終幕《西へ西へと、――》
「お話は終わられましたか?」
そうと声を掛けられ、オルグレンは顔を上げた。
剛直の騎士――スートリアは表には出さずとも、ずいぶんと気を揉んでくれていたらしい。眉間に皺の名残が見て取れる。
「色々と無理を言って済まなかった」
オルグレンは河原から道端へと戻るなり、そう口にした。
それを受けた剛直の騎士の顔が緩やかに動く。今降る陽射しにも似た、あたたかさのある穏やかな顔。
臣下としての顔と少し違う柔らかな様子で目を細め、
「いえ、我が内心は犠牲となりましたが、今はよかったと思っておりまする」
晴れやかな顔をされておられますよ、と言葉が続いた。
そうと小さく教えられ、思わず片手で頬を擦る。
オルグレンは、内心を押さえきれていないのだと知った。
とはいえ、分かっている。
何も解決などしていない。
過去の事情も、殺し合ったことも何一つ。
だが――、オルグレンは振り向いた。
その視線をどう思ったか、ロゼが首を傾げている。
相変わらずの小柄な姿を見つつ、思う。
少年がいまだ癒えぬ怒りと悲しみを抱えているにしても、もう一度と願ってくれたのだ。
先ほど河原で交わした言葉の数々が胸に蘇り、オルグレンは胸に久々に光を得た心地になった。
自身では望めない道を、ロゼが彼も苦しむ最中にくれたのだ。
同時に心が引き締まる。
かつてあった関係に甘えることはできない。もう一度積み重ね、取り戻す――いや、作り直す他ないのだと。
だが、機会をくれた。
そうと思う。
横では当の少年が武装をスートリアから受け取り、身に帯び直している。
その間、オルグレンは口笛を向けた。
それを聞き届けたソノアラと、今は荷物持ちとなっているニーヴィが小走りに来る。
頼もしい二頭が寄せてくる顔を一通り撫で、もう一度口笛を吹く。
それに寄ってきたのは、ロゼが乗ってきた軍馬だ。
一目でアィーアツバスの生まれだと分かる出で立ちに、よく手入れを施された艷やかな鹿毛色の体をしている。
よほど人と触れ合うのが好きな馬なのか。
その馬の手綱へと触れれば、鼻づらを摺り寄せてきてくれた。優しい穏やかさを湛えた目も、日頃の世話の良さが感じられる。
「リシルヴィアだよ」
ゼオンがクゼリュスの騎士からもらってきた馬だ、とロゼが言う。
もらったという穏やかな言葉。その裏に、違うものが見え隠れした気になりオルグレンは思わず苦く笑った。
とはいえ、それよりもと口を開く。
「ゼオンさんは、元気か?」
「うん。あの透明なお酒を造ったり、とても楽しそうにしているよ」
ロゼの言葉にオルグレンの胸には、緩やかな感覚が満ちた。
故郷とはまた違う懐かしさ。吊り橋の集落の白い麺麭のふくよかなにおいが過り、驢馬たちの独特の笑んだ顔が思い出される。
そして、営火を囲んだ夜の星空が、清水のような清廉な涼やかさを以て、オルグレンの胸に満ちた。
あの時、思い描いた先の夢。
あるがままの、一人の人間として望んだ思いは……。
と――、リシルヴィアが鼻を鳴らす音に、オルグレンは意識を戻した。
すぐ横で、ロゼが乗ってきたその馬の肩を撫でてやっている。
少年が馬へと乗ろうとしていることに、オルグレンは気づいた。
そして、それの意味するところを感じる。
このまま騎馬し、そして出会ったばかりの頃気まぐれに立ち去って見せたように、消えてもおかしくはない。
「……帰るのか?」
わかっていながら、オルグレンは聞いた。
ロゼが、うんと、喉を鳴らす。
「私にもやるべきことがあるからね。決めた使命を果たさないと」
君と同じようにと、少年が言う。
その言葉で、オルグレンはロゼが始まりの種族へと関わりに行くことを感じた。
一方で、自身の責務を心に描く。お互いに役目がある。果たさなくてはならないことがある。
そして、互いの使命を阻害しあいたくなどない。
しかし、だが、と。
オルグレンは、地に足をつけたままの少年を見ながら思った。
その姿は、いつか気まぐれに去って見せたような様子ではない。
もともと縁も何もなかったように去って見せた姿とは、まるで違う。
少年がそうしている理由は、問わずともわかる。
自身も同じだからだ。
オルグレンは唇を動かした。
もう二度とあの旅路は得られないものだとはわかっている。
それでも……、
「待ってくれ」
そうと声を掛ける。
「……まだ、だ。何かを果しに行く前に、まだ果たしていないことがある」
オルグレンの目の前で、ロゼが首を傾げた。
その薄紅色の目は、何かあったかなと言わんばかりの疑問を湛えている。
「――まだ、共に西の地に行っていないだろう」
共に歩んだ旅路は、昊天の峰の地で別れたままだ。
再び友人として、築き直すのであれば、と思う。
ならば、以前に交わしたものの、反故となってしまっているその約を、共に果したい。
そのためには……と、オルグレンは考えた。一般の将兵には、戦によって有耶無耶としているが、あの一年前の出来事については、ロゼに対しては強い言葉が挙がっている。
我々が襲った山の集落の子なのだとまで説明したが、はっきりとした理解は得られていない。
だが、自身の責務で守り通して見せるからと。
どうかと、説得の言葉を口にしかけ――
だが、オルグレンの目の前で、ロゼが馬の背へと飛び乗った。
少しばかり急な出来事に、リシルヴィアが抗議のつもりか身を揺する。
それを宥めながら、オルグレンは馬上の人となった姿を見上げた。
「……ロゼ?」
ロゼが目を細めている。
それはあの旅の中で、擽ってくるように少しふざけて見せてくれた時の顔だった。
「何をしているんだい?」
さあと、少年が言う。
その意図を、オルグレンは汲んだ。要らぬ言葉を捨て、自然と笑む。そして、自身もまたソノアラの背へと飛び乗った。
「――オルグレン王太子殿下!?」
「先に行くぞ」
切れ長の目を丸くして見せる剛直の騎士へ、短く宣言する。
そのまま、オルグレンはソノアラへ願った。
西へ、馬司の国の首都スヘネへと行くぞ、と。
そうしながら、腕を伸ばし隣の馬の手綱も取る。
ロゼが乗ったリシルヴィアもまた動き出し、足並みがそろう。
それを見計らい、オルグレンは馬を走らせた。
並んだ二頭の馬が走る。
驚きながらも、少年が笑う。
その顔は、屈託のないものだとは言えない。しかし、様々な思いを抱えてなお、共にあることを望んでくれている。
その少年――ロゼと共にオルグレンは、馬を並べて駆けた。
後ろからはニーヴィの蹄の音。
そのさらに後ろから声が聞こえたが、風が散らしていく。
春風と駆ける。
オルグレンはロゼを見た。互いに笑う。
そして、二人で行く先へと向く。
これからも、例え離れようと、共に在ろうと願い――
西へ西へと、共に征く。
了




