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心の病

 元部下がおかしい。自信なさげに意気消沈していることが多いのだが、突然目が座って主任や先輩の巡査長に突っ掛かったり。


 選挙違反が片付いた。供応を仕切った奴とそれを指示した奴で収めたみたいだ。知能特捜は仕事をしたという実績を残し、駆け出し知能犯刑事と知能犯刑事候補者のトレーニングも出来た。我が署は選挙違反検挙端緒情報入手の実績が計上され、選挙補佐と知能特捜補佐からは署長にお礼の電話もあったし。


 今年のノルマは今のところ順調。後暴力団を3人入れれば僕の分は達成。その当ては有るので余裕でいける。後は席を離れはしたが世話になった強行・盗犯係長のために後半もう1件何か窃盗事件を捜さなくては。


 もっとも今は妻の出産が気になってそれ処では無い。無事子供が生まれてくれて落ち着いてからだ。署長から外出自由のお墨付きを貰っているから、いけないと思いつつも産前休暇中の妻を世話をするために当たり前の様に仕事中家に帰っている。妻もそれを不自然とは思っていない。


 でも出たからには手ぶらで帰る訳にもいかないので、大したものでは無いが毎日何らかの情報をコンスタントに持ち帰っている。事件情報よりも市町村長、議員等の動静等に関する管理情報が主だが。本来その手の情報は警備課が出すのだが、警備が出したまた聞きのまた聞きみたいな確実性に欠ける情報を僕が正確な情報で否定するものだから警備は困っているみたいだ。刑事は事件情報を上げてしまったらそれを検挙という形にしなくてはいけないので

『外れていたら御免なさい』

とは言えない。事件以外の情報でもその習慣があるのであやふやな情報を上げる事は無い。警備は言いっ放しで良いから情報を出しておきさえすれば良かろうでこれまでやってきたが、そうはいかなくなったので動けなくなって困っていると聞いた。責任ある仕事をすればそれで済む事だから僕が気にする事では無い。


 最近刑事課の雰囲気がおかしい。僕は朝礼が終わると直ぐ外に出て家をベースに情報収集をして、夕方執務時間が終わる少し前課に帰り家で書いた報告書を出して帰宅している。ほぼ1日中外に居るから分からなかったのだが、親しくしているパトカー乗務員から聞いた処では、強行・盗犯係が火事・変死等の現場に臨場する以外はずっと刑事課に居るらしい。


 そこらの事を強行・盗犯係長に聞いてみようと思ったのだが、刑事課では聞きにくいので夜家から官舎に電話をしたが電話に出ない。自宅に帰っているのかなと思い自宅に電話をするとやはり自宅に居た。

「この頃刑事課の雰囲気が何かおかしくないですか?聞く処では現場が無かったらずっと課の中に居るみたいやけど。」

「うん。土居部長の元部下が病んどる。放っといて外に出にくいし連れても出にくいし。」

「僕は朝と夕方しか課に居らんから分らんかったけど、何か雰囲気がおかしいなとは思ってました。」

「何やら夜眠れんらしい。何もせんとじっとしとったかと思うと突然主任や先輩に棘のある事を言うてみたり。そしたら主任に

『何や!』

言われてまた下向いてもの言わんなるし。」

「それ放っといたらおかしゅうなる一方じゃないですか。」

「街の川上に精神病院あるけど、あそこは入院さして医療費稼ぐだけの病院じゃしのぅ。」

「あそこは駄目ですよ。見せたら悪化するだけです。院長自身がおかしいじゃないですか。」

「如何するかのう。」

「石原部長に相談してみます。あの人前にもおかしゅうなった留置係に心療の先生を紹介してくれた事があるらしいんで。」

「そうか。そうしてくれるか。」

「でも行くん嫌がるかもしれんけどそこは係長お願いしますよ。僕やそこの主任が言うたら絶対

『嫌じゃ』

言うと思うから。」

「分かった。」


 急いで石原部長の自宅に電話をしたら運良く家に居たので、心療の先生を紹介して貰えるようにお願いをした。その診療所を教えて貰い

『今晩電話しとくから明日連絡してみろ』

と言って貰えたので早速係長に電話して結果を伝えた。


 翌朝出勤して朝礼が終わった後署長室に行った。僕が署長に直接何事かを報告・説明するのは珍しい事では無いので誰も不審には思わない。こうするのは元部下の前でこの件について話すことができないから

『朝礼が終わったら直接署長に説明に行く』

と電話をした時係長に伝えている。


 署長室に行き話ができるかどうか確認したら大丈夫だったので、普段開け放してある署長室のドアを閉めて署長の前に行った。署長何か良い話があるのかと期待をしている様子だったので、

