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転勤・引越

異動が決まった。前もって言われていた通りに。引っ越しの手筈は一係長が整えてくれた。僕は荷造と清掃だけ。

 幹部の異動内示があった。知っている人達も沢山異動していた。刑事一課長は警視に昇任して

『刑事企画課広域捜査管理官』

僕の最初の刑事一課長だった広域捜査管理官は押し出されて

『刑事企画課次長』

にご栄転。転居もないし文句無し。

僕の最初の初捜班長は警部に昇任して

『先輩の彼女が生まれた城下町の刑事課長』

また単身赴任だ。昇任しての御栄転だから仕方ないか。


 刑事一課長の後任は言われていた通りの人だった。自分達の異動まで暫く鳴りを潜めていよう。署長も石原グループの敵らしいからこちらも用心しなくては。


 早速課長の送別会を。課全体での送別会は定元部長の親戚のお店ですることになった。会費は一人5千円。期待はしてなかったけど、うーん?日頃石原部長の恩恵外の人達は特に不満はなさそうだ。そんなものなのか。


 日頃親しくしている数人で課長を御招待した。課長は引っ越しがある訳では無いので懇親を兼ねて。一係長の音頭で出席者は、女将さん、舞のママ、一係長、巡視員さん、二係の先輩、僕。今回は課長以外が自力の割り勘で。会場はイタリアンのお店。会費は僕と、巡視員さんと先輩は3千円。残りは女将さん達3人が負担してくれるらしい。


 定番通りの料理だったが、味もボリュームも文句無し。ワインも女将さんのチョイスで文句無し。

「マリアージュさえ上手くいけば

『お値段以上』

になるのよ。」

女将さん得意げだ。お店の人も褒めている。増長するよ。


 課長も満足してくれている。女将さんが先輩に、

「今度彼女を誘ってあげたら。」

先輩恥ずかしそうに頷いた。課長が、

「恵美姉さん、土居にも言うてやってや。」

「あ、はいはい、土居さんもね。」

付け足し丸出しですやん。


 まあ仕方ない。今に見とれ!

「土居、お前

『今に見とれ!』

思うたじゃろう。」

一係長、あなたは天邪鬼ですか?

「悟り、悟られ、振り、振られ。」

何じゃそれ。皆笑いを堪えている。最低限の礼儀は守られてるな。


 今度の署長・課長の話になった。一係長は以前今度の課長と揉め事を起こしているらしい。でも全然気にしていない。そのことで署長も係長を嫌っているらしい。そこも全く気にしていない。

「儂も図太いけど、兄貴はもっと凄いぞ。兄貴になんぞしたら青天井で返されるんが分っとるけん誰もなんもようせん。もしも兄貴に何ぞやられても後が怖いけん相手は泣き寝入りじゃ。儂は其処迄はいってない。」

「でも石原部長、若い頃にはやられてたこともあるんでしょう?それに前の一係長懲りずに要らんこと言ってましたよ。」

「あれは特別鈍いけん何遍やられても懲りん。そんでも再就職蹴られたし、他も色々不都合が起きとる。本人全く気が付いて無いけど。」

課長が、

「そうやな。若い頃はまだ力が無かった。でもな、田舎回りしていつか心残りの放火を挙げようと思いながらじわじわと力と影響力を蓄えた。金に困ったり子供の就職に困った幹部を取り込んだり、稼いだ金で議員を飼うたり。」

それ悪人の

『越後屋』

ですやん。


 署長や今度の課長も、もう直ぐ60歳。二人共介護が必要な親がいて、預かってくれる所を探しているらしい。専務さんの会社が開いた介護施設に申し込んだら

『警察関係の方は、石原理事の審査を受けて貰います』

と言われたらしい。石原部長が、申込者の職業が警察または警察退職者であれば

『石原理事が審査する』

と言う様に指示しているらしい。これでは石原理事周辺者に手出しはできないな。


 申し訳ないが、定元部長の親戚のお店よりずっと満足して舞に行った。舞に関してはいつも通り石原部長の預かり金で飲ませて貰った。最近そのことに罪悪感が薄れている。気をつけなくては。今日は定元部長も居ないし楽しく内々の会話で盛り上がり、彼女の話で話題が先輩に行くので有難い。ホステスさん達も先輩の彼女に興味津々。


