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未解決事件

新しい部署での仕事・生活が始まった。特に変わったことをする訳では無いから問題は生じていない。僕の主任は盗犯畑の人で色々教えて貰えそうだ。只仕事が少ない。管内の人口が5万人程だから必然的に事案も少ない。当直も刑事は一人だ。一寸心配だったが、仮眠時間に起こされることはあまり無いと聞いている。

 赴任してから1ヶ月余り、ゴールデンウイークが終わった頃、係長と一緒に署長室に呼ばれた。係長は用件が何か想像がついているみたいだが、僕にはさっぱり分からない。この1ヶ月余りでは下手を売った覚えは無いのだが。


 一応折り目正しい所作で署長室に入った。署長は実ににこやかに迎え入れてくれた。こういう時は必ず何かある。用心をしていると係長が、

「構えんでもええ。用件は解っとる。」

署長は苦笑いをしている。署長が、

「異動が落ち着いたら言うてくる恒例のやつじゃ。」

「誰が言うてきました?」

「捜一の次長じゃ。」

「自分がやって、わやにしたもんが。」

「まあそう言うな。」

「やれ言うもん無視も出来んから取り掛かりはしますが、ここまで拗らしたものは期待せんとってくださいよ。」

「解っとる。掛かるだけは掛かってくれ。あじゃこじゃ言うたら

『お前がわやにしたんじゃろうが』

言うてやる。」

「やり上げて鼻明かしてやりたいという気はあるんですが、どう取り掛かったら良いもんか。兄貴でも此処までになると。」

「一応石原さんには広捜官通じて連絡入れた。

『やるだけはやらないかんじゃろうけど………』

言うとったらしい。済まんがやってみてくれ。」


 課に戻ると係長は書庫に入っていった。すぐ戻ってきたが、厚みのある1件書類の様なものを持ってきた。

「これ読んどけ。署長がやれ言うた未解決事件じゃ。」

「はい。今すぐですか?」

「いや、仕事の合間に。」

訳が分からないが、これを読めばどういう事件なのかくらいは判るだろう。


 僕が石原部長の下で解決のお手伝いをさせて貰った放火事件も未解決事件だった訳だ。係長にそれを言うと、

「兄貴の中では未解決事件じゃけど、警察的にはそうじゃ無かったな。」

「でも長年繰り返されて捕まって無かった事件でしょう?」

「兄貴が放火じゃ言うても、上層部は煙草のポイ捨失火で済ましとったじゃないか。」


 此処に来る前にいた中央署にもまだいくつか未解決事件が有るみたいだ。係長が以前中央署の強行主任だった頃に、時効寸前の殺人事件を再捜査させられたことがあるらしいが、何も目新しい事実は出て来ず、結局時効を迎え一件書類を被疑者不詳のまま検察庁に持って行かされた事が有るらしい。その他にも時効前の殺人事件が有るし、明らかな放火で未検挙のものも数件ある。失火で放置されている放火も他にもあるだろうと係長は言った。


 重要事件の未解決こそ上層部も記憶するが、窃盗などは1千万円以上の被害でもなければ記憶もして貰えない。それでも所詮窃盗だ。

『殺』とか『強』

という文字が付かない犯罪は直に忘れられるし時効が早い。


 他の署にも未解決の重要事件は結構あるらしい。南の方の署には、後ろ手で縛られた若い女性が海に浮いた事件。その署と中央署の間の城下町の署では、二階で就寝中1階の外に火をつけられ焼け死んだ人が居て犯人は捕まっていない。今僕達が勤務する署の東隣の署では夜間小学生が刺殺された事件が未解決。他の署でも色々。


 中には事件の臭いがプンプンするのに、単なる事故で済まされている事案もあるみたいだ。機捜隊に行った先輩が育った港町の署では、以前港の岸壁の数メートル先に、錨が足に縛り付けられた死体が沈んでいたらしい。その署の刑事達は

