表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【 西へ西へと、君と征く 】  作者: 八尾 十一
二十章〈この道の果に〉
177/179

二十章《二節 もう一度初めの問いを》2

 

 ロゼが顔を上げれば、

「アィーアツバスの携行食……と言うか、菓子みたいなものだ」

 甘みを足した凝乳(ヨーグルト)を固め、乾燥させたものだと、オルグレンが言う。


 その青年がひざに置いた袋の上で、手にした白いものに力をかけた。手に傷痕が見えるものの、不自由はない様子で青年が指を動かす。

 彼の手の中でいささか硬い――しかし、小気味のいい音が響く。幾度か彼はその作業を繰り返した。そうして菓子をほどよい大きさの破片とすると、その一片をロゼの前へと差し出してくれる。

 

 ロゼは思わず、青年の手を見た。

 その手はあの長旅の中で、幾度もこうしてくれたことがある。

 硬い保存食を割ってくれた頼もしい手。煩わしい果物の皮むきを担ってくれた手。

 

 心に、懐かしいあたたかさが染みてくる。

 思い出のままに手を伸ばそうとする傍らで、一つ言うべきか迷う。

 実は、味がわからないのだと。

 それでも、ロゼはその菓子を受け取った。

 変化してしまっている自身を認識しながらも、断ることは思い浮かばなかった。

 せめてかつてあった時間をもう一度と、その菓子を口にする。

 噛めないほどではないが、少し硬い。そして、ロゼは口を押さえて小さく呻いた。


「……口に合わなかったか?」

 眉を寄せるオルグレンへ、ロゼは首を振った。

 そうではない、そうではないのだと否定をする。

 噛み砕いたその菓子からは酸味と、砂糖のものでありながらほどよい、とろけるような味が口腔に広がった。

 その味が口の奥に染み渡る。

 ほのかな甘みのある、優しい味。


 それを呑み込み、

「違うよ。……このところ、味がわからなくなってきていたから、甘くて驚いただけだよ」

 ゼオンの所へと寄った時も、実のところロゼは困ったのだ。

 あれほど美味しかった一家の手料理の味が、何か布越しのようにしか、わからなかった。

 それはまだいい方で、一人で何かを口にする時など、何を食べても砂を噛むようなものなのだ。


 それが、今、酸味を伴った優しい味を感じている。ロゼが久々に感じた美味しさだった。

 しかし、オルグレンが眉を下げる。

「……それは、始まりの種族に関して、なにかあったということか?」

 青年が、顔を曇らせ腕を組んだ。彼が何か考え込む様子を、ロゼは感じた。

 神の力を失えば、始まりの種族が器の姿――つまり人間となり、果てしない永続を絶たれ、解放される。


 そのことを思い浮かべながらロゼは、陽を浴び輝きを流す川の方へと目を向けた。

「うん。君のお陰で、見つけたんだ。ラナン達を今のままで解く方法を」

 ありがとうと、ロゼは小さく告げた。

 始まりの種族を世から消し去ってしまうのではない道――第三の道、その糸口を発見したのはオルグレンなのだ。

「彼らが神から受け取った力の根源を、私が全て受け取ることでそれを成せた」

 ロゼが言うと、オルグレンがそうかと言った。

 その小さなつぶやきには、苦いものが混ざっている。


「私はラナンたちとは違うから、大丈夫かと思っていたけれど……少し影響はあるみたいだね」

 味を感じない。食べたいともあまり思わない。

 疲れはする。しかし、眠たくならない。

 同じく川の流れへと目を向けたオルグレンへ、ロゼは呟くようにそれらを言った。

 オルグレンが、深く息を吐く。

 

 ロゼが横を伺えば、青年は川ではなく足元の石へと視線を落としていた。

「でもね」

 その彼へ、ロゼは言いつつ手を伸ばした。

「でも、君といると、何だかお腹が空いてくるよ」

 ロゼがそう伝えれば、オルグレンが手頃な大きさの破片を、また一つ摘まみ上げロゼの手のひらへと渡してくれる。


 それを受け取り青年と共に口にしつつ、ロゼはふと精霊母(メム・イマム)シルユーノの言葉を思い出した。

 彼女は、ロゼの縁が始まりの種族と、人間の双方に結びついていると言い、そこが分水嶺だと言ったのだ。自身の人間性が、そういう危ういところにあるのだと、ロゼはぼんやりと感じた。

 確かに、オルグレンと言う青年は、ロゼにとって人である事を、許してくれる人物だ。

 そして、あの旅路の中で、自身の役目を突き付けられた時、ロゼの支えとなってくれた人。

 どうしようもないと、役目に従う他ないと諦めたとき、手を延べてくれたのがこの青年だったのだ。

 