 課長が代わったが、特に僕達に当りがきつい訳では無い。当たりたくても当たれないか。知らん顔をしておこう。でも弱みを見せると付け込まれそうだから、異動までに手持ちを無くしておかなくては。


 自分が異動することは言ってない。でも毎日残って手持ちを片付けていると

『代わるん?』

と聞かれたが、

「此処でもう4年です。もしも代わった時に仕事一杯残しとると恥ずかしいですから。前の主任と同じは嫌です。」

と答えていて、仕事は手持ちが無い先輩も手伝ってくれている。


 手持ちが無くなった頃、僕達の内示があった。毎年の事ながら思いは人夫々だ。僕は既に聞いていた事なので特に思う事は無い。独り身で、特にこの街に居たい理由は無いし、異動を機に気分を一新するのも良いだろうと思っている。母は実家から遠ざかったのがやや不満みたいだが、この仕事に転勤は付き物なのだから。


 日頃仲良くして貰っている人達も異動があった。

強行一係長は予定通り、僕も行くことになっている、管内に自宅がある

『東の方の中規模署の捜査係長』

一係長、最初は家族で来ていたのだが、途中奥さんのお父さんの具合が悪くなったので、奥さんと子供さん達が家に帰って単身になっていたらしい。此処に来る時は家を建てたばかりだったのだが、前課長の希望で此処に来て、新築の家の管理は奥さんの御両親に任せていたみたいだ。

定元部長は選考昇任(無試験で昇任)で

『中央署の南に隣接する署の鑑識係長』

最初の初捜班で一緒だったマル暴主任は昇任して、なんと

『僕が行く署の刑事課知能・暴力犯係長』

本部のマル暴情報主任は警部補試験に合格して

『異動せずに係長昇任』

本部での居座り昇任は珍しいらしい。それも巡査部長昇任後、最初の警部補昇任試験で合格。素直に

『余人に代えがたし』

と思う人も居れば、やっかみで

『胡麻擂り』

と陰口をたたく人も居る。そんな人では無いのを大多数が知っている。

二係の先輩は予定通り

『機動捜査係』

せっかくこの街で彼女ができたのだからという、前課長達の配慮があるが

『連続放火犯検挙の端緒入手・身柄確保』

『営利誘拐犯の身柄確保』

という金星があるので、誰も何も言えない。

以前僕の主任だった阿保たれは、島嶼部の署の、本署から2時間位離れた

『離れ小島の駐在所主任』

ざまあ見ろ。

『僕は優秀なのだからこんな異動は間違いだ』

とかほざいたらしいけど、結局諦めて島に行くみたいだ。

『必ず戻って来る。I shall return.』

と、叫んだとか叫ばなかったとか。同情する者はいない。ご赦免花は5年間は咲かないという噂。


 日頃仲良くしている鑑識係も、僕と一緒の署に異動になっていた。巡査と巡査部長は赴任先でのポストが明示されての異動ではない。行った先の署内事情でこれまでと同じ仕事ができるとは限らない。僕の親父が行った先で

『日頃の悪評』

のため捜査係の積りが駐在所係になった様な事も多々あるらしい。でも僕の前の主任は、減給処分を受けた後でもあるので

『本部人事係直々の指定』

で異動前から離島の駐在所主任が決定されていたみたいだ。元々その島と、県庁所在地の遥か南に在る離島は

『流刑地』

代わりに異動させられることがある島らしい。この県には島嶼部の駐在所がいくつかあり、そこに行くのは訳ありの人が多いらしいが、その中でもその2カ所は特に罪状が重い者の行く所みたいだ。主任島流しの印に腕に入れ墨でもして貰えば良いのに。阿保の㋐とか。僕と鑑識係は、前刑事一課長が異動先の課長に話をつけ、二人共刑事課で勤務できる様になっている。