「良い話ではありません。」

「うん?何か下手打った奴が居るんか?」

「下手を売った訳では無いんですが、課長から何か聞いてません?」

「いや別に。」

「課長飛ばして署長に持ってくるのがいかん事なのは解ってるんですが、課の中では言いにくかったんで。」

「うん?」


 元部下が最近おかしいことを説明した。夕べ強行・盗犯係長と話をして信頼できる心療科の医師に診て貰った方が良いと意見が一致したので心療の先生を紹介して貰っている事を伝えた。

「それは聞いて無いぞ。」

と言って課長を呼んだ。やって来た課長に、

「飛び越えるような形になって申し訳ないんですが、強行・盗犯係の事どう思います。係全体じゃなくて僕の元部下の事です。」

「うん。なんか最近元気が無いのう。係全部が現場以外出て行かんし。まあ、うちの課は情報入手を土居部長に全面的に任しとるけん他の者はずっと居っても不思議じゃないけんのぅ。」

「夜眠れんらしいですよ。感情の起伏もあるし。一寸気になったもんで係長と相談して此処に課長に来て貰いました。課では言いにくかったんで。それに署長にも言わないかんことやと思うたんで一遍で済まそうと思うて。一寸申し訳なかったんですが。」

「そうやったんか。儂もおかしいとは思いよったんじゃけど直接聞くのも何やったんでの。係長も何も言わんし。」


 今初めて署長に説明する様に昨夜の係長との会話内容を伝え診療科の受診を勧めて貰えるようにお願いした。僕が言うと反発するであろう事と石原部長から診療科の先生を紹介して貰っている事も。


 署長が副署長を呼んで事情を話し元部下と面談をする様に命じた。僕がこのまま放置しては駄目だと思っている事、僕が言うと反発するであろうと思っている事、課員からの勧めも良くなさそうな事等を説明し副署長しか適任者がいないと言っていた。副署長にしても嬉しく無い事だろうけど署長命なら仕方がない。でも僕の差し金であることは判るよな。これも仕方が無い。


 副署長が直接呼ぶと身構えるだろうから、係長が会議室に連れて行きそこに副署長が足を運んでくれてて3人で雑談の様に面談をしてくれた。

『夜眠れない』

『眠れない理由は仕事が気になるから』

『その理由は実績が挙げられないから』

『土居部長は次から次に実績を積み重ねているが自分には何もない』

『周りが何もない自分を責めている』

『懲戒免職になった人と一緒に行動した自分が許せない』

『その事で周りの皆が自分を白い目で見ている』

といった話だったらしい。


 係長は副署長から、

「本当に責めてはいないのか?疎外はしていないのか?」

と聞かれ、その事は否定したらしい。でも僕が係を代わってあいつが部下じゃ無くなって何かほっとした気分になったことは否めない。今度来た人は良く分からないけど、係長も主任も如何対処して良いか分からなかったんだと思う。


 病院に連れて行くのは知能・暴力係長になった。

「懲戒免職になった奴のために一緒に監察に呼ばれた被害者同士だし日頃一緒に仕事をしていないし、丁度良いんじゃないですか。」

と強行・盗犯係長が課長に言ったらしく課長も同意したそうだ。知能・暴力係長迷惑だろうけど、言ったのは僕じゃ無いですからね。


 知能・暴力係長には僕から元部下の現在の状況等を書き出したメモを渡し心療の先生に伝えて貰うようにして、ついでに係長を同行させるように言ったのは僕じゃ無いとも言った。


 先生は結構長い時間を掛けてゆっくりと質問をし、急かせる事無く回答を引き出しては優しく頷き患者をリラックスさせて心の奥を読み取っているみたいだったそうだ。知能・暴力係長は日頃殆ど外に出ないので、課内で僕の元部下を見ていて病んでいる事に気が付いていたそうだ。ただ直接の主任・係長が行動を起こしていないので自分が口を出してもと思い静観していたと言っていた。それはそうだけど、この人は元々他人のために行動するタイプでは無いから。


 診察が終わり係長にも色々質問があったそうだがそこらの事は良く分からない。先生の見立ては

『うまくいかない事があってそこから気分が落ち込んでいったんだろうけど、もっと早く気付いてあげれば』

と言われ、睡眠導入剤と安定剤を処方され、1週間後にまた来るようにと言われたらしい。


 このまま気分が落ち込み続けて間違いがあってはいけないから実家の御両親に電話をし署に来て貰う事にしたそうだ。強行・盗犯係長は見張ると言っては何だが部下の行動を注視するために自宅に帰れなくなっている。今度来た巡査長も同じ官舎に居るので副署長・課長から特命を受けたと聞いた。


