十九章《三節 死によって解かれる事を》1
始まりに合図はない。
構えた剣で鋼を受ける。
顔を狙って投げ放たれた投箭。それを弾く間に、ロゼの姿はオルグレンの前にあった。
完全に半曲刀の間合い。
咄嗟に半歩退く。その合間にもオルグレンのすぐ前を、ロゼの刃が切り裂く。
あまりに速い。あまりに鋭い。
その動きを、オルグレンはよく知っていた。
知らなければ、既に斬られていたに違いない。
だからこそ、オルグレンはすぐに一歩を踏み込んだ。
そのつま先をロゼの足へと潜り込ませ、強引に体を当てに行く。押しやる小柄な体は、地面を転がるはずだった。
しかし――
オルグレンがロゼの動きを知っているのと同じ。ロゼもまた、オルグレンの動きを知っている。
引っ掛けるはずだった足がすり抜けていく。当たるはずの体は、窓布を追いやった程度の手応えしかない。
先に身を退かれたのだ。
そう判断する間も、オルグレンは腕の中で長剣を取り回した。 着地するロゼを追い、上から剣を振り下ろす。剣の重さとオルグレンの膂力。
これに対し、足で地面を捕えるや否やの動きで、ロゼが伸び上がる。
少年が全身を発條とした力で対抗してくる。
その片手には、逆手に握った山刀があった。
だが、力ならばと、思う。
体格も筋力も、オルグレンの方が勝っている。
故に、山刀ごと叩き潰すことができるはずなのだ。
だが、ロゼが不利な勝負をするはずなどない。
鋼同士が触れ合った瞬間。長剣が直下する軌道。そこへ鋼が射し入れられる。
そして、絶妙な間を以て、少年が刀身を傾がせた。刃が斜めへと逸らされる。
こすれ合う金属の、耳障りな悲鳴。削れ合う刃が、真新しい朝に火花を散らした。
そのまま払われた剣の柄を、握り直す。そして、オルグレンは手首を返した。
わかっているのだ。哀しいほどに。
いなされることもまた、すぐに察しが付く。
だからこそ、手首を柔らかくし、備えていた。
後は逆さに斬り上げるか、考えのまま動こうとし――だが、見るよりも早く予感のまま飛び退る。
オルグレンの身があった場所を、刀が切り裂く。
半曲刀の一閃。ロゼの方が素早く、刃を走らせてきたのだ。
退っていなければ、斬られていたに違いない。
そうと感ずる間にも、オルグレンは足さばきで少しの距離を取った。
剣先で牽制し、距離を保つ。
間合いを詰められるのは不利だった。
身体に密着されればそれだけで、死角が増えロゼの動きを追いづらくなる。
逆に、ロゼが間合いを詰めたいこともオルグレンは知っている。まともに組み合うことは避けたいはず。
少年はオルグレンのように、膂力のある者と組み合うのは不得手なのだ。
不意を突き斬りたいだろうと分かる。
本当に、互いが互いの苦手とする手管をしていた。
だから……、とオルグレンは思う。
だからこそ、彼とは組み木を合わせるように、合わさることができたのだ。
そして、だからこそ、互いを知る刃が優しい終わりを齎してはくれない。
不得手としているところを突いてくる。互いにそうと分かっているからこそ、それが防げてしまう。
自身の得意を押し付けようにも、意図がわかっているからこそ、避けられてしまう。
オルグレンの剣を、ロゼがいなす。或いは逸らし、かわす。
逆にオルグレンはロゼの半曲刀を、剣で受け、弾き、ときに身を捌いて避ける。
身に届かない。一手がない。
呼気が響く。読み合い、ただ互いの精神を削り合う。
それでも刃が触れ合う度に、一瞬の火花が舞い散った。
何度も、何度も、何度も。互いを殺す鋼を振るう。
その削り合いの果て。
油断からでも慢心でもない。しかし、一瞬の判断のずれが、オルグレンの皮膚を裂いた。
