先輩の恋
二係の先輩が恋をした。一目惚れらしい。生真面目な先輩こんな気持ちになったのは生れて初めてらしい。僕に相談をしてきた。相談相手に選んでくれたのは嬉しいが、僕自身が自分の面倒を見られてないのに。
二係の先輩が恋をした。お相手は、先日行き当たりばったりの誘拐被害に遭った女子大生だ。僕は姿を見たことは無い。被害者調書は心のケアを考えて、一係長がこの件に最初から関わった巡視員さんと出向いて取ったので。ママポリス面目丸潰れ。
自分の恋が儘ならない僕ではあるが、先輩に半泣きで
『如何して良いか分からない』
と言われたら放っとく訳にはいかない。でも如何したら良いのか分からない。
先輩に相談されてから3日になる。先輩真面目だから仕事は一所懸命やっている。でも時々ため息が。先輩の席は課長の席から丸見え。
そのうち鋭い課長が気付くのではと心配していたが、今のところ何も起きて無い。でも僕が動かなくてはと思い、先日お世話になった巡視員さんに声を掛けさせてもらった。寮母さんからの信頼を得ている様子なので、そこを攻め口にと思い。1階の交通課の裏手で待ち伏せて、
「ご相談したい事が有るので、構わなかったらお時間を頂戴できませんか。」
と申し出たら承諾して貰えたので、翌日仕事が終わった後会って貰うことに。
場所は僕が決めて良いという事だったので、以前舞の前ママと現ママが連れて行ってくれたイタリア料理店にした。僕はそう沢山のお店を知っている訳では無い。時々自力で行く焼き鳥屋は女性を案内するには一寸だし、定元部長の親戚の店は警察官の出入りがあるし、ステーキ屋さんは僕の財布では絶対無理。若竹はそれなりに考えてくれるだろうけど、女将さん絶対興味津々だ。一応電話で予約した。一度だけ連れて行って貰った時に結構繁盛していたので。
巡視員さんはそのお店を知っていた。たまに行くそうだ。一緒に署を出るのもあれなのでお店で待ち合わせた。待たせる訳にはいかないので僕が先着。仕事が終わった後、石原部長のお下がりを着て、いつもより小綺麗な格好でそそくさと課を出たら、皆が奇異の目で見ていた様な気がするが気付かない振りで。
お店に着いて、
「予約しています土居です。」
と告げると、
「承っております。どうぞ。」
と席に案内された。
席に着くと案内してくれた人が、
「前にも一度いらしてくださいましたね。」
とニッコリ笑って声を掛けてくれた。
「はい。もう大分前ですけど。」
「ご注文はお連れ様がいらしてからになさいますか?」
といった会話をしていたら巡視員さん到着。立ち上がってお出迎えをした。
巡視員さんも案内してくれた人と顔見知りだったみたいだ。席に着くと、
「土居君からのお誘いとはね。」
「はい勇気を出して。」
「そのスーツ素敵ね。」
「石原部長のお下がりです。サイズを詰める手間賃まで部長持で。」
「ふーん。物もセンスも一寸違うと思った。で、今日は?」
「本日は巡視員さんを人徳高き先輩と見込んでお願いが。」
「え、何?恐ろしい………。」
お店の人が、
「先にお飲み物をお持ちしますか?」
と聞いてくれたので、
「選んでください。」
「土居君のチョイスで。」
少し考えて、プロセッコを選んだ。フルボトルで。
「へー、石原部長の好み?」
「石原部長の奥さんです。」
「知ってるの?」
「前に此処に連れて来てくれたのが奥さんです。石原部長が誘ってくれる時は大抵一緒で、舞にも何度も連れて行って貰ったし、たまには自力でも行ったので。」
「そうか………。」
石原部長の周りの女性は皆敵なのかな?