 友人であり、相棒であり、恩人であり、肉親――兄のような人。

 変わらずに接してくれるオルグレンを、嬉しく思う。

 とはいえ、優しく菓子を分け与えてくれる彼の利き手が、家族である鷲獅子(ルー・ルアハ)キュラスを刺し貫いたものであることを、忘れられはしない。

 それが、胸に波のように寄せては引き、引いてはまた寄せてくる。


 オルグレンも似たようなものだろうと、ロゼは感じた。

 静けさが這い戻ってくる。

 菓子を分けて食べ終わり、オルグレンが袋を脇にどければ尚のこと。

 互いに話したいことはあるのだ。

 だが話すべきかは、戸惑われた。


 菓子を分け合って過ごすこの時は、すべて薄氷の上のこととお互いにわかっている。

 ともすれば、砕けて永遠に消えてしまう。

 かといって、このままでもこの薄氷は溶けて消えてしまう。

 今も崩れつつある縁。

 もう戻らぬものの、消えゆこうとする気配。


 ただ風と川の音のみが響く。それらは人のことなど知らぬとばかりに、あるがまま流れていく。

 ロゼは少し身じろいだ。

 滞ることのない自然の流れに対して、ロゼの内心は渦を巻いたままだ。

 だがこの渦は消えはしないのだと、この再会の中で分かってしまった。


 唇を噛み締めれば、さきほど食べた菓子の甘さの中に、僅かな血の味が混じる。

 青年の傍だからこそ取り戻せているのだろう感覚で、鉄錆に似た味を受け取る。

「ねえ、オルグレン」

 ぽつりとロゼは声を掛けた。

 呼ばれた青年が、夏空の色を映した目を向けてくる。


 かつては色々とロゼへと言ってくれた青年が、今は言葉が少ない。

 その姿に、ロゼは心を定めた。

 このまま別れれば今立つ薄氷は、きっと姿を消す。もう二度と戻らない。

 それは、惜しかった。

 たとえ血混じりの氷であろうとも、……ロゼは失いたくなかった。


 だから、決める。

 言葉を紡ぐ。

 目の前にいる青年が、一度は刃を向け合った以上、無理だと言うのであれば致し方ない。

 彼を――彼の国を滅ぼそうとした者であるのだから、許せないと言うのであっても仕方がない。

 それでも、伝えずに終わることはできないと。

  

「君は、あのつり橋の集落で……今、自由に希望を言うのであれば、と話してくれたね」

「ああ」

 ロゼが言えば、オルグレンの頷きが返った。

 あの時――あの懐かしく、優しいひと時。

 今度は、お前の旅に付き合いたいと、青年は言ってくれたのだ。


 それを思い出しつつ、ロゼは一度目を伏せた。

 あの時の言葉は、もう叶えられはしないのだと分かっている。

 立場も、なにもかにもが変わってしまっているのだ。

 それでも、

「私も、ここで自由に希望を言うのであれば、という話をしていいかい?」


「……もちろんだ」

 オルグレンが、居住まいを正す。

 それを見て、ロゼも姿勢を整えた。息を吸い、そして吐く。

 もう何も知らなかった頃と、同じには戻れない。ではどうするべきなのか。

 どうしていくのがいいのか――

「率直に言うよ」

 言葉を切り、続ける。


「――君、私の友人になってくれないかい?」

 もう一回、もう一度、また築き直せられないだろうか。

 ロゼははっきりと口にした。

「……君とはお互いに傷つけあった。だから苦しいだろうと思う。前とは違うと思う。でも、それでも」

 失いたくない。

 胸の奥からせり上がってくる熱いような心を飲み、口を引き結んで耐える。


「ロゼ……」

 オルグレンの浮かべた表情を、ロゼは形容する言葉を知らなかった。

 だが、少なくとも馴染みのない王太子の顔ではなく……ずっと共に歩いてきた青年の顔だ。

 目の縁が赤く染まっている。唇が動いた。だが、続けようとしているらしい言葉が発せられない。

 その様を、ロゼは見た。

 何かを呑み込むように、青年の喉が上下する。


 その後に、

「……俺からも一ついいか」

 言う青年の声が、感情の震えを帯びている。

 そして一つ息をした。

「今度は……、期限がなくてもいいだろうか?」

 以前、青年は季節が一巡りするまで、と口にした。

 彼自身がそれを崩す。

「本当は、こう言う資格などないと分かっている。それでも、どうかやり直させてほしい」

 仇。そして、互いに譲れぬもので、本当に殺し合った者同士。

 そうと意識しながらも、ロゼは頷いた。

 

 見ればオルグレンが、右手を差し出している。

「……改めて、よろしく頼む。ロゼ」

 それは、かつて、血に汚れた鋼を握っていた手だ。

 集落の者を害し、キュラスを――家族を刺し貫いた、非情な手。


 そうと理解しながらも、ロゼも自ら手を伸ばし、その手を取った。

 握手を交わす。

 

 握ったオルグレンの手は身長に見合った、包むような大きな手だ。

 そして、悲しくも、あたたかい手だった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