生死の女神、記憶の相転移
はい、訳わからんくなってきました。
次は、「大地の竜」。
(……いや、遠いわね)
モルテが感じるその気配は、ここからかなり遠い。ここまで順調に来ただけだ。
(当たり前か)
「さあ、アナモルテ! 「大地の竜」はどこにいますか?」
次へ行きましょう、と急かすゲルミナスに、モルテはため息をついた。
(……ここからかなり遠い。それと、いい加減私を「アナモルテ」と呼ぶのはやめて)
不思議そうに彼は瞬きを一つ。そして、ほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「私にとって貴女は『アナモルテ』。そこは譲れませんよ」
(……じゃあ、もう勝手にしてよ)
つん、と顔を逸らして歩き出す。新芽を吹き出した草花たちが、モルテの足跡に黒く染まった。
ふと、モルテの視界に入ったのは、赤黒く染まった何か。ゲルミナスが生み出した命の中に、埋もれるように色を失っている。
(アレはいいのかしら)
モルテが指さしたのは、道端に落ちている、まだ羽毛も乾ききっていない雛鳥。孵化したところを襲われたのだろうか。血が滲み、ぐったりと瞳を閉じている。
ゲルミナスはそれを一瞥したあと、ふんと鼻を鳴らした。
「ソレはもう死んでいます。私は『生き返らせている』のではない。新たな命を『芽吹かせて』いるのです」
言いながら彼は手袋をはめる。
「可哀想などという同情で、還るべき命を戻すことは理に反する。それは慈愛でも何でもない、ただの罪です。――それが分からないから、貴女は堕とされたのですよ」
長ったらしく理を説く男に、モルテは小さく息をついた。終盤は何か言っていたような気もするが、声が小さくて分からない。
(はいはい。……さっさと行こうかしら)
その時。
「アナモルテ」
ゲルミナスはモルテのドレスの袖から覗く剥き出しの腕を、手袋をつけていない手で掴んだ。
ジュウゥゥ……! ゲルミナスの「生」とモルテの「死」がぶつかり合い、焼けるような音と煙が立った。
(……っ)
あまりの熱さにモルテは息を呑む。だが、彼はその痛みを感じさせず、彼女の顔をベール越しに覗き込んだ。
「貴女は『奪う』だけでいい。貴女が触れて失う命は、そうなるべき運命だったのだから」
言い残して彼は手を離す。視界の隅に、黒く焼けただれた手のひらが写った。気にもとめず彼は手袋をはめる。
シュウウ、とモルテの、手形に焼けただれた腕は一瞬で元の美しい肌に戻った。
(……つまり、私は「生」について考えるなってことね)
除け者にされたような、疎外感。モルテはそっと息をついた。
冷えた空気を温める炎が、乾いた木をゆっくりと舐めている。
ようやく訪れた「夜」。
筋肉痛に嘆くゲルミナスのために、モルテは一度休憩を入れることにした。
(「生きる」って、面倒ね)
頬杖をついて枯れ木に座り、ちろちろと燃える炎を見つめる。「寒い」と感じることのない体ではあるものの、炎の熱は彼女のドレスをじっくりと温めていった。
炎の向こう側でゲルミナスは脚を揉んでいる。途中「……っ」と顔をしかめていたので相当な筋肉痛だろう。モルテの複雑な心境の中で、その痛みに顔をしかめる様子はちょっといい気味だった。
(……そういえば、「大地の竜」って、何なのかしら)
理を歪める存在。モルテが持っている情報はそれだけだ。
その疑問が聞こえたのか、ゲルミナスは手を止めてモルテを見る。
「大地の竜……。そもそも重力を司る竜であると聞いています。けれど、『記憶』すらも物質化してしまうという、理に反した現象が見られているそうです」
ふうん。モルテは興味なさげに吐息を漏らした。
(……まったく。理を戻すのにこちらが大変な思いをしてるってのに。はた迷惑なひとね。その「アナモルテ」ってひとは)
その思いに反応するように、ゲルミナスの肩がぴく、と動いた。
(その尻拭いを、二人でやらないとなんて、非効率的じゃない)
結局、モルテが起こしたと思っていた罪は、旅を続けるうちに、それはモルテの名ではなく別の「女神」が引き起こしたもののようだ。
疎ましいと思っていたゲルミナスも、結局はモルテが鎮めた命を新たに書き換えて芽吹かせている。
モルテ一人では世界の理を戻すことができないのだ。