『殺られた』

と思ったらしいが、当時の刑事課長は

『自殺』

で押し通したらしい。

『死者は確実に死ぬために盗んだ錨を重しとして体に括り付けた』

と主張して。


 死体が岸壁の真下ではなく数メートル先に在った事については

『少しでも深い所に沈んだ方が良いと考えた』

と主張。

『錨が足に付いた状態で数メートル先に飛ぶのは難しいのでは?』

という、露骨に言えば

『投げ込まれたのではないか』

との疑問には、錨に着いたロープに少し長さが有ったので

『錨を抱えて飛んだ』

 ロープの長さから

『錨を抱えていたら歩幅が伸びません』

との指摘には

『最後はケンケン飛びで勢いをつけた』

と主張して、殺人にはしなかったみたいだ。


 司法解剖の結果、海水を飲んでいたことから

『入水時には生きていた』

事が証明され、

『殺して捨てたものではない』

という事で自殺で納めたらしい。恐ろしいことを。


 何日か掛けて書類を読み、事件の粗筋は解った。事案は

『殺人』

発生後数時間で発覚。当日の人の動きも分かっていて、その内の一人、最後に被害者と会ったと思しき人物が容疑者として浮かび、何度も任意での調べを受けている。


 係長に、

「叩き割れんかったんですか?」

と聞いてみた。

「よう解らん。この事件が発生した時儂は東隣の県に隣接する署におった。概要は聞いたが詳細は知らん。実の処お前が読んだ書類儂はまだ読んで無い。」

係長、あまり気乗りしていないみたいだな。


 8年前この署管内で殺人事件が発生した。被害者は還暦を過ぎた女性。配偶者を亡くし、子供達は県外に所帯を構え一人暮らし。結構社交的で経済的に困らない人だったみたいだ。


 死因は窒息死。食卓の椅子に座っていて、背後から紐様のもので首を絞められたと推定。凶器は未発見。被害当日の夕刻、訪問を約束をしてしていた友人が玄関のチャイムを鳴らすも応答が無く、玄関引き戸が無施錠であったことから屋内に入って発見し110番通報。


 食卓には、お茶等で接客をした形跡は無し。被害者は喫煙者であり卓上の灰皿に比較的長目の吸殻が1本。しかしそれは被害者が普段吸っていた銘柄では無かった。付着する唾液の血液型はB型。司法解剖時の被害者血液はO型。被疑者の遺留品と思慮されるが指紋は検出できず。


 現場に荒らされた形跡は無し。金銭、貴金属、通帳等、盗まれた物は無い模様。金融機関への照会でも不審な金銭の動きは無し。殺害状況が当たっていれば、家に招き入れられ、ダイニングテーブルに座らせて貰え、容易に被害者の背後に回れる程警戒されていない人物。


 最後に会った人物と思慮される女が聞き込みで浮かんだ。被害者の友人達の話から被害者をよく訪ねていた人物が浮かび、聞き込み捜査で喫煙者である同人が日頃吸っている銘柄が遺留品の吸殻と一致。同じく聞き込みで知った同人の血液型はB型。それ以外の事は分からない。但し

『よく訪ねていたという風評』

はあるが、当日の訪問には目撃者無し。


 その人物は美容師で一人暮らし。親から相続した自宅の一部を改造し美容室を開き、被害者もその店の客だった。被害者は容疑者が美容室を開く前、別の美容室に勤めていた頃からの知り合いだったらしい。親子程年が離れた美容師を可愛がり、自宅にも招いていた様子だ。被害者が気を許す相手ではあるが、動機が浮かばない。当日の行動も不明。共通の友人達に対する聞き込み捜査をするも決め手は見つからず。


 その美容師を最重要の容疑者として捜査を継続したが、全く進展しなかったらしい。動機は勿論、容疑者の当日の行動も全く掴めなかった。その日が月曜日で美容室が休みであったことだけは分かっているが。


 事件発生時この署の刑事課長だったのが現警察本部捜査第一課次長らしい。功名心にはやった当時の刑事課長は、取り調べのネタも無いのに

『儂がうたわす』

と大見え切って、容疑者を呼び出したらしい。


 容疑者は素直に出頭して、ポリグラフ検査にも応じた様子だ。当時の課長は、ポリグラフ検査で何らかの反応が出ればそこを突破口にするつもりだったらしいのだが、ポリグラフ検査の後2時間ばかり調べたが埒が開かず昼になったらしい。当時の刑事課長はその時点で嫌になったみたいだ。


 取り調べに入る前に、ポリグラフ検査技師から

『反応なし』

と聞き、若干の動揺と共に始めた取り調べだったが、顔色一つ変えずに

『知りません』

『分かりません』

『私ではありません』

を繰り返す容疑者に、責める糸口が掴めずギブアップ。


 ポリグラフで陽性の反応が出ることを前提で始めた取り調べだから、そこが崩れたらどうにもならない。一の矢が外れたら二の矢、二の矢が外れたら三の矢とは考えなかったみたいだ。こんなにもプランが無い取り調べ、石原部長だったら絶対しないのにな。


