着せ替え人形と裏腹ロボット③
うまくいってしまった。
和室の真ん中に突如出現したほぼ全裸のお姉さん。
視線を下にやると、蛍光灯の光を反射する真っ白なデコルテ、そこから地続きの雄大な山脈が視界を埋めた。
「お!? おわーーーー!!」
思わず叫んだ自分の声が、これまでよりも一段高く、艶を帯びて聞こえた。
俺が放り出した写真週刊誌を、まだ落下を始める前にロボアームが素早くキャッチする。
知り合いでもないが、姿を借りている責任と“かなえちゃん”の名誉のために、せめてむき出しの胸を腕で覆った。
期せずしてグラビアのポーズを忠実にトレースしてしまっていた。
もしも着衣の状態ではなく、この姿でこの世に現れていたらと思うと、全身に寒気が駆け巡る。
《うわ、うわうわうわ……予想以上にすっごい……。これ、三次元で出力すると破壊力が桁違いだね。……ごめん、ちょっとうるさくなるけど排熱ファンぶん回すね?》
「回すな! 見るな! ドリルをしまえ!」
俺はユキに背を向け必死で腕を組み、重力に従って主張を強める肉体を隠そうとした。
しかし霊体であるはずの俺の肌は、なぜかこの時ばかりは吸い付くような生々しい質感を持っていて、自分の腕が触れる感触にさえ過敏に反応してしまう。
《はいはーい! じゃじゃじゃじゃあ早速、これを着て「誠意」を見せてもらおうかな!》
ユキのアームが、先ほど袋から出した衣装を器用に広げる。
それは、ただの紺色の服ではなかった。アクセントとして白と黄色が用いられ、伸縮性のある素材、上部中央に白いロゴマーク、細いストラップ、そして……深くカットされた逆三角形。
《パンツはいたままでもたぶんいけるよね。インナーはくもんね》
「……スク水? いや、競泳水着……か?」
《おっ、かなえさん詳しいねえ! ボクのコレクションの中でも指折りの一品だよ。さあ、謝罪の心があるなら、これを着て雑誌の二四ページのポーズをとること! 話はそれからだよお》
「無茶を言うな! 俺は……俺の内面はお姉さんじゃないんだぞ! こんな、こんな……っ」
《大丈夫! ボクはTS物もバッチコイだから》
どこかで聞いたようなセリフだった。
暖簾に腕押し、八方塞がり。俺が〈私〉という偽りの一人称を忘れるアクシデントすら、こいつを興奮させるスパイスにすぎないのだ。
「こ、この村は狂ってる……! 村も人も、ロボも……!」
《そっかあ、着てくんないのかあ……やっぱり善良な非生物市民として、凶悪犯罪を通報するべきかなあ?》
「……っ」
──自称幽霊の女、器物損壊と公然わいせつで逮捕。
俺は絶望的な面持ちで、目の前の白い塊を見上げた。
この〈板〉には、羞恥心とか尊厳という概念を理解するプログラムが欠落しているのではないか?
