十七章《二節 目覚め》3
不思議と、外の風の音も静まっている。
その中で、ロゼの声が凛と響いた。
「私は、君たちにこの生の中で、世に混ざって欲しいと思う」
ラナンが何も言わず、瞬きだけをする。
そんな不思議な話をする二人の姿を、ゼオンはただ目に映す。
その目の前で、どうかな? と、ロゼが首を傾げた。
「……君と一緒に生きられるなら。もしそうなら、ぼくにとって、それ以上に嬉しいことはないよ」
ラナンの声には、わずかな震えが混じった。嘴が繰る言葉に、輝く色が混じている。
ロゼがあたたかい顔色で頷く。
「うん、ありがとう」
「でも、どうするんだい?」
一方で、ラナンは感情を制したようだった。
そして問う。
ロゼが一度呼吸をし、胸に息を入れてから話を続けた。
「君の力を、すべて私がもらう。こころの繋がりから流してもらうのではなく、キュラスがしてくれたように源泉から全てを渡してほしい。そうすれば君たちは器の姿に応じた生を歩めるはずだから」
ラナンが鷲の瞳を見張る。そうして、外の景色を伺うように視線を巡らせた。
ゆっくりと瞬きをする。迷っているというよりも、その様子は考えているようにゼオンには感じられた。
現に、ラナンが次に口にしたのは疑問だ。
「……君が、私たちのように地に囚われてしまうことは、ないのかな?」
「私の歪な器は、君たちのように力を溜めておけない。だから、大丈夫だと思う」
君たちのようになることはない、とロゼは言った。
彼らが薄赤い瞳で見つめ合う。
ロゼが顔を顰めるようにしたのが目に映り、ゼオンは腰を浮かせかけた。しかし、すぐに落ち着き直す。
養い子が手を上げて制したのもある。それ以上に、ゼオンの目には彼らが見つめ合いの中で、対話しているように見えた。言葉ではなく魂同士で話し合っているように。
そうして心を交わし、……やがて納得したのだろう。
ラナンが自身の腕の上に顎を乗せ、寝そべった。
「わかったよ。……君の望むままに。ただそうなると……」
ラナンの瞳がゼオンを見てくる。
姿形は異なるものの、それはやはりロゼに似た雰囲気を持っていた。
「ラナンは唯人になってしまうから……。やっぱり……」
護衛を頼みたいのだろう。そうとゼオンは察した。
即答をしてやるべきだと、感じる。だが、胸に浮かぶのは、……先ほどと同じ、積年抱いてきた思いだ。
それにと、腕を組む。ゼオンは考えつつ、ラナンを見、そしてロゼを見た。
「……先に問わせてくれ」
そして言う。
「ロゼ。俺がラナンの護衛を引き受けたとして、その後お前はどうするつもりなんだ」
先ほどからのロゼの言葉にはそれがない。だから聞く必要がある。
ゼオンが真直ぐに言葉を向ければ、ロゼが目を細めた。まるで微笑するように。
「私は、会ってくる」
それだけを言う。
表情とは裏腹に、言葉には透き通った刃がある。
それ以上を言うつもりがないことを、ゼオンは口を閉じたロゼの沈黙から感じた。
何を成すつもりか……、ゼオンにはわかる。
目を閉じれば、瞼に連れ立って歩いていた二人の姿が浮かんだ。
互いに、大切な友人だと言い合っていた、静かで柔らかい声が耳の奥に蘇る。
兄弟のように接していた姿が過る。
深く、あたたかく、互いに少しずつ結んでいったのであろう、確かな絆。
だが、どうしようもなく断ち切られた……いや、始めから結ぶべきではなかった絆。
ゼオンの中には、どうしようもなく養い子を止めたい気持ちが浮かんだ。
しかし、同時にそうしたとて、ゼオンが大切にしてやりたいと願った二人の時間が、戻らないこともわかる。そして、力ずくで止めたとて、ロゼが止まらないだろうことも。
分かるのだ。
ゼオンの奥底にも止めがたい怒りが、渦を巻いている。自身もまた、普段は覆い隠しているが牙がある。怒りがある。
クゼリュスに報いを与えたくて仕方がない。
これから派兵されてくるクゼリュス軍の中に、恩師が率いる部隊があると分かっていても。
これから起こるだろう戦争に加われば、長く戦っていられない自身が、程なく終わりを迎えることがわかっていて尚。
ふと、そこでゼオンは瞼を開けた。
目に映る養い子の顔は、凪いでいる。目を離せば、このままどこかへと消えそうなほどに。
実際、ゼオンがこのまま返答しなければ、そうするだろう。ラナンを残したまま、消えるはずだと思えた。そのまま、恐らく二度と会えない。
なにせ――
思い返すのは……昨日見た、森に呑まれた廃墟のことだ。
あれがロゼの生まれ故郷なのだ。ロゼは故郷を失っている。どこにも帰るところなどない。
オルグレンとあのまま共に在れたのであれば、青年がロゼの帰る所になれたであろう。
しかし、もうそうなることは難しい。
胸の中だけで息を吐く。
そして、とゼオンは自身へも思考を向けた。自身もまた帰るべき場所などない。
そうと思ったものの、ゼオンには瞼の裏に浮かぶ光景がった。
老夫婦に、若夫婦、彼らとの穏やかな暮らしだ。しばらく身を寄せていた、吊り橋の――山の集落のことが過っていった。
帰りたいと願える場所。
ただいまと告げることができ、同じ言葉を返してくれる人。
ゼオンはもう一度、ロゼを見た。
すべての事に怯える、見放された獣の様であった子供。帰るべき場所を無くし、外を恐れるしかなかった子供。
そして……、サクラスが最後に願ったという言葉。
それらが、ゼオンの胸に浮かんできた。
友を作れと、彼女が願ったことをロゼから聞いている。
それがどういう意図だったのか、彼女自身に問うことは、もう二度とできない。
こと戦闘となれば、元は一つの人間だったのではないかと思うほど、思考を汲み取り合えていた。その彼女の考えを今は察してやれない。
だが……、ゼオンは感じた。
サクラスは愛し子に、人とのつながりを持ち、確かな絆を作り、戦いの場以外に帰るべき場所を作ってやりたかったのではないか。
そして、今の状況でそれを作ってやれるのは……。
ゼオンは洞穴の外へと意識を向けた。
移動の足はある。
馬には集落の横穴……恐らくは食糧庫か何かに使用していただろうそこへと、隠れてもらっているのだ。
馬を使えば移動に支障はない。
そうと算段をつけ、ならば、とゼオンは心に決めた。
ロゼの片親として――サクラスの相棒として、できることを今決めた。
「わかった。ラナンの護衛は俺が引き受けよう。……だが、別れた後、必ず一度は落ち合う、それが条件だ」
何があっても必ず、自分とラナンの所へ帰って来い。
そうゼオンは祈るように、ロゼへと答えた。




