十八章《三節 オルグレン》1
「兄上、よくぞお戻りになられました」
父王の部屋を辞し別棟にある執務室へと入り、オルグレンは思わずのけ反った。
声は分かる。弟のテレンアレク――テレンで間違いない。
しかし、だった。それまでは父母を含め、予想を超えるような違いを感じるものは居なかった。
だが、オルグレンが最後に見たときには、ロゼより少し年上だったはずの末の弟。
その姿は細身の印象はそのままであるものの背が伸び、面立ちも変わり、口元には髭を整え、すっかりと成人を済ませた若者へと変化している。
亜麻色の髪が混ざった明るい金髪など、確かに面影などは残っている。だが、幼さが抜け落ちた、あまりの変わりように思わず目を瞬く。
「テレン……、見違えたぞ」
迷惑をかけすまなかった、と言う内にオルグレンは気づいた。
テレンも、案内を買って出たスートリアもが、唇に笑みを覗かせているのが見える。
それを相互に見、オルグレンは唇を少し曲げた。彼らにからかわれたのだと察するのは簡単だ。
そのおかげか鎧のように固まっていた肩が不思議と楽に動き……オルグレンは二人に向けて肩を竦めた。
胸に暖かな心地を取り戻したものの、あまり悠長にもしていられない。
再会と交流もそこそこに、動き始める。
なにせ、戦の準備は多岐にわたるのだ。
さしあたって……と、事前の根回しと現状の確認をするにあたり、適した人間を呼び出すべく使いが走った。
既にそういった実務に慣れている様子で、テレンアレクがオルグレンの希望に合わせ、詰まることもなく流れるように準備をこなしてくれる。
とはいえ、人の参集にあたっては時間も必要。
その間に、オルグレンが剛直の騎士と末の弟に促されたのは、身なりを整え直すことだった。
クゼリュス風の着衣では、人前に出るにあたって心象に関わる。そのうえ上等な布地も着た切りとあっては汚れ、ほつれが見られた。
渓谷で洗い落としもしていたが、どこからかで浴びたらしい返り血と――あるいは、ロゼの手当てをした際の血の染みも落ち切ってはいない。
その上、鈍い鋼色の布地を目に映すと、風雪の景色が過った。
自分は罪を贖うこともなく置き去りにしてきたのだ……。重い、何よりも苦しい事実。それを心の深くに抱えつつ、オルグレンはその衣を脱ぎ捨てた。
長らく不在であったにもかかわらず、埃なく整えられたままの自室で、旅塵を拭う。
湯を使い、身を清めた後、袖を通すのは藍色をしたアィーアツバスの長衣だった。染料の香りも、身に纏ったときの感触も、すべてが懐かしく心地いい。立襟の紐釦を止めれば、尚のこと帰ったのだという実感が胸に沸く。
そうして、オルグレンはすっかりと姿までアィーアツバスの者へと戻った。
❖
議場――
色彩豊かな絨毯に座を置いたその部屋で、オルグレンはまた懐かしい顔と再会した。
ボルフェジ・ラング・ルユテラ。そして、パリューシアン・クィール・アンダール。
彼らが弟テレンアレクが手配した適任者であり、幼少のころから兄弟でよく世話になった人物たちでもある。
それぞれが座へとつき、オルグレンが謝罪を含め一通りの挨拶を終えた後、
「御手前に変わりはありませぬかな?」
そう、ボルフェジが言った。
オルグレンに剣と長柄の武器――戟の扱いを指南したのはその老将軍だ。
この一言に、オルグレンは眉を困らせた。
「……貴方にそれを聞かれると辛いな。ここ暫くは剣のみを使っていた」
「なるほど。異国では、戟を手に入れようがございませんからな」
ボルフェジが唸る。
「ああ、手隙にでもまた指南願えると助かる」
皺が彩った顔に、オルグレンは正直に返した。
すると老将軍が、白くうねった顎髭を撫でる。
そのまま、顎でパリューシアンを指した。
「いやいや、この老骨めが出張ることもありますまい。お若いのにお任せ致しましょう。のう、パリューシアン卿」
どこか芝居がかった言葉だった。
ボルフェジが急に老人風を吹かせたが、色の抜けた頭髪と髭はともかくとし、まだまだ声には張りがあり身も厚い。
変わらず彼の役職となっている、大将軍の名を返上するのはまだ先であろうことを感じさせてくる。
一方でパリューシアンが、両の手を上げて竦めた首を振る。
「お人が悪うございますよ。私にそれほどの武勇はございません」
この場の誰にも敵いませぬと、彼は言った。
馬を駆り勇名を轟かせる事を喜びとする者の多い、アィーアツバスの男たちの中で、パリューシアンは少々特異な人だ。
頭を使う才の中で、特に物資の扱いに長けた男。
実際、末の弟は彼の師事を受け、オルグレンもまた彼の話をよく聞いている。
そして実際に、
「そういったことは、スートリア卿にお任せ致したく」
パリューシアンが、回ってきた厄介な役目を上手く回して見せてくれる。
受け取ったスートリアが、深い笑みを浮かべた。そして声を太くして言う。
「……皆さまにご期待を頂いては、張り切らざるを得ませんな」
王太子殿下、手合わせはいかがですか、と。
オルグレンは答えた。
「スートリア卿にあまりやる気になられては、手合わせが手合わせで終わらなくなりそうだ」
しかし、応じながらも内心に胸に小骨のような痛みを感じる。
手合わせ……、その言葉に思い出が過った。
オルグレンが自身の事をまるで分らなかった頃、体がどれほど動くものか、慣らしに付き合ってくれたのはロゼだ。
そしてそれは、オルグレンにとって楽しいものだった。
あれは、もう二度と……と過る言葉を、胸の痛みと共に呑み込む。
感傷を振り払うよう一度目を閉じ、瞼を開けるとともに皆に目を向け襟を正す。
それを見、末弟テレンアレクが姿勢を正した。
剛直の騎士スートリア、輜重の司パリューシアン、老大将ボルフェジといった面々が程よくあたたまった場で、それぞれが居住まいを直す。
王太子として、――総指揮官として、話さなくてはならない。




