永遠の灯火:量子もつれの抱擁
確かタイトルを変更したはずなのに思い出せない。別の話かも。
今回は、量子もつれです。
ぼんやりと、モルテは向こうを見ていた。
「……ルテ、モルテ!」
大きな声にハッとする。声の方を見ると、ゲルミナスが呆れたような顔で彼女を覗き込んでいる。
「……何をしているんですか」
(……え?)
彼女の目の前には、死地が広がり、土でさえもう「息も絶え絶え」になっている。
(しまった……!)
はあ、と大きなため息。
「そこまで土を『死なせて』は、芽吹くものも芽吹きませんよ。力を入れすぎています。貴女はただそこに立つだけで命を奪っているというのに」
ずき。
(……?)
なんだか、今どこか痛かった。でも、どこが?
そんなモルテには気づかず、ゲルミナスは眼鏡を外し、汚れを拭いている。
「次は『永遠の灯火』でしたね。いや、それで最後か……。モルテ、どこかわかりますか?」
(……)
返事をしない彼女に、ゲルミナスは怪訝そうに首を傾げた。
「モルテ?」
(あ。ううん、何でもない。……次、よく、分からない……)
何だろう。今までの四つの禁忌は、正体は分からなくともおおよその位置は分かった。けれど、最後の禁忌は、存在しているのは分かる。けれど、場所が分からない。
どこにもあって、どこにもない。
「どこにも……?」
眉根を寄せてゲルミナスは聞き返した。モルテは曖昧に頷く。ふむ、と彼は口元に手を当て、何か思案を始めた。しばらくの沈黙。
「……ふふ、まるで『量子もつれ』のようですね」
(は?)
なんか、また何か始まりそう。モルテは眉間にしわを寄せて身構える。
「通常、粒子にはそれぞれ独立した『個』を持っています。しかし、特定の条件下で生まれた二つの『個』は、どれほど距離を離しても、『運命を共有する』状態になることがある。これが、量子もつれです」
(???)
「量子もつれ状態にある粒子は、『ここに、これがある』と定義することができません。個々の粒子が独自性を失っているので、『特定の場所にはどこにもない』となります。そして、この二つの粒子は空間を無視した関係を持ちます。この空間にも、あの空間にも、もしかしたらその空間全てに、『どこにでもある』かのように機能します」
モルテは頭が痛くなってきた。ますます意味わからん。なんだ、その「運命を共有する」とか「独自性を失う」とか。空間を無視する? 御伽噺じゃあるまいし。
(「個」は「個」ではないの?)
例えば、とゲルミナスは片眼鏡をカチャリと掛けた。
「ここに、二つの箱を用意するとします。一つの箱には赤い玉を、もう一つの箱には白い玉を入れます。どちらが何を入れたのか、分かりません。そして、一つの箱を天界に送るとします。まだ中身は分かりませんね」
モルテは頷く。
「では、ここに残った箱を開けます。そこに白い玉が入っていました。天界に送った箱には何色の玉が入っていましたか?」
(え、赤だけど)
ますます彼は笑みを深める。
「それが、量子もつれです」
(…………は?)
「モルテ、貴女は片方の結果で天界の玉の色を当てました。箱を開けるまでは玉の色は赤でもあり白でもある。しかし、片方を測定した途端、もう一つも確定する。この強い相関のことを言います」
(……で?)
「量子もつれは、測定した瞬間に『個』としてばらばらになります。非常に強固で脆い。美しいと思いませんか?」
(ふうん)
心底どうでもいい。問題は、最後の禁忌の場所なのだけど。
ふと、「非常に強固で脆い」。そんな言葉がモルテの心に残った。
「あの人」との繋がりは、強固で、「私」は……?
(……なぜ、「もつれ」なんて言うの)
「二つの粒子が、単に『糸で繋がっている』バラバラの状態ではなく、『絡まって解けない』状態になっているからです。ほら、絡まった糸を片方引くと、もう一方も動いたりするでしょう? それと同じことです。あと、個別の説明ができない。これが大きな理由です。量子もつれにあるものは、『一つ』の状態としか説明できません。どちらが『そう』なのか、切り離せないのです」
切り離せない――。
ぐっ、とモルテは彼女の手の中にある石を握りしめた。そしておもむろにゲルミナスに向かって「それ」を投げつける。
(貴方達こそ、「もつれ」てんじゃないの!!)
爪先ほどの小さな銀色の球体。それは勢いよくゲルミナスの額にぶつかった。「痛ぅ……!」といううめき声が聞こえたが、モルテはベールの中に俯く。
「いきなり、何をするんですか!?」
赤い額を片手で押さえ、ゲルミナスはモルテを涙目で睨みつけた。だが、モルテはそれ以上に鋭く睨む。
(私、見たわよ。貴方の記憶。何よ、何よ何よ! ……結局、貴方はあの、あの人と……っ!)
