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あと半年

昇任試験が終わった。まだ発表にはなっていないが『合格』していると言って貰えた。来年は転勤するとも。『立つ鳥跡を濁さず』残ったこの署での時間を有意義に使わなくては。

 昇任試験が終わった。

『合格している』

と確かな筋が言ってはくれたが、正式発表までは

『できたとは思うのですが』

位で済ましておくかな。


 妻には若頭(かしら)から

『合格している』

『家から通える所属に異動をさせる積り』

と言われた事を伝えたら喜んでくれた。でも何時かは単身赴任をする日が来るし妻もそれは仕方が無いと思ってくれている。此処に家を構えて良かった。妻の実家は直ぐ其処だし、自分の母も近くに居る。


 さし当たってはこの署での残り時間をどう使うかだ。管区警察学校の警部補任用科に40日余り入校する必要があるし実質4ヶ月余りか。厚生課の尻拭いもあるが昇任試験に合格して異動が見えたら何もしなかったと言われるのは嫌だからノルマ+αを考えよう。


 11月始めにある警衛は僕達には当日のみの仕事だが、警衛会場がある先輩の勤務する署ではもう既に設営中の会場警備をさせられているらしい。夕方出勤して朝まで設営中の会場警戒をして日中休んでまた夕方出勤。そんな勤務を何カ月も前からさせられているらしい。それだけでは無く日中定期的に近隣の山野を検索したりも。


 昇任試験が終わった後先輩に若頭《かしら》の言葉を伝えたら、

「忙しかったは理由にならんよな。今の署の居心地が良いし嫁さんと楽しく日々を送る事にかまけて昇任試験の準備が疎かになっていた。警衛が終わってからとは言わず今日からもう一遍初心に帰る。」

と言っていた。それ以上言う事は無い。その言葉を若頭《かしら》に伝えたら、

「結果を待とうか。」

との事だった。


 警部補昇任試験の合格者が発表になった。予定通り合格していた。この県の南の端に居る馬鹿の名前は無かった。これも予定通りか。発表があるやいなや署長が合格祝いの席を設けると言い出した。この間の素っ気無い態度が効いたかな。でも交通課に巡査部長昇任試験に合格した奴が居たんだけどそいつは?僕が心配する事では無いか。でもこの席を受けてしまうと見返りに何かポイント稼ぎが必要になるな。


 妻子共健康に問題は無く、お義母(かあ)さんはむしろ泊りに来たがっている様子だからその日の世話をお願いした。お義父(とう)さんも義弟(おとうと)も本当に娘を可愛がってくれる。義弟《おとうと》は店頭で一番高価だったベビーカーをお祝いに買ってくれた。アルバイト先で優遇されていて小遣いに不自由していないみたいだな。あれはバイトというよりも小遣いを貰っている様なものだ。社長にも3代目を継ぐ息子さんにも気に入られているみたいだし元巡視員さんにも可愛がって貰っているみたいだ。何というか代々続いた旧家の跡取り息子で少し歳が離れた末っ子らしい大らかさというか暢気さというか僕には到底出せ無い雰囲気がある。この街や近隣の旧家から

『家の娘を』

という話がすでに出始めているらしいが、さもありなん。


 合格祝いの会場は署長官舎だった。妻の実家が日頃利用している仕出し屋の料理と貰い物のビールと、これも貰い物であろう米糠糖液とかいう糖分と醸造用アルコールをたっぷり混ぜた訳が分からん日本酒が出た。これは予想されていたので日本酒はパス。ビールだけを飲んだ。しかし此のビールも好きでは無いドライビールだ。折角料理が美味しいのに飲み物が。マリアージュは大切だ。でも気を使ってくれているのだからスマイルスマイル。


