十八章《四節 始まりの刻》1
「スートリア卿、すまないが伝えるべきことがある」
薄暗くなった部屋の中で、オルグレンは親友の兄へとそう告げた。
「それは、……弟のことでありましょうか」
スートリアが察しよく言葉にしてくれる。
姿が共になかった時点で薄々とは感じていたことだろう。
オルグレンは彼が堪えてくれていたのだと、はっきりと感じた。
故に、改めて車座から彼へと向き直る。そして、姿勢を正す。
「ああ、グロウのことだ。彼は……」
しかし、オルグレンが話そうとする手前。
剛直の騎士が手を向けてくる。背を伸ばしたスートリアが手のひらの壁で言葉を遮った。
「一つ、お聞かせください」
一言で区切り、彼が声を深くする。
「――我が愚弟は、王太子殿下のお役に立てましたでしょうか」
芯を感じる問いだった。そこが重要であるとばかりの思いが込められている。
そう感じ、オルグレンもはっきりと答えた。
「無論だ。俺は彼に助けられた」
あの日の、ロゼの生まれ故郷……。
クゼリュスに急襲される格好となったアィーアツバスは、軍を立て直せず撤退を余儀なくされた。
そこでオルグレンの姿がないと気付き、取って返してくれたのがグロウシュタッド――グロウなのだ。
クゼリュスが山岳の民を根絶やしにする惨状の中をどうにか足掻き……、しかし、あらがい切れず彼もまた捕らえられた。
無論、当初は別々に捕虜として扱われた。
だが、貴族の屋敷に軟禁と言う形になったころには、一緒にまとめられたのだ。
あの頃オルグレンはひどく気鬱となっていた。自身としては、それなりに体裁は取り繕っていたつもりだが、行動は鈍く、気力も湧かない。
白い獣に縋りつく子供の姿……すなわち、鷲獅子の死を嘆き悲しむロゼの姿――その光景が目を閉じるたびに過り、自身でもどうしようもなくなっていた。
眠れば、泣き声や血の匂いまで記憶に蘇る。
食事も細くなり、夜に飛び起きるなど不安定だった始末。
それで、自身で命を絶ちかねないとでも考えられたか。そうと感じた者が手を回したらしかった。
実際に、あの時期オルグレンはグロウに支えられたのだ。
「あの集落で……」
オルグレンは言い掛け――だが、言ってしまう前に口を閉じた。
言葉を潰すように強く奥歯を噛み合わせる。
お前の弟に支えられたと感謝を告げるのはいい。
だが、なぜ隊を離れ、そして戻れなくなったか、曖昧にはし難い。
だからといって、鷲獅子の谷でのことを話せば、この剛直の騎士を巻き込んでしまう。
なによりも、忠義心厚く……途中で言葉を止めたオルグレンを、気遣うような目を向けてくれている。
彼はオルグレンがまた見るようになった悔恨の悪夢について、アィーアツバスを、或いはオルグレンを庇う発言をしてくれるに違いない。
それをオルグレンは避けたかった。
既に波に打ち消されるままに、自身の罪から逃避している。更には、少年をあの山に置き去りにしてきた。
そんな、あさましい人間なのだ。
優しい者から望む言葉を貰い、何を楽になろうとしているのかと。
ロゼは、あれ以来苦しみぬいて生きてきたと言うのに……。
「……すまない。とにかく、俺は彼が支えてくれたからこそ、自暴自棄にならず、生きてこの地に帰ろうと決心ができた」
「左様でございましたか」
スートリアが緩く息を吐く。
それを見つめ、オルグレンは言葉を続けた。
「お前の弟のおかげだ」
そう重ねる。
「だが、グロウは遠い東の海で、荒波の中に消えた。……共に、帰りたかった。……ここへと」
「オルグレン王太子殿下、そのお言葉で十分にございます。役目に沿えたのであれば、弟も本望だったことでございましょう」
スートリアの声は、僅かに震えがみられた。
本当に僅かに、語尾に感情が宿っていた。
「彼は最後、俺がここへと帰りつくことを願ってくれていた。……おかげで、ここまで歩んでこられたのだ。深く感謝している」
しっかりと言い、口を閉じる。喉が塞がり目の奥に熱さがあったが、オルグレンはそれをどうにか耐えた。
スートリアが胡坐をかいたまま床へと拳を降ろす。
「お伝えいただき、感謝にたえませぬ」
そして、頭を垂れてくれた。
「……遅くなってしまって、すまない」
オルグレンもそれに倣う。
心を落ち着ける間、そうし合う。
ややあって、スートリアが頭をゆっくりと起こした。
落ちた陽の残滓に浮かぶ、双眸。
顔は全く似ていない兄弟だが、瞳だけは同じ灰色をしている。
落ち着き次第、弔いと恩義への報償をせねばならないと、その目を見つつ考える。
すると、スートリアが不意に動いた。
「失礼を」
言って彼が取り出したのは手巾だ。何かを包んでいるらしいそれを、武人が指先を使い敬々しさえ感じる丁寧さで開く。
そうして剛直の騎士が取り出したのは、投箭だった。
オルグレンが父王の部屋に上がるに当たって、スートリアに預けていたのだ。
「大事に扱ってくれていたんだな、ありがとう」
告げて受け取る。
そうしながらも、オルグレンは痛みを覚えた。
肌を傷つけた訳では無い。だが、心が裂かれ、胸が貫かれるような痛みがある。
それは投箭を手にし続ける限り、続くもの。
そうだと悟る。
しかし、この小さな武器を手放したいかと言えば、否だ。
自身への戒めと、罪の証。
だが、同時に消し去り難い、失いたくない時間があったことを証明してくれる存在。
オルグレンはどこに持つべきか少し迷い……ややあって腰に帯びた短剣の、飾り紐の中にそれを差した。