 昼からの取り調べは強行・盗犯係長に投げたらしい。当時の係長はその段階での呼び出しには反対意見だったみたいだ。内偵捜査で

『平気で噓を吐く』

『思い込みが激しい』

『喰えない人物』

等の報告が上がっており、簡単に落とせる相手では無いと感じていたみたいだ。実際その通りだったのだが。


 失敗した当時の課長は焦ってしまい、翌日も容疑者を呼び出し係長に調べさせたのだが進展なし。完全に手が詰まってしまい如何しようも無くなったみたいだ。そうなってしまってからは係長に丸投げで、自分は知らん顔で異動していったらしい。その後も同人に対する捜査を続けるも犯行に繋がる事は出なかった。


 書類を読み終えたが何も思い付かない。最初の調べから3年後の今頃、再捜査が命じられ容疑者を呼び出している。結果は似た様なもの。その3年後にも。本部に功名心が強い所属長等が配置されると

『未解決事件の検挙』

が俎上に上り一線の尻を叩いてくるみたいだ。それが今年だった訳だ。


 係長は、

「手負いにして逃がしたもんを今更やれ言われてもな。その傷も大したもんじゃない。相手がビビるような傷をつけたらまだしも、警察相手に逃げるんは楽勝じゃ思われとる。」

「自分がようやらんかったことを今更人に言うてくるやなんて。」

「なまじ容疑者が居るからいかんのじゃ。皆目解らん事件やったら手が付けられんけど、容疑者が居るばっかりに思い出したら言うてくる。それも自分で潰した事件を。」

「自分がやったことを忘れたんでしょうかね?勝手な人ですね。」

「そういう奴じゃ。自分に甘く他人に厳しい。恥を知らん。」


 一通り書類を読んで、ポリグラフ検査については技師の結果報告だけを読んでいたのだが、調書や捜査報告書全部に目を通した後、添付されていたポリグラフ検査の検査経緯を見てみた。単に興味本位だったのだが。


 ポリグラフは別名噓発見器。色々な質問をして虚偽の回答をした場合に起きる、心拍、呼吸、発汗、血圧等の変化を測定するものだ。各種質問に全て

『いいえ』

と答えさせることで、自分の行為に対し、本人が自覚する虚偽の回答をした時に起きる身体の変化を測定し事実を判定する。


 検査結果報告書だけを見ると、すべての質問に身体的な反応は無かったという結果が報告されている。興味があったので、質問毎の被検査者の反応を測定したグラフを見てみた。どの反応がどの質問に対する反応かが記入されている。


 警察学校の鑑識の授業でポリグラフに関する教養があった。その時の説明では、最初トランプを使い、被検査者に何枚かのカードから1枚を選ばせ、それがどのカードであったかを質問し、全てに

『いいえ』

と答えさせる。その時の反応で、検査に反応し易いかどうかを確認してから本検査に入る。その時実験台になった同期生は

『機械ごときに』

と言いながら検査を受けたが、簡単に引いたカードを見破られた。模擬検査はそこで終わらず、事前に同期生の裏切り者から聴取済みのそいつの彼女の名前を質問にすると、技師の人が

『見たことが無い』

という位大きな波形の振れが出た。


 この時の結果を見ると、被検査者は最初のカード検査では普通に反応が出ている。決して反応が悪いタイプでは無いんだ。という事はその後の本検査の質問に反応しないという事は

『シロ』

なのかな。


 検査状況を読み進めると、検査の半ば過ぎ頃に犯人に関する質問があった。

1、『○○さん(被害者)を殺したのは ✕✕さん(架空の名前)ですか?』

2、『○○さん(被害者)を殺したのは △△さん(被害者の親しい友人の名前)ですか?』

3、『○○さん(被害者)を殺したのは ◎◎さん(被検査者の名前)ですか?』

4、『○○さん(被害者)を殺したのは ▲▲さん(第一発見者の名前)ですか?』

5、『○○さん(被害者)を殺したのは ▽▽さん(架空の名前)ですか?』

この質問に全て

『いいえ』

と答えた反応を見る訳か。そして反応は無かったと。反応を記録した連続紙を見たが、波形に大きな乱れは無い。


 うん?全部に

『いいえ』

とは答えていない。3の質問には

『はい』

と答えている。

技師は被検査者の実際の答えを、連続紙上の当該質問の箇所に鉛筆で記している

『はい』

が真実の答えなら波形は乱れないよな。


 係長に報告した。

「うとうとるやないか。」

「そうですよね。

『お前が殺したんか?』

って聞かれて

『はい』

って言ってますもんね。」

「ハハハ、なんじゃこれ。」


 係長考えている。課長を呼んで検査結果を見せた。

「はあ、なんじゃこれ。」

課長も呆れている。課長はこの辺りの出身で、この署周辺の署を主に異動している如才ない人らしい。今回の異動で、定年退職前に選考で警部になり、最後のポストとして自宅から通えるところに来させて貰ったらしい。この事件が起きた時はこの署の西隣の署で、知能・暴力の係長をしていて、当時応援捜査員として聞き込みに当たったと言っている。


