光の王女と直進する白夜
光の王女。
よろしくお願いします!
かつて、「夜」というものは、全ての命に安らぎを与えるものであった。昼間に騒ぎ立てた鼓動を、その熱を冷ます安寧の時間。
けれど。
(……眩しい……)
この世界に日が落ちなくなってどのくらい経ったのだろう。モルテは照らし続ける太陽を恨みがましげに見上げた。
「……『光の王女』がこの世界の明かりを管理しています。この光の粒子というのは、物理現象では――」
(……また始まった)
ぺらぺらと流暢で要らない「解説」に、モルテは小さく欠伸をした。
だが、理を映す「物理現象」。モルテの体は、飲食も睡眠も排泄もない、いわゆる「死」の体現。
魔法や精霊による「非論理的な現象」にはモルテには効果がないのに、物理的な法則はしっかりと影響を受けてしまう。
(……暑……)
ぱた、とモルテは胸元の布を少し引っ張って、肌と布の間に空気を入れた。ゲルミナスはその様子を見て眉根を寄せる。
「アナモルテ。女性が、そのような事をするとは。……まあ、貴女の黒のドレスでは暑いでしょう。なんせ、黒は光の全波長を吸収してしまう奇跡の色。貴女の全てを『奪う』力に相応しい」
(……ええそうね、うん、吸収、ね)
どうでもいい。こちらはただ暑いのだ。
ふと、足元を見ると、あるはずの影がない。じりじりとした熱を首筋に感じた。四方八方から光が差している。
「……ああ、これは光の王女の力でしょう。光は普通、直進・反射・屈折する特性を持っています。光は遮蔽物がなければ真っ直ぐ進むし、鏡のようなものがあれば同じ角度で跳ね返る。そして水などに入れば進む速度が変わる境界線で折れ曲がります。普通は、この『直進』によって、光を通さないものに遮られ、影ができます」
(……)
へえ、と思おうとしてモルテは言葉を飲み込んだ。危ない危ない。話に引き込まれたらこいつの思うツボだ。
だが、ゲルミナスはそんなモルテの気持ちを知ってか知らずか、クスリと笑う。
「そして、光はある種の『波』なので、隙間などでは反射しあって四方八方に広がります。影になっていても明るく見えるのは、その『回折』と呼ばれる現象です」
(……へえ……)
あ。モルテは口元に手を当てた。ちょっと悔しい。
ですが、とゲルミナスは続ける。
「この回折を行わせず、直進だけで辺りを照らしている光の王女は、まさしく理から外れた存在でしょう」
と、彼は空を指差した。彼らの頭上は、まるでモルテの瞳のように真っ黒。だが、地上だけは日の光が燦々と眩しい。
「光は様々な波長の集まりで、通常は無色です。ですが、天上から降り注ぐ光は、空気にぶつかって『色』に分かれます。特に、『青』は波長が短くて散乱しやすく、より波長の短い『紫』よりも目に入りやすいため、空は青く見える……はずですが」
ふう、と息をつく。
「どうやら光の王女は光を直進しかさせていないようですね」
(空は、それで青いのね……)
真っ黒な空を見上げてモルテは思った。ゲルミナスの蘊蓄に乗せられてしまった。けれど、面白いから良しとしよう。
ぽわん。
どこからかしゃぼん玉が幾つも列を成してモルテたちのところに漂ってきた。
それらは光に照らされて、様々な色に変わる。
(……あれが、色付くのも、「光」?)
