」
海堂と瑠璃も驚きと喜びの表情で彼を歓迎する。
「奈良さん! 今日はありがとうございます!」
「来てくださってたのに、さっきは挨拶もできなくて」
「仕事の都合で、ライブの途中で抜けて申し訳なかったな。でも、良いライブだった」
海堂も瑠璃も、そして星野も、パッと表情をほころばせた。
彼は満足そうに頷くと、ほのかの隣に腰を下ろした。
黒いTシャツにデニムというシンプルな出で立ち。彫りの深い顔に、堂々とした振る舞い。そこからは自信と風格が溢れている。
その横顔を見つめて、ほのかは固まっていた。
(まさか……本物の……?)
奈良三四郎――メジャーシーンで名を馳せる、有名音楽プロデューサーである。
大御所歌手から新進気鋭のバンド、さらには人気アイドルも。ジャンルを超えて数多くのヒット作品を世に送り出している。
テレビや雑誌などのメディア出演も多く、音楽に詳しくない人であっても、どこかでその顔は必ず目にしている。
ほのかの視線に気づいた彼が、振り向いて話しかけてきた。
「えーっと、君は……どこの事務所のモデルだったかな?」
「えっ!? いえいえいえ、そんな! ただのしがない会社員です!」
ほのかは両手と首を勢いよく横に振った。
「へーえ、これは失敬。華のある美人さんだから、芸能人かと思ったよ」
「そ、それは、どうも、ありがとうございます……」
恐縮するほのかに、奈良はさらに身を乗り出してくる。
「はじめまして、奈良三四郎です。名前、聞いていいかな?」
「あ、失礼しました! 須東ほのかです! はじめまして!」
「ほのかちゃんか。名前も可愛いね。芸能活動は興味ない?」
「え? い、いえ、特には……」
「そっかぁ、もったいないな、残念。じゃあさ、今度俺と、個人的に食事にでも行かない? 良い店知ってるから、ごちそうするよ」
艶っぽい笑みを浮かべた奈良は、いつの間にかほのかの両手を包み込むように握っていた。
「え? えっと……」
慌てて海堂が割って入る。
「な! ら! さ! ん! セクハラですよ!」
ほのかの手から奈良の手を引き剥がし、ふたりの間に体を滑り込ませた。
「会うなり口説かないでくださいよ! 彼女は俺の恩人で、飲み仲間で、Pillow Diaryの大事なファンなんですから!」
「なんだ、海堂のコレか」
小指を立てる奈良。
「ちょっ……、奈良さん!? 何言ってるんですか!?」
「ははは。なるほどな。……ま、がんばれよ」
ニヤリと笑って、海堂の肩をポンと叩く。その目にすべて見抜かれているのを察して、海堂は何も言えなくなった。
状況を呑み込めずにポカンとしているほのかに、星野が説明する。
「奈良さんはね、俺たちがメジャーデビューしたときのプロデューサーだったんだ。デビュー曲がそこそこ売れたのも、奈良さんのおかげ」
「えっ、Pillow Diaryって、奈良さんプロデュースだったんですか!?」
奈良は目の前の空気を払うように手を振った。
「いや、確かにサウンドプロデュースは俺だったけどさ。売れたのは、こいつらの実力だよ」
そう言って、懐かしそうな目をした。
「俺はお前らの音楽に惚れてんだよ。今でもな。……いつかまた、一緒に仕事したいな」
「奈良さん……。はい! ぜひ!」
海堂が嬉しそうに返事をすると、他の2人のメンバーもそれに続いた。奈良は満足そうに頷いた。
「はい、追加のビール、お待ちー!」
荒井が襖を開けた。瓶ビールと奈良の分のグラスや小皿などを、テーブルに置いていく。
「それじゃあ、もう1回乾杯しますか!」
星野が提案すると、海堂がそれに乗って音頭を取った。
「奈良さんとの久しぶりの再会を祝して! 奈良さん! 今日はごちそうになります! ありがとうございます! いただきまーす!」
「おいこら、海堂! お前、すっかり元気だな。調子良いこと言うようになりやがって……まあ、奢るけどな!」
そう言いながら、奈良は豪快に笑っている。他の皆も笑い声を上げながら、乾杯のグラスを掲げた。
「あっ! メニューに刺身がある! 俺、刺身が食べたいです!」
「牛タンの炭火焼きも美味そうだな!」
「唐揚げ! 唐揚げはマストで!」
「ポテサラとナスの漬物!」
意外とちゃっかりしている海堂が先陣を切ってメニューを選ぶと、他のメンバーもそれに続いて注文を挙げていく。
スタッフたちもさり気なくそれに加わっていた。
「わははは! お前らは俺の教え子みたいなもんだからな! 好きなだけ食え!」
「やったー! 奈良さん大好き」
「ありがとうございます!」
座卓に料理が並ぶと、宴はますます盛り上がった。
はじめは戸惑っていたほのかだが、賑やかなのは嫌いでない。和気あいあいとした空気に、すぐに打ち解けていった。
「メジャーデビューの時にプロデュースされたって言ってましたけど、奈良さんとPillow Diaryのみなさんって、どれくらいのお付き合いなんですか?」
答える前に奈良は、ほのかのグラスにビールを注いだ。ほのかは恐縮しつつそれを受ける。
「そうだな……こいつらが18とか19ぐらいの頃からだから、10年近くなるのか?」
「そんなに昔からなんですね!」
「高校生のバンドコンテストで無双してた奴らが卒業して上京してきてるから、会ってみてくれないか、って、プロダクションの人間に言われてな。気づいたら面倒見てたんだ」
懐かしそうに奈良が昔を振り返る。
「やっぱりその頃から才覚があったんですか?」
「才能については、そうだな。正直、驚かされることは多かったよ。ただ……」
奈良が海堂に視線を向けた。海堂は何を言われるのかと、居心地が悪そうにしている。
「すぐ調子に乗って、のぼせ上がってたな」
「そんな、奈良さん! 俺は極めて謙虚な少年だったでしょう!?」
「どの口がそれを言うか、海堂。リリースが決まった時点からすでに浮かれて、星野と坂本にたしなめられていただろうが」
「うぅ……」
思い当たる節が多すぎて、海堂は言葉に詰まった。
「確かにあの頃のカイちゃんは、人生イチ天狗だったよな?」
「ホシくん!?」
「ファッションの迷走ぶりはすごかったよね。すぐ何かに影響されて、チャラくなったり、いかつくなったり……」
「坂本! お前まで!」
「なるほど、それでそこから1周回って、今はむしろ地味に……あっ、す、すみません……」
「赤嶺さん!? 何気に一番ひどいんですけど!」
海堂以外の全員が笑い声を上げた。ほのかも思わず笑っていた。
「ある意味、海堂さんってすごく素直なんですね」
「ほのかちゃん……それは褒めてるの……?」
海堂が情けない声で問いかけると、ほのかはフォローをするように答えた。
「褒めてます褒めてます! すごく真っ直ぐで、可愛いなって」
「『可愛い』って……。ほのかちゃん……!」
「あはは、ほら可愛い」
恥ずかしそうに抗議する海堂に、ほのかが笑う。
「良かったな、カイちゃん。実際、可愛がられるキャラだもんな」
「イジられキャラ、の間違いじゃない? ホシくん」
「どっちも同じだよ」
「坂本! うるさいよ!」
「あははは!」
宴席は、どっと笑いに包まれた。