 課長何も指示しない。

「如何するぞ?」

係長に聞いている。

「やれ言われたんじゃから、やらないかんですよね。」

「儂、解らんけん頼んでええか?」

「儂がやるより他無いですね。署長も課長通さず直に言うてきたし。」

「うん、任す。」


 でもどうしてポリグラフ検査の精査をしなかったんだろうか?単に検査結果報告だけを見て

『駄目やった』

と簡単に諦めたんだろうか。


 係長は、

「この検査した奴な、この件の前年度に採用された奴やったんじゃ。こいつの前の人は中々の人でな、貫禄がある人じゃったんで検査中に、ビビった被疑者がうとうてしもうたりした事もある。最初は見習いでその人と一緒に検査しとったんじゃけど。」

「へー、だったらその人やったら良かったのに。」

「その人はこの件の一寸前に定年やって、この検査はこいつが独り立ちしたばっかりの頃やな。」


 この人はあまり頼りになら無いらしい。技術的な事の講釈は垂れるらしいけど、実際の結果はやってもやらなくてもといった程度らしい。この人の前任者は頼りになる人で、係長も新任地で刑事になったばかりの頃、その人の行うポリグラフ検査の効果を実感した事が有るらしい。


 ある時若き日の係長と石原部長がいた県境の署に、県を跨いでやって来た若い奴がいたらしい。そいつは前科も前歴も無かったのだが、住所不定で放浪中だったらしい。他人の家に入ったところを発見されて

『住居侵入』

で現行犯逮捕された。


 その若い男は

『放浪中で腹が減ったので何か食べるものはと思いつい他人様の家に入ってしまった。申し訳なかった。』

と素直に謝ったらしい。当時の刑事・防犯課長はそいつに前科も前歴も無いので勾留請求をせずに48(よんぱち)で釈放する積りだったらしい。


 しかし石原部長はその男に違和感を感じ、勾留請求を主張した。小さい署では留置場の運営が負担になるので、48(よんぱち)の間だけ自署に留置し、勾留後は近所の大きな署に委託留置することになるらしい。当時係長が居た署と隣の大きな署の間には道路が整備されていない峠があり片道1時間以上掛かっていて、それを押してまで勾留をするメリットは無いと考えた課長は、押し切られたものの陰では石原部長への不満を言っていたらしい。


 勾留が認められた後毎日往復3時間位掛けて隣の署に調べに行っていたら、そいつの身上関係が分かったらしい。そいつは田舎ではあるが国立大学を中退しており元々の頭は悪く無かったみたいだ。


 それを知った石原部長はポリグラフ検査を思い付いたらしい。当時ポリグラフの機械は今より感知能力が劣り大した結果は出ないので、捜査係からの信用度は低かったらしいのだが。


 石原部長もポリグラフ検査をあまり信用していなかったが

『ある程度の知能があり想像力のある人間』

に限ってなら有効ではないかと以前から考えていたみたいだ。


 事前にその技師と連絡を取り、質問を煮詰めてから検査要請をしたらしい。その技師も中々のお洒落で、部長とは互いに洒落者同士の連帯感があったそうだ。確かめたかったのは

『窃盗を働いた事の有無』

『何箇所位の県を渡り歩いたか』

『窃取した金の使い道』

等。


 検査は大当たり。検査前は

『こんな機械に引っ掛かる奴なんかおらん』

といった態度だったらしいが、身形も恰幅も良い技師が自信たっぷりに検査をしたもので動揺したらしい。


 被疑者が検査の途中でギブアップするくらい効果的だったそうだ。

『参りました』

と言ってそれからは素直に取り調べに応じ100件以上の空き巣を自白したらしい。


 最初のカード検査が大当たりだったので一気に動揺したみたいだ。検査技師は高そうでサイズが合ったスーツ姿で高級そうな靴を綺麗に磨いて履いている。中々権威ある人物らしい