モルテはしゃぼん玉を指差した。ゲルミナスは頷く。
「ええ、正解ですよ、アナモルテ。『薄膜干渉』と呼ばれる現象です。あのしゃぼん玉の、外側の膜と内側の膜に光が当たり、反射した光が重なることで、光を強め合ったり弱め合ったりして色づくのです。一つとして同じ色にならない。まるで、アナモルテ、貴女の瞳のような……」
しゃぼん玉を見て、得意げに解説していたゲルミナスは言葉を切った。彼の視線はモルテの、何も跳ね返さない「黒」を見ている。そして、僅かな沈黙。彼は顔を逸らした。
「……失礼」
(……誰よ)
少し、ほんの少しだけモルテは口を引き結んだ。心がざわざわする。
ちょっと心がささくれだったのは、この光のせい。
(暑くて眩しくて、影がない。安らげないし、逃げ場がない)
足元から少し離れた、まだ「生きて」いる草を見る。それらは、日に当たり続けたからか、白く焼けてカラカラに乾いていた。
(「死《私》」でないのに、死ぬこともあるのね)
それもそうか。日の光は大抵は「救済の光」。けれど、薬も過ぎれば毒となる。
(光の王女には、代替わりしてもらいましょう)
日に当たって熱くなったドレスに空気を入れ、モルテは前を向いた。
こほん、と気まずくなった空気を変えるように、ゲルミナスは咳払いをした。
「さあ、では、いきましょうか。『光の王女』へ」
指さす方向は、光に当たって真っ白に輝く王城。そこは、光の階段が長く続く、空中に浮かぶ城であった。
(……なっが)
うんざりするほどの階段。急ごうにも奥行きのある階段は、一段飛ばしで登るにはドレスが邪魔で難しい。
(あの人、大丈夫かしら?)
モルテは振り返る。そこには、モルテが付けた黒い灰のような足跡をよろよろと追いかけるゲルミナスが。
(体力なさすぎ)
体力という概念がないモルテが言える言葉ではなかったが、ゲルミナスは確かに、あんなに「生」を撒き散らしているのに、体力がなかった。
(ひ弱)
はあ、とため息をつく。だが、そんな「弱さ」も、「息切れ」も、モルテには眩しい。
(……なんで、物理的に眩しいのに、さらに「眩しい」なんて……)
暑さと目を焼くような光と、心の中をよぎった想いに、モルテはだんだんイライラしてきた。
(……説教の一つでもしてやろうかしら)
お前の光は毒なのだと。良かれと思ったことは、全て裏目に出ているのだと声を大にして(できないが)言いたい。
(……?)
自分の考えていた何かの言葉が引っかかった。モルテの足が止まる。
(「良かれと思ったことが裏目」……?)
なんだろう。頭に霞がかかって思い出せそうなのに思い出せないもやもや感。首をひねった。
「はぁ……はぁ……。アナ、モルテ。よく、見えました、ね……」
膝に手をついて肩で大きく息をしているゲルミナス。光が乱反射して眩い世界を登ってきたのだ。モルテの付けた足跡だけが目印で、よくぞ登ってこれた。
(死にそうね)
モルテはレースに覆われた手を見た。
(いっそ、ここでトドメを刺した方が、お互いのためになるんじゃ……)
ゲルミナスが青い顔をさらに青くした。
「変なこと言わないでくださいよ。貴女の力では私は死にませんから!」
(……残念)
冗談か、本気か。冷めた瞳を向けながら、モルテは心の中で舌打ちをした。
「ほら、変なこと考えていないで、……行きますよ」
重厚な扉に手を掛ける。ギッ……イィィ……と重い音を立てて、扉が開く。
――その中は。
(いや、だから! 眩しいわよ!!)
直進の光が眼球に直接入ってくる。瞳孔が限界にまで引き絞られているのに、これ以上は無理だと脳内が悲鳴を上げ、視界の処理を停止した。光エネルギーはモルテの黒に吸い込まれ、熱エネルギーに変換されてドレスを熱くしていく。ゲルミナスに至っては、「……っ」と言ったきり、黙ってしまった。
モルテは決めた。手をぐっと握りしめる。
(……説教は正座ね)
『やーっと来たわね! 待ちくたびれたわよ!』
高い高い城の、一番高い場所。焼き切れそうな視界の中、いきなり聞こえた甲高い、ハイテンションな声音はモルテの神経を逆撫でする。
「光の王女! 理に逆らうのはおやめなさい。眩しすぎて、見えません!」
ゲルミナスが叫ぶのが聞こえた。白い視界の中、すでに聴覚だけが頼みの綱だ。だが、光の王女は、はんっ、と鼻で笑う。
『あのひとが、もっと明るければいいのにって言ったから、明るくしてるんじゃない! 夜が来なければずっと遊べるでしょう?』
悪びれる様子もなく、彼女はのたまった。
「……確かに、そう言ったかもしれません。ですが、それは理への冒涜です! 『彼女』は、そんな意味で言ったわけでは……!」
ざわり。モルテの心がまたざわついた。誰なのだ、「あのひと」とは。何度も何度も出てくる、モルテの「知らない」ひと。自分をおいて皆彼女の話をする。知らず、モルテは手を握りしめた。
(……まあ、いいわ。私には関係のないこと。説教するには……声が必要だったわ)
ゲルミナスには言いたいことが通じているからすっかり忘れていた。これでは言いたいことも言えないではないか。
『しかも誰よ、その黒い人! 虹の女神様は来ないの? また遊ぼうって約束したじゃない!』
(遊ぶために、「夜」を否定したというの……?)
