第55話 ベルグリム戦5
ドラッケンが麓から撤退する頃、バルディウス関門の指令室ではアルドレウスの怒りが満ちていた。
「エルフがいないようだが?」
「……奪取に、失敗しました」
ビリっと空気が震える。
「ド……ドワーフの技術が使われた仕掛けを抜けることができず、侵入がかないませんでした」
「その仕掛けは通り抜ける手段がある。そうだな?」
「はい……」
アルドレウスの手が光の軌跡を描く。
重たい物が落ちる音が響き、辺りに静寂が満ちた。
「片づけておけ」
苛立ちに任せて足音を立てて部屋を出ていく。
鍵となるエルフの確保に失敗した。なんのためにここまで来たのか……
「とんだ時間の無駄だ」
……まぁいい。影が失敗するということはドラッケンとカルヴァスの成功もない。これであの二家は蹴り落とせる。あとはグラディオンか……
「裸にするよりは力をつけて押しつぶすか」
失敗したことをいつまでも悔やんだところで何も進まないと、今後の計画を考えることで怒りを紛らわせる。
皇帝も狙われていることは察している以上、こちらの力を削ぐ機会を逃すことはしない。敗戦となった以上、今回の参戦ですべての責任を逃れることは難しい。
だがそれなりに武力はあるドゥルガルド王国の国境と接している以上、ヴァルカディアンの武力を取り上げることはしないはずだ。特に今回は攻め入って敗北している。警戒を解くことはできないだろう。
「武力、財政力、資源力……どれも揃うのが一番いいが……」
どうせ一部勢力の暴走として処理されるのだ。このままバルディウス領に攻め入るのも手か? 辺境伯を落として領の占拠に成功すれば少なくとも資源は手に入る。
「いや、兵糧の準備不足だな」
兵力はあるが長期の行軍を視野に入れていない。そんな状態で強行すればドラッケンの二の舞となるだろう。
目の前に餌があるというのにもどかしいものだ。だが今回のことで砦は簡単にとれることは証明された。次に活かせばいい。
一度欲したのだ。あの皇帝なら諦めることはしないだろう。次の機会はすぐに来る。
「その日まで資源をたっぷり蓄えておいてくれよ」
施設を直接落とすのが難しいのであれば統括しているものを落としてしまえばいい。
別の影を呼び出し、バルディウス領の地理と騎士の詳細情報を、撤退するまでに収集するように命令する。任務に失敗した以上は情報収集くらいは役に立ってもらわねばな。
「カルヴァス、ドラッケン、共に撤退を開始しました!」
もうすぐ日付も変わろうという頃、騎士の待機所に麓で展開していた二陣営が撤退を開始したという報告が飛び込んできた。どうやら作戦はうまくいったらしい。
エルドリックはふーっと詰めていた息を吐く。思う以上に体に力が入っていたようだ。
まだドラグナールに帰ったわけではないから油断はできない。だけど難局は乗り切ったといえよう。
「みんな、よくやってくれた……」
誰に聞かせるわけでもなく溢す。
絶望的な戦力差の中、撤退させるところまで持ち込めたことは本当に大きい。
「撤退を始めたということは地下農業迷宮も無事だな」
まっすぐにベルグリムへ向かったということは地下農業迷宮の制圧が目的だったはずだ。それなのにすぐに撤退してきたということは、おそらく中に入ることができなかったのであろう。
セドリックや騎士の報告を聞く限りでは、防衛機構がドワーフの技術でかなり強化されている。中に入られていないのであれば村人も無事なはずだ。
「あとは砦を占拠しているヴァルカディアンか……」
城まで攻めてくることも想定していたがそれはなかった。
ヴァルカディアンが砦から動かなかったからこそ、撤退させるところまで持ち込めたとも言えるが……
「ヴァルカディアンがなんの目的もなく動くとは考え難い」
一体何が目的だったのだろうか。目的によってはまだ動く可能性は捨てきれない。
このまま動かずに退くのか。それともこれから攻めてくるのか。
答えの出ない予測に支配されつつ、次々と飛び込んでくる戦況と被害状況の報告に耳を傾けていた。
夜が明けようという頃、カルヴァスに続きドラッケンも砦まで戻ってきていた。砦の中に入れる人数ではなく、壁の中で隊ごとに分かれて座って休んでいる。野営に使うテントなども焼け、みな野宿の有様だった。
「被害状況をまとめてきました」
頷いて先を促す。
「戦死したものは部隊長より上のものが六名。以下2000名ほどが戻っておりません。戻ったものもほとんどが負傷しており、重傷者は1000名ほどとなっております。内2名は部隊長です」
笑えてくるほどの完敗だった。
バルディウスの騎士たちは2000人規模で攻めてきたらしい。明らかに将を狙っていて、早々に指揮が乱れたようだ。統制のとれていない兵など数がいたところで大した戦力にならなかっただろう。
「わかった……お前も休め」
ハーゲンを麓に残していたら違っていただろうか?
いや、そうなると諦めきれずにまだベルグリムに残ってあの強い騎士に倒されていただろう。大将たる自分がいつまでも山奥に残っていたら麓も撤退などしていない。そうなったら全滅だ。
「報告書を、書かないとな……」
こういう時もいつもならハーゲンと馬鹿な話をしながらまとめていたものだが、もう隣にいることはない。
兵の数だけなら再戦は可能だ。隊長は繰り上げて埋めればいいし、経験の浅さはまわりが補助したらいいだろう。燃えた物資は補給としてカルヴァスに……
「……無理だな」
おそらく補給は断られる。麓に下りてきた時点でカルヴァスは撤退を始めていた。それだけ被害が大きかったことが推測される。なにより……
「俺の士気が上がらない……」
俺だけでなく兵の士気も最低だ。いつもなら眠りにつくまで笑い声が絶えないのにまるで弔いの場のようだ。どんよりとした空気となっている。
燃えたり、撤退時に回収できなかった荷の中には回復用のポーションも含まれていた。多くの兵は回復ができず、ただ寝かせることしかできない。
白紙のままの報告書を前に独りごちる。
「……遅かった」
ことあるごとにいつも隣にいた存在がないことに気がつかされる。
そして同時にちらつく父上の最後。
最後まで戦場に残り、一人でも多く撤退させるために戦った人。
あの時の撤退と今回の撤退が重なる。
あの時ほど囲まれていたわけではない。むしろ撤退する兵は見逃されていた。
それでも多くを失った。
もっと早く撤退を決めるべきだった。
そうしていれば……
俺の失策のせいで失ったものは、とてつもなく大きかった。