『これは………』

と思ったら次から次に、練り上げられた質問に反応してしまい、検査直後からの石原部長の厳しい取り調べで洗い浚い吐かされたらしい。


 その後は引き当たり捜査に行き、他所の県ばかりで犯行を裏付け検挙原票を切りまくり、発生自体が少ない田舎の署は検挙数が発生数を大幅に上回り、検挙率400パーセントなどという事になったらしい。文句を言っていた課長は手の平を返したという落ち。 


 署長は、事件発生当時にポリグラフ検査をした人を詰めて

『当時のことを確認』

してから掛かった方がええんじゃないかと言ったらしいが、係長は今更言っても始まらないから、本部には言わずもう少し容疑者の周辺を洗ってから取り掛かると言った。署長も課長も

『任せる』

と言ってしまっているのでそれ以上何も言わなかった。


 係長はその後数日仕事の合間に何処かに電話をしたり何事か思案をしていたが、週末金曜日課長に、

「明日から取り掛かります。日々の仕事もやりますが少し他の人にも手伝って貰いたいと思います。」

と言って、優先的に手伝わせる者として鑑識係を指名した。

「明日は周辺捜査をします。土居と鑑識は定時出勤後儂に付いて来い。」


 土曜日係長は朝礼が終わると課長に外に出ることを告げ、僕と鑑識を伴い署長室に行き、

「今日から掛かります。」

と言うと、署長は抽斗から茶封筒を1枚取り出し係長に渡そうとしたが係長は遠慮している。最後には受け取ったがあまりうれしそうには見えない。多分捜査費が入っているのだろうけど。


 署長室を出て係長の車に乗った。係長は先程の封筒を中身も確かめず僕に渡し、

「お前ら二人で折半せい。」

と言った。僕達が遠慮したら、

「どうせ大した金額じゃない。取っとけ。これしきの金で遣った遣った思われたら嫌なんじゃけどの。」

その後係長は自分の書類鞄から封筒を2枚取り出し僕達夫々に渡してくれた。

「捜査費じゃ。」

と言って。


 係長は車を出した。東に向けて。直ぐに署境を超えて隣の署に入った。何処に行くのだろうと思っていたら、

「何処まで行くか聞かんのか?」

「はい。何処まで行くんですか?」

「競輪場。」

「はあ?」

「本格的な捜査は月曜からじゃ。今日と明日は下準備として英気を養う。」


1時間程で隣の県の競輪場に着いた。

「車券買うた後、儂は決勝線を過ぎた辺りのスタンドにおる。お前らも適当に遊んどれ。」

「はい。」

僕と鑑識は係長と別れて、初見参の競輪場を探訪することにした。探訪中貰った封筒を確かめると、署長の封筒は1万円。係長の方は夫々に3万円が入っていた。鑑識が、

「かまんのかなー?」

「ええんじゃない。係長は時々石原部長から捜査費や小遣いを貰ってるみたいやけん。」

「そうなん。」

「今日の車券代は1万5千円以下で。」

と僕が言うと、鑑識係、

「そんなに使えん。」


 場内を歩いていた時係長が居ると言っていた方向のスタンドを見ると、係長が同じ位の年恰好に見える男性と話をしているのが見えた。


 予想紙を買って分かり易そうなレースだけぼちぼち買っていたら、終わった時には5千円くらい浮いていた。鑑識は恐る恐る買ってマイナス2千円くらい。係長は最終レースの初日A級特選が当たりご機嫌だ。その他のレースも結構当たったらしくて上機嫌。


 競輪場を出て、西に向かい僕達が住む街の東隣の市に行った。そこの繁華街で

『天桜』

と看板が上がった料理店に入った。係長は馴染みみたいだ。そこでは係長が顔馴染みの板前さんと話をしながらカウンターで料理とお酒を頂いて、その後は近くに在る、やはり係長の馴染みらしい

『ノワール』

という名前のスナックで飲んだ後代行運転で帰宅した。


 翌日は午前10時に署に集まり、本件の被害場所、容疑者の家等を係長の案内で確認し、係長の奢りで昼ご飯を食べた後は、景色が良い所を案内して貰いその日の捜査終了。鑑識も僕と同じ官舎にいるので、僕の部屋で一緒にビールを飲んで話をした。昇任試験の勉強は捗っていない。


 次の週中頃、係長と二人で聞き込みに出た。容疑者の家から少し離れた所に車を停め、容疑者宅の近くに在る民家を訪ねた。

「紹介を受けてきました。」

と言うと、

「聞いています。上がってお茶でも。」

と気安く迎え入れてくれた。そこの住人は一寸癖がある人物に見えたのだが、それ以上は分からない。


 二人で上がったら座敷に通された。家は広く無いし特に立派でもない。しかし清掃は行き届いている。室内も庭も。係長は名刺を出し名乗った。僕にも名乗るように促した。相手は元市会議員でこの地区のボスみたいだ。