 署に来たご両親と相談してしばらく実家で休ませることになった。心療の先生についてご両親は実家近くで探したいという意向だったが副署長に僕が、

「心療の先生は当り外れの差が激しいそうです。適当に薬を大量に処方して診療報酬を稼ぐだけの医療機関に当たったら治るものも治りませんよ。」

と一寸だけ脅かしておいた。


 また1欠だ。まあこいつは戦力になっていなかったから課にとってのダメージは少ないだろう。それに僕の係の事では無い。でも強行・盗犯は件数が欲しくなったら僕に凭れ掛って来るんだろうな。


 そんな中でも時間は過ぎる。遂に予定日が間近に迫り、妻は実家で出産の準備をしている。何時呼び出しがあるか分からない警察官の夫と2人だけでは置いとけないから。


 予定日の夕方兆候があった。妊娠当初から通院していた市立病院に行きそのまま入院したとお義母(かあ)さんから仕事場に連絡があり僕も即市立病院に向かった。


 病院に行くとお義母(かあ)さんが居て、

「何時でも良い様に持ってくるものは全部用意してあったけん大丈夫よ。」

と言ってくれた。僕は仕事で下手売っても特に慌てないが妻の出産では酷く落ち着きがない奴になっている。


 暫くしたら僕の母も来た。どちらの母も初孫誕生だから一緒に立ち会おうとお義母(かあ)さんが呼んでくれたらしい。母が

「初産やから直ぐの事にはならんと思うけんそんなにいきっとったら身が持たんよ。」

お義母(かあ)さん笑ってる。


 電話を貰ったのが午後4時30分を過ぎていた。あれからもう3時間以上経っている。落ち着かない。

「秀明あんた釣りが好きやけど今日の満潮分かっとる?」

「うん。今日は満月の大潮で北西隣の町の河口辺りの満潮が午後9時40分頃。」

「そしたらもう一寸かな。」


 潮の満ち引きと関係あるのかな?良く分からんけど。

「昔からそう言うよ。」

「ふーん。」


 満潮の時刻を少し過ぎた午後10時過ぎに生まれた。

「女の子です。母子共に健康です。」

安心したら力が抜けた。暫くしてガラス越しに対面したら自然に涙が流れてきた。


 先輩夫婦、義姉(ねえ)さん夫婦、僕達の順で結婚したのだが、子供は僕達が一番早かった。一寸プレッシャーを掛けてしまったかな。喜びは夫婦の間だけにして周りには抑えておこう。


 退院の日は休暇を取って迎えに行き妻子は実家の方に帰った。暫くの間は実家で面倒を見て貰う。その代わり僕が義弟(おとうと)の面倒を家で見る。弟は県庁所在地に在る大学に特急列車で通っている。最近石原部長の同級生が経営する会社でアルバイトをさせて貰っていて破格の時給とこの街からの通勤手当まで貰っているらしい。通学定期で県庁所在地まで通っているのに、給与の他に通勤手当として往復切符の料金に相当する額を月15日位の出勤日分全て貰っている。甘やかし過ぎだ。


 アルバイトの日は最終で帰るから家に着くのが午後11時を過ぎる。夕食を食べているのに帰ってからも何か食べようとするので、母子の世話で疲れているお義母(かあ)さんに迷惑が掛からない様に妻と娘がこの家に帰って来るまで僕が夜食を食わす。何もできない奴だから作って食わせるか散らかし放題の後片付けをするかだが、作って食わす方が楽だと判断した。


 元部下は親の処に帰って行った。暫くは有給休暇だが、様子を見て復帰か休職かを決めるそうだ。医療機関については最初掛った石原部長が紹介してくれた先生が実家に近く信頼できる心療科の先生を紹介してくれたそうだ。


 元部下が休み始めて1ヶ月が近くなった頃署長が僕を呼んで、

「一寸元部下の処覗いて見てくれんかのぅ。休み始めて1ヶ月。今後の事を考えんといけん。」

「先方からの報告は無いんですか?」

「警務が電話したら答えるが向こうから連絡をして来た事は無い。」

「それって元部下がおかしくなったんは警察に責任があるとでも思っているんじゃないですか。」

「そうかもしれん。」


 そんなもん僕に言ってくるなよ。

「土居部長も嫌かもしれんが他に頼める奴が居らんのじゃ。署長特命の出張扱いで頼めんかのぅ。」

嫌だけど断れないよな。


 家に帰ってその事を妻に告げた。

「それは仕方ないよね。部下だったんじゃから。ついでにお世話になってる天桜さんやその他の処に挨拶行ったら。母に泊まりに来て貰うから。何なら1泊して来てもええよ。」

「気が重いんじゃけどな。」

「それじゃからこそ終わった後の気晴らしに。」

「有難う。最終で帰ったんでええかな。」

「勿論よ。ずっと仕事を置いといて私等の面倒見てるんやから署長の言う事も聞かんとね。」

「うん。気が重いけど仕方ないか。」


 出張の日が来た。石原部長が気に入りだったコットンスーツを着て、天桜用に干鮎、干アマゴ、乾燥椎茸、乾燥山菜等を行商レベルの大荷物で持った。特急列車を乗り継いで昼前に着いたら、一度天桜に荷物を降ろしてから元部下の家に行く予定。面談後はノワールのママと天桜で食事をして店に寄ってから最終を乗り継いで帰宅する。一応1泊2日の出張になってはいるが、嫌な仕事を引き受けたから翌日は闇休暇だ。


