第66話 クラリッサの慰問1
ドゥルガルド王国とドラグナール帝国との間に条約が結ばれた日から二日後、アルセラは素材部屋で騎士団長と挨拶を交わしていた。
地下畑の前に騎士が常駐していないと何かと不便であり、今回の入れ替えのような事態に、執事のセドリックしか対応できない現状を改善するためだった。
「名乗るのは初めてですね。騎士団長を務めていますベルンハルト・グライスと申します」
そう言われてみれば見覚えがあるわね。たしか……
「地下農業迷宮を立ち上げた時に辺境伯様の隣にいらした?」
「はい、覚えていてくれて光栄です」
なるほど。だからトビアスもカイルも姿を消せと言わないのね。
「では早速こちらの魔道具に魔力登録をしましょう」
腰につけているマジックバッグから掌サイズの箱を取り出す。作りとしてはとても単純なものなのだけど、一応魔法陣は見えないように箱の中に仕込んである。
「騎士団長も代替わりされることもあるでしょうから、その時はこれからあたしがやるようにしてこの魔道具を使える人を変更してくださいね」
やることもとても単純ですから、すぐに覚えられるでしょう。
「マスター変更」
言葉に反応して淡く緑に光る。
「この魔道具に魔力を流してください」
魔道具に魔力が流れると光が消えていく。はい、これで登録完了ですよ。
登録された魔力の持ち主が手に持っている時だけ、この魔道具は発動ワードを受け付ける。だからこれはもう騎士団長専用の魔道具です。
「認識証に魔力登録をするときはこの上に認識証をのせて『魔力登録』と言ってから認識証に魔力を流してもらって下さい」
新しい騎士様用の認識証も渡しておきますね。
「……なるほど。辺境伯様が頭を抱えられるわけだ……」
騎士団長は受け取った魔道具と認識証を入れた袋を持参したカバンにしまっていく。その間も部屋の壁際に控えているガーゴイルから目を離さない騎士団長に思わず苦笑する。
「……戦ってみます?」
「よろしいのですか?」
ものすごく期待されてましたよね? 会う場所もなぜか素材部屋でと指定されたし、トビアスとカイルも隠してるけど笑ってるわよね。
やっぱり騎士様って戦闘狂なのかしら?
模擬戦モードのナイト1と戦っている騎士団長は笑顔でずいぶんと余裕がありそう。力で押してみたり、回り込んでみたり、くらいしかわからないけどいろいろ試しながら打ち込んでいる。
「騎士団長、速度を上げます」
思考速度を倍にしてみると少しだけ表情に余裕がなくなる。
ふむ。騎士団長の余裕が消えるくらいの思考速度を撃退モードの標準にしたら強いのではないかしら?
「騎士団長、まだ大丈夫です?」
「いけますっ!」
思考速度を三倍に上げる。この速度はトビアスだとすぐに追い詰められていたけど……さすが騎士団長。普通に打ち合っている。たださっきまでみたいに体を大きく動かすような余裕はないようだわ。
「騎士団長——」
「うけますっ!」
……返事が早いわ。
思考速度を四倍に上げる。さすがに対応が追いつかないようで、しばらくはなんとかしのいでいたようだけど剣を弾かれて目の前に突きつけられていた。
ふむ。撃退モードは四倍、いえ五倍にしておこうかしらね。
「こんな速度で剣をあわせることなんてないから新鮮でした」
とてもいい笑顔ですね。騎士団の演習場にも欲しいと言われてもダンジョンの外では動きませんからね? 鎧の置物にしかなりませんよ。
アルセラが騎士団長と挨拶した翌日、クラリッサは大勢の騎士を伴って地下農業迷宮へ慰問に訪れていた。一緒にきた騎士の半分はこのまま地下農業迷宮の入口の勤務や村の復興の手伝いとして残ることとなる。
騎士が大勢入ってきたことで何事かと村人たちが遠巻きながらに見ていた。その中から村の代表であるフリッツが飛び出してくる。
「奥様! このようなところにまで……本日はどのようなご用件でしょうか?」
「今日は慰問としてお邪魔したの。どうか普段通りにしていてね。見て回りながら、少しみなさんからお話を聞かせてもらうわ」
フリッツはかしこまりながらもまずは休憩所へ案内する。
ここまでの道のりは悪路だから疲れているだろうとの配慮からだったが、そのままクラリッサと話をすることになった。
「ここでの生活はどのようになっているのかしら?」
「……正直に申し上げると、村で生活するよりも快適です」
フリッツの言葉にクラリッサは瞬きをする。
「村の中をご覧になったと思いますが……家の修理をする余裕がないものが多く、普段は隙間風や雨漏りに悩みながらも住んでいたのです」
それがないだけでなく、生活に必要な水場などが家の中にあるため、水汲みなど生活に割く時間がとても短い。炊事場はさすがにないが、それは元々の家でも同じだから食事に出ることはいつもと変わらない。
しかもこの中では部屋の気温が一定に保たれている。ここ数日しか過ごしていないが、寒暖差に悩むことがないのはとても大きかった。
「年寄りの中には地上を恋しがる者もおりますが……おそらく、ほとんどの者がここでの生活の継続を望むのではないかと……」
「そう、なのね……辺境伯様にお伺いしないと返事はできないですけど、声が多いようでしたらお話は通しておきます」
「お願いします」
続いてエーリカに食料は足りているか確認をするが、こちらも問題はないらしい。
「さすがに肉や魚は尽きましたが、野菜や麦は畑から収穫ができるので食事は問題なく行き渡っています」
むしろ出荷ができないから果物も提供しているらしい。時間遅延のついたマジックバッグに入れているとはいえ、戦争である以上はいつ出荷が開始されるのか読めなかったために少しずつ消化していたとか。
先ほどまでしていた騎士への慰問とは違う様子にクラリッサの方が戸惑いを隠せない。
「エルドリック様がいつもアルセラちゃんは規格外すぎると嘆いていたけど、こういうこと?」
「奥様、村人たちの前では名前はお出しにならないようお願いします」
「あら、いけない。そうだったわね」
ありがとう、とお礼を言いながら村人たちの方へと話を聞きにいく。
「困っていることはない?」
「いえ、ここに避難させていただいてありがとうございます! おかげで快適に過ごしています」
「子供たちも収穫を手伝っていますので、あとでお持ちくださいね」
話を聞く村人たちの表情は総じて明るい。
畑の世話を大人たちがしている横では、子供たちも元気な声を響かせながら走り回っている。
「……避難生活って、こういうものだったかしら……?」
「違うと思います」
「私が来たからこういう風に過ごしているわけではないわよね?」
「昨日来た時もこんな感じでしたね」
村の中で戦闘が行われたことで外の家が住める状態ではなくなった村人もいたが、この中でいつもよりも快適に過ごせていることで嘆きは少ないようだ。
むしろフリッツの言う通り、このままここに住みたいという村人がほとんどだった。
「またエルドリック様が悩みそうね」
ぽつりとこぼしたクラリッサの一言に騎士団長は耐えきれずに喉を鳴らして笑っていた。