 係長は単刀直入に用件を伝えた。

【え、そんなことまで言って良いの?】

「隠し事をしながら協力をお願いするいうのは不都合じゃと思うので。」

と係長が言うと、相手は、

「係長さんの事は聞いとります。聞いとった通りじゃ。そう出られたらこっちも考えん訳にはいきませんな。」

笑いながらそう言って、容疑者の事を色々話してくれた。


 当時の捜査では、容疑者に借金は無かった。銀行、サラ金、友人。しかしその人の話では、容疑者は被害者に借金があったみたいだ。その借金とは

『頼母子講』

が絡んでいたらしい。


 容疑者は美容室を営んでいて今はそこそこ繁盛しているらしい。事件が有った半年位前にその店を開く時、容疑者は被害者に頼母子講を組んでもらって開店資金を確保したらしい。1人10万円で25人。最初に落とさせて貰い、それと自分の手持ちで開業したそうだ。僕は頼母子講のことは良く分からない。家の祖父が昔そういう事をしていた様な話を聞いたことはあるが。


 頼母子講は一般的に最初に落とした人よりも最後に落とした人に割が良いものなのだそうだ。また集まった時水を飲んでの話し合いという訳にはいかないので、最初に落とす者はそれなりの接待をしなければならならしい。だからその時単純に250万円が手に入った訳では無いらしいが、そこからは毎月10万円ずつを持ってその講に出席しなければならない。


 開店したばかりの店の営業は中々厳しかったみたいだ。その数か月後被害者が籤で落札者になった。そのお金から被害者が掛けた数か月分のお金を引いた金額を容疑者が借り受け店の運営資金に充てた。金融機関を通してのやり取りは無かったと思う。講の仲間の内数人がそのことに気付いていたみたいだが

『借りた、貸した』

と二人から聞いた訳では無い。でも多分間違い無いと思う。


 当然のことながら借りたお金は返さなければならない。講の一員は月々10万円を講に持参しなければならないのだから、当たった金を借りた者が負担し返済に充てるのが当然の理屈になる。只被害者は容疑者を可愛がっていた様子なので利子までは取らなかったと思う。


 被害者が殺された後は当然のことながら講からは外れる。月々持参するはずの10万円も死んだ者からは取り立てられない。1欠で講は最後まで続いたが最後の配分がどうなったのかは知らない。


 借金は現金で為されているし、口頭で行われたのだろう。だから傍目には貸借関係は分からない。金融機関を通していないから記録も残らない。講の仲間も不自然さを感じたのだが誰も何も言わなかったらしい。警察は講の存在に気付いていなかったから聞き込みには来なかった。講仲間は自分達から警察に行く事は考えなかったみたいだ。


 その頼母子は継続はしたが集まるのは止めた。まだ落としてない人達で籤を引き、落とす順番を決め、交代で集金をして順番に権利者にお金を渡し終わった段階で自然に散会した。


 これは自分が聞いた範囲の事で直接のやり取りでは無いと言ってその人の話は終わった。


 係長は、

「有難うございました。大変参考になりました。」

とお礼を言って、その後は共通の知人らしい人達の話を少しして帰ることになった。帰りがけ係長はカバンの中から小さな木箱を取り出し、

「これは大したものではありませんが、お手元に置いていただけたら光栄です。」

と言って手渡した。相手は、

「ほぉ、開けても構いませんか。」

「どうぞ。」

相手が箱を開けると、小さな彫り物が出てきた。

「ほぉ、これを私に?」

「はいご笑納ください。気持ちばかりのお礼です。」

「今日のお礼にしては些か良過ぎますが。」

と言いながら、嬉しそうだ。

「いえ、不調法者の自分には値打ちが分かりません。先生が持ってくださった方が根付も喜びます。」

「私が根付を収集し始めてからそう長くは無いですが?」

「いや結構有名ですよ。」

「警察も油断がならんな。」

と言いながら喜んでいる。

「せっかくですので有難く頂だかせて貰います。またこのお礼は。」

「今後とも宜しくお願いします。」

「しかし、話が終わった後でこれを出すのが憎いですな。先に出されたら

『物が欲しゅうて話をする』

みたいになって話しにくかったが、後でとは。聞きたいこと聞けたら出さずに済ますという手もあるのにそれをせん。参りましたな。こちらこそ今後とも宜しくお願いします。」


 車に戻ると係長は、

「一寸作戦会議じゃ。」

と言って車を山の方に走らせ人気が無い公園の東屋で買った缶コーヒーを飲みながら話を始めた。


「借金あるやないか。十分な動機になるくらい。開店当初に月々20万円は厳しかったんじゃろうな。せめて半分にして、残りは繰り延べ。そこを相談したが相手にされなんだ。そういう事か。」