 出席者は副署長と刑事課長以下当直勤務者を除く刑事課員。署長が乾杯の後、

「土居部長は今回の試験でトップ合格だった。警部補任用科でも優等を取って欲しい。」

と言ってくれたのだが、

「今回の学科試験は辛うじての10番内だったらしくて加算点だけのトップだから一寸難しいです。」

と答えておいた。

「加算点が断突だったらしけど、それがすごいな。」

「今休んでる奴はそれがプレッシャーだったみたいですよ。」


 2時間余り署長官舎に居て帰ろうとしたら署長が、

「次行くぞ。」

元暴力団関連スナックをすっかりお気に入りの様子で行かざるを得なくなった。副署長は、

「署長、副署長が揃って不在はまずいので。」

両係長は、

「儂等も今日は一寸都合が………。」

皆逃げてしまった。何(なん)なんだ?仕方が無いので僕がお守を。僕だって早く帰って娘をあやしたい。


 店に行くと早速責められた。

「この頃ちっとも来てくれんね!」

「うん。他に飲みに行っとる訳じゃあ無いよ。月に1回の頼母子しか外に出て無い。」

「うちに来てくれる土居さんの知り合いもそう言うとった。

『娘ができて付き合いが悪い』

言うとったよ。」

「うん。誰に嫌われてもええから妻子には嫌われとう無い。」

「よう言うわ…。」


 まあ今日はお義母(かあ)さんが居てくれるから少しだけ付き合っとくか。この前から一寸署長を甚振ったから螺子を巻き戻しておこう。岡っ引きに使っている背が伸子にも、たまには愛想笑いをしておくか。由紀こと伸子には毎月情報収集代を僅かながら渡していて今は森林組合関係が来たら名刺を貰って僕に渡すように頼んでいる。


 その理由は、

『乾燥椎茸を組合員から買い上げる価格と市販されている価格のギャップ』

だ。単に森林組合がその差額を利益として計上しているのなら悪徳商法というだけで犯罪とはならないが、職員若しくは関係者の誰かが中抜きをしていれば一寸面白い。


 この前元過激派の林業農家さんから売り上げの明細を見せて貰った。市販されている価格との差がどう考えても大きい。特に品質が良い物の納入価格が抑えられている。只どうやって森林組合の帳簿を見るかだよな。其処は無理そうだからやっぱり金遣いが荒い職員からか。この街で遊ぶとなったらこの店しか無い。他の店は娘2人分かひょっとしたら3人分位の歳で先祖に象か海豹が居るのではと思うような人がスカートを穿いている店ばかりだ。此処はこの頃また背が伸子の後輩らしき若いのが入っていてママが奨励こそしないがアフターも結構盛んみたいで、他所より高いが繁盛している。背が伸子には

『決して安売りするな』

とは言っているが………。


 署長に歌いたいだけ歌わせて、足元が覚束なくなった署長を官舎に投げ込んでから帰宅した。署長官舎では加減しながらビールだけを飲んだし、背が伸子の店ではハイボールを少しだけだから酔ってはいない。そこそこ酒を飲む方だが、毎年の健康診断でγ-GTPの数値が50を超えた事が無い。父親が肝硬変からの肝臓癌で若死にしているから遺伝があると僕も肝機能が弱いのではと思っていたがそうでは無さそうだ。父親の遺伝子よりも母を通じて受けた祖父の遺伝子が強かったのかな。祖父は若い頃から毎日結構な量の焼酎を飲んでいるが80歳を超えた今も肝臓は大丈夫みたいだ。それとも父親はそこそこ強い肝臓を持ってはいたがその限界を超えて大酒を飲んだのかもしれない。


 お義母(かあ)さんは起きて待っていてくれた。それほど遅い時間になっていた訳では無いけど。

「秀明さん、家でも昇任試験の合格祝いをするってお父さんが言っているんだけど。」

「嬉しいです。他所様からのお祝いはそれなりに気を遣うし寛げません。」

「お父さんにそう言おうわえ。」

「お願いします。」

暖かいお茶を貰って就寝した。


 翌日からは普通に仕事をしている。家の中は落ち着いて特にお世話が要る状態では無いのでたまに覗く位にして事件情報の収集に本腰を入れて軽トラで管内をうろつき回っている。狙いは

『森林組合の乾燥椎茸』

と

『北東隣の署管内に住む窃盗前歴者』

に着けて居る。


 今は主として窃盗前歴者で、その合間に乾燥椎茸の情報を。窃盗前歴者は背が伸子からの情報だ。数カ月前から来始めた客で、何時も一人で来る一寸粘着質で気持ちが悪い客らしい。何度か来てカウンターに座り結構高いボトルを入れて飲んでいたが最近