まばたきに満たない間、ほんの僅かに意識が反れる。
そして、そこから――
血の飛沫が宙を舞った。
捌ききれず、受けきれず、オルグレンの腕が血に染まった。
追撃はどうにか防いだ。だが、すぐに刃が向かい来る。そのいずれもが、速い。
手傷が更に傷を呼び始める。
そして、やがて……、
「ぐっ」
オルグレンは腕に走った熱感に呻いた。
山刀から一瞬のうちに持ち替え、放たれた投箭。それがオルグレンの腕を深く穿つ。
腕に生えたそれをオルグレンは、片手で荒く抜いた。
そして剣身を向け、間合いを取り直す。無事な方の腕で汗を拭う。
息を整える最中、オルグレンは背に声を聞いた。
アィーアツバスの将兵が発する、鼓舞の声。何の事情か察していないまでも、武運を願ってくれる声。
それにオルグレンは腕に力が戻るのを感じた。背が支えられる。熱を受けとる。勝利をと、望まれている。
だが、反面で……
オルグレンは少年を見た。
ロゼは追撃をしたかったことだろう。だが、できない。
一見は手傷のない少年だが、その様相は違う。
ロゼが上がった息を隠すこともせず、顎を伝う汗を流れるままにしていた。
凌いだ、と。
オルグレンは構え直しつつ思う。
ロゼを倒すのであれば、力押しに持ち込むか、或いはこうして、先に体力を尽きさせるかだ。
とはいえ、ロゼの薄紅色の目。それには、まだオルグレンを貫き通す光があった。
例え投箭が尽きようと、半曲刀が砕け散ろうと、己の歯牙を持ってしてでも仇を討つ。
その覚悟が見て取れる。
己が身は死神の得物である、と言わんばかりに……。
その姿にオルグレンは、ふと気づいた。
ロゼの背後には、いるべき者達が居ない。会っているはずのゼオンも、ラナンの姿さえ。
そうであるならば……と思う。
少年は、独りで背負うことにしたのだ。二人を巻き込まぬように。
オルグレンは胸の中に、また一つ痛みを抱えた。
大切なものからあえて離れ、振るわれる刃が心を切り裂いてくるものに感じられる。
孤独のまま怒りと悲しみの中で足掻く、不器用で、それでいて誰よりも優しい少年。
――それがロゼなのだ。
そして、彼をそんな哀しい道へと突き落としたのは……。
オルグレンは自身が、堕ちていくのを感じた。
瘴禍よりもなお暗い、醜悪な化物。
斬られることを望みながら、同時に、その者を斬ろうという化け物。
父や兄――自分が連なる者を優先し、恩人を犠牲にしようとする醜悪な者。
それでも、だがと、叫ぶ。
将兵の鼓舞を、今一身に受ける者でもあるのだ。
分かりながら、どうしようもない苦さが身の内からせり上がる。
相反する思いが双方を拒絶し、弾け、裂ける。
本当は――
そう言葉が浮かぶ。だが、自身でもどちらが本心であるのか分からない。
歯を食いしばる。オルグレンは、止まらず長剣を振るった。
ロゼが幾らばかりか鈍くなっている。
下から斬りあげてくる動きが、軌道が、オルグレンの目にはっきりと映った。
そして今の動き出しは、オルグレンの方が早い。長剣を振るう。肩を無理やりに動かし、柄を両手で握った。
狙うは、武器。その意志のまま、斜めに斬り降ろす。
そして激突の瞬間に、手の内を強く絞り、力を込めた。
刃と刃が喰らい合う。
硬質な音が鳴り響く。鋭く、硬く、重い。同時にそれら異様な手ごたえが、オルグレンの腕へと響いた。
ロゼが振り抜く半曲刀が、オルグレンを過っていく。
とはいえ、斬られてはいない。
オルグレンへ届くはずだった、半曲刀の切っ先。それがない。今の打ち合いで折れたのだ。
半ばというにも短くしか刀身が残らなかった獲物に、ロゼの顔が歪むのが見えた。