「でも凶器の紐は如何したんでしょうね。持って行ったのならやる気満々だし、現場調達なら?」

「そこは本人に聞かな解らんな。それより前に頼母子の仲間に話を聞かんとな。」

「え、仲間探しからですか?」

「2人だけは判る。」

「え。」

「お前

『え』

ばっかりじゃの。儂帰る時玄関行くの遅れたじゃろう。その時二人分の名前と住所書いて渡してくれた。根付が効いたな。」


 油断していた。

「此処から攻めて、頼母子仲間から聞き込みじゃ。」

「少しは先が明るくなりましたね。」

「おぉ、兄貴のお陰じゃ。」

「え。」

「あの根付は兄貴の持ち物から出た。兄貴にも要らん物では無かったが儂にくれた。根付を集め始めたいうのはマル暴情報係長からじゃ。」

「でも良いんですか?」

「あれは後々使い道があるけん表には出さん。それに

『貰うた、貰うた』

言うて回るタイプじゃ無い。」


 翌日からすぐに頼母子講の仲間への聞き込みを始めるのかと思ったらそうでは無かった。容疑者の経営する美容室に資材・機材を納品している会社を調べている。


 聞き込みは翌週の半ばからになった。

「どうして直ぐに行かんかったんですか?」

「あそこ訪ねた翌日からはいかんじゃろう。儂らが訪ねたことを知られとるかもしれん。」

「ああ、そうか。自分らの事が何処から出たかは判らんようにせんと。」

「これからも使い道が有るからな。」


「あの人のこと何処から聞いたんですか?」

「あれは隣の市に事務所がある暴力団の密接交際者じゃ。若い頃は組員として認定されとったこともあるらしい。ここらでは結構有名じゃ。」

「この間競輪場で儂が似た様な年恰好の奴と話しとったん見たじゃろう。あれはその組の構成員じゃ。儂とは子供の頃からの知り合いで情報くれとる。此処いらで会うとるのを見られたら面倒じゃから、競輪場で偶然会うた体にした。」

【本当は競輪行きたかったんでしょう】

「何!」

「あ、いえ、そうやったんですか。」


 この街の裏の話をよく知っている人物という事で元市会議員を思い付いた。取り掛かかる前にマル暴情報係長に連絡して、相手の情報を調べて貰った処

『根付の収集』

が分かり、情報係長が先に石原部長にそのことを伝えたら、直ぐ係長に

『根付』

が届いたらしい。情報係長は

『係長の口からは言いにくい』

と考え自分が代わりに強請ったみたいだ。石原部長は、出すタイミングまで細かく指示して

『餌代吝嗇ってはいかん』

と、自分がまあまあ気に入っていたものを出してくれた様子だ。


 そこらの作戦を立てた後、幼馴染で、中学・高校の頃一緒に遊んでいた人で、今組関係者になっている人に連絡を入れ、元市議に会えるよう段取りをつけて貰えるように頼んだ。


 頼母子仲間の所に行く前に、美容室に物品を納めている所に行き、当時の支払い状況を当った。当時もその点に付いての捜査はしてあったが念のため。しかし此処も杜撰な捜査しかされいていなかった。支払いはしてあるが、ある特定の1日に集中して行われている。それまで支払いが滞っていたのに。それが何故かに注目した者はいない。

「多分この直前に被害者が頼母子落としたんじゃろうな。頼母子の帳面が残っとったらええんじゃけどな。」


 頼母子仲間の家を次々に訪問した。口裏を合わせる暇を与えない様に朝、昼、晩。聴取項目を入れたメモを作って貰い、鑑識も入れた3人で。最初係長が、元市会議員に教えて貰った2人に当たり、そこで言わせたメンバーを次々に。重要度強は係長。中を僕に。弱は鑑識。中には不貞腐れて協力を拒む者もいたが、それは想定済み。半分くらいから話が聞ければ上出来と思って始めていたので、人数的にも内容的にもまずまずの話が聞けた。