「別に敵視してる訳では無いよ。一寸羨ましいけど。」
バレてる。
プロセッコを飲みながら料理を選んだ。
「プロセッコは油に強いそうですけど、そっち方面にします?」
「うん、じゃあ任せる。」
「イタリアンサラミのお勧めがあればお願いします。」
「はい。プロセッコにぴったりの物をお出しします。」
「メインは何にしますか。」
巡視員さんが、
「鳥肉のバーベキューソースをお願いします。それとサラミと一緒にカプレーゼも。」
注文が終わった後一寸間を置いて、
「で、今日の要件は?私に告白?」
巡視員さん笑ってる。即否定するのも失礼かなぁ。一呼吸置いて、
「いえ、そうでは無くて二係の先輩のことで。」
巡視員さん少しだが声を漏らして笑ってる。
「ご免ご免。課長の言う通りだったから。」
「え、課長?」
「うん。土居君からお誘いがあった事課長に報告したのよ。そしたら直ぐに
『それは相方の二係のことじゃ』
って言ったから。」
僕が言葉に詰まっていると、
「課長ね
『二係がこの頃元気が無い』
『土居も何か知っとって困っている様な』
って言ったんよ。
『多分二係のことを相談するんじゃろうと思う』
『土居に相談する二係の悩み言うたら多分女じゃろう』
『まあ聞いてやってくれ』
って言ってた。」
「当たりです。課長何でもお見通しですね。」
「石原部長はもっと鋭いんでしょ?」
「部長や課長が鋭くて、僕が分かり易くて。」
巡視員さん笑いを堪え切れない。
先日定元部長の親戚のお店であったことを包み隠さず話した。体裁を考えている場合ではない。巡視員さんもそこらを感じてくれたらしく、真剣に聞いてくれた。でも急に言っても、急にアイデアは…。
「まあせっかくだからプロセッコを味わいましょう。」
「これ美味しいね。スパークリング高いのが多いから最初から選択肢に無かったんだけど。」
「石原部長シャンパーニュが大好きなんですよ。何処に行ってもまずはシャンパーニュ。僕にシャンパーニュは無理だけど、スプマンテなら。」
「ふーん。私は御一緒したことが無い。」
地雷を踏んだかな。あまり大きくはなさそうだけど。
「良くは知らないけど、二係の彼は実直そうね。彼がこの署に来て8年目か。あまり目立たなかったけど、今の課長になってからすごく活躍し始めてない?」
「そうですね。最初の3年、直属の上司が駄目だったから。」
「土居君は最高の上司で始まったのにね。」
うっ、厳しい。
急に方針は決められないので、食事でもしながら情報をということで
『夫々の事』
『今の署内』
等について取り留めの無い話をした。でも僕は極力固有名詞を出さないように気を付けた。噂好きならまだしも、陰口をたたく奴と思われると困るので。巡視員さんも固有名詞は出さなかった。元々そういう人なのか用心しているのかは分からない。でも僕は分かり易い人間らしいから。
食事には満足して貰えた様子だ。プロセッコの後のワインはグラスにした。
「やっぱりここは美味しい。それにボリュームがあるし。初めて来た時普通に頼んだ積りだったら、一品一品の量が多くて。」
「そうですよね。僕は一緒に来た人がそこらを教えてくれたので。」
「その時噂の彼女も一緒だったの?」
「うっ、いえ、違います。」
「まだ土居君が知らない情報教えようか?」
「えっ、どんな情報ですか。」
「今回の被害者さんに、高三の時国語を教えたのは、去年採用されたばかりの女性教師だったらしいよ。」
「……知りませんでした…。」
「被害者のお父さん石原部長とも知り合いらしいよ。中央署に来る前石原部長がその城下町に居たのは知ってるよね。」
「はい。そう聞いていますけど、部長過去を話さない人なんで。」
「被害者さんの実家は江戸時代その城下町の上級武士だったらしくて、お父さん郷土史の研究に熱心で、武具の収集もしてるらしいよ。」
「詳しいですね。」
「全部課長が教えてくれたの。」
「………。」
「あ、私と課長そういうんじゃないからね。」