 ノワールのママに渡すお土産は妻に選んで貰い

『お世話になっています』

のメッセージを付けて貰った。何でもオープンにしておくに限る。


 元部下の実家が在る市に着いた。タクシーの運転手さんに天桜の名を告げたら、

「あそこランチやってました?」

「いや、やって無いけど約束してるんで。」

「ああ、そうですか。」


 そう広い街では無いから直ぐに着いて暖簾が出ていない店に入ると、顔馴染みの店員さんが居た。

「あ、土居さん、いらっしゃい。大将お待ちかねですよ。」

「土居さん久し振り。よう来たね。」

「いつもお世話になっています。協力してくれる人等に大将が工面してくれるお酒飲ましたら喜んでもらえるんで大助かりです。」

「それは良かった。」

「これお土産です。自分で山や川から拾い集めたもんばっかりなんで申し訳無いんやけど。」

「いやいや、うちは料理屋じゃから土居さんがくれる乾物は有難いんよ。鮎の甘露煮が大人気でな。」

「今年も落鮎の頃には一杯獲ります。干す場所も確保できてるんで気合入れてやりますけん。」

「今日は何か用事があったん?」

「はい。」


 隠すほどの事では無いので今日の用件を固有名詞を控えて話した。じっと耳を傾けてくれていた大将が、

「それな、儂の知り合いの息子の事じゃ。高校出て警察入った子が1ヶ月位前から家に居る。一寸気持ちが塞ぐ言うとったけん。」

「そうやったんですか。昼から家に行く約束して今後の予定を話さないかんのですがご両親警察に不信感があるらしゅうて。」

「うん。元々労働組合の事を熱心にやって警察にええ印象を持っとらん人間やからな。警察が息子採用した時皆が

『こんな左に寄っとる人間の息子よう採用になったな』

言うとった。」


 それでか。僕が接した感じでは元部下自身には特に問題は無いのだが、警察学校時代に教官から一寸目を付けられていた様な話を聞いた事がある。採用してから親の事が分かったのかな。この頃僕が育った田舎でさえも身元調査がやりにくくなったと聞いたが、此処等ではもっと前からそうだったんだろうな。僕が育った辺りでは共産主義は伝染病扱いだったが、此処いら辺りでは珍しく無いんだろう。


 大将が同行してくれるというのでお言葉に甘えることにした。家に行くと元部下はよれよれのジャージ姿で家に居た。両親は共働きと聞いていたのに2人共家に居る。文句を言うために仕事を休んだんだろうな。仕方ない、何を言われても黙って耐える。でも言質は取られない。これしか無いか。


 両親が天桜の大将が一緒なので驚いている。

「儂は土居さんとは以前からの知り合いなんじゃ。でも勘違いするなよ。土居さんに一緒に行ってくれ言うて頼まれた訳じゃ無い。今日この街に来た理由を聞いたら

『元部下が体調を崩して実家に居るから見舞いに来た』

言うて聞いたからじゃ。土居さんが此処の住所や名前を言うた訳じゃ無い。体調不良で休んどる若い警察官いうたら此処しか無い思うて一緒に来たんじゃ。」


 両親は黙っている。

『元上司として見舞いに来た事とこれからに対する要望を聞いて帰りたい』

と伝えた。色々きついことを言う積りだったみたいだが天桜の大将を見て躊躇しているように見える。でもこちらから下手(したて)に出て突っ込み処を与えるのも拙いし様子見からだ。


 夫婦が顔を見合わせていたが、

「うちの子こんなになってしまった責任をどう取って貰えるんですか?」

やっぱりそう来たか。

「御両親は何処が警察の責任だとお考えになって居られるんですか?」

「いや、息子がこんなになるまで追い込んだんじゃから。」

「息子さん何処をどう追い込まれたと言ってます?」

「いや、それは、息子がこんなになったんじゃから。」

「はっきり言いますが誰も息子さんを追い込んではいません。息子さんは追い込んで結果が出るレベルに有りませんから。追い込むのは刑事を何年もして経験がありながら怠けている奴にすることで、まだ刑事になり立ての息子さんは誰も追い込んでいませんよ。」

