十五章《二節 始動》1
雪は殆どない。
だが、外の景色にはあらゆるものに霜が降り、凍てついている。建物の屋根も、石畳を組まれた豪勢な路地も、寒々しい色で霞んでいた。
重く、冷たい町並み。
それらをオルグレンは、窓の僅かな隙間から見た。
突き上げ式の窓は開け放てぬように、外側に格子が設けられている。それでも換気のために指の先程度ならば開くことができた。
そうして望むことができるのは僅かな景色。
だが、歪んだ硝子越しより、よほど正常だった。
街の下手の方から聞こえるのは、風に乗って運ばれてくる人々の営みの声。
混ざり弾け合う声と共に、楽器のような響きもあった。
それもそのはず。
建国記念の日、その祝いの祭りと式典まで後、五日なのだ。
はやる気持ちでか、クゼリュスの民たちが騒いでいる。
アーベルトの屋敷の中に閉じ込められていようと、その声は聞こえてきた。
窓下を見回る警備の兵や、部屋を整える侍女達、この貴族街へと荷運びをする人夫達、それらが飢えを感じない冬に喜びを語り合っている。
今年は新しく手に入れた領地のおかげで、冬の貯えが豪華だと、喜ぶ言葉。
式典はかつてないほどに盛大になるだろうという、期待を高まらせる囁き。
無論クゼリュス王が、アィーアツバスを押さえていることを示すために、オルグレンを連れ出す会食の場でも、それらが祝い事として紡がれる。
浮ついたそれらの声。
誰しもが春まで残り……と、倉庫を見ては心を細らせる生活から解かれ、喜んでいる。
盛大に祖国の祝いを寿げることに、歓喜していた。
残存勢力の抵抗が続いていることなど、民衆たちは知らないのだ。
そうと感じ、オルグレンの胸には重い石が乗る。
吐き出すように、深い息を落とした。それが白い靄となって消えていく。
顔を近づけていた窓の縁が、息の湿り気で凍っていた。
暖炉が赤々と焚かれたとて、それから離れた場所は凍りつくように冷たい。
己が凍らせてしまった場所に触らないように気を付けつつ、オルグレンは一度窓を閉めた。
その手を見つめながら思う。後、五日だと――
❖
そうして指折り数え。
その日、オルグレンは五指を閉じた。
鏡の前――
お仕着せられる服の上着は、鉄を焼入れしたような暗くにぶい鋼色をしている。
軟禁後から約二ヶ月を掛けて作られたそれは、しっかりとした厚い生地で作られ、襟や袖口など目につきやすい部位は、銀色の刺繍に覆われていた。
身に纏わされたものの一切が、上等な仕立てであると分かる。
だが、上等であるが故の重みはまるで枷、襟締が首にまとわりつく感触は、オルグレンにとって首環のようにさえ感じられた。
髪は専門の者達に整えられ、香油を施されていたが、その匂いが鼻に付き、掻き崩したい衝動が頭をもたげて来る。
己の身がクゼリュス王ヒースヴィオラの支配力の誇示と、軍人貴族アーベルトの地位と財力の象徴となっている。
そのことが、彼の腹わたをざわめかせた。
かと言って、髪をかき乱し上着を投げ捨てたとて、もう一度整え直されることはオルグレンも分かっている。
それにまっとうに仕事をこなしただけの職人達が、アーベルトに叱責を受ける可能性もあるのだ。
「外套をお持ちします」
侍女が頭を下げ、部屋を辞す。
見張りの兵がいるものの静かになった部屋で、オルグレンは姿見を見た。
――生地と刺繍の技術が見事なのは、認めてやりましょう。
ふと声を聞いたような気になり、オルグレンは、唇が歪まぬように歯を噛み締めた。
かつて共にクゼリュスに囚われた親友。
荒波の中に消えた、グロウシュタッド……グロウは、よくそういう物言いをしたのだ。我らがアィーアツバスの方がと先に胸を張ってから、でもまあ……と職人の技術と趣味の良さなど、後から美点を見つけて口を尖らせる。
彼はそう元気づけてくれていた、と遠い記憶の欠片を思い出す。
一方で、……と考え、オルグレンは口元を覆って隠した。
姿見の横からひょいと顔を覗かせたロゼが、君、なんだか王子様っぽいねと、緩く笑うように言う姿が過ぎり、思わず口元が緩んだのだ。
想像でありながら、それはオルグレンの逆立った気持ちを落ち着かせてくれた。
そして、お前の想像は当たっていたぞ、と思い浮かんだ姿に向かって思う。
妃と、犬と、猫、それに象がいるかはオルグレンにもまだ分からない。
しかし、王子ではあった。
アィーアツバスの王太子――
重い一言を胸に呟きながら、それでもオルグレンはゆっくりと息を吐いた。
大丈夫だと、一呼吸する。笑えているのだから、大丈夫だと。
そうする間に、薄く足音が届く。
硬質な響きが近づき、扉が叩かれた。
侍女にしては力強いその音。
オルグレンはいよいよ今日という日が始まったことを自覚した。




