十五章《五節 失ったままで》1
それが始まると同時――
オルグレンは、アーベルトに取り押さえられた。
後ろ手に腕をねじられ、抱え上げられる。そうして、前かがみにさせられたまま動きを規制された。
自身の背が邪魔になり腕を抜くことができず、同時に絡まった手に肘を掴まれては、動かせる範囲もほとんどない。
その手管は実に素早かった。
アーベルト当人がいまだ戦うものであることを、如実に物語る動き。
そうされる意味は……言われずともわかる。
余計な介入はするなと、そういうことだ。
クゼリュス王とエーイーリィの将が睨み合う状況。
ここで、クゼリュスの手勢には退路がない。
一方で、こちらを囲うエーイーリィの手勢は、意思強く燃えるような目をしている。
この状況で内側から、オルグレンが暴れればどうなるか。
例え拳を振るう程度の物であっても、膠着が崩壊し乱戦が開始される。
クゼリュスの態勢が整わぬままに。それは、クゼリュスにとっては不都合で、オルグレンにとってこの上ない好都合だった。
故に、アーベルトはオルグレンを押さえたのだ。
逆にだからこそ、オルグレンは足掻こうとした。
先ず自由な方の腕で、肘打ちを狙う。だが、腕を押さえつける赤い軍人貴族の体には届かない。
身体を起こそうとすれば、肩に痛みが走った。
――肩が外れる結果となっても足掻くか。
その考えが、一瞬オルグレンの脳裏をかすめた。
しかし、内心で首を振る。間違いなく片腕が使い物にならなくなる。
それは、即時足手まといになることを意味した。
足掻くことは必要だが、むやみにでは意味がない。
時期を見極め、一瞬を狙うべき。
一度、抵抗をやめる。
そして、押さえられた姿勢で効かぬ視界の代わりに、オルグレンは耳を澄ました。周囲の状況をつぶさに聞く。
そして――、それはこの瞬間に訪れた。
「ベイセル様!!」
若い女性の声。オルグレンは、それに聞き覚えがあった。
取り押さえられた格好では確かめようもない。しかし、追手の中にいた女騎士だとすぐに思い当たった。
場が乱れるのを、気配で感じる。
無論、押さえられたオルグレンに視認することはできない。
どこから動きが始まったのか判断がつかなかった。
それでも、睨み合いの膠着が音を立てて崩れる。
即座に音が入り乱れ、剣戟が湧き起こる。
相互の将が叫ぶ、指示が飛び交う。
血のにおいが噴き上がり、怒声と気合と、悲鳴が入り交じった。
今しかない。息を短く吸い、オルグレンは即座に動いた。
腰を落とす。とたん、掴まれた関節に痛みが走った。一先ずその苦痛を飲み込む。
つられて揺さぶられたアーベルトへと、体を倒した。勢いよく、共に倒れんばかりに。
もともとオルグレンの方が、上背があり体格もいい。
その上、アーベルトは戦える者とは言え、年齢的に既に一線からは退いた身だ。
耐えきれず、また態勢を立て直すのが間に合わず、アーベルトの体が崩れる。
当然、拘束が緩み――その一瞬で、オルグレンは腕を振りほどいた。
即座に、赤い軍人貴族へと腕を伸ばす。狙うのは、その腰の物。
必要であれば身を守るため、或いは王を、或いは不本意でもオルグレンを守るため、赤い軍人貴族は剣を帯びている。
オルグレンが掴みかかった剣帯に収められたそれは、質素だった。
鮮やかな刺繍が施された上着と、複雑に入り組んだ細工に彩られた胸鎧を着る男の得物にしては質実な剣。
無論、オルグレンが東の地で選んだ物より、はるかに上等な仕立てではある。
だが、装飾は柄頭と鍔に僅かばかりあるだけだ。
奪い、引き抜きざま、オルグレンは勢いのまま行動した。
剣の主へと、その刃を突き入れる。
しかし、寸ででアーベルトが身を捻った。加えてクゼリュスの騎士らしい金属の鎧が力の乗り切らない刃を、その硬さと優雅な丸みで受け流す。
仕留められない。ともあれ、オルグレンは剣を手にしたまま退る。
アーベルトを無力化できれば僥倖ではあったのだが、そればかりに固執するわけにもいかない。
王族と貴賓を囲んだ守りの輪の中央で、警戒の視線をオルグレンは一心に浴びた。
その中で、アーベルトの物だった鋼で彼らを牽制する。
クゼリュスの兵はオルグレンへと構えてはいたが、守るべき者達の多さゆえに、大きくは動けない。
それを利用しつつ、オルグレンの目は周囲を探った。
待ち望んだ姿を探す。彼を見つけられないなどとは思わない。
だが、オルグレンは僅かに焦燥を覚えた。何故か、少年の姿を見つけだせない。
いや、視界に一瞬映った。
ベイセルと相対するその姿を。
だが、意識が、思考が、心が、それを彼だと認めるのを拒否してしまう。
剣戟などより鋭く、鋼よりも重く、心臓が脈打つのを感じた。
そんなはずはない……、その言葉がオルグレンの胸に浮かぶ。
違う、違う、違う、と心が叫び続ける。
そうなぜ思うのか理解する前に、心だけが否定を叫んでいた。
動揺をしている。そのことをオルグレンは自身で悟った。
だが、いくら呼吸を繰り返そうと心は荒波だつ。
途端に冷たくなった体温の中、拒否を繰り返すような鼓動の中、オルグレンは見た。
ベイセルの剣を防いだロゼが、顔を上げる。
重すぎる一撃を防ぎきれなかったらしい。少年の額が割れていた。そこから溢れた血が、白い頬を流れ落ちる。涙のように。
その姿に、オルグレンの記憶が重なった。
重なってしまうのを、感じる。
あの荒野での出来事以来、脳裏に残り……だがいくら思い返そうとしても不鮮明だった記憶。
それが、今実像かのように結び、浮かび上がった。