「じゃあどうしてこんなになったんですか?」

「息子さんは如何言ってますか?」


 ずっと下を向いていた息子が小さな声でぼそぼそと、

「周りの皆がちゃんと仕事しとるのに僕は何も出来んので焦ったんじゃ。僕だけが置いて行かれとるような気がして。」

「息子さんは真面目過ぎるんじゃないでしょうかね。刑事に成る前は楽しそうに刑事課の手伝いに来とったけど、刑事に成ってしもうたら職務上の責任を強く感じ過ぎて

『やらないかん』

いう気持ちに圧迫されて空回りしとる様にも見えたんじゃけど。」

「そこをちゃんと気を付けて貰わんかったからこうなったんでしょう!家を訪ねてきた本部の厚生課の保健婦さんも

『刑事課は仕事が厳しいですからね』

言うてました。」

「息子さんは義務教育受けとる児童・生徒じゃ無いんですよ。一人前の社会人です。社会人は皆厳しい仕事をして生計を立てて居るんです。仕事が厳しいのは皆同じです。周りは誰も息子さんにプレッシャー掛けたりはしていません。確かにやってはいけない手を使って実績を上げようとした馬鹿が居たのは事実です。でも

『あいつには気を付けろ』

『あいつと付き合うな』

と言われたのにそれを無視して付き合った処から今が始まったんだと思います。」


 本人を前にしてはややきつかったかもしれないが、この両親は他人のせいにしたがる人達みたいだから緩く受けるとどんどん踏み込まれそうに思えたのでつい。天桜の大将が、

「土居さんの兄貴分、そのまた兄貴分等を儂はよう知っとる。土居さんは勿論その人等も他人を追い込むような人等じゃ無い。今回土居さんの下に付いたんなら言いつけを守って普通にしとったらこんな事にはならなんだんじゃないか。儂はそう思うぞ。逆にあんたら2人はこの子だけじゃ無い上の子等にも

『学校でええ成績とれ』

『何でも他人(ひと)より上に成れ』

言うて子供らを小さい頃から追い込み続けてきたじゃろう。じゃからこの子は目先の実績を揃えんといけん思うて自分で自分を追い込んだんじゃないか?」

元部下は、

「実績が足りん言われた事は無いです。でも自分の主任があまりにも次から次に事件を挙げていくのを見て焦ってました。何とかせないかん思うとったらあの主任が一発逆転したんを見てこれじゃと思うてしまいました。そしてあの人の真似をしようと思うたらあのざまでした。その後また元の様に頑張ろうとは思うたんやけどやっぱり上手くいかんかって、そしたらもうどうしてええか分からんなってしもうて。係長も土居部長も件数の事で僕を責めたりした事は無いです。」


 元部下泣いている。

「まだまだ戻れるんぞ。署長も最初っから上のもんを来さして大事(おおごと)にせん様に儂みたいな下っ端を来さしたんじゃ。」

「でもあの事で自殺した人まで出てしもうて。」

「あれは君とは関係ない処で起こった事じゃ。気に病む必要は何にも無い。誰も君に責任があるとは思うてない。君はあの主任に巻き込まれた被害者じゃ。」

「はい。」

「もう一遍言う。誰も君が悪いとは思うて無い。少し休んでまた戻って来い。」


 両親は何も言わない。天桜の大将が言った事が当たりだったのかな。

「あまり疲れさせてもいけないので今日は帰ります。話がしたい気分になったら何時でも来ます。署の方には時々で良いからこちらからも連絡を入れてください。」

「分かりました。よく話し合ってみます。」

「でも急にあれこれ言うと混乱するからお医者さんの意見も聞いてゆっくりお願いしますね。有給休暇が切れたら

『病気休暇』

『休職』

もあるから急いだらいけませんよ。署長には気長に療養させて完治させるように言いますから。」

「お願いします。」

最初の勢いが全く無くなった。天桜の大将が一緒に来てくれて良かった。


 帰りの車の中で大将が、

「あそこの両親共儂とは似たような歳でな子供の頃からよう知っとるんよ。どっちも負けず嫌いでな、親父が労働組合しとったんも自分の学歴・能力では出世は望めんから組合活動で自分をアピールしたかったんじゃと思う。あわよくば労働組合から選挙に出て市会議員位はと思うとったみたいじゃけどその程度の人望も無かった。嫁も似たような性格じゃ。子供等にも

『他人(ひと)に負けるな』

『他人(ひと)に先んじろ』

そんな事ばっかり言うもんじゃから上の子等は家に寄り付かん。」

「そうやったんですか。色々な親がいますからね。うちの親父はもう死んだけどアル中で人を嫉んでばっかりの人間やったらしいです。お袋に見限られて寂しく死んだらしいですけど、お袋は葬式にも行かんかった。」