『店外で会おう』

と誰彼構わずホステスさんに声を掛けるらしい。彼女達も一応プロの端くれだから上手くあしらってはいるが、一寸困った客扱いになっているらしい。僕は月に2回位背が伸子と昼飯を一緒に食べて情報を取り、そこそこの食事代プラス情報代として1万円を渡している。石原部長の捜査費が最近またアップしたので余裕で岡っ引きが雇える。この頃また一段と捜査費の金額が大きくなったので若頭(かしら)が遠慮をしたのだが、

「儂は女遊びをする訳じゃ無いし、博奕も年間通したら僅かながら浮いている。家族と出掛けるのとお前等の捜査費を出すのが儂の楽しみだから黙って受け取れ。」

と言われたらしい。若頭(かしら)が、

「相当儲かっとるみたいやぞ。向こう5百年は食うに困らん言うとったし儂等が老人ホーム入る金も大分溜まった言うとった。」


 背が伸子の情報では、その気持ちが悪い男は週1回位来るらしく、いつも現金で支払いをするらしい。本人が名乗った名前と年齢幅で総合照会を掛けると北東隣の署管内に居住する窃盗前歴者がヒットした。その写真を見せると

『この人』

と言ったので、ママに帳簿を見せて貰いその男が来た日と支払った金額を確認させて貰った。ママには好物の鰻とビールを奢って。


 盗犯日報を繰ると、その男が店に来た日の前日から2日位前にその男の過去の手口に似通った空き巣が北東隣の署とそのまた北側にある先輩が居る署の管内で発生している。割合でいえば先輩の署管内が7割を超えている。


 本人の居住地は小さな町で人口が少なく仕事がしにくいのかな。先輩の署は警衛のメイン会場になるので手一杯で盗人にまでは手が回らないんだろう。北東隣の署の刑事課は元々捜査能力が低いし。原票を頂くにはやり易い相手かも。


 手口原紙を見るとそいつの犯行でほぼ間違い無いと思った。さてうちの管内に現場が無い奴を如何やって引っ張り込むか。まずはそいつの塒を確認しなくては。


 そいつの家は田舎町のそのまた田舎の棚田沿いの一軒家だった。隠れて出入りを確認する場所が無い。そいつの家が見える場所はそいつの家からも丸見えだ。家から幹線道路に出る道は1本だが、幹線道路に出た後犯行場所がある北方に出る道が何本もある。行動確認がしにくい。対象になりそうな家を定めて張る手もあるがこんな田舎では。それに地の利も無い。


 帰ってもう一度手口分析をする事にした。昼間っから机で難しい顔をしているので課長以下僕の事を気にしている。課長が

「土居部長。体の調子が悪いんじゃないか?帰って休んでええぞ。」

「いや違います。確認したい資料があったんで。」

でもそれが何なのかはまだ言わない。


 その後元過激派さんの仕事場を訪ねたり、仲良くなった新村長派の農家さんを訪ねたり。元々の協力者も覗いておかなくては。出産や昇任試験で暫くうろついていなかったので結構忙しい。


 背が伸子から会って話したい事があると連絡があった。こういう事はまめにケアしておかないと。自分の事では無く数か月前から店に入った後輩の事だと言っている。何はともあれ一緒にお昼を食べることにした。リクエストを受け付けたら焼肉との事だったので場所は任せてOKした。


 約束の時間に指定された店に行くと背が伸子はもう来ていた。一緒の後輩はこの間店で初めて見たが、昔伸子たちが屯していた公園で見た事がある様な見たことが無い様な。話が弾む様にビールを飲む積りで来ているので今日は市内バスと徒歩で。伸子にもビールを飲むからタクシーで来いと言ってある。

「忘れる前に。」

と言って2人に封筒に入れた車代を渡した。伸子の分は会ったら何時も渡す1万円も一緒に。

「何でも頼め。」

と言ったら、上ロースだの特上タンだの上という字が付くものばかり頼みやがった。まあ仕方ないか。


 用件は困った客の窃盗前歴者の事だった。その可能性があると思っていたので驚きはしない。気味が悪い窃盗前歴者は今日一緒に来た後輩にターゲットを絞ったらしい。

「お客さんで気持ちが悪い人が居るんですよ。しつこくアフター誘って来て困っているんです。何人かで一緒に行ったことはあるんやけど、この頃2人だけで言うてしつこいんで。」

