十八章《二節 アィーアツバスの王》2
「一つ。お前が犯した、国と民への罪のこと」
父王の静かな声が、オルグレンに染み込んだ。
オルグレンが捕らえられたことにより、アィーアツバスは長い不利益を被っている。
無論、身代金の交渉はあった。幽閉の最中に、そうだと聞いている。
しかし、クゼリュスは身柄を押さえつづけることの方を取ったのだ。
目を見張るほどの銭貨や土地などを奪われることはなかったものの、オルグレンと言う人質を理由に、嬲るように様々なものを吸い上げられてしまっていた。
「之について、お前はこれから我が国へ侵攻してくるであろうクゼリュスを阻み、その後しかと国に尽くし、アィーアツバスを栄えさせることによってのみ償えると心せよ」
父王が言う。オルグレンは重みを感じる声を聴き、瞬きした。
それは、使命。間違いなくやらなくてはならないことだった。
王太子としてのみならず、海の中に消えた親友グロウシュタッドの切なる願いでもあるのだ。
「承りました。しかと、果します」
重くも背負うべきそれに、オルグレンは強張りそうになる口を叱咤し、返答をする。
ホイルカインが目だけで頷き、言葉を続けた。
「もう一つ。……薄々は、先ほどの沙汰にて察しておるな」
そう言うと父王が言葉を一度切る。
その上でオルグレンの手を、病床の人間とは思えぬほど確かな力で握った。
「オルグレン。お前に、この国の行く末を託す」
聞き、指先にまで緊張が奔る。
たしかに、察してはいた。だが、言葉として向けられ、その重みをはっきりと感じる。
それは、手の感触で伝わってしまったことだろう。だが、父王の手はオルグレンの手を離すことはなかった。
王族であるという、逃れ得ぬ役目。
しかし、ただ、そこへと放り込まれるわけではない。
細くなった手のひらは、オルグレンを包んでくれている。
「儂の命はそう長くはない、だが生きておる限り、支えとなろう」
それが儂の命の使いどころだ、と父王が言った。
実権をオルグレンに信託し、権威と正当性はホイルカインが保持する。
オルグレンでは、まだ若すぎるのだ。
加えてクゼリュスで幽閉されていた、空白が手痛い。
兄であるベルンレンが存命であれば、若くはあるものの三十少し前の年齢であり王太子として、父の政を支えてきた実績があった。
だが……兄はもういない。代わりを務めなくてはならない。
それは誰が果たすべきか、わかっている。
オルグレンは父の手を壊れぬように、しかし、改めてしかと握り返した。
「……父上。恐れ多く、身に余る光栄にございます。謹んでその御心、拝受いたします」
父王の目を見据え、オルグレンは言った。
そして、もう片方の手を添えて父へと契る。
「未だ至らぬ点の多い若輩ではございますが、父上と兄ベルンレンが命懸けで守り、築き上げてこられたこの国。この身命に代えても守り抜くことをお誓い申し上げます」
「――しかと務めよ」
そう言い、父王が深く息を吐く。
あまり長く体を起こしていられないのだろうことが、その様子からも明らかだ。
オルグレンは、父上、と声を掛けた。お休みになられては、と。
そう言いだそうとしたところで、その動きを制止するように父王が首を巡らせる。
その視線は、王妃の方を向いた。
「今のを遺言として書き残す。支度をせよ」
あえて口にされる禍事から、オルグレンは王の覚悟を悟った。何があろうと、この国を――馬司の国アィーアツバスを守りぬくのだという。
ホイルカインが急に身罷られることになれば、王権が揺らぐのは確かなのだ。
それをクゼリュスが突かぬわけがない。現にクゼリュス国王ヒースヴィオラはそう明言している。
回避するには、如何すればいいか。それは父王が口に出した通りなのだ。
「……そして、オルグレンよ。一つ、言っておかねば、ならぬことがある」
支度の最中、ホイルカインはそう言った。そして、深く重い息をつく。
「……実のところ、だ。儂はお前を見捨てることになろうとも、今年にはクゼリュスに仕掛けることを、決心しておった」
酷い父親だと思うかと、ホイルカインが再度視線を戻す。
熱く感じるような父王の手に手を握られながら、オルグレンは首を振った。
「国を思われればこそ、王の務めであられると考えます」
自身の体調、そしてオルグレンの状況、弟テレンアレクの年齢を考えれば、妥当な判断としか言えない。
ベルンレンが夭折し、オルグレンの空席が続くのであれば、弟テレンアレクが継ぐしかない。
そのための教育も必要だった。
「……テレンアレクのやつめには、ずいぶん叱られたがな」
王が、やつれた顔の頬を緩めた。
オルグレンも同じように、表情を緩めて返す。
「まあ、あやつは丈夫ではない……王位を継ぐのは御免被るとまで言っておったからの。お前が開戦の責任を取らされる前に、スートリアにでも頼んで奪還してもらうと言っておったな」
一転して、オルグレンは微笑に苦いものを混ぜた。
どうやら弟の気質は昔と変わらずであるらしい、と思う。
兄弟三人で揃っても、弟はベルンやオルグレンを前に押し出すのだ。
無論、身体が弱く無理をすると、寝込まざる得ないことも真実。だが、武勇よりもそれ以外の才に恵まれており、当人もまた細やかに下から支えることを好んでいた。
「ともあれ、我が非情なる策は、今これから全く別の形で活かされそうであるな」
言い終わると、ホイルカインは緩く手をほどき、オルグレンの手へ、軽く叩く様にして重ね直した。
その手は先ほどまでとは違い、冷たくなっている。僅かな震えは体を起こしていることの辛さを、如実に語るようだった。
しかし、
「弟に会ってこい。そして、軍を整えよ。どのみちここで籠城はできんのだ」
そう父王は病床の身であることを感じさせない、力強い声で言い放った。
「御意に。我らから討って出ましょう。馬司の国の自由と誇りを、必ずや護り抜くために」
オルグレンもまた、力強く答えた。
果さなくてはならない。やらなくてはならない。やり遂げなくてはならない。
その重みを、しかと身に感じながら――