「色々な親が居る。石原さんとこみたいな立派な親ばっかりじゃあ無いけんな。」

「親が立派やったからああいう立派な人間なったんですかね。」

「本人の資質が大なんじゃろうけど、家庭環境は大事よな。」


 思いの外早く面談が終わってしまった。一旦天桜に帰ったがノワールのママとの約束にはまだ時間があるからカウンターに座ってビールを飲みながら仕込みをしている大将や板前さん達と話をしていると、

「土居さん椎茸栽培までしとるん?」

「ああ、あれは仲良くして貰ってる元過激派の林業農家さんから貰ったんですよ。僕がした事でその人の役に立つ事があったらしくて。家で使う分位はそこの原木を分けてもろうて庭の隅に寒冷紗掛けて自分でやってますけど。」

「ふーん。あれ肉厚でええ椎茸よ。買うたら高いよ。」

「そう思うんですけどね、森林組合が買い上げる値段は安いらしいですよ。」

「それやったらうち直接欲しい。」

「はい。でも普段から一杯くれるんでまずそっちを送って足りん分だけを買いましょう。放ったらかしで野良生えになって傘が開いたどら焼きみたいな生椎茸も美味しいですよ。」

「ええなぁ。それも一緒で頼むな。」


 そんな話をしていたら約束の時間が来てノワールのママが来た。

「土居さん久し振り。元気にしてた?」

「はい。」

「結婚式呼んでくれんかったから私の事なんか忘れたんかと思うとった。」

「そんな事無いですよ。警察関係も極力ご迷惑を掛けん様にあまり呼ばんかったんです。」

「前の署で一緒だった鑑識君

『結婚式呼んで貰えんかった』

言うて拗ねとったよ。」

「ああ、田舎街なんで会場のキャパがあまり無くて。」


 お土産を渡した。妻からのメッセージを読んでお土産以上に喜んでくれた。

「ええ人と一緒になったんやね。」

「僕には過ぎた嫁さんです。」

「私が知っとる警察官の奥さんとはちょっと違うね。」

【今東端の刑事課長をしている人の奥さんの事かな?】

「その奥さん私と旦那の事を疑うもんやからその警察官うちの店に来んなった。」

返答しにくい。この件には関わるまい。


 お土産と一緒に持ち込んで冷やして貰っていたシャンパーニュを出して貰った。

「これ石原部長から貰ったんですよ。何でもコート・デ・バールっていう地区のピノノワール3とシャルドネ1でできたシャンパーニュらしいです。」

「ふーん。そういえば石原さん

『アイ村以外のピノムニエは増量剤としか思えん』

『特にヴァレ・ドラ・マルヌ中流域のムニエは』

って言ってた。ムニエ抜きか、美味しそうやね。」


 大将とカウンターに居た板前さんにも飲んで貰った。みんな気に入ったみたいだ。僕自身初めて飲む銘柄なんだけど、ブリュット表示ではあるが僅かに甘さを感じていい具合だ。もう1本貰ってるから今度母が泊りに来た時に嫁さんと一緒に飲もう。


 若頭補佐の話は終わったみたいなので蒸し返さない様にこのまま逃げ切らなくては。大将が色々用意してくれていて一杯美味しいものを頂けた。ママの好物も苦手な物も大将心得ているからママは大満足。シャンパーニュの後は北関東の香りが良い日本酒を貰ってゆっくりとできた。今日は大将のお陰で気の進まなかった仕事も割と簡単に片付いたし。でも本部の保健婦の話は一寸腹が立つ。保健婦が言った事にでは無く、保健婦が訪ねて相手に不快感を与えた事を署長が黙っていた事にだ。これは何かの取引に使わせて貰う。


 午後7時を回ったのでノワールに行く事にした。ママのファンである大将も一緒に。

「儂が居らんでもこの店は回るけん。」

と軽く言って。


 県庁所在地行で乗り継ぐ最終の特急列車に間に合う様に、その街の駅から特急列車に乗った。宿泊しなくて良かった。娘の顔が一晩でも見られ無いのは耐えられん。今は月に4回程度の宿直勤務が苦になっている。


 午後11時を少し回った頃に特急列車を降りてタクシーに乗った。署のすぐ近くに在るタクシー会社の車で運転手さんも見掛けた事がある人だった。

「出張だったんですか?」

僕は明らかに酒を飲んでるけど。

「はい。仕事が終わってから懇親会を。」

間違ったことは言って無い。運転手さん行先を聞かずに発車した。行先を言おうとしたら、僕の家がある町名を先に言われた。???