「えっ。」
「必要以上に親密且不適切な仲だと邪推しなかった?」
「いえ、そんな。」
「石原部長が刀剣好きで、収集もしているのは知ってるでしょう。自分が持っていた、城下町の藩主のお抱え刀工が幕末に江戸の藩邸で鍛えた刀をお父さんに譲ったことがあるらしいよ。
『この街に縁がある刀剣は、この街の武士の末裔が持つべきだ』
って。相場よりもずっと安く。」
「石原部長らしいですね。」
「そうなのよ。お父さん石原部長の人柄が気に入って、一緒に川遊びをしたり河原で火を焚いたりしてたらしい。娘さんも部長の事ご存じよ。今回のことも部長からすぐにご両親にお見舞いがあって、課長にも
『被害者のケアを慎重に』
って連絡を入れたらしいよ。」
「そうだったんですか。」
「解決のお礼を言いに署に来てくれたご両親と課長が話をして、どちらも石原部長大好き人間だから話が弾んだみたい。」
食事の後は、以前今日のお店に行った後新旧ママが連れて行ってくれた昔ながらのバーに行った。此処も巡視員さんは馴染みみたいだ。そこでも先輩の話は一時棚上げで、お酒と普段良くして貰っている人達の楽しい話だけで終わった。でも帰りがけに、
『帰って考えてから次の手を考える』
『悪い様にはしないから』
と言ってくれた。
翌日昼休みに署の屋上で前夜のことを先輩に伝えた。先輩少し元気が出たみたいだ。でも課長に全部見抜かれていたのは少し恥ずかしそうだった。嬉しそうでもあったけど。
巡視員さん課長に報告したらしい。
『話は解った。でもクワガタを同じ籠に入れて番いにする訳じゃあ無いから慎重にな。二人が何処かで出会って勝手に波長が合うのはかまんけど、間に入って合わすのは難しいし責任が生じる。田舎は家柄だの血筋だのも煩いし。』
と言っていたそうだ。ではどうすれば良いかと言う話は無かった。
「こちらが筋道を考えたら、そこへのアドバイスはくれると思う。でも頼まれたのは土居君だからまずは土居君が考えろという事じゃない。」
「そうですよね。何でも最初から
『お願いします』
では駄目ですよね。」
でも石原部長が先方と知り合いなのは大きい。あれ、もう当てにしてる。もう長い間会って無い人を。
確かに田舎は結婚話で家柄だの血筋だのを言う。そこらの問題で恋に落ちた二人が無理やり引き離された話も聞いた事が有る。逆にそこらだけで親同士が勝手に結婚を決めた話も。相手の娘さんが武家の末裔でご両親共公務員だというのは分かった。石原部長がお付き合いをしている人達であることも。
しかし僕は先輩のことを良く知らない。僕自身が山奥の水吞百姓の小倅だから人のことを言える立場に無いし。その点石原部長は家柄だの血筋だの貧富だのを全く言わない人だったな。本人自身が裕福なのは言われなくても分かるが、それをひけらかす所は一度も見たことが無い。色々な場面でお金を出してくれる時も
『出してやる』
では無くて
『出させて貰う』
といった感じだった。
いきなり結婚になる訳では無いが、同級生同士で
『付き合ってみる?』
という感じでは済まないからやはりそこらも先輩と話してみなくては。
先輩を僕のボロアパートに誘った。僕の財布ではいつもお店という訳にはいかない。というよりも当分緊縮財政じゃ。朝、
「今晩僕のところで話しませんか。」
と言うと、先輩僕の緊縮財政を察したのか、
「焼き鳥位なら行けるよ。」
と言ってくれたが、
「お付き合い始まったらお金要りますよ。」
と言うと、照れながら、
「そうなったら良いんやけど。」
と恥ずかしそうにした。
先輩を誘う積りで昨日掃除をしたのだが、帰宅してもう一遍確認をしている所に先輩が来た。ビールと角瓶を持参で。先輩がここに来るのは初めてだ。先輩は少し離れた所に在る一番古い官舎に住んでいる。遠いし古いしで家族持ちは其処を敬遠し、独身寮を追い出された若い衆が沢山入居している。僕は仕事が終わってまで同僚と一緒は嫌なので少し家賃が高くなるがアパートを借りた。先輩は帰りのタクシー代が勿体無いから、明日は一緒に出勤することにして着替えと洗面道具を持ってバイクで来て貰っている。