 石原グループは僕以外は全員文句無し。僕だけが縁も所縁もない所への異動で文句を垂れているという噂があるらしい。如何してそんな話になるんだろう。僕ってそんなに不平不満を言う人間だと思われているんだろうか。僕が石原組の一員と認めて貰っているのかどうかも分からないのに。関係させて貰っているとしても、せいぜい見習いだ。万年筆も貰っていないし。


 強行一係長が僕に、

「荷造りだけはちゃんとせい。荷物は出発前日の夕方に積み込む。トラックは儂が用意する。単身と独身やから1台で済ます。お前の荷物を先に積み、儂の荷物を後に積む。その晩は運送業者の倉庫で車ごと預かってもらう。当たり前じゃが、翌日は後から積んだ儂の荷物を降ろしてから、トラックはお前の官舎に行く。代金とお礼は先に儂が済ましとく。儂らは前夜は兄貴の離れに泊まって、翌朝制服で出署して拳銃を着装して離任の申告と挨拶をする。その後夫々の私物車両で出発。先に赴任先の署で、拳銃と署に置く荷物を降ろして、着任の申告をしてから自宅で荷下ろし。荷下ろしの時刻を考えて、トラックには少し遅れて出発して貰う。分かったか。」

「は、はい。」

周りの人が、

「土居、お前此処までしてくれる上司はおらんぞ。」

「係長少し甘いんじゃない。これから異動は再々ある。やり方覚えさした方が。」

「土居、どうする?」

「いえ、次からは自分でちゃんとします。今回はお願いします。」

焦って頭を下げた。皆笑ってる。またやられたのかな。

「儂の最初の異動は兄貴が何から何までやってくれた。自分は異動して無いのに。今回はその恩送りじゃ。お前も部下ができたら何ぞしてやれ。」


 若竹の女将さんが送別会をしてくれることになった。係長と僕と鑑識と。それを聞きつけた定元部長が女将さんに泣き付いたらしい。

『儂も代わったんじゃから』

『転居もせんのに厚かましい』

『儂らの仲やん』

『そんな仲知らん』

とかいったやり取りがあって、女将さん根負けしたらしい。そしたら定元部長それを言触らして、結局

『刑事企画課次長』

『広域捜査管理官』

『暴力犯情報主任』

も来ることになった。そしたら

『強行特捜主任』『二係の先輩』

も呼ばんのはおかしい、ついでに一緒の署に行くんじゃからと

『僕が行く署の今度の知能・暴力犯係長』

も。おっさんばかりでは寂しいからと巡視員さんも呼ぶことになった。そしたら女性一人は寂しいからと先輩の彼女も。先輩難色を示したが、一応というか無理やりというか、声を掛けさせたら

『是非とも行きたい』

という事で。彼女楚々とした外見で大人しいのかと思ったらそうでもないらしい。巡視員さんとは時々会って、警察官の裏を聞いているらしい。定元部長は女将さんから

『不埒な言動・行動があれば、即刻退場で今後若竹と舞に出入り禁止』

と五寸釘を何本も刺されたみたいだ。


 豪勢な送別会だった。石原部長主催の宴会と変わらない。メインは今が旬の、瀬で揉まれた目の下1尺の天然鯛。深い所が住処だったのか綺麗な色だ。神経締めして時を置き、味と歯ごたえのバランスをとってある。刺身、薄造り、あら炊き、潮汁、鯛そうめん。最高級の鯛を何匹も。旬の蛤、浅利、白魚、蛍烏賊、眼張、筍、菜の花。食べ切れない、でも美味しくて止められない。