「僕土居さんと同じ町内に住んでます。」

運転手さんが苗字を名乗りご両親の名前を言った。何だ、嫁さんの実家のすぐ近くの人だ。

「済みません。気が付きませんでした。」

「土居さんはこの街では有名人やから。」

「そうなんですか?」

「他所から来た人やけど、この街の強い味方じゃ言われてますよ。」

「いや、僕こそこの街の人等に助けられてばっかりです。」

「そこですよ。色々この街の厄介事片付けてくれるのに絶対に

『してやった』

とは言わん人じゃと聞いとります。」

「特に難しいことはしとらんのですけどね。」


 僕の家は駅から遠い訳では無いのであまりお金に成らない客だから遠慮する運転手さんに無理やりチップを渡して家に入った。静かに入った積りだったのだけど起こしてしまったかな。居たのは義弟(おとうと)だった。今日は学校もバイトも休みだったらしく保安要員として雇われたそうだ。妻と娘は就寝中。寝顔を見るのは我慢して僕も就寝。


 翌日はゆっくり家に居て、翌々日早目に出勤して署長が出勤してくるのを待った。出勤して来た署長に、

「ちゃんと情報を提供してくれて無いから纏まる話も纏まりませんでした。」

「な、何の事じゃ。」

「まずは本部の保健婦の事です。言わんでもええ事言うて付け込まれとる事言っといてくれればやり様もあるのに情報が無いもんじゃから先手取られて困りました。それと父親は元々労働組合の仕事しとった人物らしいじゃないですか。其処等も解っとったんでしょう。其処等も事前にちゃんと言うといてくれたら慌てんで済んだのに。そういうのと話し合いをするのが嫌でこんな下っ端に行かしたんでしょう。」

「い、いやそういう訳では無いんじゃが。」

「一応宥めてはきましたが後は知りませんよ。」

一寸虚偽を交えて怒った振りで。


 一応元部下の現状を伝え、両親は息子がこうなったのは警察のせいだと思っているし口にも出している事を伝えた。

「いや、休職するのかどうかという事なんじゃが、其処等は如何じゃった。」

「其処らも伝えたら

『話し合って考えます』

って言ってましたよ。厚生課から確認したらどうですか。」

「いやぁ、厚生課も腰が引けとるんじゃ。保健婦が結構きつい事言われて

『もう行きたくない』

言うとるらしい。」

「職務放棄ですね。懲戒処分したらどうです。」

「うーん。」

言いたい事だけ言って、黙ってる署長を置いて刑事課に上がった。


 朝礼に行ったら署長は出ていなかった。副署長が、

「署長は本部と電話中なんで欠席します。」

と説明して特に重要な伝達事項も無く朝礼は終わった。


 課に帰ると署長が居た。電話番に残っていた送致が困った様な顔をしている。

「土居部長済まなんだ。連絡ミスがあって。」

「知っとって伝えんのはミスとは言わんのじゃないですか。」

「いや、まあそう怒るな。」

「署長はこんな事されて怒りません?」

「いやまあそれは………。」


 無視して席に付くと、

「済まなんだ二度とこういう事はせんから今回限り矛を収めてくれ。」

「まあ何時までも怒っとっても仕方がないんでここらで収めますが、保健婦の代わりはもうしませんよ。」

「いや、そこを何とか。時々元部下のとこを覗いてくれんだろうかというのが厚生課の希望なんじゃ。」

「肝心な情報を伝えもせずにいきなり面倒な相手の対応をさせる様な無責任な人等の手伝いは嫌です。こんな事黙って丸投げされてやる馬鹿はおりませんよ。自分の事は自分でせい言うとってください。この話は此処で終わりです。」


 その後直ぐに昇任試験の予備試験があった。感覚的に落ちる事は無いと思ったが数日後の発表で合格していた。今年は11月に警衛があるので昇任試験の日程が詰んでいる。一次試験もいけたと思って帰ってきたら1週間後の発表で合格者名簿に名前があった。


 警察の昇任試験は割り切ってしまえばそう難しくは無い。問題集を反復して読んで回答を丸暗記すればそれで済む。創造力、展開力は必要無い。記憶力だけだ。記憶力が弱ければその分反復回数を増やせば済む事だ。逆に頭が良い人はあまり頭が良くない幹部に嫉まれて足を引っ張られるし、上に嫌われると何だかんだと理由を付けて落とされる。僕の様に大学進学をする者が余り居ない田舎の高校出身で元々頭が良くない奴は警戒されにくいので好都合だ。


 面接試験の日集合場所の講堂で厚生課長から

『頼みがあるから試験終了後時間が欲しい』

との申し出があった。鬱陶しかったけど問答無用という訳にもいかず嫌々ながら承諾した。


 受験者を2個班に分けて前半に面接を受ける班と前半に教練の試験を受ける班に分けてあった。僕は前半に教練を受ける班だったのだがその班に中央署で僕の主任だった1年後輩の馬鹿が居た。移動中の搬送車で僕を見つけると、