署からの帰り掛けにスーパーで鍋の準備をした。ついこの間近所の刀好きのおじさんが、自分が育てた葱や白菜や大根をくれたので丁度良い。貰った若竹のポン酢醤油も冷蔵庫にあるし、鳥の水炊きで。昆布も若竹からの貰い物。人の情けで生きているのを実感する。僕が準備している間に先輩には風呂に入って貰って、出た後続いて僕も入ってゆっくり飲もう。
僕が風呂から出ると、僕が作った出汁巻き卵とこれも若竹で貰った賄用の出汁抜け昆布の佃煮で先輩ビールを飲んでいた。僕も早速。鍋が沸くまでの間に、
「思ったより綺麗にしてるんで驚いた。」
「ええ、僕汚れのイメージですか?」
「いやそういう訳では無いけど。土居君の前の主任の部屋凄いらしいで。」
「行ったんですか?」
「行く訳無いやろ。同期の奴から聞いた。」
「同じ官舎に居るんやけど、足の踏み場が無いらしい。部屋に脱ぎ捨ててあった服を、邪魔だからどかそうと思って持ち上げたら、そこからゴキブリが何匹も出てきたんやて。玄関から直ぐの部屋がゴミだらけで、奥の布団敷きっ放しの部屋までゴミの間に踏み分け道がついとったらしい。」
然もありなん。
「僕の隣に席があった時も、受け取った書類を貰った順に抽斗に放り込むから、何時も大騒ぎして下の方に隠れた必要な書類を捜してました。机の上も散らかっていたし。あれで職員を管理する立場を目指すって、どの口が言うんでしょうね。」
鍋が沸いたので昆布を取り出した。佃煮にするために置いておこうかとも思ったが、それだけの量が溜まるのは何時のことか分からないので止めにした。骨付き鳥を入れて出汁が少し白濁するのを待つ間に大根おろしを作った。最初よく煮えた鳥を食べ、順次野菜や豆腐を。美味い。我ながら上出来。先輩も、
「美味しい。」
と言って食べてくれている。でも結局はポン酢醤油の美味しさか。
この間の巡視員さんの話はもう既に伝えているので、食べながら飲みながら取り留めのない話をした。僕の生まれ故郷の話、家族の事、子供の頃から警察官になるまでの事。先輩も警察官になる前のことを。先輩も高校時代全く女性との付き合いは無かったらしい。僕だけじゃ無かった。警察官になっても女性とお付き合いをした事は全く無いらしい。勝った。でも当然の事ながら先輩は振られた事は無い。
鍋の後はウイスキーにした。飲みかけの角があったのでそちらから。見様見真似でハイボールを作ったら、
「美味しい。」
と言ってくれ一寸だけ良い気分。今度あのバーに一緒に行ってみよう。暫く倹約してから。今思うと石原部長の下に居た時は随分贅沢をさせて貰っていたものだ。
話の中で判ったのは、先輩はミカン農家の生まれだという事だった。先輩が、女性が育った城下町の西隣にある港町出身だということは知っていたがそこまでは知らなかった。温州ミカンを生産しており、農業だけでやっていけているらしいが、お兄さんとお姉さんがいて、お兄さんと先輩がミカン畑を分けて継ぐと一寸心許ないらしい。終戦後ミカン作りを始め、昭和30年代から40年代には大儲けの時期もあったらしいが、ミカンの作付けが増えるに従って単価が下がり、今はまだやっていけるが将来には不安があるみたいだ。
先輩の家もミカンを作り始める前は山肌を耕して畑を作り、日雇いに出て口に糊する生活だったらしい。元は僕の生家と互角だ。水田があった分、家がややましかな。ただ家は山奥で潮風が無く日照量も足りないのでミカン農家に変身はできなかった。
高校の頃進学するかどうかで親と話し合った。親は
『何とか大学に進学させるくらいの蓄えはある。国立に行ってくれれば文句無し、県庁所在地の私立位なら行かせられる。兄は高校を出てもう既に農業を手伝っているからお前に分ける農地は無い。その分教育を与える。』