「ママは?」

「ママは行けとは言わないけど積極的に間に入って断ってはくれないし。」

「経営者としてはそんなものなのかね。分らんけど。」


 そのホステスがハンカチに包んで持って来ていた指輪をバッグから出した。

「この指輪を私にって言って。断ったんやけど無理に置いていってしもうて。」

「儂は貴金属の事はよう解らんけど、ダイヤみたいやけど本物?」

「はい。本物みたいです。」


 そういえば1週間位前の盗犯日報にダイヤが被害品の現場があったな。

「この指輪儂が預かってもええ?」

「は、はい。」

「此処が済んだらその向こうの公園で

『任意提出書』

他の預かりましたいう書類書くけん。」

「はい。」

「まあ一寸の間その事は忘れて一杯食べて。」

持て余していた指輪を警察官に渡しほっとして急に食欲が出たのかな。驚く程沢山空き皿ができた。仕方無い。ここ暫く捜査費を余り使って無かったから大丈夫だ。


 腹一杯食べた後近くの公園で必要な書類を作成した。その後僕は何時もの小料理屋まで戻って2階で昼寝。午後4時頃署に帰って盗犯日報を確認したら被害品の特徴と僕が預かった指輪の特徴が一致。強行・盗犯係長にその事を伝え他所の被害届で身柄を取り込む作戦を立てた。


 翌日は指輪の被害者に連絡を取り被害品を確認して貰い自分の家から盗られたものに間違いありませんという調書を録り指輪を仮還付して、

「事件が決着するまで今暫くこの指輪は処分せずにいてくださいね。」

と言って了解を得た。


 その晩から夕食後刑事課で待機して気持ち悪い前歴者が店に来るのを待った。何時も大体午後9時頃来ると聞いていたので一旦帰宅して娘を風呂に入れて食事をしてから再度刑事課に。係長にはいつも世話になっているパトカーの乗務員に検挙実績を付けると言って了解を得ている。


 最初の晩は空振りだった。午後11時を過ぎるまで課に居たが来なかった。翌日はパトカーの乗務員が非番だったので僕とパトカーの乗務員が課で待機して雑談をしながら待っていたら

『来た』

という知らせが伸子からあった。店のすぐ前に公衆電話があるのでそこから電話するよう言っていたのでその通りに。


 3人で店に入り、カウンターに座っていた気持ち悪い前歴者に警察手帳を示し任意同行を求めた。最初嫌がっていたが店内で揉めるのは得では無いと思ったのか外に出た処を、店の前に停めていた捜査用車両に押し込んで署まで任意同行をしたら、出る時に呼んでいた強行・盗犯係もほぼ一緒に署に到着。皆で取り囲み出来る限りの威圧を加え取調室に連れ込んだ。手口原紙では最初は否認するが完全否認では無いみたいだ。何処かで諦めるタイプらしい。


 ブツの写真を見せて、

「お前以外に居らんじゃろう!否認ままでも儂は困らん!ブツが出とるじゃけんのぅ!」

と威圧したらあっさり認めた。拍子抜けだ。被疑者がスナックのホステスに渡した指輪が被害品であると確認した被害者の調書があるから差し当たって困りはしないが、念のため北東隣の署まで主任が行って本件の被害届を貰い受けた。


 逮捕状はあっさり出た。ブツがある事件は強い。勾留も問題無く出た。勾留後の取り調べは強行・盗犯主任がすることになり、余罪がそこそこあると聞いた署長と課長が喜んで、事件検挙に関わった6人に飲ませてくれることになった。


 勾留後パトカー乗務員2名が非番の日に何時もの小料理屋で。8名同伴という事で背が伸子と後輩が手伝いを兼ねて小料理屋に来た。伸子の後輩安心したのか顔が明るい。よく見ればぽっちゃりだけど可愛く無くも無い。胸も大きいし。被疑者はぽっちゃりの巨乳が好みか。それだったら他の店にも歳は取っているがぽっちゃりで巨乳の人が一杯居るよ。巨乳というよりも巨体だけど。


 女将さん気合を入れて料理をしてくれた。お酒は僕が天桜から仕入れている銘酒。ビールは麦芽100パーセントで苦目のやつ。強行・盗犯係全員口には出さないが満足している。前回とは飲みっぷりが違う。

