第64話 条約締結後2
アルドレウスは執務室で一人、届けられた条文を見ていた。
昼間に届いた時は、どうせいつものような内容だろうと、そのまま脇に置いていた条文。夜となり、ふと目に入ってきたそれを開いて見る。
視線が順に滑って最後まで一気に読む。
読み終えて机に置いた。
「……よくできている」
もう一度手に取って今度は一つずつ声に出して読む。
「緩衝地帯における兵力の展開を禁ずる」
「一定距離内への大規模兵力の配置を制限する」
「ドゥルガルド王国は査察権を有する」
緩衝地帯の扱いはさほど影響はないだろう。
だが、『一定距離内への大規模兵力の配置を制限』、一方的な『査察権』
「動かせば減る。戻せば『集結』と見なされかねん」
遠くに動かす分には何も言わないだろう。だが、その動かした軍を戻した時点で集結として捉えることが可能だ。
「動かさないのも疑われる」
今手元にいる軍はどう見ても『大規模』だ。それもドゥルガルドを攻めたばかりでかなり近い位置にいる。距離としても条文に引っかかる。
言葉に出すことで頭の中に描く構造がはっきりとしてくる。
逃げ道が閉じられている。
アルドレウスはわずかに息を吐く。
体の力を抜いて思考をクリアにしていく。
「……これは、戦だ」
戦い自体は終わっている。だが、軍という力をどのように制するのか。
それを条文という形で出してきた。
「面白い……」
条文の書かれた紙をなぞる。
「そんなに縛りたいなら縛られてやる」
椅子に深く腰をかけて天井を見る。
視線はぼんやりとしつつも思考ははっきりとしている。
距離は書かれていない。
大規模の定義もない。
それはつまり、査察次第でどうとでも捉えられるということだ。査察の判定は、軍ではなくその時の空気で決まる。しかも、査察の権利はドラグナールにはない。
殺しにきている。
ふつふつと怒りが湧き起こる。
ドゥルガルドだけでここまで組めるとは思えん。ならばルミディアも噛んでいるか……小賢しい真似をしてくれる。
だが……
「こっちにも効く」
口に笑みが浮かぶ。
「なら、使える」
怒りが消えたわけではない。
だが、縛られる中であったとしても全く動けないわけではない。
軍は削られていない。
ならば……
「このままでは終わらない」
使えるものは使う。
狙いはドゥルガルドだけではない。
脳内に今後の動きをいくつか組み立てていく。
「駒はある。あとはいつ拾うか……」
アルドレウスの静かな怒りに震えるように部屋の明かりが揺らめき、冷たい笑みを照らしていた。
ドラッケン邸執務室ではバルドリックが静かに処分を知らせる書簡を開いていた。
「軍の剥奪に領の没収、降爵か……」
想定通りだ。
何も問題はない。
書簡を手に持ち軍議室へと向かう。
そこでは生き残った隊長たちが軍の再編のために忙しく動き回っていた。
「手を止めてくれ」
もう、その再編は進めても無駄になる。
「処分の通達がきた」
その一言でピリッと空気が震える。
「お前たちは一時的に皇帝の預かりとなる。今後は皇帝の命に従え」
「……大将は……」
「もう大将じゃない」
その一言が全てだ。
「……納得いかねぇ!」
「軍人やってんだ。受け入れろ」
言葉には出さないだけでほとんどの者が不満を露わにしている。仕方のない奴らだ。
「俺の失策が招いた結果だ。想定内だ」
むしろ処刑されるのも視野に入れていたから軽い方だ。
ただ、それやるとこいつら暴走しそうだからな。俺を生かしておくのは首輪代わりだろう。
「つまらんことで首飛ばすなよ?」
いつものように手を振りつつ部屋へと戻る。
処分は妥当だ。領地も軍も引継ぎしたらあとはうまく回してくれるだろう。
ただ困ったことが一つある。
「軍人以外の生き方がわからん……」
どっかに伺候するか?
受け入れ先がなさそうだよな……
あの強い騎士との再戦を望むならヴァルカディアンだが……
「あいつにだけは絶っ対に膝を折りたくないっ!」
にやにやと使いつぶされる未来しか見えない。なしだ、なしっ!
そうなると、大人しく引きこもり隠居か……
……何日もつだろう……
カルヴァス邸にも処分の書簡が届きサルクの手でぐしゃぐしゃに握り締められていた。
「なんだこの処分はっ……!」
サルクの元に届いた処分はドラッケンと同じ内容だ。
軍と領地の没収、および降爵。
責は攻め入った者がとる。それは侵攻が決まった時に宣言されていたから、処分を受けることは理解できる。だが、軍を半壊させたドラッケンと同じ処分なのは納得がいかない。
「輜重隊としての責を果たしたことが罪だというのか!?」
書簡を握りしめたまま、机を感情のままに殴る。
処分理由が迂遠に書かれているが、要するに敵前逃亡だ。軍にとって一番下されてはならない処分理由をつけられていた。
「補給を失えば戦線を維持できない。それを防いだのは誰だと思っている!」
本来ならドラッケンが盾となり守るはずだが、早々に指揮が崩れて混乱していた。とてもではないが戦力として数えられる状況ではなく、仕方なく選んだ撤退だというのに……
「補給が止まれば全軍が死ぬ。それを避けた判断だった!」
結果は重い処分。
「指揮官不在の戦場に秩序などない!」
再び机に拳を叩きつける。
「……誰の失策だと思っているっ!」
前線を崩したドラッケンと同列に扱われるなど、屈辱以外の何物でもない!
サルクが怒りを撒き散らす中、ちょうど居合わせてしまった不運な側近たちは息をひそめ、終わりはいつ来るのかと心に暗雲を広げながら、ただただ静かに立っていた。
皇帝の手には条約の写しがあった。
「これは……なかなか面白いことになった」
ドゥルガルドに再度侵攻しようとするとやりにくくはある。だが侵攻すると決めた時には条約などないも同然だ。
だが、平時の軍運用を縛るには十分だ。
「この条約は使える」
今回の処分でもともと突出していたヴァルカディアンがさらに突出する形となった。なんとかして力を削いでやりたいと考えていたところにこの条約だ。なんともいい材料をくれたものだ。
「命令書を書く。準備しろ」
さて、帝都でなければどこでもよいが……ドラッケンとカルヴァスから軍を剥奪したがまだ運用は決まっていない。特にドラッケン軍は頭を変えるとなかなかいうことを聞かないだろう。
そうなると北方が弱くなる。ならば北方だな。
『帝国防衛のため、貴領軍の一部を北方へ再配置せよ』
理由は……いらんな。あの男ならこの短い命令だけで察するだろう。
「これをヴァルカディアンへ」
ドゥルガルドが力をつけるのは気にくわないが、大規模兵力の制限はバルディウス辺境にもかかる。こちらで力の均衡がとれている間は条約を利用させてもらう。
次に動く一手は何になるか、思案しながら次の公務へ手を伸ばした。