「……そういえば、重力というものは『重さ』を作り出しますが、『記憶』にも重さがあることを知っていますか?」
なにそれ。モルテはベールの中で瞬きをした。
記憶なんて、個が持つものであって、物質ではないはず。切り出したゲルミナスにモルテは眉根を寄せた。
(うさんくさ)
くす、と彼が炎の向こう側で笑った気配がする。ぱちり。枯れ木が炎に温められて音を立てた。
「もちろん、感じるような重さなどありません。ですが、分子レベルで、無きに等しいくらいの質量があるんだそうです。存在するエネルギーには全て質量を持っている……。なかなか面白いと思いませんか?」
(……ふうん)
「ただ、生き物の『解釈』ではなく、『熱』を持っている……。記憶というものは情報です。情報を『認識』すると、それは『秩序』になる。不思議でしょう?」
だから、と彼は続けた。モルテにとっては眉唾だらけの話だ。それと大地の竜との話が繋がらない。
「大地の竜は、情報を溜め込みすぎて重くなり、そしてそれに『情報《記憶》』を奪われた命は、無秩序に世界を漂っているのです」
(……なら、早くもとに戻さないとね)
世界の理を聞き流しながら、二人の夜は更けていった。
世界をしばらくモルテの足が進むままに移動する。それなりにゲルミナスの筋肉痛も良くなった。
道端にころんとした、爪先ほどの小さな薄桃色の石が落ちている。ゲルミナスはそれを見つけた。
「……おや、こんなところに物質化された記憶が……」
黒い手袋のまま、石をつまんだ。――と。
夕暮れ時。傍らに立つ少女をみる。高鳴る鼓動。手には少しの汗。
口を開けては閉じるを繰り返し、覚悟を決めた。
――い、一緒に帰ろうぜ。
少女はやや驚いたように目を見開いて、そしてはにかんだ。
――うん。
差し出した手を握り返す、控えめな温もり。
誰かの「記憶」がゲルミナスの脳内に流れ、彼は思わず「うわっ」と叫んで石を捨てた。
「こ、これは……。物質化した記憶は、誰もが体験可能……ということですか……? なんて、危険な……」
誰かの甘酸っぱい記憶を追体験し、ゲルミナスの心臓は嫌な音を立ててバクバクしている。
そんな様子を見て、モルテは息をついた。
(……この間まで記憶の質量とかなんとか、偉そうに語ってたくせに、人の子の色恋沙汰などで動揺するなんて……)
呆れる。
顔を赤くして胸元を擦っているゲルミナスを残し、モルテは歩き始めた。
彼女の背後で「アナモルテ、綺麗な石でも拾ってはいけませんよ……! 足元に気をつけて歩きなさい!」なんて声がする。無視無視。
(別に、誰かの記憶を見たところで、どうなるわけでもないじゃない)
ふと、足元を見ると、虹色に輝く小さな石が落ちていた。無機質な色は、どこか冷たく、モルテを「待って」いたように見えた。
(「虹色」……、ね。ふん、アイツが「拾うな」って言うなら、拾ってやろうじゃないの)
芽生えたのは、少しの反抗心。レースの手袋がその石を拾い上げた。
「待っ、アナモルテ……!」
焦ったような声が、最後に聞こえた。
カンッ! 槌で叩かれる、耳障りな音。俯く視線には、豊かな虹色の髪。冷たい石で囲まれた、裁きの場。一人立つ自分は裸足。
――判決を言い渡す。アナモルテ、貴様は五つもの禁忌を犯し、この世の理を歪めた。この罪、貴様の存在だけでは補いきれん。……よって、力を削ぎ、地へ落とす。名を没収し、理を正しながら彷徨うが良い。
――お待ちください! 彼女の、彼女の罪は私も共に償います……! ですから、ですから……!
カンッ! 木の割れるような音が響く。
――ゲルミナス。貴様は従属の身でありながら主を止めぬとは。嘆かわしい。……アナモルテの片翼を持て。その「死」を否定する愚か者には「生」を永遠に与えぬ。よいな。
無言で頷く。刹那、背の翼が毟り取られる痛みが全身を襲った。
――っ……!
虹色の輝きが褪せて、髪は黒く染まっていく。死の香りが全身を覆う。もがれた片翼はさらさらと灰を撒き散らし、「モルテ」は崩れ落ちた。
(……え……)
モルテは目を大きく見開いた。得た記憶は重くて立っていられない。すとん、と座り込んでしまった。手のひらから、ころんと石が色を失って転がり落ちた。
(わ、たし……?)