【署長、これが清酒というものですよ】

結局お酒を飲ませて貰っているはずの僕が持ち出しになってるけど、あんなまずいもの口に流し込まれるよりはましか。


 料理と酒を堪能した後は伸子達の店に。署長楽しそうだ。自分が飲みに行きたかっただけじゃ無いのかな?店に行くとママが歓待してくれた。

「またうちの娘(こ)助けてくれたね。有難う。」

「いや、泥棒捕まえるんは刑事課にもメリットがあるけん持ちつ持たれつやね。」

「うん。でも助かった。ほんと困っとったんよ。土居さんに言うたら一発やった。」

「今回は丁度手頃なネタがあったけん苦労はあんまり無かったよ。前回は仕込みが大変やったけど。」

署長が、

「うん、前に何ぞあったんか?」

ママが助平な農協マンの話を署長にした。

「その話は聞いた事がある。知能犯、知能犯言う奴が居った頃の事か。あいつは自分が何も出来んのに他人にやれやれ言う奴じゃったけん。」

署長仲悪いみたいだな。どうでも良いけど。


 前の係への手当てが出来たので次は自分の事を。これは簡単。まずは前から居る暴力団を傷害で。夏の花火大会の日に本家から来た奴をもてなすために地元に居ついている奴が場所取りで素人を殴ったという単純明快な事件。被害調書はその日の内に作っていて暇になったら引けば良いと思っていたやつ。これを片付けたらノルマは後2人。駅前のもどきがシノギの積りでたこ焼きの移動販売を始めたのだが、食品衛生法上の許可を取らずにやっているというお馬鹿な話。2人でやっているから丁度良い。立て続けに1勾留ずつで終わり。


 でもその間には概ね2週間に1回元部下のところを覗かなくてはいけない。でもこの前昇任試験が終わった後思ったように

『縁あって一緒に仕事をしたのだから見られる面倒は最後まで見なくては』

と考えている。現実に僕が今こうやっていられるのは、僕が見捨てられてもおかしくない事をしたのにそれでも見捨てずにいてくれた人たちのお陰なのだから。


 と思った矢先、

「もう止めじゃ!人を何じゃと思うとるんじゃ!厚生の手伝いなんか二度とせん!」

と叫んでしまった。というのは

『月に一度は途中下車して状況を報告しに来る』

と約束した通り厚生課を訪ねると例の保健婦が、

「報告ですか。はい私が聞きます。」

何じゃこいつと思ったのだが我慢してその日元部下と話したことを伝えたら、

「私が知りたかったことが大分抜けてます。ちゃんと必要な事を聞いてきてください。子供の使いじゃ無いんだから。」

ムカついた。

「何勝手な事言うとるんじゃ!儂はおのれの不始末で本来の仕事以外の事をさせられとるんじゃ!聞いてきて欲しい事があるんなら最初から言うとけ!バカ女!もう止めじゃ!儂はもう行かんからお前が自分で行け!」