声が欲しい。切実に。
声が出せれば、自分の激情がどれほどなのか知ることができるのに。
言い過ぎたって分かるのに。
心の中の叫びは、どんなに抑えようとしても「彼」に全て伝わってしまう。
(結局、貴方の中に「アナモルテ」がいるじゃない!)
「死」を拒絶されたことへの腹立たしさか。
触れることさえ叶わない羨ましさか。
信じようと心を預け、裏切られたかのような絶望か。
モルテの心は竜巻よりも大きく荒れ狂っていた。
「そっ、それは……、ただの『記憶』でしょう!? 過ぎ去ったものだ。私の中に、アナモルテが存在するなどあり得ない! それに、モルテ、貴女だって、アナモルテの一部だ! 彼女の『死』の力を持っている!」
違うそうじゃない。
(私は、「私」という個なの! 貴方の言葉の中にいちいちあの能天気女がチラつくのよ……!)
「は? あり得ない。何を言うと思えば」
ゲルミナスは肩をすくめて首を振る。
カチン。
(…………っ、じゃなきゃ、こんな綺麗な「想い」がこんな形で残ってるわけ、ないでしょうがっ!)
頭に血が上って絶え絶えだ。一方、ゲルミナスは呆けた顔をする。
「……綺麗な、想い……? 私の、中に……?」
その執着にすら、気づかないなんて。ギリィ、とモルテは歯噛みした。
(あの女が、罪を認めてそのまま消えるなんて、おかしい話なのよ! 貴方、「飼ってる」わね!?)
「なに……を……?」
ダン! モルテの足が地面を抉った。小さな死の衝撃が同心円状に広がる。
(とぼけるな! 「アナモルテ」が、お前の「中」に、「存在」してんの!!)
「…………は……!?」
量子もつれ。二つの粒子がぐじゃぐじゃに絡まって、解けない強固な相関。
アナモルテは「ここにはいない」けれど、「確かに存在している」。
ゲルミナスとアナモルテが、「一つ」の状態で、切り離して考えることが叶わない。
「……あり得ない。彼女は、消えたはず……。私は、確かに彼女から創り出されたけれど、一つの個で、あるはず……?」
ゲルミナスはアナモルテが切り離した「最後の理性」だ。だからこんなに理屈っぽくて理に厳しい。だが、その本質は。
(あの女は、ゲルミナスという「箱」の中に、自分を隠したんだ! いつでも、「アナモルテ」が復活できるように……!)
ぞくり。
ゲルミナスにアナモルテが纏わりつく感覚。そこにいないのに、存在している。この世から消えた存在であるのに、そこにいる。
この、究極的な矛盾は、彼らの背筋を冷たく撫でた。
今、この二人は、「どちらの箱に赤い玉か白い玉か、分からない」状態にいる。だから、ここに立っているゲルミナスはアナモルテであり、ここにいないアナモルテはゲルミナスなのである。
モルテはゲルミナスを指差した。
(貴方そのものが、最後の禁忌、「永遠の灯火」!)
アナモルテはゲルミナスに自身を「固定」した。消えて空間に散るはずの存在が、永遠に存在し続けることは、理外である。それは、最大にして最悪の禁忌であった。
(ゲルミナス、貴方はアナモルテ自身であると認めなさい! ……でないと、もつれはそのままなの!)
強固なのに脆い。
ゲルミナスはただ呆然と、自分の手のひらを見つめていた。
「……私は、ゲルミナス。自由意志を持つ存在ではなかった……ということなのか……? 私が、アナモルテ……?」
呟く声。
モルテは何度も頷きたい衝動に駆られる。
分かる分かる。認めたくないよね。初めは私をアナモルテと思っていたくらいだもの。実は自分がアナモルテでしたって、そんな簡単に認められないし信じたくない。
(……認めたくないなら、こちらから認めさせてあげるわ……!)
モルテは手袋を脱ぎ捨てた。黒く繊細なレースの手袋は、逆さまにひっくり返って地面に音もなく落ちる。
「モルテ、なに、を……」
つかつかと近づいた。一歩、進むたびにバチン! と火花が散る。
そしてそのまま――。
「っ!?」
ゲルミナスに抱きついた。
ゲルミナスの息を呑む音。ジュウウウ、と焼ける音と煙。飛び散る生と死の火花。
生まれた気圧差による風で、モルテのベールが飛んだ。
(貴方は、私《死》を受け入れてくれた、ゲルミナスなんだよ――)
アナモルテは、死を拒んだ。
ゲルミナスは、生があるからこそ死があると定義した。
これこそが、決定的な差。
モルテの抱擁は、彼女の持つ死のエネルギーと、ゲルミナスの生のエネルギーとを衝突させ、アナモルテという不確定な情報を吹き飛ばした。
もつれは解け、ゲルミナスは「ゲルミナス」となったのだ。
「モル、テ……」
憑き物が落ちたような、どこか頼りない顔に、モルテは歯を見せてニカッと笑った。
(やっと、「ゲルミナス」で呼んでくれたね)
ものすごく意味分からん話でした!
現実世界では、量子、ミクロの世界の話になる、はずです(しどろもどろ)




