第三話
怒号の主はM氏の母親だった。
「あんた! にゃるら様は見せ物じゃないんだよ! 自分が何してるか、わかってんの! こんな、どこの人だかわからないような人たちに見せていいものじゃないんだよ!」
母親は怒って、すぐに四人を家から追い出した。ほうほうの体で靴をつっかけ、M氏の自宅を出る。
四人が家を追い出されたのと時を同じくして、雨が降りはじめた。空が一瞬白く光って、大きな雷の音がとどろく。
「うひゃー。Mさんのお母さんと空に同時に雷を落とされちゃ、敵わんです」
「残念ですけど、今日の調査はここまでですね。Mさん、お手数をおかけしてすみませんでした。また、よろしくお願いします」
長野は田端の軽口には応えず、一礼すると、駅に向かって歩いて行った。
足元の水たまりが、ぱしゃんと跳ねた。
***
田端が自宅に戻って一眼レフカメラの入ったバッグを置いたところで、長野からメールが届いた。M氏に送ったメールのCCに、田端を含んでくれたらしい。
内容はにゃるら様の取材に応じてくれたことへのお礼と、次の取材についての話だった。
M氏の母親に叱られたというのに、まだ取材をつづけるつもりでいる長野に、田端は呆れた。
雨に濡れた髪をタオルで拭いてから、田端は長野に電話する。数回の呼び出し音のあとに、長野が出た。
「あ、長野さん? さっきはどうも。……まだにゃるら様の取材、つづけるんスか? あの感じじゃ、続行は厳しくないスか?」
「自分の目で見ないと、わからないでしょう?」
「そりゃそうですけども。見えるとも限らんじゃないですか」
雷が田端の部屋を一瞬明るくして、すぐに大きな音が鳴った。ブツンと音がして、ブレーカーが落ちる。
「すごい音! 大丈夫ですか?」
「ひえー。近くに落ちましたね。停電です」
心配する長野に、田端は首をすくめながら応えた。電話は無事のようだ。
田端は収集日に出し損ねたゴミ袋につまづきながら、玄関に向かう。ブレーカーを上げようと手を伸ばしたところで、田端は戸惑った。ブレーカーが落ちていない。
「あれ? おっかしいな……」
「田端さん?」
「停電なんですけど……、ブレーカー、落ちてないんスよ」
田端は再びゴミ袋をまたいで部屋に戻り、カーテンを開けた。
「あ……」
マンションの窓から見える他の部屋に、灯りがついている。
田端の部屋だけが、停電していた。
田端も怪異譚好きの端くれである。自分の部屋だけが停電していることを知って、背筋を冷たい汗が滑り落ちていったが、すぐに興奮した口ぶりで長野に報告した。
「長野さん、停電してるの、僕の部屋だけっスね! これ、怪異譚じゃないですか!?」
「どこかの配線が切れてるとかではなく?」
怪異譚好きの割に、長野の反応は冷たい。田端はしょんぼりしながら、「電力会社に連絡します……」と、戸棚にしまっていた「お困りのときには」という冊子を取り出した。
「次の取材日、決まったらまた連絡しますね」
***
田端は一般的な会社員である。スーツを着て満員電車に揺られ、仕事をして帰宅する。寝ぼけ眼をこすりながら駅でぼんやりと電車を待っていると、田端の耳にパタッ……パタパタッという音が聞こえてきた。
顔を上げる。駅のホームのトタン屋根に液体状の何かがぶつかった音のようだった。
雨でも降ってきたのだろうかとぼんやりしたまま見ていると、半透明のトタン屋根をゆっくりと液体が滑り落ちてくる。水飴のような粘り気のある動きだった。
田端があくびをしたとき、屋根の庇からぽたりと雫が落ちてきた。赤い。
田端は眠気がすっかり吹き飛んで、あとずさった。電車待ちの列に並んでいる後ろの乗客にぶつかる。
「すみません」
不審そうににらむ乗客に謝って、前を向く。トタン屋根の庇からこぼれ落ちていた赤い液体は、消えていた。