「これ結局は石やんの差配じゃないんか?」

定元部長が不用意な発言。女将さん、

「勝手に押し掛けたもんが、次要らんこと言うたら追い出すよ。」

でも目は笑ってる。

「手に余るから洋美さんに投げた。」

定元部長何か言うかと思ったが黙ってる。

皆も不用意な発言をしないように気を付けてまた料理とお酒を。


 女子大生さん、周りのおっさん達に気遅れする事も無く、出しゃばる事も無く自然体で場も料理もおおらかに楽しんでいる。大したものだ。性格も育ちも良いんだな。先輩の方が緊張してる。彼女お酒も強そうだ。かといって調子に乗る飲み方ではない。下手に酔わせると女将さんに怒られそうだし、石原部長にバレたら大変な事になりそうなので男性陣が緊張してる。緊張しながらも和気藹々と料理もお酒も会話も弾んだ。


 この席が締められた時の

『ご馳走さま』

の姿がまた尊い。横に居る同性の巡視員さんまでが顔を綻ばせている。流石の定元部長も今日は大人しい。


 いつも通り舞に行った。店に入ったとたんホステスさん達の目が彼女に釘付け。皆が僕達の席に付きたそうだ。ホステスさん達に挨拶する姿も品が有る。何かいつもとは違うが、すごくいい雰囲気で場が和む。今日は定元部長出番無し。


 門限の時刻を過ぎてはと心配していたら、女将さんの差配で彼女と巡視員さんは石原部長の離れに泊まることになっているらしい。二人共老舗旅館の離れを楽しみにしている。寮母さんも、一係長と巡視員さんからの外泊届だから何の心配もしていない様子だ。此処でもゆっくりと楽しい時を過ごした。多分暫くは来られないこのお店、いい雰囲気で暫しの別れだ。


 僕の荷物なんて大したものは無い。早目に異動と行先を告げられていたので準備はあらかた終わっている。引っ越し予定日が迫った頃、出勤後すぐに

『引っ越しを伴う異動がある者はそちらを優先』

『手持ちが有る者は引き継ぎを完全に』

と課長からの指示があり、引っ越しがある僕は帰宅して引っ越しの準備をする様に言われた。


 三係長に、

「大した荷物は無いので何かすることは?」

と言ったら、

「土居、お前手持ちは?」

「ありません。」

嘘だろうという顔をされた。そうだよな。何時も仕事溜め込んで、人の情けにすがってやっと片付けていた僕だから。


 余裕綽々で、

「何か手伝いますよ。」

と言ったら、

「何も無いんやったら、他の人との兼ね合いが有るから帰って荷造りせい。」

と言われてしまった。転勤していない他の人達からも、

「引っ越しがあるお前がうろうろしとったら、荷造りせないかん人が帰りにくい。さっさと帰れ。」

と言われた。遠くに行かされたり、制服勤務にされることを心配していた三係長は代わっていなかった。異動前意気が上がらなかったのだが、急に元気になっている。


 仰せの通り帰ることにした。

「そしたら荷造りをさせて貰います。」

と言って課を出たが、することが無い。そうだ今日は競輪が優勝戦の日だ。当分来られないからお別れに行ってみるか。お餞別を貰ったから資金はある。餞別を持って博奕に行くって外道の仕儀かな?まあいっか。


 さっさと署を出たので1レースに間に合った。運試しだ。中穴を3点張り。特券勝負じゃ。普段百円車券師だから特券勝負は気合が入る。誘拐犯人が身を持ち崩したのはこれか。僕には済崩しに人生を傾けた親父の血が流れているから気をつけなければ。


 第1レース、3対3対3の綺麗な三分戦。僕が頭に買った裏線の先行は前受。決まり手に捲りが多いから引いての巻き返し狙いかな。ジャン前のホームで本線が上がって来た。裏線の先行はすんなり引いた。本線が前に上がり、もう一つのラインも付いて来た。ラインが入れ替わった。僕が買ったラインは最後方。