手のひらを見る。レースの手袋に覆われた彼女の両手はかすかに震えている。
かつ、と少し離れたところに暴力的な命を芽吹かせた銀の靴が見える。ゆっくりと顔を上げた彼女の視界の先には、痛みをこらえるようなゲルミナスの顔があった。
「……だから言ったでしょう。拾うなと。――貴女には、思い出してもらわなくても良かったのに」
(ゲル、ミナス……。私は、私は……)
「貴女が、どんな姿に変質しても、貴女は『アナモルテ』なのですよ。……私にとっては」
その言葉に、モルテは唇をぐっと噛み締めた。握りしめた手はいつしか困惑の震えから怒りに変わる。彼女は無言で立ち上がり、ゲルミナスの芽吹かせた命をぐしゃ、と踏みしめた。
(……馬鹿に、して……!!)
片足を後ろに振り上げ、思い切り蹴り上げる。
「……アナッ……!?」
ズシャアァッ! とゲルミナスがいつかのように吹っ飛び、重い音を立てて地面を滑っていった。
(いつもいつも、私はモルテだと言っているのに! どうして貴方は「アナモルテ」の面影を私に映すの!? 「彼女」はもういない! 私は、私は「モルテ」よ!)
ガバっと草花が宙に舞った。泥まみれになった銀の礼装は草だらけだ。
「私は、貴女が変質する場面を見ました! 貴女は、その「器」はアナモルテ。そうでしょう!?」
モルテは首を振る。違う違う、そうじゃない。
(あの日、「死」のみになった「アナモルテ」は、その強大すぎる力に絶望した!……アナモルテは、力を分かたれた時、存在を消したんだよ……!)
「死」だけが空っぽの器に残り、「生」をゲルミナスに与えた。アナモルテは分解され、力だけが残り、「モルテ」という新たな存在を生み出し、消えた。
「そ……んな、嘘でしょう?」
アナモルテ。彼女は「生」と「死」を司る女神。今は、ゲルミナスという「生」とモルテという「死」の、二人で一つというものに変わっていた。
(「死」を否定するってことはつまり、「生」を否定することと同義なの! 生きなきゃ、死なないでしょう!? 死ぬには、生きなきゃいけないの! 分かる!?)
声は出せない。けれど、モルテは心の中で叫んだ。今ならゲルミナスが彼女の言いたいことが分かるのも頷ける。だって、「片割れ」なんだもの。
肩で大きく息をしながらモルテはゲルミナスを睨みつけた。
草にまみれた彼は呆然と座り込んでいる。その銀の瞳は混乱による感情の起伏で揺れていた。つかつかと歩み寄り、モルテは彼の胸ぐらを掴み上げた。生と死の空気が混ざって、バチチチ……と火花が散る。
(貴方の目は節穴ね! 顔は同じかもしれない。声も同じかもしれない。だけどっ、この性格は全く別物でしょう! 私は、あんな「お気楽女」ほど自分の力を理解してないわけじゃない! いい加減、過去に浸るのは止めなさいよ、大馬鹿者!)
はっ、とゲルミナスの瞳がやっと「モルテ」を見た。
「……私は……『過去』に、揺蕩っていたと言うわけ、ですか……」
絞り出すような、震えた声。だらん、と垂れた腕。モルテは突き放すように胸ぐらから手を離した。
(ようやくお目覚めかしら)
彼は両足を放り出すようにして座った。後ろ手をつき、空を見上げる。片眼鏡は胸ぐらを掴まれた衝撃でずれ落ちた。けれど、彼はそのことに気が付かないように、吹っ切れたように息を漏らす。そしてそれは次第に小さな笑い声となった。
「ふふ、……確かに、私は『アナモルテ』に固執していたのかもしれない。『生』と『死』を司る女神。その力の一辺を埋め込まれ、強大な力に怯え、認めたくない自分もいました。けれど、『モルテ』。貴女はすでに自分の力を自分のものにしていたのですね……。完璧な論理です。完敗だ」
そう言って、彼は泥を拭いながら、どこか吹っ切れたような、それでいて呆れたような視線を彼女に向けた。
「……それにしても、やはり貴女はアナモルテとは違いますね。こんなに性格悪いなんて」
直後、ズシャッ、と鋭い音が響く。
立ち上がろうとしたゲルミナスの横腹を、モルテの足が容赦なく捉え、彼は再び泥の中を転がっていった。
(……だから、大馬鹿者だって言ってるのよ)
砂埃を舞い上げながら飛んでいった「片割れ」を見下ろし、モルテは鼻を鳴らす。
二人の間にあった「重力」は、今は少しだけ、羽のように軽くなっていた。
記憶は質量を持つのか?
それは未だに決着がついていないそうです。