つい怒鳴ってしまった。


 机をひっくり返さんばかりに立ち上がって課を出るとバカ保健婦の上司が慌てて追い掛けて来た。

「土居部長どうしたんですか?」

「自分の部下のバカ保健婦に聞いてください。」

無視して本部を出て丁度ホームに停まっていた特急列車に乗って帰署した。


 署に着くと副署長が待ち構えていて、

「何があった?」

「腹が立ったんでもう厚生課の手伝いはせん言うて帰って来ました。それだけです。」

「いやそれでは分からん。」

「分らんで結構です。もう厚生課の手伝いはせんという事だけ分かれば。」


 無視して課に戻ると僕の席の電話が鳴っていた。厚生課長だった。

「急に怒って帰ったそうじゃけど何か不都合でも。」

「お宅のバカ保健婦は如何言うてます?」

「いや、何で怒られたか分からん言うて。」

「如何しようも無い馬鹿ですね。」

と言って電話を切った。切った後すぐにまた電話が鳴り取ってみると厚生課長だったのでガチャ切りをした。もう一度来たのだまたガチャ切り。


 暫くしたら署長と副署長が揃って上がって来た。

「いや、儂等にも何が何やら分からんのじゃ。何で怒っとるのかの説明をしてくれんか。」


 あの保健婦は自分が他人に迷惑を掛けとるという自覚が全く無くて

『僕に対して報告を聞いてやるという態度だったのがムカついた』

『何の要望も出さずにいて僕の報告が抜けばかりだと非難して来た』

『その上に自分の聞きたい事が抜けていた事を子供の使いじゃ無いんだからちゃんとしろとまで言った』

そんなことを言われてまで自分の仕事じゃ無い事に時間を掛ける気は無いので

『もう止めた』

と言って帰って来たと説明した。

「こんな事言われてまでせないかんことですか?」

「うん。それ腹が立ったじゃろう。でも何とか我慢をしてくれまいか。」

「嫌です。あんな馬鹿女のためには1ミリたりとも動きません。」

「うーん。」


 夕方厚生課長がバカ保健婦を連れて署まで謝罪に来た。保健婦は上司に言われたから仕方なく謝っているのが丸判りの謝り方だった。

「これ程嫌そうな謝りかたされたんは生れて初めてじゃ。それほど嫌なら謝ってくれんでもええよ。あんたが自分の仕事自分でやったら済む事じゃけん。そしたらあれが抜けとるこれが抜けとる言わんでも済むじゃろ。儂も子供の使い扱いされんで済むけん。」

「あの土居部長さん、うちの保健婦そんな事言うたんですか。」

「はい。

『子供の使いじゃ無いんじゃからちゃんとせい』

言うて怒られました。前もって言われた事ができんかったんなら言われても仕方無いんじゃけど何も言わんとっていきなり子供の使い扱いされたら腹立ちますよ。」

「それは済みませんでした。誠に申し訳ありませんでした。この通り謝りますから今後ともあの元部下の人との面接を続けて貰えんでしょうか。」

「あれほど偉そうに他人に言える立派な保健婦さんがいらっしゃるんですから他人を当てんせんでもええでしょう。この保健婦さんがいらっしゃる限り僕は厚生課の仕事はしません。それとさっきの保健婦さんの態度、謝ってる様に見えました?あれを謝罪じゃと言うなら課長も同類ですよ。」


 皆黙ってしまった。

「話が無いようなら僕は帰ります。」

「いや待ってください。正直に言います。あの両親が土居さんになら会って話をする。それ以外の人間とは会わん。此の儘息子を放ったらかすなら

『県議会で問題にして貰う』

『労働組合からも問題にする』

言うて持も下げもならんのです。どうか助けてください。」

「お断りします。今日の保健婦の態度を見たら、あのご両親が腹を立てたのも納得です。こんな人間のために自分の仕事をする時間を削る気は有りません。」


 結局僕は首を縦には振らなかった。バカ保健婦は自分が針の筵に座っているという自覚は無さそうだったが、拙いことになった位の事は気付いたみたいだ。段々顔色が悪くなるのが分かったから。

「これは僕の本来の仕事では無いのだから無理強いされる理由もありませんよね。」

この一言で僕は席を立った。誰も止めなかった。


 翌朝出勤すると若頭(かしら)から電話があった。電話から若頭(かしら)の声が聞こえた途端昨日の話だというのは分かった。若頭(かしら)は今警務部参事官警務課長事務取扱という職に就いている。厚生課も警務部の中の課だから厚生課長が泣き付いたんだろうな。

「はい、土居です。課長がおっしゃるのなら矛を収めます。言われた通りにします。」

「まだ何も言うて無いぞ。」

「昨日はムカついたんで言いたい事言うたんですが課長に迷惑を掛ける積りは全く無いんで。」

「別に迷惑して無い。お前が言うのはもっともな事じゃ。あのバカ保健婦は前から問題が多かったんじゃ。あれには相応の措置をする。一旦厚生課から外すけん引き続き元部下の件引き受けてくれ。議会や労組巻き込まれると無駄な労力使わないかんなるけんの。此処は組織のために堪えてくれ。」

「分かりました。御心配をお掛けしました。」

「ははは、儂は個人的には面白がっとるんじゃけどな。まあ組織の一員になると面白いだけではいかんのでな。本部長も面白がっとった。やれ、やれ、行け、行けみたいな感じではあったが口には出せんからな。」

「本部長にも謝っとってください。」

「本部長もう直ぐ異動じゃ。送別会の日取り決まったら連絡するけん出てこいよ。」

「はい是非とも。」


 電話を切ったらすぐに今度は厚生課長から電話があった。

「今警務部参事官から電話がありました。参事官の指導に服します。2週間後の日取りを決めて来とるんでその日はちゃんと行きます。次は電話で報告の番なんですが誰に連絡したら良いですか?」