 ジャンが鳴った。まだ一本棒。最終ホームも一列で通過。うーん拙いな。ホーム過ぎに中団が動いた。1センター過ぎに番手の横まで。飛ばされて終いか。コーナーで前がゴチャつくと後ろが出られない。いや飛ばされない。じりじりと先頭に迫っている。先行がピッチを上げた。バックライン並走で隊列が短くなった。裏線の捲り炸裂。2センター手前ではライン3人が出切った。僕は裏線の先行-番手の折り返しと番手→3番手を持っている。本線が人気していたから、番手→3番手だと5千円以上つく。最悪は3番手の頭だ。此処は直線が長い。ゴール前先行が垂れた。番手が抜けた。3番手が迫る。ゴール線上どうか?


 僕はゴール前で見ていたのだがつい興奮してしまい、金網越しに選手に向かって、

「抜くなー!」

と叫んでしまった。

『只今のレースの1着は写真を参考にして着順を判定します。対象選手は7番車8番車でございます。レースの決定は今暫くお待ちください。』

場内放送があった。胸がドキドキ。今ここで、目の前に女性が現れ声を掛けてきたら、少々不細工でもときめいてしまうのだろうか?


『写真を参考にして決定した着順をお知らせします。決定、1着7番、2着8番。』

「よっしゃー!」ガッツポーズが出た。

『只今のレースの払戻金をお知らせします。枠番連勝単式5-6、5860円。』

やったー!


 後ろで笑い声が聞こえた。振り返ると一係長と初捜班長が大笑いをしている。一係長は引っ越しだけど、班長は代わって無かったのに。

「気合入いっとったのー。」

「仕事では見たことが無い気合じゃった。」

「車券見せてみ。」

隠せない。握りしめていた車券を見せた。

「汗ばんどるぞ。」

「特券いっとるじゃないか。やったのー。」

「3人分の飲み代は十分じゃ。」

「はぁ?」

「土居、3万円残しとけ。残りは紙屑買おうが捨てようが勝手じゃ。夕方から焼肉じゃ。」

「はい。」

何なんだ?


 それから後も好調だった。最終レース前10万円以上浮いていたので、10万を超えた金額を全て最終の中穴5点に散らした。外れても今日の収益はプラス10万円だ。このレース、ゴール前頭にした選手が抜け出た、後ろに来ている3人はどれが来ても当たり。


 結果は、中では一番安い配当になる選手が来てしまったが当たりは当りだ。両係長喜んでる。

【これ僕のお金です。ガルル】

「土居、ここまで浮いたらお世話になった前の課長も呼ばないけんじゃろう。」

「巡視員さんも呼ばんと。それと兄弟分の二係無視したら渡世の義理が立たんぞ。」

少し口が開きかけたが、ここで吝嗇臭いことは言えない。

「前課長と巡視員さんには儂が連絡する。お前は相方にせい。」

「え、でも一応仕事中なのに競輪してたのが分ったら………。怒られません?」

「何か有った時の用心に、送致係が休暇届持っとるけん、何かあったらそれを出す。何も無かったら届は焼却場じゃ。」

「え、良いんですか?」

「異動時期はそんなもんじゃ。日頃超勤手当も貰わんとそれ以上働いとる。」

初捜班長は、

「儂は仕事中じゃ。此処には半端もんが一杯来る。見回りは儂の仕事じゃ。暴力はヤクザ、盗犯は盗人の行動や懐具合を常に把握しとらんとの。」


 払い戻しを受けたら今日の浮きは13万円を超えていた。全部は僕の物にならなかったが、日頃お世話になった人達に御報謝をしてからこの街を去るのも良いだろう。


 先輩に電話したら、先輩も概ね荷造りは済んでおり、直ぐ近くの本部の官舎に移るだけだからすることが無くて昇任試験の勉強をしていた。

『することが無くて競輪』

『することが無くて勉強』

これが棺桶に入る時どのくらいの着差になるのだろう?まあいっか。


 たまに行く石原部長の知り合いの焼き肉屋さんに行った。良い肉を出す結構高い店らしいのだが、僕達には実に良心的な値段で食べさせてくれる。石原部長のお陰だな。3人で店に着くと、もう既に、課長、ではなく広域捜査管理官が来ていた。

