十八章《四節 始まりの刻》2
それからのアィーアツバスは、嵐の中のようだった。
オルグレンもまたそれに揉まれた。
老大将ボルフェジと共に、参戦する氏族長との挨拶に回る。
中には六年の苦しい思いについてオルグレンへと、直接訴えてくるものもいた。
当然、それを甘んじて受ける。それらは事実であったし、訴えを聞くのも責務だと感じたからだ。そしてそういった者たちも、ひとしきり話しては、であれば次なる行動はと、先を見る器量の持ち主達でもあった。
そうして、オルグレンが何をすべきかを説き、意思を示し、弟テレンアレクが補佐を担う。
老大将ボルフェジが軍全体を見、若き現場騎士スートリアが他将と共に兵を整え、輜重の司パリューシアンがそれらを支える。
慌ただしさの中で陽が昇り、そして落ち着かぬままに没していった。
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オルグレンが兄の霊へと思いをはせることができたのは、出立の直前。
アィーアツバスでは亡骸を焼き弔った後、山や川、草原などに骨を埋めるか、あるいは遺灰を撒く。
特に勇士であれば、馬の背に遺灰を乗せて駆けさせ、それを行った。
故に個人へと何か語り掛けるときには、その灰を撒いた地へと向き語り掛ける。
オルグレンは、父王よりそれが首都スヘネの囲郭を出てすぐ。近くのなだらかな丘であると聞き、その地形を見渡す麓へと立った。
声高に祈りの言葉を語ってもいいのだろう。
あるいは、我らに加護をと声を張ってもいいのだろう。
だが、オルグレンはそうはしなかった。
兄が休んでいる丘を目の前に動く。片手を胸に、もう片方を背にし、深くアィーアツバス式の一礼をする。
そして、オルグレンは再び顔を上げ、丘を見た。
兄の眠る場所は、山脈の背から顔を覗かせたばかりの、真新しい陽の光に照らされている。
兄上……と、オルグレンは小さく呼んだ。
昨今の冷え込みのせいで丘は、霜の色に染め上げられていた。小波のように白銀の草が揺れ、輝く。
風と草の鳴る音が響いたが、それ以上の音はない。
オルグレンに届いた、兄の返答はそれだけだった。
死者が何かを語ってくれることはない。
故にオルグレンは振り向いた。
その視界に映るのは、馬と人を連ねた大軍だ。
アィーアツバスの首都スヘネ――その城門の前には静かに集った兵たちが、よく研いだ鋼で四辺を整えたように整列している。
十人隊を最小単位とし、百人隊、千人隊といった区切りでまとめた隊。それが、よく統率されていることがその様子から見て取れた。
そこへ、
「――敬愛する勇敢なる者たちよ、わが愛する勇士たちよ」
オルグレンは大声を張った。
声が割れるような、怒声であってはならない。風に吹き散らかされるような、小声であってもならない。
深く。大きく言う。
冬の透き通った空気の中を、発した音が響き渡る。
「標星の大国クゼリュスにより与えられた、長きの辛苦を今返上する刻がきた」
言いながら、オルグレンは標星の大国で見たものを思い出した。
国を壊され、多くを奪われ、怒りと共に行動していた人々を。
それらを率い、祖国のためにと戦い抜いた女将軍の姿を、思い出す。
そして、意思を固める。
アィーアツバスを、白き峰々の国のような目には遭わすまいと。
滔々たる大河の国よりも激しく強く、愛する国を守るのだと。
なにせ……と、オルグレンは心の奥底で自身が呻く声を聞いた。
――恩人と信頼し、友として繋がり、弟のように想った少年を、途方もない不幸へと突き落として生きている国なのだ。
しかし、それは自身の深くへと沈める。
王太子オルグレンとして、心を保つ。
かの国に、奪わせはしないのだと。
故郷から遠く離され、使われる軍馬たちを再び草原へと戻す。
西の草原に生きる遊牧の民たちの、自由を、文化を、クゼリュスという国の血肉になどさせはしない。
「馬と共にどこまでも、風とともにどこへでも」
肺腑を凍らせるような透き通った大気。それを吸い込み息を継ぐ。
「――先へ先へと渡り歩く自由を、再び我らに取り戻すのだ」
オルグレンは、声量ですべてに響けと投げ掛けた。
「私と共に。我らと共に。自由を!」
自由をと、将の一人が応じた。
瞬く間にそれは兵たちの中を伝わり輪唱へと転じ、やがて唱和へと至り、吹き渡る風となっていく。
その最中に、父王が囲郭の上に立つ姿が、オルグレンの目に映った。
思わず小さく息を吸う。
寝台の上で身を起こすだけでも辛そうだったと思い出す。
それでも父王は凛然と姿を現し、将兵に応えて片手を揺るぎなく上げてみせる。
王の姿に気づき、更に高まる将兵の声。その熱い声の荒波の中。
父王が掲げたままの手で、オルグレンを示した。
軍勢の意識が移譲される。
馬司の国アィーアツバスの王が浴びた声が、今度はオルグレンを包む。
その父王の取り計らいへ、オルグレンは深い一礼を返した。
そして――
将兵へと腕を上げて見せる。
それで指し示すのは、征くべき先だ。
川をさかのぼる方向へと南下し、リリートゥの近郊を目指す。
号令に続き歩き始めた軍は、騎兵で構成されている。
ただ歩くだけであっても、一丸となった馬蹄の轟が、大地を揺らす怒涛となって響いた。