「早速に済みません。私が主で、席立ちなら次長が対応します。どうしても聴取して貰いたい事項があれば前もって文書でお願いします。帰ってから保健婦詰めたら全面的にうちに非がある事が分かりました。申し訳ありませんでした。昨日も言うた通り中々一筋縄ではいかんので土居さんだけが頼りです、宜しくお願いします。」

「分かりました。努力します。」


 バカ保健婦は急遽警察学校に行かされたらしい。初任科生の健康管理名目で雑用をするらしい。初任科生なら右も左も分かって無いから馬鹿が何を言っても言われた意味が分からないだろうし馬鹿が馬鹿であることも分からないだろう。


 一段落ついたので次は森林組合の方を。やはり中抜きをしている奴が居るみたいだ。そいつは女に金を使う奴では無いのだが、身分不相応な車に乗っている。他にも借金無しで大規模な家のリフォームをしたらしい。頼母子仲間の建築屋さんから仕事を受けた業者を教えて貰いおおよその価格が分かった。


 車とリフォームで8百万円位掛っているが金融機関への照会では借入が車のローンだけでリフォームの原資が無い。家は貧しそうでは無いが、本人の口座も親の口座もそんなお金の出入りは無い。


 これを解明するために、椎茸栽培をしている人達から

『引き取り価格が販売価格に対して安すぎる』

というクレームをつけて貰い、組合員の権利として帳簿を確認しその後警察本部捜査二課に告発して貰う事にした。


 この事を本部の知能特捜に持ち掛けたら二つ返事で引き受けて貰えた。森林組合は只の協同組合ではあるが法に定められた組織で公益性もあるのでニュースバリューがあるのだろう。補佐からは

「此処までの情報と段取りで後はうちがやる。端緒把握の功労は勿論付ける。土居のお陰で仕事が切れん。」

と言って貰えた。


 警衛も済んだ。部隊の一員として会場警備に就いたら、先輩は私服で陛下のすぐ近くの警戒を任されていた。目だけで挨拶をして言葉は交わさなかったが以前中央署勤務時最後の頃の様な気力が見えたので来年は大丈夫だろう。なんせあの出来が悪かった土居に追い越された儘では終わるはずが無い。


 警衛までが本部長の任期だったみたいだ。元々警備畑で警衛・警護が専門なので今回の警衛の指揮のためこの県に来ていたらしい。僕達は御料車が着く場所近くの警戒で、僕が立っていたところのすぐ近くに随行していた本部長が降車し僕に気付いて微笑みながら会釈をしてくれた。慌てて僕も敬礼をしたのだが警衛従事中に敬礼をすべきだったのだろうかすべきでは無かったのだろうか?まあ誰も咎めなかったから良いんだろう。周りの皆は何で本部長が僕に会釈をしたのかが不思議だったみたいだ。


 11月も半ば。今年は7百匹以上鮎を獲って5百匹以上焼き干にした。大半は若竹と天桜行で、中央署時代にお世話になった従兄弟同士にも毎年送っている。勿論石原部長にも。アマゴはもう禁漁になっているが今年は結構良い形の物の数が上がった。これも殆どを焼き干に。


 森林組合の中抜きを咎めたので椎茸栽培をしている人達が一杯乾燥椎茸をくれた。これも若竹と天桜と、知能特捜補佐に大半を。前・現本部長にも干鮎、干アマゴ、乾燥椎茸、乾燥山菜を。うちの嫁さん僕が椎茸出汁を多用するのでこの頃他所で鰹出汁の料理を食べると一寸感覚が狂うらしい。


 管区警察学校の警部補任用科は年明け早々になった。入校中は2週間に1回土曜の午前中に元部下の処に寄ってから帰宅という事で。本当は金曜の夜一気に娘の顔を見に帰りたいところだけれど仕方が無い。6週間なんてすぐに過ぎる。それが過ぎればすぐに異動だ。一応今年のノルマは達成済みだし来年の第1四半期は半分入校中だし、元部下をそろそろ復帰させなくてはいけないし。休職中は異動させられないらしい。本人も両親も自宅近くへの異動を希望しているから年明けには形だけでも復帰させなくては。


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