と言われたが、勉強があまり好きでは無かったので
『自分は高校を卒業したら就職する。進学に必要な費用を他所に家でも建てる足しとして貰いたい。』
と言って就職活動に入ったらしい。片っ端から公務員採用試験を受けたら警察だけ合格したので今此処にいるらしい。親が
『死んでからだと面倒になるから。』
と言ってもう既に学費に匹敵する額にやや色を付けて渡してくれているみたいだ。
『兄とあまり仲が良くないから心配したみたいじゃ。』
と言っていた。
先輩の家はその港町に一番多い名字で、16世紀頃他所から移って来た氏族の末裔らしい。家の土居の先祖も大和から流れて来た一族らしく、県庁所在地にも同じ名字があるがそことは氏族が違うらしい。
その晩は先輩に僕のベッドで寝て貰い、僕は床に布団を敷いて寝た。母がお客さん用の布団を持たせてくれていたのでそれをベッドに敷き、普段の布団を床に敷いた。電気を消して話をしていたら知らぬ間に寝落していた。
翌日昼休みに調べ室で昨夜先輩に聞いたことを要約し書き出したものを巡視員さんに渡し
『宜しくお願いします』
と頭を下げた。巡視員さんその場で読んで、
「解りました。後日連絡します。」
多分課長に相談するんだろうな。でもどうやって。情報が伝わるのが随分早い。かといって署内で会っている様子は無いし。この職場一寸したことが大きな話になって、暇な奴等の噂になることが多いのだが、そういう話は少しも出ない。僕がこの頃巡視員さんに接近しているという噂が出始めているらしいので気を付けなければ。僕は一向に構わないのだが、向こうに迷惑を掛けられない。
何日か後課長に呼ばれた。
「一つ確認じゃ。二係は次男じゃったのう。養子に抵抗があるかどうかだけ確認してくれ。」
「はい、分かりました。」
昼休み先輩を外に連れ出し昼食がてら課長の確認事項を伝えた。一足飛びに養子の話が出たので先輩面くらっている。僕も話しが飛躍しているように思う。でも課長が言う事だから、先輩に不利な筋道は立てないだろう。
先輩の返事は、
「僕は次男だし、由緒ある家柄じゃあ無いから苗字には拘って無いよ。親も何も言わないと思う。」
「課長に何か考えがあるみたいだから下駄預かって貰います?」
「うん。課長になら喜んで預かって貰う。」
「解りました。此処まで来たから次は課長が直接呼ぶと思うんで。」
「了解。」
先輩明るい未来を感じたのかな。声が元気だ。
1週間位経ったある日、課長は先輩を呼んだ。その日から10日位先に
『先方との会合をセッティングする』
『服装はスーツ、ネクタイ』
という事だった。
『土曜の午後』
『細かい時刻と場所は後日』
次いで僕も呼ばれた。僕はその日の夕刻若竹に出頭。服装は見苦しくないもの。但し
『部長のお下がりは禁止』
理由は上等すぎて、先輩がかすむ。先輩の一張羅を超えない服装。警察学校に入る時親が揃えてくれたスーツがあるが、あれはダサい。親には申し訳無いが着たくない。部長のお下がりを着慣れたら、とても着られたものではない。でも課長の指示はもっともだし絶対だ。先輩を超えない程度にましなスーツを買いに行く時間はあるが、金が。無くは無いがこの1日のために加減をした服を買うのも勿体ない。春夏秋冬、部長が立派なお下がりをくれているのに。
諦めてその日は親が買ってくれたスーツを着て行った。一寸後悔。若竹に行く道筋のショウウインドウに映る自分の姿を見ると気が滅入った。
【ダサ!】
若竹に入ったら女将さんがいた。笑ってる。
「どしたん?」
「今日は先輩が主役だから目立つなということです。石原部長のお下がりのスーツは禁止です。先輩より立派に見えそうだからだそうです。」
「課長の言い分は当たってるね。先に先輩来てるけどそれなら引き立てられるよ。洋美さんのお下がりだと先輩が一寸かすむかもね。」
「はい、僕は添え物ですから。」
「そんなこと無いよ。今回中々の活躍だったらしいじゃない。課長褒めてたよ。」
