第86話 真名の入力1
アルセリオンは真名を求めてくる画面を前にして、長い時間悩んでいた。
これを入力さえしてしまえば、数字は変えられる。だけど、どうにも手が震えて入力できない。
緊張で呼吸が荒くなり、逃げるように画面から目を離した。
「……本当に……こんなことをしていたのか? あいつは……」
警告画面を消し、緊張を誤魔化すように他の表示を眺める。
表示されているものはわからないものばかりだと思っていたが、よく見ると見慣れた薬草の名前もある。それは先日、ここで採取した薬草だった。
「知らないものは消したら生えてこないのではないか?」
試しに知らない名前を触ってみる。
どうやら数字を上げる時と違って、こちらの操作は妨害するものがないようだ。
また真名を求められたら、と身構えていただけに肩透かしにあったような気分になる。
そのまま名前を一つ消してみる。
すると視界の端にあったものが崩れ、魔力の流れが途切れた気がした。その辺りをよく見ると、空間が不自然にあいている場所がある。崩れたように見えたのに残骸も何もない。
「……消えた植物は、どこへ行った……?」
何がどこへ消えたのかはわからない。
だが、これでここに書いてあるものは操作できることがわかる。
ならばいらないものは消してしまう方がいいだろう。生やしておいてもどのように処理をしたらいいのかわからない。
「一気に消すのは……よくないだろうな……」
族長がどれくらいの頻度でここを確認しているのかわからない。毎日、少しずつ消して調整する方がいいだろう。
消すために毎日来るのであれば……ともう一度手を伸ばす。
警告文が現れたところでやはり止まる。
数字を増やせば魔素が消費されることはわかっている。別に真名を入れようと入れなかろうと同じことだ。
魔素が大量に消費されれば結界が揺らぎ、精霊も少なくなるだろう。魔素と精霊、両方の結界がなくなれば、人が容易く入ってくるようになる。そうなれば、閉鎖的な環境でようやく生きながらえているエルフなどすぐに飲み込まれる。
わかっている。
『エルフを滅ぼすつもりか?』と言ったのは自分だ。
わかっているから、真名を入れられない。
エルフを滅ぼす事に同意しているかのような承認に真名を使えない。
だが、あの数字で結界に影響はないはずなのだ。
ならば、それよりも小さい数字なら……何も問題は……
「……ダメだ……」
動かせば魔素を消費する。
数字次第では、結界を維持するだけの魔素は保てる。
矛盾している。
おそらく、小さな数字であっても魔素には影響が出る。
だから真名を使えない。
おそらく……
「これは勝手に使う者への警告、だな……」
ただ真名を要求しているだけ。
ただそれだけの画面だ。
それでも……
乱雑に全ての画面を閉じる。
「次の交易までに真名を入れて、新しく作られるのを確認できなければ、取引はできない」
意識して声に出すことで自分に言い聞かせる。確実にインゴットを入手できる見込みがなければ、取引を断る事も視野に入れ、部屋へと戻っていった。
あれから何度も足を運び、警告文を開いては閉じる日々が続いた。そんな日々の中、族長の部屋へと呼ばれた。
もしや、アレに干渉している事がバレたわけではないよな?
内心穏やかではいられないままに族長の部屋へ入る。
「アルセリオン、先日交易についていったそうだな?」
「ええ、少し、どのように取引されているのか興味がわきまして」
嘘ではない。おかげでマジックバッグという情報が得られた。今後も取引が続くようなら少しずつ外の情報も聞こうと思っている。
……取引ができるのであれば、だが……
部屋の扉がノックされ、アイラが顔を覗かせた。
「おじい様? お呼びと聞きましたが……」
こちらを見て、何故ここにいる? と言わんばかりの怪訝な顔をする。
……嫌われている自覚はあるが、傷つかないわけではないのだがな……
小さく息を吐き、感情を殺す。
「ああ、揃ったな」
族長が椅子に座るように促してきたからそれぞれ座る。
「二人には一度、世界樹の様子を見て来てもらいたい」
これまではアルシェイラが定期的に様子を見に行っていたが、出ていった以上、もうアルシェイラが世界樹の元へ行くことはない。
先日、結界を揺らすほど魔素に影響があったから、世界樹にも影響が出ていないか確認したいそうだ。
「それならば私一人で行きます」
アイラの言葉に族長はゆっくりと諭す。
「アイラはアルシェイラの祝福を受け継いではいるが、全てではない」
「それは……そうですが……」
「世界樹に問題があったのなら、すぐにでも対応しなくてはならない。その時には一人では対応が難しい場面もあるだろう」
「……」
「世界樹の問題は、エルフ全体に関わる。個人の感情は切り離せ」
驚いた。これは族長教育で最初に取り上げられる課題だ。
アルシェイラがいないから、次点で世界樹に対応できる人員を選んだのもあるだろうが、族長はアイラも後継として教育するつもりか。
その課題の教材になるには、自分に向けるアイラの感情は取り上げやすいだろうな。
自分の時のアルシェイラのように……
「……わかりました」
アイラが渋々とこちらを向き、小さく頭を下げる。
「世界樹の調査に一緒に行ってくれますか?」
「……ああ」
やはりアルシェイラの娘だな。理解も感情の切り替えも早い。
いつか、アイラにもあいつに抱いていたような感情を持つのだろうか?
どれだけアイラが優秀だろうと、知識も経験もこちらが上だから大丈夫だとは思うが……
思えばあいつの知識や考え方はルミシルヴァにないものが多かった。一体どこからあの知識を得ていたのか……
長く側にいたのに、そういった話はしてこなかったなと、今さらながら後悔した。




