十七章《二節 目覚め》1
ロゼはただ渦を感じた。
なぜこうなったのか。
どうして、こうなったのか。
どうしていれば、よかったのか。
何をすればよかったのか。
何を間違えていたのか。
自身の中から、疑問が溢れてくる。
そして――
どうして。なぜ。
何処かへと、投げかけたい言葉が浮かぶ。
にも関わらず、喉からは音さえ発せられなかった。
なぜ声に出せないのか分からない。
泣けばいいのか、笑えばいいのか、怒ればいいのか、嘆けばいいのか……それらさえ分からない。
全てが押し寄せ、全て混ざっていく。
ロゼにはもう、どうすればいいのかが分からなくなっていた。
自身が立っているか、座っているかさえ分からない。
四肢の感覚もない。
地面が砂のように崩れていき、いつまでも落ち続ける。
何かをつかみたい心地が、ぽつりと心の中に浮かぶ。
だが、支えとなってくれた人、温かみを感じることができた腕は、どこにもない。
それどころか……と浮かびかけ、ロゼは心の中に厚い布を被せた。だが、覆い隠すことなどできもしない。押しやろうとも、溢れてくる。
その中に、ロゼは荒波を見た。
遥か東の地――そこの荒れた海と砂浜が過っていく。
そこで、かの青年と出会ったのは、全くの偶然だったのだ。
始めロゼは、青年の髪と目の色に、少しだけ親近感を覚えた。養父を思い出す、安らぎを覚える色彩。
とは言っても、ただそれだけ。その印象が少し変わったのは直後。
青年は自身が大変な状況であるにも関わらず、目を覚ました時から善良で、誠実だった。
だから、ロゼは声を掛けてみることにしたのだ。
それでも、始めは契約の相手だった。
……それが変わっていった。
彼が、傭兵団『猛りの尖兵』ウルローグに向かって友人と口にしてくれたとき。
彼が、手合わせの勝敗ですこし悔しげな顔を見せたとき。
彼が、心配をしたと珍しく声を荒げてくれたとき。子供のような遊びに付き合ってくれたとき。
彼と、霧の中で再会したとき。タロトの大橋でただ生きていたことを喜んでくれたときに……。
ロゼは陸に出た魚のように呼吸をした。
ややあって、苦しいのだと自覚する。胸がつぶれたようだった。寧ろ、切り離し細切れに裂いてしまいたい。
――苦しい、痛い。その言葉が浮かぶ。
だが、小さいことで構わないから聞かせてほしいと言ってくれた人は……。
ロゼは、ただ意味もなく地面を映すだけになっていた目を閉じた。
瞼の裏に、青ざめたオルグレンの顔が一瞬過る。
ロゼが初めて見る表情……
彼がそうした理由は、立っていた場所が物語っていた。
キュラスが殺された場所。
ロゼは実のところ、家族を殺した者の姿を曖昧にしか記憶していない。
血汚れがついた剣が、目に焼きついていた。そしてそれがキュラスの身に突き立っていた光景ばかりが頭に残っている。
他は断片となり、部分的につながらない記憶となっていた。
いや、そのころの記憶そのものが、虫に食われた布地のように、穴や綻びだらけなのだ。
酷い恐怖に襲われた者はよくそうなるのだとは、そのだいぶ後に知った。
だから、偶然だと願った。何かの間違い。道にでも迷ったのだと。
しかし、ロゼの思いは、オルグレン自身の言葉で打ち砕かれた。
綻びだらけの記憶ではあるが、追ってきたのが一人だったことを憶えている。
故に、告白の通り、彼なのだ。
――鷲獅子キュラスを殺したのは。
あの時、気が遠くなったロゼを、何か不思議な感覚で包んでくれたキュラス。
その鷲獅子が後にどうなったのかを見届けられたのは、あの剣を振るった者以外にはいない。
キュラスは、穏やかに過ごしたいと言っていた。
終わりの時を静かに暮らし、灯明皿の灯火が消えるように去りたいと。
ロゼが寂しいと言うと、キュラスは大きくなるまでそばに居るよ、と言ってくれた。
安らかにいたかっただけの、キュラス、ラナン……鷲獅子達。
その平穏の崩壊を招き寄せたのは、他ならぬロゼ自身。
キュラスを鋼で刺し殺したのは、オルグレン。
他の鷲獅子の命を奪ったのは、標星の大国クゼリュスの兵。
自身を含め、彼らは生きている。
だが、鷲獅子達は、ただ苦しみだけを与えられた。力を失わず逝った者達は、いつ尽きるともしれぬ神の力に魂を保持され、永遠に地に囚われている。
神を慈しむ役割を与えられ、実行した者達。
瘴禍を倒すことを命じられ、それに従った者達。
人間を慈しむように命令され……ただ、他者に尽くし生きてきた者達に、酬いは与えられなかった。
――酷い。ぽつりと、思う。
彼らを使いながら十分な酬いを与えない神も。
彼らに滅びを招いた自分自身も。
鷲獅子を害したオルグレンも、クゼリュスも。
すべてが酷く、惨く、醜い。
――嫌いだ、と思う。
そう、嫌いなのだ。
全て、全て、嫌い。
大嫌いだ、とロゼは叫んだ。
「…………っ」
声にならない叫びの中で、ロゼは正体を取り戻した。
外気の冷たさが肌を刺し、矢傷を負った足の痛みが突き抜ける。
それでも、やるべきことが胸に沸き上がった。
自身を含め、始まりの種族を傷つけた者達。
それがのうのうと生きていること。
今胸に浮かぶすべての者が存在していること。
その全てが、可笑しいのだと――




