相対性理論の孤独、ベールの消失
短いです。
相対性理論について。
理解できなかった。
太陽は分厚い雲から顔を出し、世界に熱を与え始める。雪は周囲の熱を拾い、自らを自由な水へと姿を変えた。じんわりと温まっていく地面には、ぽつぽつと土を割って芽を出す植物。
温められた空気は上空へと舞い上がり、風を起こす。そしてその風は軽やかに駆け、雪解けを湛える小川をくすぐる。小川はさざ波を立てて笑い、目覚めた魚たちを驚かせた。
森へと視線を向ければ、花を食んだ虫が、鋭い嘴に引き裂かれ、やがてそれは雛の腹を満たす。かと思えば、離れた木にある枝には蛇が巻き付き、孵ろうと藻掻く卵を飲み込んでいる。
そんな、どこにでもあるような命の理を、モルテはじっと見つめていた。
眩しい。歓びで溢れている情景は、けれどどこか淋しい。
(ああ、そうか。彼らは私にとって一瞬で通り過ぎてしまうからか)
死の淵には、モルテが受け取った膨大な命の物語が記されている。
大地の竜。それは、「死神」が受け取るはずだった記憶を物質化し、溜め込んでいた。とても重い「想い」は、重力すらも変貌させるほど。
モルテの中に受け継がれた「物語」は、重力を変えることはない。けれど確かに重いそれは、積み重なるほど彼女の時間を、他者から見れば確実に変える力を持っていた。
重くて長い一瞬。
時の流れは同じなのに、彼女の感じる「時」はとても長い。
反対に、命はきゃらきゃらと笑いながら、光の速さのように過ぎていくように見える。
早送りの世界。これは、モルテがひとりで見ている世界である。
以前、ゲルミナスにこの「時の流れ」の乖離について尋ねたことがある。そう、確かゲルミナスは「アナモルテ」で、彼を再定義する前のことだ。
――え? 時の流れが違う?
まるで相対性理論のようですね、と小馬鹿にしたように笑った。
――ほら、同じ時の流れでも、何かに夢中になるとあっという間に、苦しい時間は一秒でも何時間もかかっているように思える、そんな感じじゃないですか?
(苦しい……わけじゃないんだけどなあ。みんな、私を置いていく感じがするからなあ)
今、ゲルミナスはいない。彼は「すみません! 『上』からの呼び出しです! 絶対帰ってきますから待っててくださいよ!」とか言って天界へ消えた。
ふぅ、とモルテは息をつく。
(んんー、なんだろ。スッキリしないなあ……)
何だか落ち着かない。胸にぽっかり穴があいた、虚無感。
(そっか、「寂しい」んだ……)
モルテは気がついた。なにせ、彼女が「存在」してからずっと彼が隣にいたのだ。いて当たり前だったから、気づかなかった。
(あ……れ……?)
寂しさに気づくまで数秒。足元の影はそのままなのに、空には白い月が浮かび、宵闇が見える。
彼女の周りだけは「普通」に時が流れているのに、その「窓」の向こうは、まるで狂ったような早送りの世界だ。――そう、彼女の周りは時間が泥のように停滞し、世界はその映写機からモルテを一人、弾き出している。
(なん……で……?)
ため息一つ、足を一歩。モルテにとっては数秒、数分の出来事なのに、「窓」の外は恐ろしいスピードで通り過ぎていく。
それは、彼女にとって経験したことのない「恐怖」であった。
幾度も日が昇り、月が沈む光景を、「窓」の外は繰り返している。けれど、彼女の足元は、やっと日が傾いた頃。
(気のせい、じゃない)
モルテは、膝を抱えて座り込み、顔を埋めた。
「窓」の外を、見ないように。
「呼び出しに応じて馳せ参じましたが。……で?」
どっかりとゲルミナスは座って脚を組む。片眼鏡はギラリと光り、その無表情は威圧感を出す。
「ちょっと! 性格変わりすぎじゃない?」
「あの慎ましげな従者はどこへ消えたのか」
「変質は貴様の方では」
困惑げな神。ため息をつく神。面白そうに口を歪める神。様々な反応を睥睨し、ゲルミナスはため息をつく。
「私は元々この性格ですし慎ましくもありません。変質……。変質というよりは再定義された者として見ていただければ」
全知の神は思った。呼び出すの早かった? なんなのこの柱。
「……ゲルミナス、いや。「生神」よ。そなた、死神を作り変えたか」
「……さあ。心当たりありませんね」
彼は微笑む。その顔に揺らぎはない。全知の神は一つ息をつく。
「……まあ、この世の均衡が保たれればよい。我等はとうにそなたらを諦観しておる」
「じゃあ、公認ってわけよね?」
良かったわね〜、と微笑む女神。
「っ、『愛神』……」
「ほらほら、早く戻らないと、死神、泣いちゃうんじゃない?」
また元に戻っちゃうわよ、と囁かれてゲルミナスは慌てて立ち上がった。
「要件を! 要件を手短に!」
もう一度全知の神はため息をついた。
「我等の問いには答えないくせに……。生神、そなた翼を『隠して』おるな? 死神にも仕舞い方を教えてやれ。通達する。もうそなたら、天界に戻るな。地上を彷徨え」
疲れたように
「それだけなら別に呼び出さなくても……。待ってください、何で翼のこと」
「アナモルテの力を分けたのは余である。知らぬわけがない」
ゲルミナスは居心地悪そうに頬を掻いた。
「……はい。承りました」
一礼し、踵を返した。
「片翼では空は飛べぬ。寄り添うにも邪魔であろう」
「……余計なご忠告、どうもありがとうございます」
今度こそ、ゲルミナスは消えた。
――カチリ。
硬質な、何かがはまる音が聞こえた。
(……?)