 誰も借りる所を見た者はいないが皆何となく知っていた。事件直後は数人だったみたいだが、そこから仲間内で話が広がり

『ああやっぱり』

みたいな話になって、それからは皆心の中では容疑者のことを疑っていたみたいだ。


 言われたのはゴールデンウイーク明けだったが、もう今は梅雨明けだ。係長が着手を決めた。署長と課長は

『着手を本部に報告』

してからにした方がと言ったみたいだが、

『混ぜられるだけ』

だからしないと署長に告げた。


 着手日は美容室が休みの月曜日。あくまでも任意であるので電話での呼び出し。

『前日に連絡しておく』

という事で始まった。僕が掛けた呼び出し前日の電話には

『行きます』

との回答。

『またですか』

みたいなことは言わなかった。


 当日は朝9時の呼び出しだったのだが、僕達は普段より早く出勤してコーヒーを飲みながら出頭を待った。コーヒーを淹れる道具は全て中央署から持ってきた。次の課長が反目の人だったので、道具は勿論コーヒー豆1粒も残さずに。此処は人数が少ないので淹れる手間が掛からない。署長や副署長も朝礼後、刑事課に寄ってコーヒーを飲みながら雑談をしていく。


 時間通り出頭して来た。僕が迎えに出たのだが、容疑者余裕綽々だ。係長が座って待つ取調室に案内した。係長は立ち上がりもしない。手で座るように示した後、相手の人定を確認した後、簡単に自己紹介をしてすぐに取り調べを始めた。


 最初に容疑者が被害者にした借金を、当時警察には

『借金は無い』

と申告したことを咎める所から始まった。嘘を咎めて優位に立つところから始めるんだろうな。


 容疑者は当然ながら否定した。それからは頼母子仲間の供述、仕入れ先への支払い状況等の事実関係を次から次に考える暇を与えず糾していった。容疑者段々と話の辻褄が合わなくなってきている。そしたらその齟齬を突いて質問を始めた。悪く言えば揚げ足取りだな。


 容疑者喋れば喋るほど辻褄が合わなくなる事に気付いたみたいだ。係長今度は黙っている容疑者に、ポリグラフ検査の資料を見せた。

「此処であんた

『殺したか』

いう質問に

『はい』

言うとるやないか。さっきから辻褄の合わん事ばっかり言うて逃げとるけど、此処で

『はい』

言うとるやないか!」

容疑者黙ってる。でも以前放火殺人の被疑者が落ちる寸前もこんな雰囲気だった。


 係長ここまではテンポよく畳みかけるような調べだったが、此処で一呼吸入れた。只それは相手に考える時間を与えるものではなく、

「あんたが強情張っとると、おばちゃん迷うてしまう。

『知らん』

『分からん』

『自分じゃない』

言い続けとる間はおばちゃん成仏できん。あんたが信じとる神様もそんなんじゃあ助けてくれん。」

「………。」

「もうええ加減、成仏さしたげたら如何じゃ?あんたの肩や背中から放してあげたらどうじゃ?あんたも楽になる。」


 容疑者落ちた。

「いつまでも黙っとく訳にはいかんとは思うてました。でも言わずに済むかとも思うとりました。でも今日はもう言わずには済まんと思いました。ご迷惑をお掛けしました。殺したのは私です。」

「しんどかったじゃろうなぁ。でもなあ黙っとったら済むことではない。」

係長、容疑者の気が変わらない内に殺人の調書を巻き始め、そして僕に待機している主任に逮捕の段取りをつける様言いに行かせた。


 課に戻ると、署長も来ていた。

「落ちました。」

と告げると、緊張気味だった表情が一気に綻びた。

「流石じゃな。」

課長も、

「やってくれるとは思うとりました。土居刑事もな。」


 逮捕の段取りを付けるようにとの係長の言葉を伝えると、一気に課の中が慌ただしくなった。課長は早速本部に電話をしている。着手を知らされていなかった本部は、文句を言っているみたいだが、署長が電話を代わって、

「やれ言うたからやったんじゃ。自分がわやにしたもの片付けて貰うたんじゃから礼を言うのが筋じゃろうが。これまで何も出来んかったもんに一々指示を仰ぐ意味が無い。黙って着手したのは儂の指示じゃ。つまらんこと言うな!」

と一喝して電話を切った。


 歯切れの良さに驚いている僕に署長は、

「この位はせんとの。儂が黙っとったら係長が本部と喧嘩する。係長はこれから警部の試験を受けんといけん。本部と喧嘩さしとくと有利には働かん。儂はもう先は無い。課長もここで定年迎えささんとな。」

笑いながら言った。中央署に居た時、何人か代わっていった署長達とは違うな。少し嬉しくなって調べ室に戻った。




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