「土居君久し振り。2次試験は今年初めて?」

【何が土居君じゃ。儂はお前より1年先輩で歳も上じゃ】

「初めても何も今年初めて受験資格ができた処です。」

「僕はもう5回目。ペーパーテストは簡単やから軽くクリアできるんだけど面接が中々上手くいかなくてね。」

「そうなんですか。」


 ウザイから無視してていたら面白くなさそうな顔をして自分の席に戻って行った。通路を挟んだ隣に座っていた南端の署で捜査主任をしている顔見知りの先輩が、

「土居部長あの馬鹿と知り合い?」

「はい。あの馬鹿が主任になった時の最初の部下が僕です。」

「それは不幸な目に遭うたな。」

「あの馬鹿今何してるんですか?」

「この県の南の端に在るうちの署のそのまた南の端に在る駐在所に居る。この県の北の端に在る離れ小島の駐在所から来て2年目かな。」

「先輩の署すごいですね。署員の数は僕の署の半分以下やのに2人も警部補の面接試験に来て。うちは僕だけですよ。」

「あれは面接の常連らしいよ。副署長の話では後4~5回続けて受けたら通るかもしれんが今年も無理じゃ言うとった。本人は解って無いみたいじゃけど。」

【職務放棄は重罪なんだな。僕は親分が庇ってくれたから今こうしていられるんだ】


 教練は今回も運良くオーソドックスな問題に当たった。面接も難しい事は全く聞かれなかった。落とす気は無いのかな。あの馬鹿はどんな質問をされているんだろう。別に緊張する事も無く滞りなく試験を終え、全員が終了するまでの隔離部屋に入ったら厚生課が呼びに来て

『昇任試験委員会の許可を得ているので』

と言われ、小会議室に案内された。


 用件は言わずもがなの元部下の事だ。くどくどと

『決して悪気があって情報を出さなかった訳では無い』

『先入観無しで対象者と接して貰おうと思った』

との事だったので、

「それ後付けの言い訳でしょう。」

「そう言われたら身も蓋も無いんじゃが。此処は非を認めて謝ります。どうも済みませんでした。御迷惑をお掛けしました。」

「此処で

『知った事か』

言うてしもうたら僕が悪人ですよね。分かりました謝罪を受け入れます。」


 何かほっとしたような顔をされた。

「実は先方が今後の連絡相手を土居さんに言うて指名してきたんですよ。あれからうちの者が行ったんじゃけど話にならんのです。」

「はあ。」

「2週間に1回位覗いて見て貰えんでしょうかね。」

「僕の家から大分遠いですよ。此処から行った方が半分以下の時間で済むんじゃ無いんですか。」

「先方が土居部長をご指名なんで、此処はどうしてもお願いします。前に行かした保健婦が他人事丸出しの対応して嫌われとるんですよ。元々警察に思うところがある人達だし、こちらにも対応の不備があったし、労働組合や政治家を巻き込んで変に騒ぎ立てられても困るんで。」


 結局断り切れず承諾してしまった。家の最寄り駅から朝8時頃の特急に乗って連絡する特急を乗り継げば午前10時頃元部下の家が在る街に着く。午前中面談して午後逆の経路で帰宅するという事になった。本部への報告は基本的に電話だが時々は乗り継ぎで一旦降車して本部に来るという事で。


 そんな事をしていたら全員面接が終了し、解散して良しの庁内放送があった。今年から本部の参事官になっている若頭(かしら)に挨拶をしに行くと、

「お前合格やからな。居座りは無いが家から通える所属考えとるからゆっくり構えとけ。」

「もう分かっとるんですか?」

「おう。お前筆記試験上位10番内やった。実績やなんかの加算点は断突トップじゃ。教練も面接も問題無し。総合ではトップじゃないか。」

「皆さんのお陰です。」

「うん。お前と初めて会うた時はどうなる事か思うたが、兄貴はやっぱすごいの。」

「え、石原部長なんか言ってたんですか?」

「うん。

『あれは今は足りんとこばっかりじゃけど、ちゃんと手を引いたら化けるけん面倒見い』

言われて儂も我慢して使うとった。」

「見捨てられても仕方がない人間やったのに我慢して貰えてたんですね。」

「今の署行って独り立ちしてからが出色じゃったな。でもこれで満足したらいかんぞ。」

「はい。肝に銘じます。」

「それとお前の1年先輩、あれは今年筆記試験で落ちとった。去年は筆記試験は通って今年は予備試験免除やったんじゃけどな。会う機会があったらそこら話してみとってくれ。」

「分かりました。」


 今回の試験も若頭から面接の事を聞いた若竹の女将さんが旅館の離れを確保してくれてリラックスして試験に臨めた。皆さんのおかげでやって行けている。今年昇任できなかった先輩も病気療養中の元部下も縁あって一緒に仕事をして来たんだから僕ができるサポートをするのは当然か。署長も厚生課も一寸だけ脅してマウント取ったし。


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