なんて自分勝手な理由。モルテは声の方向を頼りに、つかつかと光の王女がいると思われる場所へ歩いていった。風の精霊のように逃げない。気配はすぐ近くに感じる。
『な、なによ!? っ、まさか、あなた、死神――っ』
全く見えないが、モルテはまぶたを開けた。彼女の黒い瞳を見て、光の王女は息を呑んだ。
(眩しいし暑いし迷惑なんだけど)
『い、嫌よ! 私はまだ死なないんだから!』
モルテの瞳は暴力的な光に焼かれていく。でも、別にモルテにとっては構わないこと。
(ゲルミナス、貴方は真似しちゃだめだよ)
さて、この光を黙らせるにはどうしようか。物理的に黙らせる事は簡単だけれど、それではモルテの気が済まされない。
(光を打ち消す、ねえ……)
――光はある種の「波」です。……反射した光が重なることで光を強めたり弱めたりして……。
ゲルミナスの得意気な声がリフレインされた。
(波……か)
ベールの内側、モルテは唇を舐めた。ドレスの懐に手をやる。そこには、ゲルミナスに出会った頃に渡された、手鏡。そこにモルテは力を込める。鏡の表面がモルテの力を帯びて薄っすらと色づいた。
(これでも食らいなさい!)
そう思って、王女へ鏡を向けた――。
光は、鏡に吸い込まれ、奥側のガラスに反射した。この時、モルテの力を吸い込み、波長が変質する。そして――。
『きゃ、ああああああっっ!』
ぴったり王女の光の波長とモルテの逆の波長とがぶつかって、打ち消しあった。眩い光は霧散し、青が空へと散っていく。
そのままモルテは乱雑に手袋を剥ぎ取り、王女を優しく抱き寄せた。
(……おやすみ。夜がなければ、新たな日は来ないのよ)
訪れたのは、熱を冷ます穏やかな安らぎの宵。
(……)
焼けた目を労るようにまぶたに手を当て、モルテは息をつく。もう少しすれば何事もなかったかのように元通りに見えるはず。
(結局、説教できなかったわ)
まぶたから手を離して、モルテは空を見上げた。まだチカチカするが、うっすらと光が収まっているのが見えた。
「アナモルテ! 無茶を……!」
焦ったようなゲルミナスの声。それにモルテは振り返った。
(豆知識、たまには役立つものね)
「あ……はい。……いえ、待ってください。『たまには』?」
(ほら、仕事仕事)
複雑そうな顔をして、彼は片膝をついた。生の息吹が巻き起こり、白くカサついていた植物の下から新たな芽が顔を出した。動物たちは「ようやく眠れる」とでも言いたげに、その場に丸まって瞳を閉じている。
熱く動かした鼓動は、夜のうちに冷えて、また日が昇れば新たに「熱」を生み出すだろう。
――ふふふ、楽しかったわ! また遊びましょう!
――もう? 女神様、女神様。もっと、まだまだ遊びたいわ。
虹の髪を揺らし、彼女は微笑んだ。愛おしげに光る娘の頭を撫でる。
――今日は日が暮れるから、おしまい。もっと日が長ければ、遊べたかもしれないわ。
――じゃあ、もっと長くするわ! そうすれば、「今日」が長くなるもの!
――それはいい考えね!
それが、三つ目の禁忌。
空の青い理由、しゃぼん玉の虹色。
もし、紫の色が人間の目に届きやすい波長だったら、空は紫色だったかもしれませんね。