「そうですか?」
「それよりももう課長来てるよ。もうすぐ先方が見えると思う。洋美さんが案内するらしいよ。」
慌てて2階に上がった。靴だけは先輩より絶対立派なはずだ。これは代えが無いので仕方が無い。でも座敷に履いたまま上がることはできないからなぁ。
座敷に入り、
「遅くなりました。」
と言うと、課長が
『それで良し』
の顔をしている。
【仰せの通りに致しました】
僕は入り口側の末席に座るように言われ、その一つ上が巡視員さん、もう一つ上が一係長だった。その上が課長。先輩は上座に膝を揃えて座っている。僕の直ぐ後に上がって来た一係長が、
「土居、儂見て
『お前関係無いのに何で来とるんじゃ』
思うたやろう。」
「そ、そんな事無いです。」
慌てていると一係長の後ろにいた巡視員さんが、
「土居君、分かり易いのもやけど、カマかけたらすぐ引っ掛かるいうんもあるんよ。」
そうなのか。
「それ教えたらいかん。ええ玩具なんやから。」
笑いながらそんな話をしていたら、女将さんが先方を案内して来た。若い女性。可愛い。こんな可愛い人をあのバカ被疑者泣かしたのか。地獄に落ちろ!先輩惚れる訳だ。寮母さんも一緒だ。その後石原部長が入ってきた。久し振りだ。なんて挨拶しようか。
その後ろを付いて入ってきた人を見て驚いた。和子さんだ。その後ろには留置で一緒だった今本部のマル暴情報主任をしている先輩が。何じゃこりゃ。僕今漫画の中の驚いた人みたいに目が顔の3分の1くらいを占めているんじゃなかろうか。分からん。でもここでは騒げない。
先輩と女子大生が上座で並んだ。お雛様天下一品。お内裏様普通かな。あ、表情を読まれない様に。女将さんが、
「土居さん、心読まれん様に顔をしかめたじゃろう。」
「え、そんな事してませんよ。」
係長が、
「お前、嘘ついたら耳が動く。」
「え、嘘。」
耳を抑えてしまった。
「ほら見てみい。」
全員大笑い。分かりました僕は座持ちに徹します。
石原部長の挨拶で始まった。いつも通りシャンパーニュで乾杯。女将さんもグラスを持っている。まるで結婚式の親族紹介の様に、オードブル風の先付を頂きながら出席者の紹介が始まった。まず当方から。石原部長が順次出席者を紹介していった。最後の僕を
『今回のこの席が開ける様に尽力してくれた先輩思いの奴』
ということで。
先方はお父さんが自分の側を紹介していった。マル暴主任の先輩を
『史談会の仲間で今回いち早く自分達の心のケアに配慮してくれた』
と紹介し、和子さんは
『娘と歳が近く娘が一番信頼している恩師』
と紹介された。
料理は河豚がメインだったのだが、初対面の人が多い集まりだったので河豚会席と言った趣で。河豚刺しは伊万里のお皿に一人前ずつ。鍋は各人に小鍋仕立てで。僕の大好物の虎河豚の頭の唐揚げも出た。一緒に出た白ワインは、フランスではなくカルフォルニアの希少なものだと女将さんが説明した。河豚の焼物、キジハタの煮付、魚介と野菜の天婦羅、河豚の握り寿司。夫々の料理に合わせて、ワイン、清酒、ビール。美味しい。
先輩は横の超可愛い女子大生と楽しそうに話をしながら食べている。
「土居君、羨ましい?」
巡視員さんに話しかけられた。そういう顔をしていたのかな?多分していたな。
「高校教師も美人ね。」
「あ、はい。」
巡視員さん微笑んでいる。冷静、冷静。無表情。
先輩達はここに来る前、県立美術館で会ってから来たらしい。絵画好きの石原部長がセッティングをし、マル暴主任と和子さんが介添え役で。そこの収蔵品は郷土出身画家の作品が中心で、石原部長に中学生の頃油彩画を教えてくれた先生の作品もあるらしい。そこで待ち合わせて挨拶を交わし会話をした後、ご両親は今晩泊まる、以前石原部長が住み着いていた旅館で休憩。マル暴主任と和子さんに見守られて話をしながら絵画鑑賞をした後、女性は一旦旅館に行きご両親と一緒に此処に。先輩は一旦分かれて直接若竹に来たらしい。これってお見合い?