塞いでいた顔を上げると、モルテから見える「窓」の向こう、太陽と月が代わる代わる競い合うように顔を出していた景色が、ぐにゃりと歪む。
「すみません、モルテ! 遅くなりました!」
あの、声は。
ゲルミナスだ。ゲルミナスだ!
勢いよく立ち上がり、モルテは声の方へ駆け出した。
銀の光をまといながら、「モルテ」を見てくれるひと。
「あぁっ、モルテ!? ちょっと待っ……!」
ぎゅうう、とモルテは抱きついた。バチチィ……、と火花が弾けたが、そんな痛みすらモルテにとっては構わなかった。
「……モルテ? どうしました、数時間だったのに」
首を振る。彼女の腕は、ゲルミナスにしがみついたまま。
(……私にとっては何週間も経ったように思えたよ)
「……(どうしたんだろう)」
ぽんぽんとモルテの背中をあやしながら、ゲルミナスは後ろを振り返る。と、彼女の向こう、「窓」の外の、「外の時間」と「モルテの時間」の境界線がじんわりと溶けて混ざっていく様子が見えた。
(……ああ、それで)
モルテの時間は他者から見ればとてつもなくゆっくりだ。反対に、モルテから見た外の時間は光の速さのように過ぎ去って見えるだろう。
置いていかれると、恐怖するくらいに。
「……大丈夫ですよ、モルテ。貴女の抱える『物語』は、それほどまでに重いのですね」
重いと、感じたことはなかったけれど。
「時間というのは、人によってそれぞれ違います。貴女は、『貴女だけの時間』の中にいたのですね。……怖かったですか」
微かに上下する頭。
ゲルミナスが来たから。軽やかな存在である彼は、モルテの時間を「中和」し、「同じく流れる景色」を作り出していた。けれど、ほんの数時間、ゲルミナスが天界に行っている間、彼女は「モルテの時間」の中に閉じ込められ、彼女の「重さ」が届かない「窓の向こう」には、モルテにとって早送りの時間が流れていた。
モルテの一秒がゲルミナスの一秒であるとは限らない。もしかしたら、一日、一週間、もしかしたらもっと長いのかもしれない。
太陽が昇り、沈んでまた昇るまでの時間を一日と定義したとて、それはただの「そう定義した」だけであり、この宇宙に「共通する時間」というものはないのだ。
それはとても恐ろしいことである。
彼女が瞬き一つすれば、向こうは日が沈んでいる。世界に置いていかれる孤独感は計り知れない。
(だから、私は貴女を引き上げよう)
深く孤独に沈んでいくモルテのそばで、中和して同じ時を見れるように。
背中にあった手をそっと上にあげると、指先は彼女の翼にぶつかる。
(……本当だ。邪魔かもしれない)
全知の神に言われたことが的を射ていた事に、ほんの少し悔しさを滲ませながら、ゲルミナスはモルテの頬を包みこんだ。
また、あの時のように額同士をコツンと当てる。
「……もう、大丈夫です。私が、ずっとそばにいます。貴女と、同じ時を、同じ流れで、同じ景色を……これからも一緒に見ていきましょう。……ね?」
わずか、モルテの黒い瞳に水膜を張っている。その瞳が水面のように揺れ、こくりと彼女は頷いた。
「約束ですからね」
そう言って、ゲルミナスは誓うようにモルテの額に、ついばむような、触れるだけの口づけを落とした。
宇宙には時間の概念はなく、そもそも「変化」があるから我々は時の流れを感じているそうです。そして、個々の時間は違っている。太陽が昇って沈むという変化を同じく見ているので、同じ時間を過ごしているように錯覚している……とかなんとか……。大人と子どもの時間の感じ方が違うというのは、考え方としては合っているらしいのですが、厳密には少し違う……らしい。訳わからん。凡人には無理です。モルテとゲルミナスのやり取りだけ見ましょう。
あと1話で完結です。