「土居、ご馳走さん。」

「あ、いえ、宜しくお願いします。競輪場礼儀正しく餞別くれたんで。」

「土居さん、呼んでくれてありがとう。」

巡視員さんは分かっていたが、女将さんもいる。

「どぉ・いぃ・さん、ご馳走になります。」

先輩の彼女さんまで。今日は女将さんに着物の着付けを教わっていたらしい。えい、みんな纏めて面倒見たるわい!でもこの上舞の人達まで来ないだろうな。


 舞の人達は来なかったが、予定通り刑事企画課次長と暴力団情報主任が。次長が、

「お、土居刑事、済まんのう。気ぃ使わして。」

係長は軽く会釈して笑ってる。ええい、本日出血大サービスじゃ。笑顔、笑顔。


 食べた、食べた。飲んだ、飲んだ。結局今日の利益はあまり残らなかった。まあ仕方ない。これまで迷惑を一杯掛け、一杯お世話になった人達への御報謝だからこの位では足りていない。皆が喜んでくれたのが何よりだ。でも石原部長って本当に太っ腹。


 翌日も一応署に顔を出して、昼から帰った。仕舞い込んでいた昇任試験の問題集をもう一度引っ張り出し読み始めた。昼間でもすぐに眠くなる。でも今の輪の中から弾き出されるのは嫌だ。この所の立て続けの飲み会でその思いを強くした。


 その翌日はこのアパートを去る日だった。トラックが来る前に、世話になった従兄弟同士の所に、鮎の焼き干と乾燥椎茸を持って挨拶に行った。

「お世話になりました。いつかまたこの街に戻ってきた時は、またお世話になります。」

と挨拶したら、涙をためて頷いてくれた。石原部長が行く先々で信頼されているのは、こういう付き合いを欠かさないからなんだろうな。


 積み込みが終わり部屋を点検した後、大家さんに確認をして貰い鍵を返した。

「綺麗に使って貰って有難う。」

「いえ、長い間お世話になりました。」

「お巡りさんに住んでもらって私も他の部屋の人達も心強かったのよ。土居さんは静かだし綺麗好きだし。近所の昔からの農家の人達も

『土居さんが転勤』

と言ったら残念がってましたよ。この街に来る事が有ったら必ず寄ってくださいね。」

「有難うございます。またいつかはこの街で勤務することもあると思うので宜しくお願いします。」

餞別まで貰ってしまった。遠慮したのだが

『どうしても』

と言って貰ったので有難く頂戴した。


 大家さんと別れて旅館に行った。此処も宿明けでいつもお世話になったので、皆さんに丁寧に挨拶をして回った。すぐに係長も来て、皆さんに挨拶をしていた。

「儂も前回居った時から宿明けでいつも風呂と飯、世話になっとったんや。出張で来た時も兄貴の部屋使わせて貰うとったし。兄貴戻って来てからは美佳ちゃんと尚美さんが居るけん泊りはせんかったけど。」


 離れに行くと賑やかだ。この間のメンバーが殆ど居る。夕食の準備ができていた。今日も宴会?来た人皆が餞別をくれた。遠慮をしたのだが係長の、

「貰うとけ。」

の一言で有難く頂くことにした。

「この間の焼き肉な、お前にたかるんが目的じゃあ無かったんや。お前がどのくらいの度量があるかと思うたんじゃ。まあ合格じゃ。兄貴程なことは誰にもできん。でもな吝嗇には誰もついて来ん。この餞別は埋め合わせじゃ。」