先輩と女子大生すごく楽しそうだ。巡視員さんが、
「彼女もねぇ、二係に一目惚れらしいよ。」
「えぇ。」
「今も凄く楽しそうじゃない。
『吊り橋効果』
かな。」
「何ですか?それ。」
「うん、良くは分からないけど
『吊り橋の上の様に常時揺れていて、そこに居る人が不安を感じる様な場所で、心臓がドキドキしている時には、その時出会った相手に心がときめき易い』
って事らしいよ。殺されるかもしれないという大きな不安で胸が締め付けられるような思いの時に、助けに現れた若い警察官だからね。」
「先輩も一目惚れですよ。」
「二係も重要事件の現場で
『被害者救出』
という大切な場面だから心臓バクバクやったんやない。」
「街で普通に見掛けてもときめきますけどね。」
「確かに。」
「ということは助けるのが僕でも良かったんですかね?」
「それは有り得るね。定元部長だと駄目だろうけど。」
結構長い間、食事をしながら話をしたが、課の飲み会みたいに座席を動いての盃交換は無かった。当たり前か。顔合わせの食事会だから。
和気藹々と良い顔合わせだったが、夜が更けたのでお開きになった。石原部長と二係の先輩と先方は車を呼んで今晩泊まる旅館に帰った。先輩2名は石原部長の離れに泊まるらしい。僕達は女将さんも交え5人で舞に行くことになった。
舞で席に着くなり課長が、
「綺麗な娘さんやったのう。お父さんが男前でお母さんも美人やから綺麗な娘さんじゃろうなとは思うとった。しかし想像以上やったな。高貴な血筋は要らんけど、美男美女の血筋は欲しいのう。」
「課長は上等よ。洋美さんと比べるからいけんのよ。」
「うん、まあ。それから言うたら美佳ちゃんはどんだけ美人になるんじゃろう。」
「今でも十分美人さんよ。大学生にでもなったら誰まり近寄れんなるのは間違い無い。」
「兄貴一人娘やからよう外に出さんやろうな。でも釣り合う養子いうのもなかなかおらんじゃろうし。今回は学校があったからいかんかったけど、もうすぐ春休みやからその頃には会えるかな?」
「多分無理。尚美のお腹が大きいから帰って来んと思う。」
「ええー!」
課長が、
「兄貴絶好調やのう。男の子ができたらそっちがお世継ぎ?」
「洋美さんそんなこと考えてないよ。尚美が死ぬまで安気に暮らせるようにして、残りは子供に等分に残して自由にさせるみたい。私らのことも考えてくれとるみたいよ。何処までが守備範囲かは分からんけど。」
「ふーん。今でも結構あれこれして貰うとるけど。」
「儂等が家建てる、買う言うたら必ず驚く程の祝儀くれる。」
「一係長も儂も土地は有ったから家代半分位負担してくれた。」
課長が巡視員さんに、
「これからは集まりに時々呼ぶからな。兄貴の承諾貰うた。石原組の紅一点じゃ。」
僕が課長に、
「署内で繋ぎを付けてる様子が無いのに情報伝達迅速ですよね?」
「儂の家とこの人の家隣同士じゃ。ご両親に家の子らの守して貰うたり、家の嫁さんがこの人のお母さん病院に連れて行ったり。」
「そうだったんですか。」
「マル暴の先輩と女子大生さんの実家は?」
「あいつが心臓病になった時兄貴が療養のために静かな駐在所に行かすようにしたんや。その駐在所の目と鼻の先に国保の診療所があるんやけど、そこの所長が県立中央病院の循環器科部長で退職した人で名医らしい。兄貴のお父さんの旧制高等学校と帝国大学の後輩やった御縁で身柄預けたらしい。本人のお父さんも医者仲間で知っとったらしいし。そこに居る時健康指導区分をきつうして貰うて夜勤も本署の補勤も無いようにしたんじゃ。そしたらあいつ引き籠りみたいになったんで、時々車仕立てて迎えに行って兄貴の知り合いの郷土史研究会に入れたらしい。元々歴史少年やったらしいんで。そこからや。」
「そうだったんですか。」
「気になるか?」
「あ、いや、そういう訳では。」
その話はそこで終わった。これ以上続けると余りにも僕が痛々しいので遠慮してくれたみたいだ。
今回僕が巡視員さんに伝えた事は、速やかに課長に伝わり速やかに石原部長に上申されていたらしい。石原部長が相手の御両親に
『自分が2年間見てきた先輩の仕事ぶり』
『自分で感じた先輩の人柄』
『課長や僕が伝えた事』