《ああー、凛とした表情もいいけど、羞恥に震える絶望顔もドスケベだねえ……》
いや、たぶんわかってやっている。わかった上でやっている。
◇
数分後。
俺はとにかく躍起になって、水着の肩紐を引っ張っていた。
鏡はないが、自分の体の感触だけで、生地が悲鳴を上げているのがわかる。
サイズが合っていないのだ。素人女子大生の肉体的なポテンシャルが、機能的な競泳水着の伸縮性とせめぎ合っている。
なんとか形を保っているが、この状態で背伸びでもしようものなら、どこかがこぼれるかちぎれてしまうだろう。
「……これでいいかい? もういいだろ。許してくれ、頼む」
《うーん、まだ足りないなあ。誠意っていうのはね、視線とポーズに宿るものなんだよ。はい、二十四ページ右下の『四つん這い振り向き』! やってみて!》
「死んでもイヤだ! ……死んでるが!」
《──もしもし、ポリスメン?》
「やります! やらせていただきます!」
俺は二つの意味で膝を屈し、強まる水着の締め付けに情けなくうめきながら畳に手をつき、肩越しに潤んだ瞳──実際には恥辱で泣きそうな顔──でユキを振り返る。
《おおお……! すごい、すごすぎるよかなえさん! これ、データの保存容量が足りなくなるかも!》
ユキの内蔵カメラのレンズに捉えられながら、おぞましいほどに恥ずかしいポーズを取らされた俺は、部屋の天井からこの光景を見下ろしているかのように、どこか自分を客観視していた。
これは世に聞く現実逃避というやつかもしれない。
外の世界に出たくてたまらなかったのに、それがどうだ。早々に逃げ帰りたくなってしまっている。
千代子が見たらなんて言うだろう。ロッテさんが見たら。少年には……絶対に見せない方がいいだろう。
《次はこれだよ! 伝説の美少女監禁脱出アドベンチャー、『マリオネット・マンション』の制服コス! さあさ、着替えて着替えて》
「制服って……高校の制服? この身体は成人女性なんだが……」
《だいじょうぶ! ゲームの最初にも「登場人物は全員十八歳以上です」って出るから》
「そう……」
よくわからない理論で押し切られ、乳白色のタイツに足を通す。
しかし、ふくらはぎから上がうまく入っていかない。さっきの水着もそうだが、俺より体格が小さい人間が着ることを想定されているらしい。
「おい、どうしてどれもこれもサイズが小さいんだ? 今度こそポーズも取れないほどパッツパツになってしまうぞ」
《だってそのサイズしかないんだもん。かなえさん腰とか細いしいけるって! 幽霊だから鬱血もしないでしょ? それに『オネション』にはねえ、そんな派手なポーズはないんだ。女の子は劇中でお人形扱いされるの。むしろ動いちゃダメだよ? ゼンマイが切れたみたいに、ボーッとした顔して座ってるだけでいいから!》
カメラマンは熱のこもったディレクションをしてくるが、こちとら血流もないにもかかわらず羞恥心でさっきから顔に火照りを感じていた。無表情などかえって難しいオーダーだ。
「ん? このタイツ穴開いてるぞ」
《え? ああー、こないだひっかけちゃったかな? でもいいよ、写真はあとでレタッチするから》
こないだひっかけた? まさかこの箱、別の人間にまでこんなことを強要しているのか?
ここへ来る人間といえば……少年くらいしかいないのではないか?
もしかして……こいつを通報すべきではないのか?
俺はげっそりとやつれたような面持ちで、長いリードの伸びる太いチョーカーを着けた。
タイツには球体関節の模様がプリントされている。
胸部を不自然に強調するデザインのブレザーに、明らかに校則違反であろう短さのスカート。
この部屋に鏡がなくて本当によかった。早く終わってくれ。
《おほー! ちょっときつそうなのがまたいいねえ! はい、そのまま止まってて! ライティング変えるから!》
ユキは歓喜のあまり激しく筐体を震わせ、どこからか持ってきた古めかしいスタンドライトを設置し始めた。
……俺は、俺はなにをやってるんだ。
義妹の望み通りに、怨霊になりたいと思っていた。
いまでは名実ともに着せ替え人形だ。
この家はもともと人形師の工房と聞いていたが、いくら長い伝統があろうとも、過去に動いてしゃべる等身大の着せ替え人形がいたことは、まさかあるまい。
年季の入ったお屋敷に、新たな歴史を刻んでしまったか……。
……等身大の人形?
どこかで、人形のように壁にもたれて動かない少女の姿を見たような気がする。
棺のような箱の中で、微動だにしない少女を見たような気がする。
この衣装のサイズは、誰のために用意されたものなんだ?
ユキは、誰にこれを着せていたんだ?
この家には、ほかの誰か、あるいは“なにか”が──