涙が出てきた。

「有難うございます。無理に無い袖は降りません。でも振れるとこは振れる人間になります。今後とも宜しく。」


 機捜に行く先輩の彼女が天真爛漫に、

「凄いご馳走。」

この言葉で宴会、いや食事会が始まった。でもやはり最初はシャンパーニュだ。この街を離れたら気軽にシャンパーニュを飲む機会は無くなるな。


 女将さん石原部長のセラーから勝手に選んできたらしい。

「許可は貰ってるから大丈夫。只説明ができない。私も飲むの初めての品だから。」

女将さんが、

「凄く美味しい。表現できないくらい。」

課長が、

「美味しいな。でも多分高いシャンパーニュじゃ。」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫。有る物は飲んで良いって言われてるから。

『サロン』

とか

『ボランジェ ヴィエーニュ・ヴィーニュ・フランセーズ』

とか

『クリュッグ クロ・デュ・メニル』

とかはどこか別のところに置いてあるみたい。多分生家の地下に在るセラーだと思うけど。」

「それって美味しいんですか?」

「洋美さんがめったに出さん位だから。」

「恵美姉さん飲んだことは?」

「有るよ。

『サロン』

は時々。

『ボランジェ ヴィエーニュ・ヴィーニュ・フランセーズ』

は一遍だけ。

『クロ・デュ・メニル』

も一遍だけ。」

これより凄いシャンパーニュって?

『サロン』

は初めて石原部長に付いて行った時出た、大きなSの字のエチケットのやつかな?


 旅館の料理も美味しい。色々なお客さんに対応するためか、食材が万遍無く使ってある。小鍋で、サシが入った牛肉を野菜の上で蒸し焼きにしたのが美味しかった。女将さんが合わせてくれた、カルフォルニアのカベルネソーヴィニヨンも凄く美味しかった。最後まで贅沢をさせて貰っている。先輩の彼女が、

「このワイン中学生の頃、父と石原さんが実家近くの河原で飲んでいたのを少しだけ貰って飲んだ事が有ります。ミネラルウオーターで薄めてありましたけど。石原さんが牛のスペアリブを同じワインに漬けた後、時間をかけて炭火の強火・遠火で焼いたのを一緒に食べさせて貰いました。」

「それは美味いじゃろうのぅ。」

皆喉が鳴った。

「土居、儂は甘やかさんぞ。もとい、甘やかせられんぞ。」

「あ、期待してません。」

「何ぃ!」


 翌朝署で挨拶をした後赴任先に向け出発した。皆が玄関に出て見送ってくれた。赴任先まで1時間余り。此処で事故ったら大変だから慎重に国道を東に。前方に係長の車が見える。でも行先への道順が分からない訳では無いので無理に追随はしない。途中峠を一つ越えた。そこを過ぎればもうすぐだ。


 赴任先に着くと係長が車から荷物を降ろしていた。僕も急いで。副署長、署長の順に着任の申告。係長はどちらもと顔馴染みらしかった。警務で官舎の事等必要事項の話をし、書類を受け取ってから刑事課に上がると課長がいたので着任の挨拶をした。


 課長は後2年で定年のベテランで、知能犯が専門ではあるが僕の係長とも折り合いは悪くないと聞いている。知能・暴力係長は昨日赴任して来ていて、自分の席に座っていた。挨拶に行くと、単身赴任で官舎は僕の隣の部屋だそうだ。

【まさか隣まで鼾が響いたりはしないだろうな】


 課長が知能畑なので自分は暴力専門でやれそうだと気楽そうだ。僕の係長は強行畑だが、若い頃小さな署で石原部長に付いて

『何でも係』

をしてきたから盗犯も大丈夫と言っている。以前に盗犯の検挙原票を揃えるのが大変だと聞いているが係長は心配していない様子だ。


 課長は子供さんの就職等で石原部長には世話になっているらしい。署長もそこらの事で石原部長が世話をしているらしいし

『お前さえちゃんとしとったら悪くは扱われん』

と係長に言われた。新しい部署も石原部長のお陰で何とかなりそうだ。



 

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