を丁寧に伝えてくれたらしい。
でも一番のポイントは、娘さんが
『助け出してくれた刑事さんに会いたい』
と思っていた事だった。あの日以来ずっとそう思っている事をお母さんには伝えていたらしい。そこへ最も信頼できる人物から話が来た。
『人柄』
『仕事ぶり』
『生い立ち・家庭環境』
を丁寧に説明してくれた。今後のお付き合いは別として
『会ってみる事には全く異存は無い』
という事で今日が来たらしい。結局石原部長が一番働いてくれたんだ。最初寮母さんを攻め口にと思って巡視員さんにお声掛けをしたのだが、それ以上の、僕が全く考えなかった方向で結果を出して貰えた。
全員やっぱりという思いだ。課長も
「まあ、何でも最後は兄貴やな。そんでもな、歴史ボーイの成れの果ても役に立ったぞ。あの日頃辛口の奴が二係のことは褒めたらしい。」
「へー。あの人先方に信用あるんですか?」
「儂等の中で一番兄貴に似とるんはあいつやからな。裕福で教養深い家庭で育って、何考えたんか警察官になった。」
「マル暴主任って頭良いんですか?」
「あいつ高校も大学も儂の後輩じゃ。成績も儂なんかよりずっと良かったみたいやし、家も確りしとるから就職先はなんぼでもあったのに警察官になった。でも考えたら
『敵対した奴に情け容赦ない』
『相手がものも言えん様になるまで理詰めで追い詰める』
『敵に暴力を振るうのを全く躊躇わん』
その他諸々兄貴に似とる。警察が一番ええな。兄貴もそこら解っとる。他の人も感じるんじゃないか。」
課長は話を代えて次の異動のことを話し始めた。
「儂が代わるのは2年過ぎたから分かると思う。一係長と二係とそして土居も代わる。」
新任でここに来てもう7年だから驚くことではない。先輩は僕より1年長い。でも係長はまだ2年なのに。
「係長は実家の近くに家を建てたばっかりやったんやけど、儂が無理やり此処に連れて来た。奥さんの怒りが爆発する前に単身赴任解消して家に帰らす。今度の一課長は儂等と反目じゃ。置いといたら係長絶対揉め事起こすし、二係と土居も間違い無く苛められる。じゃから出す。二係は機動捜査隊。土居は係長と一緒に東の方の係長が家から通える署で強行・盗犯係じゃ。2人共2年で昇任せい。それができんかったら石原組から追放じゃ。二係にはもう言うとる。あれは大丈夫じゃと思うが土居がな。」
突然言われても。一係長が、
「土居、儂が兄貴にしても貰うた様に仕事も試験勉強も厳しく鍛える。2年あると思うな1年で昇任せい。」
「はい。努力します。」
石原部長とそのグループを嫌っている人達は高齢化してあまり残っていないらしい。上層部では今度の署長と今度の一課長が最後みたいだ。2年後その人達が退職したら、残党がいたとしても大きな力は無いので、課長がこの県の捜査を仕切る積りらしい。今でも僕達の異動先を決めること位はできるみたいだ。後ろには石原部長とそのお友達がいるのかな。
翌日僕は何も用事が無かったので部屋の掃除をした。ボロアパートだけど何年もお世話になった部屋だから。入る時から
『異動になったら突然引っ越すこともある』
と言ってはいたが、早い内に引っ越しを伝えておかなくては。
月曜日出勤したら先輩が僕より前に出勤していた。
「土曜日有難う。僕より目立たん様に服装まで気を遣わして。何から何までお世話になりました。」
「うまくいって良かったですね、」
「うん。日曜日お父さんが
『娘と仲良くしてください。将来結婚するとなれば、養子に来るという条件で。』
と言ってくれたから、即答で
『はい。』
と答えた。」
「でも昇任試験の勉強をしなくてはいけませんね。何時からします?」
「何時から言うてたら何時まで経っても出来んよ。僕は夕べから始めた。ぼやぼやしてたら追放されるよ。」
「………。」
「追放されるんのお付き合いはせんよ。」
「はい。」
追放か、それは困るな。刑事としてだけでは無く何をやってもやり遂げられない駄目な奴で終わってしまう。たった今から仕事も勉強も真剣に取り組むか。昼は仕事、夜は勉強。それは緊縮財政にも寄与する。そして僕は
『立つ鳥跡を濁さず』
手持ちを一所懸命全部処理してからこの街を出て行こう。




